『蒼灰の軌跡』〜届かない光と、全肯定の死神〜 作:こげすずめ
ガタン、ゴトンと、舗装の荒い道を進む車の不快な揺れが響いている。
後部座席で、僕はキーアと隣り合わせに座っていた。
ツァオから「特務支援課に対する仕掛けが完了した」との報告を受け、
僕たちは罠の舞台として用意された古戦場へと向かっていたのだ。
車内では、キーアがひどく緊張したようにうつむいていた。
そんな彼女を見て、向かいの席に座る紫の舞姫――イリア・プラティエが、
ねっとりとした妖艶な声でからかいの言葉を投げかけていた。
僕の朧げな記憶の中の彼女は、アルカンシェルの舞台で光り輝く、クロスベルの『太陽』の象徴だったはずだ。
だが、目の前の彼女からはそんな眩しさは微塵も感じられない。まるでどす黒いオーラに取り込まれてしまったかのような、悪辣で歪んだ気配を放っていた。
元々、家族のように親しかったらしいはずの二人だ。
様子がおかしくなってしまったイリアから意地悪く声をかけられ、
キーアは怯えよりも悲しみを滲ませて「イリア……」と心配そうに顔を歪めていた。
見かねた僕は、すっと手を伸ばし、二人の間に壁を作るようにしてイリアの視線を遮った。
無言の制止に、イリアはひどくつまらなそうに鼻を鳴らす。
「……まあいいわ。もうすぐ、可愛い『弟君(ロイド)』といっぱい遊べるんだから」
狂気を孕んだ笑みを浮かべると、彼女は興味を失ったように窓の外へとそっぽを向いた。
それから少しして、車は目的地に到着した。
冷たい風が吹き抜ける古戦場の奥。
イリアたちが特務支援課を迎え撃つための配置につく間、僕はキーアと最後に少しだけ言葉を交わした。
「そろそろ、特務支援課の人たちが来る。……ここまで、よく頑張ったね」
「ううん……ありがとう」
僕の言葉に、キーアは小さく首を横に振る。
「前にも言った通り、僕が君を助けられるのは今回限りだ。次に会った時、僕は敵に回るし、容赦もできない。だから、なるべく表には出てこない方がいい」
そう念を押すと、彼女は何かを推し量るようにじっと僕の仮面を見つめてきた。
そして、思い詰めたような表情で、再びあの問いを口にした。
「もう一度、教えて。……どうして、キーアを助けてくれたの?」
あのラウンジで尋ねられた時と同じ問い。
だが、その響きは確信に近いものを帯びていた。
彼女は聡明な娘だ。
スパーリングの時の既視感も含め、この短い時間の中で、僕から滲み出る『何か』を感じ取ったのだろう。
「特務支援課に世話になったから」という先ほどの適当な建前が、もう通用しないことくらい、僕にもわかっていた。
「……僕には、やるべきことがある。これは、その一環だよ」
完全に誤魔化しきることは諦めて、僕はそれだけを伝えた。
自分への言い訳のような、けれど嘘偽りのない本音だった。
僕の答えを聞いて、キーアはまた深く考え込むような仕草を見せた。
そして別れ際、最後にこれだけはどうしても聞いておきたいというように、僕を見上げた。
「あの……お名前、教えてもらえる?」
その言葉に、僕は小さく息を呑んだ。
そういえば、彼女にこちらの名前すら伝えていなかった。
いや、忘れていたわけじゃない。本当の名前(アルシュ)を名乗れないのは当然として、偽名ですら教えるのを無意識に避けていたのだ。
これ以上、彼女との間に『繋がり』の証を作りたくなかったという、僕の臆病さの表れだったのかもしれない。
心の中で自分自身を自嘲しながら、僕は静かに彼女を見据えて、短く答えた。
「――グレイ。グレイだよ」
「ありがとう、グレイ」
その名前を呼ぶ彼女の、どこか安心したような、温かい響き。
僕はそれに答えることができず、何も言わずに顔を背けてしまった。
それからしばらくの後。
ツァオの仕掛けた『罠』は、予定通りに機能した。
かつて太陽の砦と呼ばれた巨大な遺跡。
その重苦しい空気の中を、特務支援課の数人が足を踏み入れてきたのだ。
僕は、砦の屋上のさらに高い位置から、冷たくなった導力ライフルを構えてスコープ越しに彼らを見下ろしていた。
キーアはすでに、彼らをここまで誘い込むための『餌』として、イリア・プラティエと共に遺跡の奥の配置についているはずだ。
そして、ツァオの仕掛けが発動した。
知り合いの少女をダシにしてここまで彼らを引き込んだツァオは、黒月の面々を伏兵として包囲陣を敷いていた。
しかし、特務支援課の面々は絶望のどん底から這い上がってきたばかりだというのに、その包囲網を見事に打倒していく。
だが、罠はそれだけではなかった。
息をつく暇も与えず、更なる伏兵として姿を現したのは、巨躯を揺らす元マフィアの若頭――ガルシア・ロッシだった。
彼はツァオと組み、特務支援課へと猛烈な交戦を開始したのだ。
(……って、来てたのか、あのおっさん)
スコープ越しにその姿を確認した瞬間、僕は思わず内心で盛大なツッコミを入れてしまった。
『統一国』の現場指揮官というトップクラスの立場でありながら、
わざわざこんな前線まで出張ってきて、自ら先陣を切って拳を振るっている。
フットワークが軽すぎるにも程があるだろう。
だが、あのラウンジでのスパーリングを思い返せば、納得もいく。
彼はただ、自分自身の手でロイドたち特務支援課の『覚悟』を計りたかったのだ。
眼下では、ガルシアが咆哮を上げ、ツァオの巧妙な援護を受けながら凄まじい大立ち回りを演じていた。
ロイドたちも必死の連携でそれに食らいつく。岩をも砕く剛腕と、それを凌ぐ特務支援課の意地が激突し、遺跡の床が次々とひび割れていく。
やがて――。
大暴れで特務支援課を痛めつけたガルシアだったが、
最後にはロイドたちの渾身の連携を正面から受け止め、ついに彼らの前にドスッと重い膝をついた。
激闘の末、二人の強敵を打倒した特務支援課は、その勢いのまま周囲を固めていた黒の衛士たちを蹴散らした。
そして、包囲網の中心に取り残されていたキーアを、
ついにロイド・バニングスがその腕に抱き留める。
(……よし)
スコープ越しにその光景を見届け、僕は小さく息を吐いた。これで第一の目的は達成だ。
だが、安堵したのも束の間。舞台の奥で沈黙していた紫の舞姫――イリア・プラティエが、ついに被っていた猫を脱ぎ捨て、その悪辣な正体を現した。
彼女は、かつての後輩であり、自分を助けようと駆け寄ったリーシャ・マオに向けて容赦のない凶刃を振り下ろす。
すわ直撃かと思われたその時、白い閃光のように乱入した神狼ツァイトがリーシャを庇い、さらに彼に従うオオカミの群れが一斉に姿を現した。
それに呼応するように、ワジさんたち聖杯騎士団の面々までが現れ、場は一気に予測不能な乱戦の様相を呈し始めていた。
(これ以上は、まずいな)
僕が今回ここに配置された理由は二つ。
一つは、キーアが無事に彼らの元へ届けられるのを確実に見届けること。
そしてもう一つは、あの男(ルーファス)に頼まれた『無用な消耗を避けさせること』だ。
これ以上の乱戦は、今後の盤面において僕たちにとっても彼らにとってもメリットがない。
僕はライフルのボルトを引き、冷たい引き金に指をかけた。
***
「みんな、構えろ……!」
ワジたちの加勢を得て、いよいよ黒の衛士やイリアたちとの全面衝突が避けられないと悟ったその瞬間。
一触即発の空気を切り裂くように、遥か上空から鋭い破裂音が響き渡った。
――ヒュガガガガッ!!
「なっ……!?」
黒の衛士たちが踏み込もうとした足元の石畳と、僕たちが武器を構えようとしたまさにその瞬間の足元。
双方の間を寸分の狂いもなく分断するように、凄まじい精度の牽制射撃が撃ち込まれ、全員の出鼻が完全にくじかれた。
「この狙撃……! まさか、調印式の時の……!」
エリィが青ざめた顔で叫び、上空を指差した。
俺たち特務支援課の動きを完全に先読みし、アーツの駆動や行動の起点をことごとく潰した、あの狙撃手。
全員の視線が、砦の上層へと向く。
そこに立っていたのは、導力ライフルを肩に担いだ、顔を仮面で隠したコート姿の男だった。
「……君は」
俺が油断なくトンファーを構え直しながら声をかけると、横で立ち上がっていたガルシアが、首の骨を鳴らしながら意外そうに口を挟んだ。
「あぁん? なんだロイド、てめぇら知り合いじゃねぇのか?」
「……どういう意味だ、ガルシア」
「いや、なんでもねぇ」
ガルシアはつまらなそうに鼻を鳴らす。
そのやり取りを遮るように、上層の仮面の男が、感情の読めない平坦な声で告げた。
「ガルシアさん。それに、イリアさんも。……今回は、この辺りにしておきましょう」
「チッ。まあ、目的は果たしたしな」
「つまんないの。……まあ、いいわ」
仮面の男の制止に、ガルシアは短く舌打ちをして構えを解き、
イリアも妖艶な笑みを残したまま、あっさりと武器を引いた。
そして、仮面の男はこちらを見下ろしたまま、静かに口を開いた。
「僕は、グレイ。今のクロスベルを統治する彼らの協力者です。……今日のところは挨拶だけにしておきますので、いずれまた」
表情の全く見えない仮面。しかし、その声には一切の殺気がなく、ただ事務的に告げるような響きだけがあった。
「グレイ……」
俺がその名を反芻し、彼らの真意を測りかねていると。
不意に、俺の足元で、助け出したばかりのキーアがコートの裾をギュッと強く掴んでいることに気がついた。
見下ろすと、彼女は上層に立つあの『グレイ』と名乗った男を見つめながら、
ひどく悲しそうな、今にも泣き出してしまいそうな表情で唇を噛み締めていた。
「キーア? どうしたんだ……彼を知っているのか?」
慌てて声をかけたが、彼女は何も答えず、ただ首を横に振るだけだった。
理由がわからないまま、俺は再び上空を睨みつける。
だが、その時にはもう、仮面の男の姿は、ガルシアやイリアたちと共に、古戦場の風の中に幻のように消え去っていた。