人間に脳を焼かれた上位存在による世界改変に現代社会で国家が翻弄されていくタイプの話。なお上位存在は一切の誇張なくかませにもならないマジで最後まで強さランキング1位の最強龍とする 作:人見小夜子腹パン部
「転移で、静岡と……宇宙の彼方の無の空間でお願いします」
総理が絞り出した決断に、少女の姿をした黒龍は淡々と頷いた。
「了解した」
それだけだった。
まるで、会議室で承認印を押すかのような、簡素すぎる返答。
だが総理の脳内では、その瞬間もなお極限の演算が続いていた。
本来なら、防衛大臣の言葉が正しい。
転移という力は、スコルージを遥かに上回る。
あの剣が危険なのは、あくまで武器として危険だからだ。国家秩序を乱し、所有権を巡る争いを招き、最悪の抑止力になりうる。しかし、それでもまだ「危険な兵器」の範囲に収まっている。
だが転移は違う。
転移は武器ではない。
社会の土台そのものに食い込む。
距離の意味を消し、物流の意味を消し、国境の意味を消し、人間社会が人間社会として成立する前提条件そのものを書き換える。
それは剣など比較にもならない、文明の仕様変更だった。
本来なら、拒絶すべきなのだ。
触れてはならない。
そう分かっていた。
それでも総理は、あの力を捨てきれなかった。
国家の指導者としてではなく、人類史の分岐点に立たされた一個の知性として理解していた。
スコルージは、どれほど強力であろうと、結局は「殺す」ための力だ。
だが転移は違う。
あれは絶対の力だった。
戦争にも、物流にも、資源にも、災害救助にも、宇宙開発にも、神秘との付き合い方そのものにも食い込む。人類文明を一段上へ押し上げる可能性と、地獄の底へ蹴落とす可能性の両方を、同時に抱えた力。
だからこそ、完全には諦められなかった。
ならばせめて。
せめて、夢の扉ではなく、用途を極限まで矮小化した器として受け取る。
国家の覇権装置ではなく、ダンジョンという未知に対する排出口として固定する。
利便ではなく、管理可能な損害として受け入れる。
その妥協の果てに出てきたのが、静岡と、宇宙の彼方の無の空間だった。
静岡は、首都圏に近く、海に面し、交通の便が良い。
一定以上の面積を持ちながら、東京ほど人口密度が極端ではない。
観光資源もあり、将来的に神秘と共存する玄関口へ転換する余地もある。
そして何より、仮に東京直下へ作れば、「首都そのものを巨大なゴミ箱にした」という印象が悪すぎた。
宇宙の彼方の無の空間は、排出口として選ばれた。
少なくとも龍は、太陽の中心核に出口を設定できると言った。ならば、人間の観測圏外にある「何もない場所」にも設置できるはずだ。
そこへダンジョンから発生する未知の物質、未知の死骸、未知の瘴気、未知の魔力反応を流し込む。
現代文明の外へ、全部捨てる。
理屈としては合理的だった。
だが、そこが本当に「無」なのか、誰にも分からない。
逆流しない保証も、何かが蓄積しない保証も、捨てたものがどうなるのかも、結局は目の前の化け物の言葉に依存している。
人類の観測圏外だから安全だというのは、言い換えれば「何が起きても人類には把握できない」というだけの話だった。
それでも、他に選択肢はなかった。
いや、正確には、もっとも魅力的で、もっとも危険な選択肢を、なんとか文明が死に切らない形へ押し込めたのだ。
それが総理の決断だった。
総理はもう一つ、確認しなければならないことがあった。
先ほど、この化け物が「兄」という単語を出した瞬間だけ、空気の質感が明らかに変わった。
そこだけが、仕様でも合理でもない、何か別の核だった。
日本にダンジョンを作るという目的も、おそらくその「兄」に関連している。
ならば、一国の責任者として、相手の行動原理の中核に少しでも触れておく必要がある。
それがどれほど危険でも。
総理は喉の渇きを押し殺し、問うた。
「何故、そこまで……兄君を特別視されるのですか」
この一言で、すべてが終わるかもしれなかった。
激昂。抹消。交渉打ち切り。
そのどれが来てもおかしくない。
だが、龍の反応は意外なほど素直だった。
「永遠に続く地獄」
少女は、遠いものを見るような目をした。
「もっとも、私は本物の地獄に行って全てを喰らい尽くした経験がある。あんな生ぬるいものとは比較にならないが。例えるならそういうことだ。そこから私を救い出してくれた」
声はあくまで平板だ。
だが、平板であるがゆえに、その内容だけが異様な重さを持って落ちてくる。
「世界の宿敵である私を哀れんでくれた。生まれ変わり、兄妹となり、唯一の目的である飢餓を失って十年以上、生ける屍と化していた元宿敵に、毎日声をかけて、頭を撫でてくれた」
ごく短い沈黙。
「それ以上の理由が必要か?」
その言葉の奥にあるものを、総理は測りかねた。
愛情なのか。恩義なのか。執着なのか。崇拝なのか。
あるいはそれら全部なのか。
この怪物にとって兄とは、単なる大切な相手ではない。おそらく、存在理由そのものに近い。
思わず、総理の口から言葉が漏れた。
「……龍様にも、感情はあるのですね」
少女は不思議そうに小首を傾げた。
「私は普通に感情豊かだが?」
冗談ではなかった。
本気でそう認識しているのだと、総理には分かった。
たぶん、人間の定義する感情と、この龍の感情は違う。
それでも本人にとっては、それは間違いなく「普通」なのだ。
次の瞬間、少女の姿は空間から掻き消えた。
残された総理たちは、ほんの数秒、無言のまま立ち尽くした。
全員が、今のやり取りをそれぞれの頭の中で反芻していた。
兄。
世界の宿敵。
生まれ変わり。
頭を撫でる。
感情豊か。
どの単語も意味が分からない。
だが、意味が分からないまま一つだけは理解できた。
この世界を揺るがす一連の神秘導入は、その「兄」のために行われている。
本能が警告した。
次の瞬間、日本という国家に――いや、地球というシステムそのものに『穴』が空いたのが分かった。
観測できたわけではない。
音がしたわけでもない。
ただ、現実の表面に、今まで存在していなかった器官が無理やり増設されたとでも言うべき異様な感覚が、そこにいた全員へ一斉に流れ込んだのだ。
総理は叫んだ。
「急げ!!」
その絶叫が、官邸に響き渡った。
■■■■
運命の日と呼ばれるその瞬間は、後世の記録が想像するほど劇的には始まらなかった。
最初にそれを見つけたのは、ひとりの旅行者だった。
静岡。
穏やかな海風が吹き、遠くに富士を望み、茶畑の緑がなだらかに続く、その長閑な風景の中。
観光ポスターにでも使えそうな平穏のただ中に、あまりにも不釣り合いなものが口を開けていた。
巨大な穴。
色はない。
闇とも違う。
ただ、向こう側に何もないことだけが、直感で分かってしまう虚ろな円。
神秘と絶望を同時に孕んだそれは、周囲の風景から明らかに浮いていた。
存在しているだけで、科学と常識と日常の手触りを根元から腐らせる類の異物だった。
旅行者は数秒ほど立ち尽くし、物理法則の限界を感じた。
そして、極めて現代的な流れとして、とりあえずスマートフォンを取り出して撮影し、SNSに上げた。
そこから先は早かった。
あまりにも早すぎた。
本来なら、安っぽいCG、悪質なデマ、陰謀論の切り抜き動画として処理されるはずだった映像は、アップロードから間もないうちに異様な拡散速度を見せた。
なぜなら、日本政府の中枢がそれを把握したほぼ同時刻に、静岡周辺へ異様な規模の人員と武力が動き始めたからだ。
画面の向こうの人々は、現地映像より先に「政府の動き」の方から現実味を嗅ぎ取った。
フェイク認定派。
本物断定派。
政府の自作自演だと騒ぐ者。
宇宙人、異世界、神罰、地底文明、アメリカの秘密兵器、中国の新兵器、終末予言の成就。
あらゆる与太話と考察が、秒単位で生成され、拡散され、上書きされていく。
封鎖が完了する前に、配信者たちが群がった。
インフルエンサーが「いま日本で世界が終わってる」と煽った。
真贋の確認を急ぐ諜報機関の暗い影よりも早く、軽薄な配信者と野次馬の車列が現地へ殺到した。
平時には観光客を運ぶための道路が、その日ばかりは世界史の第一発見者になりたい者たちで詰まった。
各国の諜報機関が裏取りを終えるより先に、インチキな新興宗教を売り物にしていたペテン師インフルエンサーが、その映像を大々的に拡散したのは、ある意味で象徴的だった。
真実は、国家よりも先に、詐欺師の手で世界へ届いたのだ。
日本国内のサーバーには、過負荷とサイバー攻撃が同時に押し寄せた。
各省庁の窓口には問い合わせが殺到し、外務ルートにも安全保障ルートにも泣き落としと恫喝が雪崩れ込む。
現地では自衛隊と警察が必死に封鎖線を張る一方、その外側ではスマートフォン片手の野次馬が「なんかヤバいらしい」と呑気な声を上げていた。
官邸で報告を受ける総理は、文字通り吐きそうだった。
神秘の解放。
現代の魔女狩り。
市場の動揺。
宗教的熱狂。
国家間の諜報戦。
情報災害と群衆心理が結びついた時、この混乱は容易に地獄へ変わる。
だが、それでも逃げられない。
半年後にはダンジョンが来る。
それは防げない。
神秘との直面は回避不能だ。
ならば、最初の戦いで主導権を取るしかない。
隠蔽すれば、陰謀論が秩序を食う。
各国へ先に根回しすれば、その瞬間から日本は主導権を失う。
恐怖を放置すれば、恐怖の言葉で世界が定義される。
ならば国家の言葉で、先に囲い込む。
神秘を「噂」ではなく「制度」の側へ引きずり込む。
国内世論を先に固め、国外の主導権争いに対しても日本を窓口に固定する。
総理は席を立った。
「会見を開くぞ」
即座に、官邸内で異論が噴き上がった。
「早すぎます!」
「市場が壊れます!」
「各国への説明が先です!」
「まだ穴の安全性も分かっていません!」
「せめて現地封鎖を完全に――」
総理はそれを断ち切った。
「だから今だ」
低い声だった。
怒鳴りつけたのではない。
だが、誰も続きを言えなかった。
「隠しきれる段階は、もう終わった。あとは真実をどの言葉で包むかの勝負だ。こちらが黙れば、詐欺師と狂人と他国の思惑が先に世界を定義し…同士討ちで世界は滅びる」
息を整える。
「おそらくここが、人類の繁栄と滅亡の分岐点だ。最初にして最大の戦いになる」
誰も反論しなかった。
■■■■
アメリカ合衆国大統領は、執務室で胃薬を噛み砕いていた。
彼は善良な人間であり、親日家でもある。
だがそれ以上に、彼はアメリカ第一主義の体現者だった。
表向きの報道では、自衛隊が必死に守る謎の穴としか映っていない。
しかしホワイトハウスには既に、複数のルートから同じ情報が届いていた。
それが「あらゆるものを飲み込み、どこかへ繋がる穴」であること。
そして、その背後に日本政府すら完全には制御できていない超常存在がいること。
現行の世界で、アメリカは間違いなく最強の国家だ。
だがそれは、既知の物理法則という盤面の上での話でしかない。
火薬がそうだった。通信がそうだった。インターネットがそうだった。
盤面そのものが変わるたび、もっとも早く適応した者が覇権を握った。
だからこそ彼は、友好国に対する泣き落としも、やりたくもない恫喝も使い分け、日本から一秒でも早く情報を引き出そうとしている。
日本の総理は温和な男だ。だが、圧力をかければかけるほど厄介な毒を隠していそうでもある。
そして何より重いのは、あの超常存在が、まず日本を窓口に選んだという事実だった。
中国のトップは、党幹部に囲まれながら黙って報告を読んでいた。
内心では笑ってすらいた。
中国は構造的に強すぎる。
人口という社会性生物において最大の武器を持ち、最後には世界中から包囲される。
その未来を、彼はずっと予感していた。
強くなりすぎた国家はいずれ連合に潰される。だからこそ党内には、滅ぼされる前に他を滅ぼせという極論が常に渦巻いている。
だが、盤面そのものが変わるなら話は別だ。
既存秩序ごと一度ひっくり返るなら、中国の行き詰まりもまた別の形へ逃がせるかもしれない。
そう活路を見出しかけた矢先、日本国総理大臣が穴の本当の性質と、それを与えた存在について「真実」を語る会見を開くという報が入った。
彼と党幹部たちは、揃って心臓が止まりそうな驚愕を味わうことになる。
日本が、自ら情報の主導権を握りにきたのだ。
ロシアのトップは、本当に吐きそうになっていた。
前任者の失策と戦争の泥沼を押しつけられた彼にとって、世界規模の盤面変更など悪夢でしかない。
ただ、穴の異常性が世界へ発覚しつつある現状を、多くの国民が「どうせ日本人の集団ヒステリーだ」と処理してくれていることだけは救いだった。
何より、「新秩序への備え」という名目で軍を前線から引き剥がせる余地が生まれたのは、彼にとって僥倖だった。
日本国内では、静岡の穴を巡る議論がすでに暴走していた。
陰謀論、考察、宗教、デマ、切り抜き、便乗ビジネス。
街頭では「政府は真実を話せ」というデモが起き始め、テレビのワイドショーは専門家でもない専門家たちを並べて好き勝手に騒いでいる。
神秘の本体に触れる前から、人間社会は人間社会のやり方で勝手に地獄を作り始めていた。
その裏で、【色欲の魔王】は深い混乱の中にいた。
自分はあの終末の化け物に喰われたはずではなかったか。
だが、その思考を振り払い、結論づける。
やるべきことは変わらない。あの終末を滅ぼせないなら、あの終末に全てを終わらせられる前に、自分が先に全てを終わらせる。
魔王は、地球上には存在しない最悪の麻薬に似た物質を、指先からごく僅かに大気中へ放出した。
バチカンは、飛び交う情報の真実味を掴んだ結果、もはやそれを神秘認定する気力すら失い沈黙していた。
一方でヨーロッパのある扇動家は、「真なる混沌の時代が来た」と確信して独自に動き出している。
世界が息を呑み、あるいは歓喜し、あるいは商機を嗅ぎ取る中で、唯一、穴の存在そのものをまだ知らない者たちもいた。
気がつけば生き返っていて、今は日本の下水道の奥深くに潜み暮らしているエルフとドワーフである。
世界の王たちは、神秘そのものに驚いているのではない。
それを誰が先に制度へ組み込み、誰が先に自国の利益へ変えるか。
その主導権争いにこそ、歯を剥いていた。
■■■■
とある日本のアパートの一室。
「にいさん!見て!カブトムシさん!」
平凡な青年は、振り向いて目を細めた。
妹が大事そうに黒い甲虫を包み、まるで宝物でも見つけたような顔でVサインをして立っている。
「すごいね。よく見つけたな」
「えへへ!褒めて!」
青年は苦笑しながら、その頭を優しく撫でた。
十歳になるまで、まるで人形のように動かなかった妹。
呼びかけにも反応せず、表情もなく、ただそこに在るだけだったあの子が、いまではこんなふうに得意げに笑い、どうでもいいことで褒められたがる。
それだけで、兄は泣きたくなるほど嬉しかった。
もちろん心配の種は尽きない。
セミを追いかけて隣町まで行方不明になったこともある。
泥団子を極限まで磨き上げることに三日三晩没頭したこともある。
二郎全マシをを勢いで食べ切って、その直後に盛大に吐いたこともある。
だが、それでもいい。
奇行でもなんでもいい。
あの子が「生きている」と分かる行動をしてくれるなら、それだけで兄には十分だった。
テレビの画面が切り替わった。
けたたましいアラームのあと、緊急放送のテロップが流れる。
『日本国総理大臣 緊急会見 未知の神秘現象について』
「ん? 会見?」
兄が目を瞬かせると、妹は不思議そうに首を傾げた。
「兄さん、知らないの?」
「最近ちょっと忙しくてね。ニュースもあんまり追えてない」
「そうなんだ」
妹は素直に頷き、兄の膝の上にちょこんと座った。
そのまま、撫でられるのを当然の権利のように受け入れて、気持ちよさそうに目を細める。
兄は、それ以上深く考えず、ただいつもの癖で妹の頭を撫で続けた。
世界中を巻き込む未曾有の騒動。
国家の秩序を揺らし、宗教と市場と軍事と情報空間を同時に狂わせた、その全ての元凶。
終末そのものと呼ぶしかない存在が、いまこの瞬間、平凡なアパートの一室で、兄の膝の上に収まりきる大きさへ擬態し、喉を鳴らすように満足して撫でられているなどとは、当然ながら誰も知る由もなかった。
兄にとっては、かけがえのない日常の一場面だった。
けれど世界にとっては、最も幸福な場所に、最も巨大な爆弾が置かれているのと同じことだった。
テレビの向こうで、総理がまもなく姿を現す。
妹は兄の胸に体重を預けたまま、無邪気に笑った。
その笑みは年相応の少女のものにしか見えない。
だが、その内側にあるものを知る者がいたなら、きっとそれを安らぎとは呼べなかっただろう。
それでも兄は、何も知らないまま、ただ優しく撫で続けた。
その手つきだけが、この世界で唯一、終末を静かに眠らせていた。
だが、この時の龍はまだ知らなかったのだ。
神の如き力で脅迫され、無理やり働かされることになった箱庭の人類たちが、龍の冷徹な演算予想を遥かに上回る執念を見せることを。
彼らが胃袋に無数の穴を開け、血反吐を吐きながらも、異常なまでの適応力を発揮し、やがて宇宙のどの歴史にも存在しなかった、真に合理的な『最大多数の最大幸福』を体現する理想郷を、本気で作り上げてしまうということを。
これは、一人の人間の平穏を守るためだけに世界を脅迫した終末機構と、その理不尽な神託に全力で振り回される人類が織りなす、壮大で胃痛に満ちた喜劇の幕開けであった。
次回は
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演説カットして掲示板という形で出す
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演説してから掲示板