『蒼灰の軌跡』〜届かない光と、全肯定の死神〜 作:こげすずめ
日中。
僕は、クロスベルの街を一人で散策していた。
港湾区から東通りへと歩を進める。
すれ違う市民たちから、時折、奇異の目を向けられているのを感じた。
(……まあ、目立つよなぁ)
白昼堂々、顔の下半分を無機質な仮面で隠したコート姿の男が歩いているのだ。
不審者以外の何者でもない。
別に外してしまっても構わないのだけれど、と僕は心の隅で考える。
この時間軸において、二十歳に成長した僕(アルシュ)の顔を知る者など誰もいないのだから。
それでも外しきれないのは、キーアと接触した時の手前というのもあるが、
何より今この街のどこかで生きているはずの『十歳のアルシュ』と、
紛い物である『自分』の境界線を、はっきりと分けておくための自戒のようなものだった。
街の様子は、僕が思っていたよりもずっと落ち着いていた。
調印式の最中に特務支援課が叩きのめされ、
あんな強引な流れで『統一国』が宣言されたのだ。
もっと暴動に近い形で荒れているかと思いきや、所々に武装した黒の衛士の姿はあれど、
街は奇妙なほど平穏を保っていた。
だが、それは決して健全な平穏ではない。
『――これより、クロスベルは全ての軛から解き放たれる!』
街頭の大型モニターからは、あの時のルーファスの演説が繰り返し流されている。
そして、モニターの前で足を止めた数人の市民たちが、
焦点の定まらない虚ろな瞳で「ルーファス……」と小さな賛辞を呟いているのだ。
背筋が寒くなるような光景だ。
演説の際、あのイリア・プラティエ――紫の舞姫から放たれた黒いオーラが、
まるで感染症のように人々の間に伝播していくのを見た。
あの認識を歪める呪いのようなオーラが大元にあるのだろうが、
正直なところ、アレの正体に関して僕はまだ何も分かっていなかった。
分からないことだらけだ。エリュシオンに関してもそうだ。
『世界を統一する』という最終目的なんかはあの男から聞かされているが、
それをどう実現させるつもりなのか、なぜあんな非人道的な演算(プロセス)に至ったのか。
それに……。
(博士の言っていた『演算外の知識』。それが本当に僕の中に眠っているのだとしたら)
僕は、他の再現体とは違う『規格外』のイレギュラーだと言われた。
用途が違う。歴史が違う。
僕という存在が作られた製造理由、その本当の根幹は何なのだろうか。
十歳の僕を死なせてしまった、あの子(キーア)の悲しい後悔――それ以外の『何か』が、僕の存在には隠されているのだろうか?
頭の中で、整理のつかない疑問のピースをぐるぐると回しながら、中央広場まで足を伸ばした頃だった。
静かな駆動音と共に、僕の目の前に黒塗りの高級導力車が横付けされた。
スモークのかかった後部座席の窓が、ゆっくりと下りる。
「やあ、グレイ君だったかな。……少し、付き合わないかい?」
窓の奥から顔を出したのは、かつてのクロスベル独立国の首謀者、ディーター・クロイス元大統領だった。
相も変わらず、仕立ての良いスーツと自信に満ちた完璧な笑顔を決めている彼は、こともなげに僕をドライブへと誘ってきたのだった。
――そして。
仮面の青年がディーターの車に乗り込み、その場から走り去ってすぐ後のこと。
「はぁ、はぁ……っ!」
「ちょ、ラーちゃん! いきなり走り出してどうしたのさー!?」
中央広場に、息を切らした二人の少女が駆け込んできた。
後から追いかけてきたピンク色の髪の少女――ナーディアが、先に走っていた相棒の背中に向けて声をかける。
『ラーちゃん』と呼ばれた、まるで精巧なフランス人形のように美しい少女は、焦ったように周囲の雑踏を見渡した。
だが、目当ての人物の気配が既に消え去っていることを理解し、ふう、と落胆の息を吐く。
「……ごめん、ナーディア。見失っちゃった」
「見失ったって……誰を? まさか、何か記憶でも戻ったの?」
ナーディアが首を傾げると、人形の少女――ラピスは、静かに首を横に振ってそれを否定した。
「ううん、記憶は戻ってないわ。わからないの。……わからないけど、私、どうしても彼に会わなきゃいけない気がしたの」
「彼?」
「うん。何か、とても大事なことを……彼と話さなきゃならないような気がして……」
自分の胸に手を当てて、不思議そうに呟くラピス。
彼女は、まるで自分自身の失われた半身の行方を探すように、
遠ざかっていった車の方向を、いつまでもどこか遠い目で見つめていた。