思った以上に、独自設定が多くなっちゃった。
その日の朝は、薄く、湿った空気が充満していた。深海棲艦という外からの脅威に対抗するべく、海辺に寄り添うように建てられた鎮守府では、早朝でありながら柔軟体操に励む少女たちが元気に声をだしている。
佐世保鎮守府、その一室。
司令室と表札に銘打たれた部屋で、男は眠っていた。20半ばくらいの男だ。白い布団に包まれ、跳ねた黒い髪が布団から飛び出している。
そこに、音を立てず忍び寄る影がひとつ。
「うふふ、よく眠ってるわね〜。お疲れかしらー? でも、そろそろ起きてもらわないといけないわよね〜」
少女だった。男を起こさないよう注意を払った小さな呟き。眠る男を見つめる彼女はカフェラテのような、コーヒーにミルクを加えた薄い茶髪をした長髪をしている。
彼女は猫を思わせる足取りで目覚める様子のない男の側まで歩き、呼びかける。
「は〜い提督。もう朝よ、起きて〜」
「……ん〜……荒潮……か?」
「ええそうよ。貴方の荒潮よ〜」
ユサユサと、肩を揺らしながらの呼びかけ。男は寝ぼけ眼で自身を起こしにきた様子の彼女を確認する。
サスペンダーで肩に固定した黒いスカートを履き、輝くような金色の瞳。そして間延びした、特徴のある話し方をするのは彼が最も信頼を向ける部下であるり、俗に艦娘と呼ばれる少女である荒潮に間違いがなかった。
「朝食はもう用意してあるから、顔を洗ったらたべましょ」
「ああ、いつもすまないな」
「いいのよ〜。秘書艦である私の仕事なんだから〜」
起床した男は眠っている間に固まった体を伸ばし、背を向け司令室に用意された秘書艦用の机に向かう彼女の背を見る。
艦娘。海の向こう側からやってきて、様々な銃器、火器で国を脅かす深海棲艦と呼ばれるものたちと戦うために軍艦が人となった存在。
その成り立ち、いかにして物でしかないはずの軍艦が命を得て人の形を得るに至ったのか謎は多くそれを知るものはいない。
わかっているのは彼らは皆、外見年齢の差はあれど例外なく女性の姿をしており、深海棲艦から人を守るために現れたということ。そして、彼女たちをサポートするように同時に現れた妖精と呼ばれる小人がいるということだけだった。
「……混ぜご飯」
「昨日の残りものを使って作ったのよ。美味しくできてると思うわ〜」
机の上に置かれた朝食は残り物で作ったらしい混ぜご飯以外はごく平均的な想像に難くない内容。しかし、その味は平均とは程遠いことを経験上男は知っていた。
「いつもながら、美味しそうだな」
「美味しいわよ〜。頑張って早起きして作ったもの。さっ、時間も限られてることだし早く食べましょ」
綺麗な盛り付けだった。
味だけでなく、見栄えにも気を遣ってくれているのだろう。趣味と実益を兼ねて居酒屋を営んでいる鳳翔にも負けない。相手に気持ちよく食べて欲しいという思いの込められた料理だった。
「今日の予定についてだが──」
食事中にすることではないなと思いながら、鎮守府を預かる提督、司令官として秘書艦の荒潮と予定について確認していく。ここに赴任してから数年。慣れたと言っても、まだまだ余裕を持つには不安が残るが故の行動であった。
その不安を見抜いているのか、荒潮も仕事の片手間のように食事を取る自分を責めてこない。
(むしろ、責めてくれた方がありがたいと思ってしまうのは我儘なのだろうか)
頑張ってくれたのだろう。
個人差はあれ、艦娘も人と同じように幼い容姿の者は年相応に精神年齢や能力が幼いものが多い。
荒潮は、その中でも駆逐艦と呼ばれる艦種の艦娘でありその外見は幼く、十代前半を出ないように見える。
で、ありながらプロの料理人にも負けない腕を持つ鳳翔のような料理達者になるのは並大抵ではない努力をしたからだ。
誰のために──?
語るまでもなく、疑問を挟む余地なく提督である自分のためだと男は断言できる。
だからこそ、その努力を無碍にしてしまっていることことが申し訳なかった。
「? 提督、どうかしたの?」
「……いや、なんでもないよ。まだ、少し眠たいみたいだ」
「あら〜、よほど疲れが溜まってたのかしら。まだ時間はあるから、少しだけでも寝ておく?」
「いやいや、大したものじゃないから大丈夫だよ」
ハハハと軽く笑って誤魔化す。どうやら知らず知らずのうちに食事の手が止まっていたらしい。口数も少なくなっていたことを訝しむ彼女の目が突き刺さっていた。
荒潮に限定されたことではないが、艦娘たちが時折見せるこちらの反応を観察するような目が彼は苦手であった。
その視線はまるで機械のように無機質であり、自分と彼女たちが違う生き物であると教えているように感じるためだ。
その上、そのような視線は各鎮守を受け持つ直接的な上司である自分たち指揮官にしか向けられないと知ったことで、その気持ちは強くなっていた。
(彼女たちは何故、自分たちよりも弱いと知りながら提督であるというだけで従ってくれるのだ)
それは提督という立ち位置についた多くが疑問に思うことであった。
初めて会った時から、彼女たちは自分が誰の下について命令に従うかを知っている。
その相手がよほど不適格な、提督という立場につくには相応しくない相手でもなければ基本的には忠実な部下として海という戦場に向かってくれる。
恐ろしく機械的でありながら、その中身を人間の器で誤魔化しているような違和感。
全員が美少女、美女と呼べる美しい容姿をしながら命令一つで死地へと向かう。艦娘によっては、死地であるとしりながら任務というだけで文句一つ言わずに向かったという事例もあり、提督業に就いている誰もが、提督に就く前に彼女たちは自分たちとちは違う存在なのだと教えられる。
しかし提督の多くが理解しながらも惹かれてしまうのだ。その可憐な容姿に、そして絆を紡いだ彼女たちから与えられる献身的なまでの──愛に。
(俺もその一人。提督の中には完全に一線を引いた関係を構築している人もいるらしいが、とても真似できんな。恐ろしい部分もあるが、それ以上に彼女たちは……)
自分を見つめる目から逃げるように目を逸らし、引き出しを開く。
カサリと、幾つのもの重要書類と一緒に入れられているのは紺色の小箱を手に取り机の上に取り出した。
「あら、提督それは?」
「指輪だ」
「指輪………」
荒潮はチラリと左手の薬指に目を向ける。
そこにはすでに銀色に光るものかものがあり、かつて、目の前の司令官から受け取ったものだ。
ケッコンカッコカリ。
提督と艦娘が多くの戦場を超えて、絆を紡いだ証。それは限られた艦娘にのみ与えられるものであり、名前からも分かる通り一種の2人の愛の証でもある。
カッコカリとついているのはあくまでも人間である提督と艦娘の間でのみ交わされる契約であり、書類上国が受理する本来の婚姻とは別のものであるからだ。
鎮守府によっては、戦闘能力の向上という側面もあることで多くの艦娘とケッコンするものもあるが、この鎮守府においてはそれを与えられているのは荒潮のみであり、彼女が睨みを効かせているために他の艦娘が手にする可能性はないと言えた。
「それはつまり〜…他の娘に渡すってことかしら〜」
男の言葉を理解した彼女の目が細まり、刃のように鋭く光る。射抜いてくる視線には物理的な殺意が乗せられているように男の肩に重圧がかかる。
それを、冷や汗を流しながら受け流し話を続けた。
「は、早まらないでくれ! これは、君にあげたケッコンカッコカリとは違う指輪なんだ!!」
「あら〜つまり本命ってことかしら。うふふふふ。誰にあげるつもりなのかしら。面白くなってきたわね〜!」
は、般若が見える! と、男は荒潮の背後に見えたものを察し慌てて手を振った。
「ち、違う! これは君に、荒潮、君にあげるために用意したものなんだ!!」
「……私に?」
「そう! 君に!!」
荒潮の様子に慌てて小箱を開き、彼女の前に差し出す。
そこにしまわれていた指輪をキョトンと見つめた荒潮は、少し悩んだ後、丁重にその箱を閉め男へと返した。
「ごめんなさい。それは、受け取れないわ」
「なっ!? どうして!!」
それは半ば成功を確信していた男にとって想定外の返事だった。
「私は艦娘。貴方とは結婚することはできないわ」
「そんなことはない! 確かに一般的ではないけれど、君達にも人権は与えられている。人と艦娘との婚姻は法律でも認められているんだ!」
「そういうことじゃないの」
「じゃあどうしてなんだ? 俺はこう言ってはなんだが、君に愛されていると、少なくとも恋愛という意味で好かれていると思っている。それは俺の勘違いだったのか?」
懇願するような問いかけだった。
違うと、否定してくれとその目は訴えかけている。荒潮は左右に首を振り、答えた。
「提督、貴方がまだ、私たちについてきちんと理解できていないからよ」
「り、理解? それは……容姿のことか? 確かに君は世間一般から見てもまだ幼く見えるから白い目で見られるかもしれないが、そんなものはっ」
「違うわ。見た目なんて、私たちは気にしない。私の容姿が幼いことも、それで周りがどう思うかも関係ないの」
有無を言わさない拒絶。目の前の少女が決して首を縦には振らないと理解した男はストンと、崩れるように椅子に座る。
そして、机に倒れこないように手で額を抑え苦衷しながら聞く。
「……迷惑だったか?」
「いいえ、とても嬉しいわ。こんなに嬉しいのはきっと、貴方からケッコンカッコカリを申し込まれた時以来。でも、ダメよ」
わからなかった。
男には、なぜ荒潮が指輪を拒否するのか理解できずにいた。嬉しいと言いながら拒絶する。
間違いなく、その微笑みは幸せな感情の現れであるというのに、越えることのできない壁のようなものがある。
男には、荒潮の言う理解という言葉の意味を読み解くことができずにいた。
「教えてくれ、俺は君たちの何を理解できていないというんだ」
眉間に皺を寄せ、考え込みながら聞く男を可愛いものを見るように荒潮は目を細める。
「貴方は私たちを恐れていない。だからよ」
「恐れるって、なぜ俺が君たちを恐れる必要がある。君たちは俺たち人間を守ってくれる存在じゃないか」
「いいえ、私たちは貴方たちを守る存在じゃない。海の向こうからやってくる敵と戦うための存在よ」
「それは……!」
詭弁だと、言いかけた。
味方を守る。敵を倒す。そこにどれほどの差異が存在するというのかと。やっていることは同じではないかと。
「違うわ。貴方たちの認識と私たちの認識には決定的なずれがある。私たちは道具。戦うために生まれた。守るためではないのよ」
強い、言葉であった。
虚偽も、弁論も、疑問を投げかける余地も許されない。そんな強い意志と確信のある言葉。
向けられたことのない言いようの知れない迫力に押され、自然とゴクリと喉がなった。
「肉体を構成する物質は同じでも、その中身は違うモノ。貴方たちは自分たちで生まれた意味を探すけど、私たちは初めから自らの存在の意味を理解している」
「それは……生まれ方が違うというだけで……」
「違うわ。私たちと貴方たちは違う。人である貴方はモノから生まれた私たちを理解できると思ってる。わかり合えるって。それはとても……とても可愛くて、滑稽よ。哀れなくらいに」
「っ!!」
ギリと、口元から甲高い音がした。
「提督、私は貴方が好きよ、とっても。愛してるって心から言える。だから、上辺だけの愛を紡ぎましょう? 形だけの愛。何も残すことのできない愛を。それが、カッコカリというものでしょう?」
しなだれるように、男の首に手を回し、荒潮に見つめられた男は固まってしまったように動けない。
普段の間延びした口調はどこへ消えてしまったのか、冷たい瞳に深い熱量を宿した荒潮が今は、恐ろしい怪物に見えた。
「その目。それを忘れてはダメよ。私が貴方を恐れるように、貴方も私たちを恐れていてね」
まるで呪いのように、侵食し心を蝕む行為。
愛している。その気持ちを証明するような深い、深いキスを荒潮は男に落とす。
男は荒潮が満足し、部屋を出ていくまで椅子から立ち上がることができなかった──。
*
夜、空を照らし続ける太陽が隠れ、無数の瞬く光と鈍い大きな光が空を支配する時間。
昼間、演習に出撃準備にと騒がしくあった鎮守府も静まり返り一日の提督業を終えた男は鎮守府内の外れに建てられた居酒屋に来ていた。
店内は静かで、明るすぎない小さな蛍光灯が落ち着いた雰囲気を醸し出している。目の前のカウンターでは、艦娘の一人でありこの居酒屋の女将である鳳翔が使い終わったコップを洗っている。
「提督、今日はまたどうされたのですか? 昼間もそうでしたけど、随分と元気のない様子で」
「うぅん。いや、まあ、ちょっとなあ」
遅い時間帯であるからか、珍しく他にお客のいない店内で提督と呼ばれた男はカウンターで顔が真っ赤になる程にお酒を飲んでいた。
普段、緊急時に差し支えるという理由からほとんど飲むことのない彼からすればそれはとても珍しいことであり鳳翔は内心とても驚いていた。
(提督がこれほど落ち込むというのは、普通ではありませんね。なにか……そうですね、荒潮さんとの間にあったのかしら)
と、凡そのあたりをつけ、彼女は男の前に好物の焼き鳥を置く。
それを横目で見て、ショボショボとした目で小さく齧る彼の姿に、無理やり聞き出すべきではないと判断し彼女は静かに次の料理にとりかかる。男から話し出すまでは何もするまいと決めて。
それから、30分ほど静かな時間が流れた。
「鳳翔、『私が貴方を恐れるように、貴方も私たちを恐れていてね』というのは、どういう意味だと思う?」
「恐れていてね……ですか」
辛抱強く待った甲斐があったようで、提督の口が開かれたことに鳳翔はホッと胸を撫でる。
「それは、荒潮さんから言われたんですか?」
「ああ。指輪を今日渡そうとしたんだけど、その際にな」
「あら、指輪ですか。それはまた………」
なぜと、提督は荒潮さんとケッコンしていたはずではと顔に出ていたのを察し、男は赤らんだ顔で静かに補足した。
「カッコカリの方じゃない。本当の…本物の、指輪なんだ」
「はあ、本物を…………………ホンモノ!?」
それを理解した瞬間、その衝撃的な告白に穏和な性格をした鳳翔にらしくもない驚愕した声を上がる。
「ああ、本物のやつだよ。給与3ヶ月分とかなんとかいう。あれだ。それを荒潮に渡そうとしたんだ」
「それはまた、提督も頑張ったのですね」
「そう、頑張ったんだよ。でもなあ………」
「ダメだったんですね」
コクリと、男が呻き声だけを響かせカウンターに顔を埋める。哀れみを誘うほどの落ち込んだ様子に、鳳翔は荒潮へほんのちょっとの嫉妬とそれを断ったらしい彼女への疑問を向けた。
(荒潮さんは間違いなく提督を愛している。それは誰の目から見てもわかるほどに。なのに、本命の指輪は断った……なぜ?)
本来ならば、凡ゆる艦娘が羨み涙を流すほどの望外の幸運。
どこまで行ってもカッコカリが付いてしまう指輪と違い、明確に生涯を共に歩み、国に、家族に、そして自分たちに誓う契約。
それを袖に振るなど普通はしない。
艦娘である自分たちが、好意を抱いているからと人間である提督に結婚し、家庭を築こうと言われるなどそうはないことだから。
「提督、よろしければ荒潮さんと何があったのかを教えていただいても? 荒潮さんが本心から提督の指輪を断ったとは思えません。話を聞くことでなにか、アドバイスができるかも知れません」
「鳳翔………実はな」
良い具合に酒が回っていたこともあり、男の方は軽かった。
吶々と語られる内容は、酔いもあり要領を得ない部分もあったが概ね正確に朝の出来事は鳳翔に伝わり、彼女の中で解答を導き出させた。
「なるほど、そういうことが。それで先ほどの恐れるという話に繋がるのですね」
「もう意味がわからないんだよ。愛してるっていう割には断るし、荒潮は俺のことを可愛いとか哀れとか言うし。意味がわからないんだよ!」
「哀れとは……荒潮さんも、中々難儀な性格をしていますね」
鳳翔は、ほぼ正確に荒潮がなぜ提督の指輪を断ったのかの解答を出しており、それを伝えることができる。
しかし、それをただ素直に伝えてもいいのだろうかとも考えていた。
(人と艦娘の違い。姿形、能力ではなく魂からの違い。恐らく、荒潮さんは提督が自分たちと同一の存在であると認識していることを危ぶんで断った。ならば必要なのは……)
意識改革。
長く付き合ってきた影響であろう。艦娘を能力が優れているだけの人間と見てしまっている提督の矯正。
仲間であり、道具である自分たちに向けるその信頼と親愛。その気持ちは喜ばしく。心には満ち足りた思いが降り積もる。
しかしそれが2人の間の邪魔をしている以上、ヒビを入れなければならない。
その役目が自分に回ってきたことに、荒潮へ恨み言を告げたい気持ちを押し殺し、鳳翔は瞳を開いた。
「提督、これから少々残酷なことを言わせてもらいます」
「え?」
急に雰囲気の変わった鳳翔に男は素っ頓狂に目を瞬かせた。
「提督が荒潮さんに振られたのは当然です。貴方はあまりにも、私たちについて無理解なようですから」
「なっ!?」
「貴方は私たちを人間と同じように見ている。姿が同じと言うだけで、中身は違うと言うのに」
「鳳翔! それは違うぞ! お前達は──」
「いいえ違いません。私たちは艦娘であり、人間ではないのですから」
ピシャリと、シャッターを下ろすように男の反論を退ける。
「姿が同じなら人間ですか? 言葉が通じるならばわかりあえますか? 自分たちを守ってくれたなら味方ですか? 私たちが紡ぐ愛と貴方たちの信じる愛は……本当に同じものですか?」
「な……なにを……」
「違います。違うものなのです。私たちと貴方たち人間は別種の生き物であると、まず理解してください」
あの目だと、男は鳳翔を見て思った。
自分たちを観察する、昆虫のような無機質な目。否が応でも違う存在であることを突きつけられる彼女達の瞳。
「私たちは自分たちがどこからやってきたのか知りません。あるのは深海棲艦を倒し海の平和を取り戻すという使命感のみ。極端な話、海が平和になるなら人がどれだけ傷つこうが構わないのです」
朗々と紡がれる言葉はメスのように、彼女達が自分たち人間の味方であると信じる凝り固まった男の価値観を裂いていく。
「私たちは提督に従います。生まれてすぐに、そうあるべきなのだと魂が教えてくれるのです。そしてその提督は、貴方でなくてもいいのです」
「!?」
「提督が、提督として、私たちを正しく使ってくれるなら。その結果、海に平和が取り戻せるなら、私たちは誰にでも従います。そして勝利に必要ならば命も捧げます。魂も、それが必要とあれば提督に身体も捧げて尽くします」
迷いなく、偽ることのない告白。
おっとりとした、どんな時でも穏やかな空気を纏わせる鳳翔とは真逆の酷く透き通った何も見通せない暗闇。
真っ直ぐすぎて、理解を拒ませる彼女の……彼女たちの生態。
「提督、私たちは兵器で、道具なのです。どこまで行こうと、どんな経験を積み重ねようと、本質は変わりません。人が人であることをやめられないように、私たちも艦娘であることから逸れることはできない」
本質は変わらない──。
「私たちが貴方たちに捧げる愛は利他的に見えて本質は利己的なものです。
私たちは貴方に捨てられることを恐れます。道具として役に立てないことは死ぬことよりも辛い。この思いが、感情が、在り方が、貴方には理解できますか?」
無理だ……と、心の内側で男は叫ぶ。
理解などできるはずがない。
生まれた頃から誰に教わるまでもなく海の平和のために全てを捧げる。そんな精神性を、生き方を、人が理解できるわけがない!
「ケッコンカッコカリならばいいでしょう。あれは仮初の契約。能力の向上など戦闘でも利点が多い。しかし、本当に夫婦として共に歩むのなら話は別。貴方は私たちをもっと深く理解しなければなりません」
この瞬間、なぜ世の多くの鎮守府で婚姻を結んだ提督と艦娘が少ないのか、心の底から理解できた気がした。
「もし、夫婦になったとして子供ができたとしましょう。その子は人間だと思いますか?」
「それは……人間……だろう」
「その子が提督である貴方に生まれた頃から従順であったとしてもですか?」
「──ッ!」
脳裏にいやな想像が生まれる。
将来、荒潮と結婚し子供が生まれたとして、その子が人間ではなく艦娘であったならば……。
「その子が戦場に向かうことを、提督である貴方の役に立つことを望んだとしたら、貴方は他の艦娘と同様に扱うことができますか?」
「それは……それは……っ!」
「仮に貴方が反対したとしても、艦娘として生まれたならばその子は軍人として戦いに行こうとするでしょう。なぜならその子はこちら側の生き物なのですから」
人と艦娘との違い。それを端的に表した彼女の言葉を思い出す。
『道具として役に立てないことは、死ぬことよりも辛い』
先ほど聞いた彼女の言葉が、ズンと腹の底に届いた気がした。
「……どうやら、理解できたようですね。私たちは貴方に捨てられることを恐れ、貴方は私たちが自分たちとは違うことを恐れていなければならない。荒潮さんが言いたかったことは、つまりこう言うことです」
一仕事終えたように、鳳翔は息を吐く。
項垂れ、一言も話さなくなってしまった提督にやりすぎてしまったかと、視線を右往左往させる。そして店内の端から端を行き来する視線が三往復もすると、やがて諦めたようにため息を吐いた。
「提督、荒潮さんは貴方が大切で傷ついてほしくはなかったんです。結婚した後に、今言ったことに気づいて後悔してほしくはない。彼女が貴方を拒んだのはそう思ってのことです。どうか、それだけはわかってあげてくださいね」
「………ああ」
そう、答えるのがやっとだった。
濁流のように逆らうこともできずにひっくり返された価値観は、男から立ち上がる気力を奪い、自室である司令室に戻る気すら無くしていた。
「私としては、提督に泊まっていってもらっても構いませんけど、流石に荒潮さんに悪いですし。どうしましょ………あら?」
トテトテと、妖精が歩いていた。
小さな小人のような姿をしている彼らは鎮守府のさまざまな場所におり、艦娘の装備のチェックや整備にと働いてくれている存在だ。
そんな彼らが鳳翔に何かを訴えかけるようにカウンターに乗っていた。
「ふむふむ……そうですか。荒潮さんが迎えにいらっしゃるのですね。ならば、それを待ちましょう」
わざわざ鎮守府の離れにある居酒屋に来てまで伝えてくれた彼らに礼をするため鳳翔は皿に彼らのために食べやすく切った料理を盛り付けていく。
そして、店内の澱んでしまった空気を入れ替えるために明るく、励ましてくれるような音楽を流す。
どこまで効果があるかわからないが、少しでも傷ついた提督の心の癒しになってほしい。そんな思いがあった。
そうしてしばらく、時間にして凡そ10分ほど。
入り口からドアを横に引く音がした。
「いらっしゃい。待ってたわ、荒潮さん」
「ごめんなさいね、鳳翔さん。提督が酔い潰れちゃったって聞いて迎えに来たわ〜」
入り口から聞こえてきた声にビクリと肩を揺らして男は顔を上げた。
そこに立っているのは大切な艦娘であり、世界で1番大切と言える相手である荒潮だった。
彼女は鳳翔といくつかの話をした後、金色の瞳をこちらに向けた。
「提督、貴方の荒潮が迎えに来たわよ〜」
「荒潮……」
朝のことがあったのに、お前はいつも通りだなと吐いて出そうになったのを飲み込む。
ただの八つ当たりにしかならないからだ。
「それじゃあ鳳翔さん、提督、連れて帰るわね〜」
「はい、提督のことお願いしますね、荒潮さん。それから提督、色々と言いましたけど、大切なのはどう向き合うかです。私は貴方が私たちの提督で良かったと思っていますよ」
暗がりの中、店の外で自分たちを見送る鳳翔に頭を下げる。
彼女が俺に教授したことは厳しく、彼女の言う通り、残酷な現実であった。
不興を買う可能性だって十分にある内容だった。曲がりなりにも提督という立場にあり、自らを道具と称する彼女からすれば、したくないことだったことは想像に難くない。
彼女たちは自分のために、俺に尽くしてくれているのだから──。
「随分とお酒を飲んだのね〜。朝のことがよっぽど辛かったかしら」
「ああ。辛かったよ……」
雑木林を抜けた先にある鎮守府への帰り道、隣で歩く荒潮が楽しげに微笑む。
鳳翔のおかげというと可笑しいが、頭から酔いが覚めている。
それでも漂う酒気が荒潮に酒の深さを教えていた。
「うふふ。提督、どうかしら。朝の続き、今もするつもりはある?」
トンッと、荒潮が前に飛び出し、此方を振り向く。
大きな月を背景に俺を見つめる黄金の目が輝き放ち、吹き抜ける緩やかな風が彼女の長髪を撫でていく。
それは、これまでに見できたどの彼女とも違う。
人間離れした美しさで問いかける彼女はまさしく女神のようで、俺は問いかけに答えることもできず呆然と──綺麗だと呟くので精一杯だった。
「貴方にそのつもりがあるのなら……はい、これを受け取って。今度は、拒まないわよ」
挑戦的な発言。
差し出された手のひらの上には小さな箱がポツンと一つ。それは朝に俺が彼女に渡そうとした指輪が入った箱だった。
ドクンと、心臓が鳴る。
酒のせいではない。これを受け取ればこの美しい少女は必ず受け入れてくれるという確信が、俺の心を動かしていた。
誘蛾灯に惹かれる虫のように衝動的に手を伸ばし──。
「──ッ!」
その手をもう一つの手で受け止めた。
「だ…ダメだ! それは、受け取れない!」
「いいの? こんなチャンス。もう2度とないかもしれないわよ」
「俺はまだ、君を受け入れることができない。君たちの全てを受け止めれるほど、俺はまだ覚悟ができていない!」
断腸の思いで、彼女の手に触れてその箱を握らせる。
変わらない微笑みで佇んで、彼女はそれを受け入れた。俺はその手を両手で包んで彼女の目を見つめ返す。
「これまでの君と、これからの君。俺は、君が欲しい。だから、待っていて欲しい。今はまだ、準備ができてないけど、いつか必ず、もう一度君に渡すから」
「我儘ね。いつかなんて、私たちには贅沢な願いよ」
「ああ、わかってる。君たちは艦娘で、いつも命懸けの戦場に立っている。だから、そんな時間はかけないつもりだ」
今はまだ海は平穏を保っているが、いつ荒れるかわからない。
今目の前に立つ彼女が、明日無事でいてくれる保証などない。だから待ってくれというのはとてつもない我儘なお願いだ。
それでも、今この手を取ってしまった先に、2人で笑っていられる未来があるとは思えなかった。
「ふうん。ねえ提督、いつか必ずなんて約束してもいいの? 私、しつこいわよー。貴方が死ぬまで、嫌だって言っても諦めないんだから」
ドクンと、もう一度心臓が鳴る。
それはつまり、一生そばにいてくれるということなのかと、尋ねそうになった。
腰を下り、彼女は無機質な瞳で俺の目を覗き込んでくる。俺の心の動き、覚悟の末、その全てを見通そうと観察する彼女の額に、コツンと俺は自分の額を当てて至近距離で瞳を見つめ返す。
「君たちを勝たせるのが提督である俺の役目だ」
「うふふふふふ! いいわ〜ずっと、ず〜〜〜〜っと待ってるから。ちゃんと、捕まえてね〜!」
勝利の女神はここよ〜と踊るように鎮守府へと向かう荒潮の後を追う。
交わされたのはいつか果たされることを夢見る淡くも決意に満ちた約束。
2つの影が離れ、繋がり、また離れては帰っていく。闇を照らす月は語ることなく輝く。
彼女の手の中に仕舞われた箱は静かに開かれるその時を待つのだった──。
艦これでヒロイン誰にしようと考えたらすぐに荒潮がイメージされたんですよね。もしかして1番好きな艦娘は荒潮だったのかもしれない。