東方春秋濫 〜 storm of fleeting. 作:おーたまー
社の天井を突き破るように舞い上がった紅葉の渦は、そのまま屋外へと膨れ上がり、山の上空に巨大な環を作っている。
葉はただ回っているのではない。重力を忘れたかのように空に留まり、互いに引き寄せ合い、押し合い、まるで見えない水流の中で泳ぐ魚群のように形を変え続けていた。
霊夢も秋も、既に地面から数十メートルの高さで対峙していた。
足場などない。だが二人とも、そこが当然の居場所であるかのように静止している。
下では山の森がざわめき、遠くでは夏の陽炎と冬の吹雪がまだ小競り合いを続けている。
熱気に歪む空と、白く舞う氷の粒。その境界線は曖昧で、ぶつかり合うたびに季節の断片が砕け散っていた。
だがこの空間だけは、秋の気配に満たされていた。
乾いた風。
遠くまで澄む空。
そして、何かが終わりへ向かう前の、静かな色。
まるで世界が、一度息を吐き切ったあとのような空気だった。
「……随分と派手にやるじゃない」
霊夢は腕を組み、紅葉の輪の中心に立つ少女を睨む。
声は平静だが、視線は鋭い。周囲の葉の動き、風の向き、霊力の流れ──全てを測るように観察していた。
「まずは話し合いとか、そういうのないわけ?」
「話は終わっているでしょう」
秋は静かに答える。
声は柔らかいのに、そこに迷いはない。葉擦れの音と同じ調子で、淡々とした確信が滲んでいた。
「貴方は否定した。私達は続ける。それだけよ」
その言葉と同時に、紅葉が一枚、ひらりと落ちる。
落ちた葉は途中で停止し、光を帯びた。
次の瞬間には弾丸のように加速する。
霊夢は身をひねって躱す。
背後で空気が裂ける音。葉は遠方でようやく減速し、遅れて風に乗って崩れ落ちていった。
それを合図にしたかのように、無数の葉が一斉に浮かび上がる。
「ちょっと待ちなさいよ」
溜息混じりに札を指に挟み、結界を周囲に展開する。
透明な膜が空間に歪みを生み、薄い光の輪が霊夢の周囲を巡る。
「季節の神にしちゃずいぶん暴力的なやり口じゃない?」
「季節は優しくなんてないわ」
そう答える瞳が細まる。
「実りは奪い合い。枯れは淘汰。終わりは必然。ただ貴方達が、それを“風情”と呼んでいるだけ」
紅葉が鳴る。
乾いた、微かな音。その瞬間、弾幕が展開された。
視界を覆うように放たれた葉の全ては、単なる直線ではなかった。
落ちる、滑る、回る、漂う。
空気の乱流に従うかのようでいて、しかし決して流されない。
まるで本物の落葉のように、不規則で、自然で──それでいて全てが霊夢へ収束していく。
「性格悪い弾幕ね!」
霊夢は結界を張りつつ前進する。
葉が結界に触れるたび、鈍い音と共に色が剥がれ落ちる。霊力を削られた葉は、その場で力を失い、ただの紅葉へと戻って散っていった。
距離が詰まる。
秋は微動だにしない。
お祓い棒を叩きつけようと振りかぶる。
だが秋の姿は葉の塊となり霧散し、少し離れた背後からまた声が響く。
「人間ばかり優先していられないの」
秋がぽつりと呟く。
その声には、怒りよりも疲労に近い色が混じっていた。
「それで納得できるかっての」
霊夢は陰陽玉を展開する。
白と黒の球体が霊夢の周囲に現れ、ゆっくりと軌道を描き始める。
「百年単位で我慢しろなんて言われて、“はいそうですか”って言う人間がどこにいるのよ」
「でもその百年で、四季は戻る」
「それがなんだって話なのよ」
言い終わる前に、陰陽玉が発射される。
光の塊が一直線に秋へ迫る。
だが命中の瞬間、秋の周囲に紅葉の壁が咲いた。
衝撃が広がる。
葉はただ弾けるのではない。燃えるように赤く輝き、まるで夕焼けそのものが破裂したかのような光を放つ。
そしてそのまま、弾けた炎のような光の破片が霊夢へ降り注いだ。
「っ!」
霊夢は急降下して回避する。
葉の光弾が背後で爆ぜ、山の空に朱の閃光が散る。
衝撃の余波が空気を震わせ、遅れて森のざわめきが押し寄せてきた。
互いに距離を取り、再び空中で止まる。
ほんの一瞬、静寂が戻る。
その沈黙は、先ほどよりもずっと重かった。
「……ねえ」
霊夢がぽつりと口を開く。
「一つ聞いていい?」
秋は何も言わず、視線だけを向ける。
紅葉の環も、わずかに回転を緩めた。
「本当はさ。あんた達、忘れられるのが怖いんじゃないの」
風が止む。
紅葉が、わずかに揺れる。
その言葉は、弾幕よりも鋭く空を裂いた。
「四季折節は美しい四季がこの先も続くようにという、生き物達の願いを叶えるための装置だった」
「それで?」
「私達自体が忘れられるのはいい。けれど秋や春の美しさを忘れられてしまうのだけは耐えられない」
紅葉が、静かに舞う。曖昧な心の内にある、土に埋もれた言葉を探すように。
「そもそも、本当に消えるわけ?」
霊夢は一枚を指でつまみ、くるくるとまわしながら軽く首を傾げる。
「完全に消えることはない。そもそも、季節というのは時間ではなく生命の循環そのもの。秋と春は、静寂と喧騒の狭間のインターバルだから」
「じゃあいいじゃない」
「その移ろいが、瞬く間に終わる世界でも?」
秋の瞳が再び強くなる。
「季節というのはその世界のアイデンティティよ。これが崩れれば、幻想郷は今のままではいられなくなる。何百年も前から存在していた草木や動物達は環境に適応出来ず死滅し、限られた僅かな種だけが生き残り新たな世界を構築していく」
「秋と春を固定して放置したって同じことが起きるでしょ」
「けれど、いつかはあるべき姿に収まっていく。季節という構造が正しく機能していれば、あらゆる生命は健全でいられる」
その瞬間、秋の瞳が鋭さを孕み、紅葉の環が一斉に収束した。
空が黒く染まる。
葉は影となり、渦となり、巨大な流れへと変わる。
空そのものが吸い込まれているかのような圧力が生まれ、霊夢の衣装が激しくはためいた。
巨大な渦が形成され、その中心に霊夢が吸い込まれていく。
「悪いけど」
霊夢は札を構える。
呼吸を整え、視線を真っ直ぐに固定する。
「何が健全かってのを決めるのは、アンタの役目じゃないと思うわ」
札が光る。
霊夢の足元から結界が広がり、空間の歪みを押し返す。
「少なくとも異変を起こすやつなんて、不健全に決まってるでしょ」
次の瞬間。
黒雲の渦と、博麗の結界が真正面から衝突した。
音は遅れてやって来た。
空気が裂け、山が震え、季節そのものが軋むような衝撃が広がっていく。
───────
一方、白玉楼。
桃色の弾幕は、なおも続く。
冥界の空を埋める光弾は、桜の花弁の形を保ったまま、決して流れず、落ちず、崩れない。
空間そのものが、ゆっくりと花に変換されていくような錯覚すらある。
柔らかい。
だが、押し返される。
避けられる。
だが、抜けられない。
進めば層が現れ、削ればまた埋まる。この弾幕は攻撃ではなく、空間を一定状態に保つ“設置物”だった。
「……時間稼ぎか?」
魔理沙は箒の高度をわずかに落とし、弾幕の流れを横切る。
帽子のつばをかすめた花弾が、触れた瞬間にわずかな光の尾を残した。
引き続き星弾をばら撒く。光の層に触れた星は、穴を開けるが、すぐに埋まる。密度が高すぎて近づくことも出来ない。この位置で
「これが春眠暁を覚えず、ってやつか。眠くなってきた」
前方、桜の前に立つ少女は動かない。
弾幕の中心にいながら、彼女自身はほとんど手を動かしていない。
怪訝に眉を潜める魔理沙に、幽々子が声をかける。
「魔理沙気付いた?」
「何にだよ」
「桜」
視線を中央へ戻す。
巨大な妖怪桜は、変わらず咲いている。枝は重く、花は尽きず、花弁は絶え間なく零れている。
だが──
「ああ、アハ体験だなこりゃ」
花は落ちている。だが枝の密度は変わっていない。満開へ近付く気配がない。逆に散る気配もない。
「咲かせてくれると思ったんだけれど」
幽々子の言葉に、少女は一拍置いてから答えた。
「事が済んだら、別に咲かせたっていいけど」
「うん? じゃあ今は何やってんだよ」
「待ってるだけよ」
短い言葉だった。
弾幕が静かに広がり直す。花弾の層が、空間を縫うように均される。
「大砲に弾を込めてるの。“秋”が尽きたとき、すぐ発射できるように」
その言葉に、魔理沙の眉がわずかに上がる。
「だから邪魔すんなって?」
「そう」
淡々とした肯定。そこに敵意はない。ただ、自分の仕事を説明しているだけの調子で。
幽々子は扇子を口元に当て、小さく笑う。
「あら。咲かせてはくれるんなら、私は文句ないけど?」
魔理沙は肩をすくめ、冷めた目のまま口元を歪ませた。
「残念。私は知ってるんだよな。手段だけを語って目的をぼかすやつって、大体ろくでもないこと考えてるってさ」
「あっそう。じゃ二対一ね。同じ夢に向かって力を合わせて協力し合う。青春よね〜」
魔理沙は鼻で笑い、帽子を押し上げる。
「青ざめるような謀略。これぞ青春だな」
弾幕の層が、新たな因子を得てうねり変質。より彩やかに折り重なった春色の波紋が、黄泉の天井を照らしている。