『蒼灰の軌跡』〜届かない光と、全肯定の死神〜   作:こげすずめ

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かつての教え

それは昔の記憶。

 

まだ僕が十歳だった頃。

彼女のことを『お姉ちゃん』と呼ぶようになる少し前、シャーリィとガレスから、直接手ほどきを受けていた頃の話だ。

 

薄暗い地下倉庫。

いつもの厳しい訓練の合間のことだった。

 

「お姉さん。その……僕って、このまま訓練を続けていたら、どれくらい強くなれると思いますか?」

 

床に座り、背後からシャーリィに背中をグイグイと押されてストレッチをしながら、僕はふとそんな疑問を口にした。

 

「んー? どしたの、急に?」

 

シャーリィは僕の背中を押す手を止めずに、不思議そうに首を傾げた。

 

「剣を握り始めて三ヶ月で、お姉さんたちに教わり始めて一ヶ月くらい経ちましたけど……」

 

痛みに耐えながら、僕はぽつりぽつりと話し始めた。

絶対にキーアを守れるだけの『強さ』が欲しい。

その気持ちに嘘はないけれど、自分が目指すべき強さの形、

その輪郭のようなものが、まだ欠片も見えていなかったのだ。

 

「近いうちにお姉さんたちもここからいなくなって、僕が一人で訓練を続けることになった時……自分はどすればいいのか、迷わないかなって」

 

「へえ。ランディ兄はどうすんのさ?」

 

「もちろん、ランディさんにはこれからも教えてもらいます。けど、なんとなくだけど……僕、ランディさんみたいにはなれないんじゃないかって思うんです」

 

僕は自分の細い腕を見つめて呟いた。

ランディさんのあの大きな体格。スタンハルバードを軽々と振り回す、力強くて豪快な動き。

なんとなく、自分がこのまま大人に成長したとしても、

あんな風に戦えるようになる気が全くしなかったのだ。

僕の真剣な悩みをよそに。

 

「あーっはっはっはっ!」

 

シャーリィは突然、腹を抱えて大笑いし始めた。

部屋の隅で銃の手入れをしていたガレスも、呆れたように口の端を上げて、ククッと苦笑いをこぼしている。 

 

「あははっ、そりゃそうだ! 坊やがランディ兄みたいに真正面からぶっ叩くタイプになるわけないじゃん!」

 

「ぼ、坊やって言わないでくださいよ……」

 

僕の背中をバンバンと叩きながら、シャーリィはいじるように目を細めた。

 

「坊やがこれからどれくらい強くなれるかは、坊やの覚悟次第だけどね。……そうだなぁ。じゃあ、一つ質問」

 

シャーリィは僕の耳元に顔を寄せ、ニシシと悪戯っぽく笑って言った。

 

「あの『風の剣聖』アリオス・マクレインと、アタシ。どっちが強いと思う?」

 

「えっ……!?」

 

あまりにも突拍子もない比較に、僕は目を丸くした。

クロスベルの守護神と呼ばれる最強のA級遊撃士と、目の前にいる恐ろしく強い猟兵のお姉さん。

ものすごく頭を悩ませながら、そして「こんなことを面と向かって言っていいのだろうか」と冷や汗をかきながら、僕は消え入るような小さな声で答えた。

 

「…………アリオス、さんです」

 

直後。

 

「ぐえっ!?」

 

シャーリィは容赦なく、僕の背中を床にベッタリと張り付くほど強く押し付けた。

 

「い、痛い! ごめんなさい、ごめんなさい!」

「あはは、冗談冗談!」

 

涙目で謝る僕の背中から手を離し、シャーリィはケラケラと笑いながら立ち上がった。

 

「まぁ、実際負ける気はないけどさ。真正面から『剣士様』の土俵でやり合ったら、流石に分が悪いと思うよ」

 

そう言うと、彼女はふっと瞳の奥に、血の匂いのする獰猛な光を宿した。

 

「けれど。ヨーイドンのお行儀のいい勝負じゃなくて……手段を一切考慮しなくていい殺し合いなら、十分に勝負にはなると思うよ?」

 

薄暗い地下倉庫で、一切の躊躇なくそう言い切った彼女の顔。

勝つためには手段を選ばない。

ただ結果だけを求めて命を刈り取る、圧倒的な自信と覚悟に満ちたその不敵な笑みを。

 

十歳の僕は、ただひたすらに「かっこいい」と――どうしようもないほどの羨望の眼差しを向けていた。

そんな僕に語りかけるようにシャーリイさんは話を続ける。

 

「アリオス・マクレインは『達人』とか呼ばれる人間だ。あるいは、『理(ことわり)』とやらに辿り着いているのかもしれないね」

 

「達人……理?」

 

聞き慣れない単語に、僕は頭に疑問符を浮かべた。

 

「まあ、武術を極めきって、その先の見えない領域に辿り着いた人間のことかな」

 

シャーリィは天井を見上げながら、あっけらかんとそう言った。

 

「確かに、そういう人間は反則みたいに強いよ。けどさ、そういう『武術の極み』みたいなものも、結局は強さを測るための指標の一つに過ぎないの」

 

彼女は再び視線を僕に戻し、ニカッと笑った。

 

「武術を極めなくたって、強さの道は他にあるし、やり方次第で『達人』を凌駕することだってできる。さっきも言ったけど、勝てないまでもアタシはいい勝負できると思うし。……そもそも、アタシは別に達人なんて高尚な生き物じゃないからね」

 

そこで、彼女は少しだけ誇らしげに胸を張った。

 

「うちの親父なんて、そりゃあもうバカみたいに強いし、あの剣聖にだって絶対負けない人間だけど。親父だって、決してそういう『武の道』を極めたような人間じゃないからね」

 

「シャーリイさんの…親父さん……。」

「そ。だからさ」

 

シャーリィの言葉を引き継ぐように、壁際で銃の手入れをしていたガレスが、低い声で口を開いた。

 

「小僧。俺たちがお前に教えている習いもそうだ。……俺たちが教えられるのは、どこまでいっても血生臭い戦場の習いであり、猟兵の流儀でしかない。どれだけ突き詰めても、この技術では気高い達人などにはなれん。だが――生き残るための『強さ』の一つであることには違いない」

 

ガレスさんの重みのある言葉に、僕はじっと考え込んだ。

僕は、遊撃士になりたい。

誰かを守るための強さが欲しい。

でも、教わっているのは人を殺すための猟兵の技術。

ランディさんのような豪快な戦い方もできない。

迷いの沼に沈みかけた僕の頭を、シャーリィがポンポンと軽く叩いた。

 

「だからアルシュ、一つだけ戦いの筋道を教えてあげる」

 

「筋道……?」

 

「あんたの身体が出来上がるのは、まだまだずっと先。さっき『ランディ兄みたいになれない』って言ってたけど、そのうち身体が大きくなったら、その考えも変わるかもしれないでしょ」

 

シャーリィは僕の目の前にしゃがみ込み、その翡翠の瞳で僕を真っ直ぐに射抜いた。

 

「だから今のうちは、前にも言った『選択肢』。……やりたいことは全部、手当たり次第に取り入れちゃうくらいの覚悟でやっちゃえばいいんだよ」

 

「そ、それって……器用貧乏というか、全部が中途半端になったりしないのかな……?」

 

恐る恐る尋ねた僕に。

 

「中途半端にするの?」

 

シャーリィは、一切の笑みを消した真顔で、逆にそう問い返してきた。

 

「っ……」

 

息が詰まる。

その鋭い眼差しに射竦められながら、僕は必死に考えた。

……違う。中途半端にしなければいいんだ。

全部取り入れて、全部を死ぬ気で自分のものにすればいい。

要は、僕自身の覚悟と心がけ次第なのだ。

 

僕の目の色が変わったのを見て、シャーリィは満足そうにいつもの笑顔に戻った。

 

「最後に一つ。……人間はね、選択肢が増えれば増えるほど、判断に迷う時間が出てくる。手札が少ない、できないことが多い人間の方が、戦いの中じゃ迷わないからね」

 

彼女は僕の鼻先を指でピンと弾いた。

 

「だから、あんたは『たくさん考えながら、それでもなお即断する』ようにしな。そうすれば、いつかどんな化け物が相手でも立ち回れるようになるから」

 

「えぇ……っ」

 

言うのは簡単だけれど、とんでもなく無茶苦茶な要求だ。

僕は顔を引きつらせながら、それでも「はい」と、憧れのお姉さんに向けて力強く頷いたのだった。

 

***

 

――オルキスタワー、中層に用意されたゲストルーム。

 

「ん……」

 

柔らかいベッドの上で目を覚まし、僕はぼーっとした頭で天井を見上げた。

 

「……懐かしい夢を、見たな」

 

それは、もう今の現実には存在しない時間。

キーアのやり直しによって消えた、確かに僕が十歳の頃に教わった訓練の記憶。

だが、その教えは幻なんかじゃない。手段を選ばず手札を切り替えて即断するあの教えは、今なお僕の血肉となっているのだ。

 

ベッドから半身を起こし、あの頃の『お姉ちゃん』の無邪気で獰猛な笑顔を思い浮かべながら、僕は小さく欠伸をした。

 

「……そういや。今、姉さんってどこで何してるんだろ」

 

窓の外、白み始めたクロスベルの空を眺めながら呟く。

 

今の歴史において、彼女と僕の間に接点は一切ない。

この世界においてはもう、僕とは何の関係もない人だ。

 

それでも。僕の魂の根底に根付いた、彼女への憧れと感謝だけは消えてくれない。

 

(……これも、ひどく割り切れない思いだな)

 

僕は自嘲気味に息を吐き、ゆっくりと立ち上がった。

 

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