人間に脳を焼かれた上位存在による世界改変に現代社会で国家が翻弄されていくタイプの話。なお上位存在は一切の誇張なくかませにもならないマジで最後まで強さランキング1位の最強龍とする 作:人見小夜子腹パン部
圧倒的なまでの死の気配だった。
絶対的な捕食者を前に、最高学府を出て国家の中枢を担うエリートたちは、文字通り蛙のように床に這いつくばり、歯の根も合わぬまま震えていた。
総理自身も、次官とアイコンタクトを交わしながらどうにか直立を保っているに過ぎない。心臓は早鐘のように打ち鳴らされ、冷や汗が背筋を滝のように伝い落ちている。脳髄だけは必死に回し続けていたが、そこから導き出される結論は、何度計算し直しても同じだった。
抵抗は無意味。
その冷徹な事実だけが、鋭利な刃物のように思考の中央へ突き刺さっていた。
沈黙が痛い。
誰も動けない。誰も呼吸の仕方すら思い出せない。
総理が何か言葉を紡ごうと、肺に浅く空気を吸い込んだ――その瞬間だった。
視界のすべてを圧迫していた黒龍の巨体が、陽炎のように揺らいだ。
次の瞬間、そこに立っていたのは、一人の少女だった。
アッシュグレーのショートボブ。
官邸の無機質な照明を柔らかく受ける、よく整った横顔。
身長は百七十センチ近くあるだろうか。手足はすらりと長く、黒いパーカーとジーンズという簡素な服装が、かえって輪郭の完成度を際立たせている。
だが、変わったのは姿だけではなかった。
先ほどまで空間そのものを軋ませていた終末の威圧感が、嘘のように雲散霧消していたのだ。
それどころか、彼女を見ていると奇妙なほどの安心感と、理由のない親愛の情が、心の底から静かに湧き上がってくる。
総理は、それが何よりも恐ろしかった。
見た目が柔らかくなったからではない。
恐怖そのものが消されたからでもない。
自分の内側に生じたその安堵が、明らかに「自分のものではない」と分かってしまったからだ。
本能的な恐怖すらも、対象に応じて書き換えられる。
この怪物は物理法則だけでなく、人間の精神構造そのものにまで平然と手を差し込める。
目の前にいるのは、変わらず終末そのもののはずなのに、官邸の空気だけが休日の昼下がりのように穏やかになっている。その狂った落差に、総理は奥歯を強く噛み締めた。
こちらの反応を観察するように、少女は一度だけ室内を見回した。
そして、先ほどまでの無機質な声音のまま言った。
「この姿の方がお互いの為になる。必要なら話し方も外見も調整する」
一拍置いてから、淡々と続ける。
「先ほどの姿のから人型へ、同じ口調を維持すると、そちらの文化圏では綾波レイの模倣に見えるらしい。男性形への変更も可能だ。私は元来オスのトカゲだった」
超常の化け物の口から、あまりにも俗世じみた文化認識が飛び出した。
出現直後とは質の異なる困惑が、室内にじわりと広がる。床に這いつくばっていた日本の頭脳たちの表情が、一様に引き攣った。
総理は、どうにか声を絞り出した。
「……無機質で、お願いします」
「了解した」
少女は短く応じると、部屋の隅へ歩いていき、そこにちょこんと体育座りをした。
議論の終わりを待つ行儀の良い子供のような仕草だった。
だが、その一挙手一投足が、この場にいる誰よりも遥かに大きな災厄を内包していることを、全員が理解していた。
その異様な光景を前にしながらも、かろうじて思考機能を取り戻した官僚たちの頭の中は、ほとんど同じ結論へ収束しつつあった。
転移一択ではないか。
提示されたもう一つの選択肢、万物を斬殺する剣《スコルージ》。
確かに恐ろしい代物だ。だが、率直に言ってしまえば、ただ相手を殺すだけなら現代兵器でも大半の状況には対応できる。大概の生物のHPが100だとする世界で、攻撃力無限大の武器を渡されても、使い道は限られる。攻撃力1000の火器が既に量産されている以上、過剰火力の上積みは社会全体にとってそこまで大きな利益にならない。
どこまで行っても、それは近接武器の範疇に見えた。
なんなら、無差別な殺傷効率だけを問題にするなら、核、化学兵器、爆薬、バンカーバスター、気化爆弾、極論軽トラ突入といった既存手段の方がよほど扱いやすい。人類はとっくの昔に、自分たちを何度でも滅ぼせるだけの火力を備えているのだ。
では、ダンジョン攻略用か。
異世界には現代火器では削りきれぬ超高耐久の怪物でもいるのか。
だが、ダンジョンというものが人類側に攻略可能な構造で導入されるのなら、普通はクリア可能な範囲に難度設計されているはずだ。やはり剣は、過剰火力に見える。
何より、この龍はなぜ自分のメインウェポンなどというものを、こんなにも気軽に差し出してくるのか。そこに意図がないはずがない。
それに比べれば、転移ゲートの方は、利便性も社会的インパクトもあまりに明白だった。
世界の二地点をゼロ秒で接続する。
たったそれだけで、人類史は根底から覆る。
「ダメだ、ダメだ!!」
静寂を破ったのは、防衛大臣の悲鳴じみた絶叫だった。
血走った目で周囲を見回しながら、彼は唾を飛ばして叫ぶ。
「剣一択だ! 転移など絶対に選んではならん!!」
「しかし大臣、あの技術があれば、我が国の物流、補給、災害対応、軍事の前提そのものを――」
次官の一人が反論しかける。
防衛大臣はそれを食い気味に遮った。
「だから駄目なんだ!!」
その声には恐怖が混じっていた。だが、錯乱ではない。
むしろ恐怖のせいで、見るべき破局が異様に鮮明になっている声音だった。
「転移能力などという異常なもの、インフラに与える影響がデカすぎる! 予測可能性がなさすぎる! それだけでも危険だが、本当に致命的なのはそこじゃない!」
防衛大臣は荒い呼吸のまま、なおも言葉を継いだ。
「仮に、たった二地点を固定的に接続するだけの、一代限りの奇跡として運用されるのなら――いや、それでも全然良くはない。良くはないが、まだ国家として管理と封じ込めを考える余地はある。世界が半壊するだけで済む可能性もある」
その言い方に、何人かの官僚が息を呑んだ。
半壊で済む、という表現が本気だと分かったからだ。
「だが、もしこの技術が解析されたらどうなる? 原理の一部でも掴まれ、複製が可能になったらどうなる? その瞬間に終わりだ。確実に終わる。人類は滅ぶ」
その断言は、室内の空気をさらに冷やした。
「航空、海運、鉄道、トラック、港湾、空港、幹線道路……世界の交通インフラは一夜にして死ぬ。石油需要は暴落し、中東から海運国家、資源国、製造業まで連鎖的に吹き飛ぶ。都心の不動産価値も、地方の過疎も、国境も、要塞も、海峡も、山脈も、すべて意味を失う!」
防衛大臣は一歩前へ出た。
震えているのに、言葉だけは鋭かった。
「誰もが他人の寝室に侵入できるようになる。検疫は成立しない。病原体も外来種も生物兵器もゼロ秒で世界中へばら撒ける。密輸もテロも暗殺も、あらゆる治安と法秩序をすり抜ける。国家が国家として成立する前提そのものが消し飛ぶんだ!」
息継ぎを挟むことすら忘れて、彼は叫び続ける。
「いいか、これはまだ『平和利用を前提とし、悪意なく運用された場合』の話だぞ! その時点でもう人類社会は瀕死だ! そこへ悪意が一滴でも混ざったら終わりだ! テロ組織、敵対国家、宗教狂信者、愉快犯、誰の手に渡っても人類は滅ぶ! この十数秒で、私はこの技術を使って文明を終わらせる方法を十通り以上思いついた!!」
その生々しさに、誰も反論できなかった。
転移ゲートは、もはや便利な道具ではない。
固定された二地点だけを、神の奇跡として一代限りで繋ぐのなら、社会は甚大な損傷を受けながらも、かろうじて新しい秩序へ移行する余地があるかもしれない。
だがそれが技術として解析され、複製され、量産されるなら、その瞬間に人類文明は終了する。
それは都市を焼く核兵器より残酷だった。
爆風で殺すのではない。
人間社会の成立条件そのものを、内側から食い破る。
一方で、剣《スコルージ》は違う。
人を殺せる武器が一本増えたところで、世界の構造はその場では変わらない。
危険ではある。恐ろしい。国家間秩序を乱す可能性もある。
だが、転移のように文明の土台を即死させる種類の危険ではなかった。
それでもなお、次官派の目には、転移ゲートのもたらす恩恵が神話じみた輝きを放って見えていた。
管理できるなら。
仕様が固定されているなら。
複製不能な純粋な奇跡として一つだけ存在するなら。
日本は地政学そのものを塗り替え、世界の覇権を握れる。
防衛大臣派は、絶対に触れてはならない概念爆弾だと主張した。
次官派は、制御可能ならば国家史上最大の資産になると見た。
どちらの言い分も理解できる。理解できすぎる。
だからこそ、総理にはなおさら、即断ができなかった。
その膠着を破ったのは、部屋の隅にいた少女だった。
「釣り合わないか」
ぽつりと、無機質な声が響く。
少女は立ち上がると、虚空からもう一振り、まったく同じ形状の西洋剣を引きずり出した。
「もう一振り、おまけだ。私は本気で戦闘する時、それの二刀流で戦う。それはどう使っても良い」
ぽん、と。
二本の究極の剣が、冗談のように床へ置かれる。
だが次の瞬間、少女の灰色の瞳に、これまでとは別種の光が宿った。
温度そのものが消えたような、あまりにも乾いた視線だった。
「ただし」
声の調子は変わらない。
だがその一語だけで、室内の全員が背筋を凍らせた。
「もしその剣を勇者――兄に向けた場合。スコルージの既存機能に、一つだけ追加機能を足す。日米のトップの元へ転送させる機能だ。そのうえで君達を概念ごと抹消する」
誰も息をしなかった。
「兄の足元へ溶岩のゲートを接続したなら、同種の報復を返す。君達全員の足元と太陽中心部を接続する」
それは脅迫ではなかった。
怒りでもない。
交渉の材料ですらない。
ただ、禁則事項を踏んだ際に発生する、仕様上の自動処理だった。
そこに感情はない。
あるのは絶対だけだ。
そして、その絶対の中心に、たった一つだけ、人間的すぎる例外があった。
兄。
その単語だけが、場違いなほど生々しかった。
世界の法則を玩具のように扱う終末の中に、ただ一箇所だけ穿たれた、触れてはならない核。
誰もその意味を理解できなかったが、理解できないままに理解だけはした。
この怪物にとって、その存在だけは世界の仕様より重いのだと。
少女は何事もなかったように続ける。
「その水準の行動でない限り、好きに使え。剣が欲しければ、少し試し斬りしても良い。そのための物質は出す。ゲートなら設置は私がする」
再び沈黙が落ちた。
しかし今度ばかりは、防衛大臣も、次官たちも、総理自身も、国家戦略や社会設計といった大きな話を一瞬忘れていた。
人間は、予想を超えた異常に直面すると、むしろ妙な順応を始めるらしい。
ここまで来ると、世界が壊れるかどうかの議論をしている最中に、終末の化け物に大切な相手がいることの方が、妙に現実味を帯びて心に残った。
だが思考停止している暇はなかった。
異常極まりない空間の中で、二つの選択肢に対する実験が始まった。
少女が軽く指を鳴らす。
それだけで、官邸の広間に五メートル級の巨体が突如として出現した。
全身を強固な鎖で封じられた巨大な悪魔。
肉体から立ち上るのは、強大な身体能力と未知のエネルギー――魔力、そして何より、人間という種に対する底なしの悪意だった。
「グレーターデーモン。迷宮の王を除けば、ダンジョンにおける最強の敵として設定する」
少女は明日の天気でも告げるような口調でそう言った。
本来なら、一体で首都機能に甚大な損害を与えうる災厄だろう。
だが今この場では、誰もそれを最優先脅威として見ていなかった。
感覚が壊れ始めている。総理は、ひどく冷静にその事実を自覚していた。
促されるまま、総理は西洋剣《スコルージ》を受け取る。
重さはある。だが、異様なまでに手に馴染んだ。
まるで「振るう」という行為だけは最初から想定されていたかのように。
総理は不格好に一振りした。
刃が、悪魔の皮膚へ触れる。
ただ、それだけだった。
次の瞬間、悪魔は消えた。
血も、肉片も、断末魔もない。
その存在だけが無かった。
誰もが、直感だけで理解した。
あれは「斬った」のではない。
ただ死なせたのでもない。
存在に対して、通常の殺傷よりはるかに質の悪い何かを適用したのだと。
次官たちは青ざめた顔で、一斉にメモを走らせた。
威力確認。
使用者への反動なし。
視認可能な範囲での誤爆なし。
接触成立で即時処理。
対象は肉体ではなく存在単位。
通常兵器の延長として扱うべきではない。
剣は近接武器に見えて、その実、例外処理装置に近い。
相手を殺すための武器ではない。
殺してなお足りない相手を、止め、削ぎ、剥がし、機能停止へ追い込むための、対神話級安全装置。
国家がこれを運用するという発想そのものが、すでに無理を孕んでいた。
一方、終末を直視し続けたことで逆に変な胆力がついたのか、防衛大臣の一派は転移ゲートの実験に没頭していた。
真っ先に自らを実験台にしたのは、防衛大臣自身だった。
彼の懸念は、社会構造の崩壊だけではない。
空間移動に伴う精神の連続性――すなわち、ゲート通過後の自分は本当に「自分」なのかという問題だった。
肉体を分解し再構成する類の技術であれば、それは実質的な自己の死である可能性がある。
だが、数度の往復実験ののち、防衛大臣は震える声で結論を出した。
意識の連続性は保たれている。
これはそういう理屈を超えた現象として成立しており、現代科学による解析や模倣の余地は、少なくとも目視と計測の範囲では一切見当たらない。
その結論に、総理を含む日本のトップたちは内心で同じことを考えていた。
この実験は、性能確認であると同時に、別の意味を持っている。
つまり――複製不能性の確認だ。
距離。
安定性。
通過の安全性。
生物・物資の輸送可否。
ゲート固定の仕様。
そして何より、この現象が人類側に再現可能な技術なのか、それとも龍が一方的に設置するだけの閉じた奇跡なのか。
重要なのはそこだった。
単発の、神の手による二点接続なら、世界は壊れながらもまだ管理できるかもしれない。
しかし、もしこれが技術として人類の手に落ちるなら、その瞬間に人類は終わる。
だからこそ、官僚たちは利便性以上に、「複製可能かどうか」へ神経を尖らせていた。
すべての実験を終え、総理は深く息を吐いた。
官邸の広間。
終末の化身。
二本の究極の剣。
固定された奇跡の穴。
その異様な光景の中心へ、総理は歩み出た。
少女は、感情の読めない灰色の瞳でこちらを見上げている。
安心感を強制されてなお、総理の内臓は冷たく縮み上がっていた。
それでも、もう足は止まらない。
国家の意思は、自分の口で告げねばならない。
総理は、熟考の末に導き出した答えを告げた。
少女はしばし総理を見つめ返した。
その視線の底にあるのは、人類への愛ではない。
慈悲でも、共感でもない。
ただ、自分が提示した条件に対し、この知性体がどう合理的に応答したかを評価する、静かな関心だけだった。
そして彼女は、ひどく無機質な声で言った。
「そうか……その結論は……合理的だ。称賛に値する」