東方春秋濫 〜 storm of fleeting. 作:おーたまー
白玉楼へ続く石段の上空で、霧雨魔理沙は思わず箒の速度を落とした。
「……おいおい」
視線の先、庭の中央に立つ巨大な桜──西行妖。もう決して咲くのことのないはずの伝説の大樹。
が、それはそれは見事に咲き誇っていた。
枝の一本一本まで花で埋まり、重さで軋み、花弁は絶え間なく零れ落ちている。だが周囲の景色は冥界のままだ。空気は冷たく、色彩は乏しい。
ただあの桜の木だけが、異様な密度で“春”を名乗っている。
「こりゃ、今回は私が当たりか? 幽々子のやつ性懲りもなく……」
「些か早合点がすぎますね」
聞き慣れた声が響く。
魔理沙が視線を上げると、魂魄妖夢が屋根の上から跳び降りてきた。楼観剣を携え、真剣そのものの顔。
「同じことをやっても邪魔が入るのは分かりきっています。結論の出ていることを何度も繰り返す幽々子様ではありません」
「うーむ確かに。でもこの状況で容疑者にならないって言い張るのも無理があるってもんだろ」
妖夢はわずかに視線を揺らす。言い淀む妖夢の背後で、花弁がどくりと脈打つように揺れた。
まるで、西行妖そのものが呼吸しているみたいに。
「まあ無関係っていうならそこどけよ。調べさせてもらう。その春を煮詰めたジャムみてーな大樹をな」
そう言って横を通り過ぎようとする魔理沙に対し、すれ違いざま鋭い剣閃が走る。見越していた魔理沙は上体を仰け反らして躱し、妖夢と向き直ってニヤリと笑う。
「殺気漏れまくってたぞ、半霊妖怪」
言うや否や魔理沙は上昇し、星弾を散らす。妖夢は素早く弾幕の隙間を縫って接近。白と青の軌跡が空間を切り刻む。
「無関係にしちゃ気合入ってるな?」
「好都合ですからね。利用しない手はないでしょう」
楼観剣が振り下ろされる。魔理沙は横回転でかわし、至近距離で八卦炉を構えた。
「お前、これ好きだろ?」
「しまっ──」
極太の魔砲が炸裂。爆風で花弁が吹き飛び、視界が白に染まる。
衝撃が収まる頃、妖夢は片膝をついていた。
「くっ……!」
「一度倒したやつはダイジェストだ。悪いけど」
その時だった。
「もう妖夢ったら、まだ何も言ってないのに」
のんびりした声が、縁側から響く。西行寺幽々子が、いつもの調子で立っていた。
だがその視線は、魔理沙ではなく西行妖に向いている。
「いやー、すごいわよねぇ。見てあの咲きっぷり」
「はいはい。で、今何月か知ってるか?」
「四月頭くらい? 幽霊だからよく分かんないの〜」
魔理沙の問いに、軽やかな口調でそう答える。しかし瞳の奥は、どこか興味深げに細められている。
そして、前触れもなく幽々子が扇を開く。
その瞬間、西行妖の花がざわりと鳴った。
空気が変わる。
花弁が淡く光り、死の気配と混ざり合いながら流れ出す。
「今何分咲きくらいなんだ、それ」
「七分ってとこかしら。“春”の量は足りてるみたいだけどね」
言いながら弾幕が展開される。蝶弾、幽霊弾、花弁の雨。冥界を埋め尽くす桃色の光彩が、魔理沙の瞳に反射する。
「ったく。お前もダイジェスト行きだよ。幽々子」
魔理沙が応戦しようとした、その時。
ぴたり、と風が止む。次の瞬間、西行妖から溢れ出していた光が、逆流するように引き戻される。
「……え?」
幽々子の手が止まる。
花弁の舞いは凪ぎ、西行妖の前に、ひとつの影が立っていた。
若草色の衣。芽吹きを思わせる淡い光をまとい、足元に小さな花が咲いては消える。
だがその表情は、静かな怒りに歪んでいた。
「それ以上、使わせない」
その響きは幼く、その中に刺すような鋭さがあった。これに魔理沙は目を細め、首を傾げる。
「誰だお前」
「“春”ですけど」
そう答え、春と名乗るその妖怪は西行妖を背に幽々子を睨み付ける。
「勝手なことはやめてくれる?」
「……あら?」
幽々子の笑みが、ほんの少しだけ深まる。
「西行妖を操れるのは、私だけの特権のはずだけど?」
これに少女は答えない。
ただ、西行妖にそっと手を向ける。
それだけで、花のざわめきが鎮まっていく。
──次の瞬間。
西行妖の花が、一斉に空へ舞い上がった。そして整然と、円環を描くように、謎の少女の周囲へ集まっていく。
「おっと」
視界を覆う花弁の嵐に、魔理沙は思わず後退する。
やがて、花弁が空中で停止。数えきれないほどの桜の花が、淡い光を帯びて脈動している。
「……」
無言で少女が手を振り下ろす。間もなく、花弁の群れが解き放たれた。放射状に広がる光弾。一枚一枚が軌道を持ち、曲がり、増え、分裂し、冥界の空を埋め尽くしていく。
「幽々子のと似てる……か?」
宙を舞い避けながらそう呟く。
しかしその本質は異様だった。
生気を帯びた光が、触れた弾を“芽吹き”のように何重にも分裂させる。避けたはずの隙間から、新しい弾が咲く。
「増えんのか、うざったいな」
魔理沙は箒を急旋回させ、花弾の波をかいくぐる。だが弾幕は追い縋るのではなく、空間そのものを埋めるように広がっていく。
上も下も右も左も、淡い桜色。
冥界の空が、春に塗り替えられていく。
「……綺麗ねぇ」
光弾すれすれで空を舞う幽々子は、これに感心したように呟く。
だがその視線は楽しげでありながら、わずかに鋭い。
「でもそれ、人の庭でやるには派手すぎるんじゃない?」
これに少女は答えない。その背後で、妖怪桜は、低く唸るようにざわめき続ける。