人間に脳を焼かれた上位存在による世界改変に現代社会で国家が翻弄されていくタイプの話。なお上位存在は一切の誇張なくかませにもならないマジで最後まで強さランキング1位の最強龍とする   作:人見小夜子腹パン部

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第4話

正午。日本の政治の中枢たる総理大臣官邸の重厚な扉が開き、総理が会見場に姿を現した瞬間、世界中の無数の視線とカメラのフラッシュが、彼の一挙手一投足に降り注いだ。

 

事態はすでに臨界点を突破していた。

 

情報の氾濫は止まらず、現地周辺のデモ隊はスマートフォンを掲げて必死に「未知の穴」の存在を全世界へ拡散し続けている。水面下で行われた熾烈な外交交渉の末、あらゆる国家のトップが固唾を飲んでこの会見のモニターを見つめ、同時に自国民へどう情報を統制し、あるいは拡散するかの舵取りに心血を注いでいた。

 

わずか一時間前、アメリカの巨大ネットワークFOXニュースが穴の真実らしき断片をセンセーショナルに報じたことで、全米はパニックの一歩手前まで陥った。

 

ヨーロッパの各都市では、この超常現象を「神の啓示」あるいは「終末の始まり」と謳うアジテーターが突如として一大勢力を築き上げている

中国の地方都市では、未知への恐怖から隣人を疑う魔女狩りのような暴動の萌芽すら見え始めていた。

 

世界をここまで狂わせた原因は、ただ一つ。

それをもたらした「何か」が、完全に正体不明のままであることだ。

 

静岡に突如として開いた、ファンタジーのような大穴。

既存の物理法則を嘲笑うかのようなその理外の存在と、それをポンと置いていったであろう主の姿も意図も一切分からない。それが人類にとって最悪の恐怖だった。

もちろん、当事国である日本においても状況は同じだ。

 

官邸の裏側で会見の推移を見守る次官の脳裏に、ふと、かつてプレイしたとあるゲームのフレーズがよぎった。

 

『一つ、怪物は言葉を喋ってはならない。二つ、怪物は正体不明でなければいけない。三つ、怪物は、不死身でなければ意味がない』

 

意思疎通の手段がなく、正体も目的も分からず、殺す手段すら見当たらない場合、群衆の恐怖は際限なく膨れ上がり、やがて自滅的なパニックへと変貌する。

 

もはや国家間の利権調整などどうでもいい。早く、一秒でも早く真相を公表してくれと、各国メディアは本心からの泣き声混じりの怒号を官邸にぶつけていた。日本政府もまた、国家の崩壊を防ぐための防波堤として、この会見を一刻も早く開くために文字通り血眼で準備を進めてきたのだ。

 

もっとも、ただ事実を並べればよいわけではない。

正論だけでは群衆は止まらない。怪物の正体をそのまま説明したところで、世界は理解するより先に壊れる。

必要なのは、恐怖を丸裸のまま晒すことではなく、それを包み込み、どう受け止めるべきかを先回りして定義するための物語だった。

 

フラッシュの嵐の中、総理がゆっくりとマイクの前に立ち、重い口を開いた。

 

早く話せ。

超常存在のスクープをよこせ。

その怪物を既知の何かに当てはめて、このパニックを鎮めてくれ。

それが人類に友好的な、理解可能な何かだと教えて安心させてくれ。

 

画面の向こうの人々の精神が、総理の次の言葉にすがりついていた。

 

しかし、総理の口から紡がれた最初の言葉は、彼らが求めていたものとはあまりにもかけ離れていた。

 

「皆様の、子供の頃の夢は……何だったのでしょうか」

 

あまりに場違いで、あまりに唐突なその問いかけに、会見場を満たしていた怒号とシャッター音がピタリと止まり、不気味なほどの静寂が落ちた。

 

「世界中の皆を幸せにしたい。善人が百パーセント救われる世界を作りたい。誠実に生きて天国に行きたい。……恥ずかしながら、私はヒーローになりたかった。あらゆる悪から世界を守り、世界を幸せにする、そんなヒーローに。きっと、画面の向こうの皆様だって、幼い頃はそうだったはずです」

 

数秒の沈黙の後、困惑がさざ波のように広がり始めた。

一体何を言っているんだ、早く穴の正体を、怪物の話をしろという怒りの声が上がる。一方で、とうの昔に捨て去ってしまった己の無垢な善性を不意に抉られ、押し黙る者もいた。

野次と、戸惑いと、微かな同意の目線が交錯する中、総理は一切動じることなく言葉を続ける。

 

「しかし、そんな無邪気な夢は、年をとるたびに冷酷な現実に打ちのめされ、消えていきます。生きているだけで善性は擦り切れ、悪意は連鎖し、どうあがいても限られた資源の奪い合いからは逃れられない。それが、我々の知る『現実』でした」

 

総理の背後にある巨大モニターが、低い駆動音と共に起動する。

 

「ですが……それは! あくまで既存の物理法則に縛られた、これまでの盤面での話だ!」

 

総理は突如として声を張り上げ、その眼光に凄まじい熱を帯びさせた。

 

「盤面が、ひっくり返されたのです。皆が、子供の頃の夢を叶えられる時代が、本当に来るかもしれない!」

 

会見場の空気が揺れた。

怒りも困惑も、一瞬だけ置き去りにされる。

怪物を説明してくれと叫んでいたはずの人々が、気づけば「世界が変わる」という言葉の中に自分の願望を探し始めていた。

 

総理は、事実を説明する前に、世界の恐怖を受け止めるための器を先に差し出したのだ。

 

モニターに映し出されたのは、先日の官邸会議室における、あの絶対的な捕食者との遭遇の記録だった。

 

「我々は、その可能性との最初の接触に成功しました。人類の歴史におけるこの重大な瞬間を、我々は世界中の皆様と共有するべきであると判断いたしました」

 

総理は、そこで一拍置いた。

 

「なお、これから公開するのは、一切の編集を加えていない監視カメラ映像です。部分公開や編集済みの映像では、都合のよい切り貼り、捏造、情報操作であるとの疑念を決して払拭できない。今この瞬間に最も危険なのは、各国が不完全な断片をそれぞれに都合よく解釈し、勝手に暴走することです。だからこそ、恐怖も含めて、同じ現実をそのまま共有していただきます」

 

その言葉を合図に、会見場の巨大スクリーンと、全世界で生中継されている放送の画面が同時に切り替わった。

 

そこに映し出されたのは、厳重な警備をすり抜けて『転移』してきた存在と、絶望に凍りつく政府高官たちの姿だった。

世界中の視聴者が、瞬きすら忘れて画面を凝視した。

 

だが、画面越しの彼らが見たものは、明確な「黒龍」や「少女」の姿ではなかった。

 

カメラは確かにその空間を捉えているはずなのに、レンズを通して、あるいはモニターを通してその存在を視認しようとすると、人間の脳の処理限界を超えた理外の力による認識阻害が働き、ただ底知れない恐怖を放つ「黒いモヤの集合体」としてしか認識できなかったのだ。

本能が、直視することを強烈に拒絶するような悍ましいノイズ。

 

映像が流れた瞬間、BBC、CNN、NHK、そして全世界のSNSなど、人類が構築してきたあらゆる情報伝達手段が物理的に爆発したかのような負荷を引き起こした。

 

検索トレンドの上位はすべてこの異常現象に対する悲鳴で埋め尽くされ、下位すらも別言語での同じ反応で埋まる。

世界規模のトラフィックの急増により基幹サーバーが次々と熱暴走で落ち、もはやネットに頼れず、家を飛び出して隣人と直接会話するというアナログな手段に頼るしかない地域すら続出した。

 

一般人は、あの黒いモヤそのものに本能的な恐怖を抱いた。

理屈抜きで、見てはいけない何かだと理解してしまったからだ。

一方で、国家や企業や軍に属する賢い層ほど、別の意味で血の気を失っていった。

映像の中で提示された『転移ゲート』という概念爆弾が、世界の構造をどう破壊しうるかを即座に理解したからである。

 

続いて指を鳴らすだけで召喚された巨大な悪魔は、人類が積み上げてきた生物学と物理法則の完全な死を意味していた。

そして、あのスコルージという剣の禍々しい一閃。大悪魔が血の一滴すら残さず空間から削り取られた光景は、「生けるものの終着点が死である」という当たり前の概念すらも容易く破壊した。

 

大衆は恐怖し、知性は絶望した。

あまりの常識の崩壊と、画面から滲み出る未知の威圧感に耐えきれず、モニターの前で泡を吹いて倒れる者すら世界中で多発した。

 

映像が終わり、再び総理の顔が映し出される。

 

「ご覧いただいた通り、我々の世界には、新たな法則、新たな力が存在します。その存在の真の意図、究極の目的を、我々はまだ完全には把握しておりません。公開できない情報もあります。……しかし、我々日本国政府は、この存在と極めて『友好的な関係』を築きつつあります」

 

その一言を発した瞬間、総理は自分がどれほど危険な橋を渡ったかを理解していた。

それは事実ではない。少なくとも、保証された事実では断じてない。

だが、「対話不能で意図不明の終末」が相手だと知れ渡れば、世界は今この瞬間に壊れる。

後でこの嘘が破綻する可能性を承知のうえで、それでも今だけは必要だった。

これは希望ではない。世界が即死しないために打つ、政治的な麻酔だ。

 

総理は、自らの命を、そして国家の命運を賭けて、世界に向けて嘘八百を吐いた。

 

「これは既存の社会を壊す混沌であり、これまでの常識が通用しない地獄でもあります。……しかし、同時に希望でもあるのです」

 

総理は一呼吸置き、カメラの向こうの人々に向けて語りかける。

 

「人間の本質は善である。それが私の持論です。ですが、これまでの世界は、リソースの奪い合いや悪意のぶつけ合いをしなければ生きていけない残酷な設計でした。食事というシステムだってそうです。他の命を奪い、食わなければ自分が生きられない。生きるために殺すシステムだったのです。その構造の中で、誰もが己の善性を多かれ少なかれ削り取られ、妥協して生きてきました。……しかし、世界の根本的なシステムが変われば、そんな悲劇は起こらないかもしれない。皆が皆、奪い合うことなく、子供の頃の夢を叶えられる。誰もが、世界の皆を幸せにするヒーローになれる盤面が用意されたのです」

 

会見場の空気が、今度は別の意味で揺れた。

笑う者。怒る者。泣く者。鼻で嗤う者。

世界中の街頭でも家庭でも職場でも兵舎でも教会でも、同時多発的に賛否が爆発していく。

市場は乱高下し、宗教家は聖句を引き、軍人は口を閉ざし、扇動家は自分に都合のいい一節だけを切り取って叫び始める。

それでも、少なくとも「ただの正体不明の怪物」だったものは、いまや「新しい盤面の到来」という物語の中へ無理やり押し込められつつあった。

 

世界中で賛否と混乱が渦巻く中、総理は一際強い力を込めて、血を吐くような演説を締めくくった。

 

「だからこそ、どうかこの一時的な混沌に耐えていただきたいのです! 未知への恐怖から魔女狩りや無益な戦乱に走るのではなく、かの存在に対して、我々人類が持つ愛と善意を、理性を、見せつけて欲しいのです! 世界は変わりました。皆様が、本当の意味でヒーローになれる時代へと!」

 

歴史に残るであろうその熱弁を、とあるアパートの一室で、二人の兄妹が並んで見ていた。

 

「……っ、総理……」

 

兄は、理由もなく胸の奥を強く掴まれたような気がした。

 

 

彼には総理の語る「生きるために殺さなければならない盤面は、残酷だった」という言葉が、妙に深いところへ突き刺さった。

 

まるで、自分でも名前をつけられない古い傷口を、誰かが遠くから言い当ててくれたようだった。

 

皆が奪い合わずに済む世界。

誰も犠牲にならずにヒーローになれる世界。

そんなものが本当にあるのなら、どれほどいいだろう。

 

自分でも何に心を打たれたのか説明できないまま、兄はボロボロと涙をこぼしていた。

 

「にいさぁん、すごいね、なんか感動しちゃうね……ぐすっ」

 

そして、世界を未曾有のパニックに陥れ、総理に命懸けの大嘘をつかせているすべての元凶である存在は、兄の横にぴたりと寄り添っていた。

 

それは、兄の反応に寸分違わず同調するように、「総理の演説に感動し、涙を流す健気な妹」という完璧な擬態を顔面に貼り付けていた。兄が安心する表情、兄が喜ぶ声色、兄が守りたくなるしぐさ。そのすべてを、呼吸のような自然さでなぞっている。

 

その一方で、彼女の手は実にくつろいだ調子で、手元の袋からポテトチップスを一枚つまんでいた。

世界が地軸ごと揺れているさなかだというのに、サクリ、サクリと小気味よい音を立てて咀嚼し続けるその姿は、平穏すぎて逆に狂気じみていた。

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