10日間の問い   作:三日月ノア

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3話 アバター作成と「盛った」挨拶

 

 

承認は、思っていたよりあっさり下りた。

 

正確には、条件付き承認だった。

 

無制限の自由旅行ではない。観察記録の保存義務、接触手順の遵守、非対称性に関する追加説明義務、帰還後の報告会、共同統治層による事後レビュー、必要に応じた外部公開の制限、緊急時の即時撤収プロトコル、現地滞在中の自律判断範囲の明記、共同圏リソースの使用上限、対象文明の内部政治への不介入原則、記録媒体の改竄防止措置、対象個体への個別接触時の事前申告。書類の末尾には「その他、本申請書に記載のない事項については共同統治層運用規程第十二編を参照のこと」とあり、運用規程第十二編は私の知るかぎりでも千二百項目ある。

 

書いてあることはだいたいそんな感じで、私は通知を読みながら、やっぱり役所っぽいなと思った。

 

役所っぽい、という感想が出た時点で、私はかなり落ち着いていた。

 

地球へ行く。正確には、天の川銀河の外れにある旧居住文明の一惑星へ行く。書類の上ではそういうことになる。響きだけなら宇宙史的イベントなのに、実際の通知文は「承認後七周期以内に形態申請を完了してください」みたいな文で埋まっていた。七周期、というのは地球時間でだいたい九日ちょっとに相当する。共同圏では周期の方が自然な単位だが、地球側に翻訳するときに「九日」と書くか「七周期」と書くかで、もう既に文化摩擦が始まっている。

 

私は通知を閉じて、また開いた。

 

閉じて、また開いた。

 

嬉しい時に人がやる行動は、たぶん昔からそんなに変わらない。

 

通知が消えないかの確認。夢ではないかの確認。誤送信でないかの確認。私のような小市民は、いいことが起きたときにまず喜ぶより、取り消されないかを確かめる。幸運に対して失礼だと分かっていても、そういう癖は消えない。前世で大学に合格したときも、内定をもらったときも、私は真っ先に「ページを更新したら合格が不合格に変わっていないか」を確かめる人間だった。数百年経っても、そこは治らなかった。

 

その朝、住区の人工海は珍しく静かだった。

 

静か、というのは演出だ。実際には海面下で水循環の設備が動いているし、気圧の制御もされている。けれど、この海は「静かな朝」を再現するために作られているから、見える範囲では余計なうねりが消され、匂いも光量も薄く調整される。数百年暮らしていても、そういう手つきの丁寧さにたまに腹が立つ。そこまで親切にされると、自分の不安がちょっと安っぽく思えるからだ。

 

前世の日曜日の朝に、似ている。

 

布団の中でスマートフォンを開いて、特に用事はないのにメールとSNSを確認し、何も起きていないことを確かめて、少しだけほっとする。あの朝の感覚に、この海はよく似ていた。違うのは、私がもう起き上がる必要のない身体をしていることと、日曜日の朝が数百年続いていることだ。

 

私は海辺の縁に腰を下ろし、通知の末尾にある一文を読み返した。

 

**初回接触に用いる形態は、対象文明の心理・宗教・生物学的認識に配慮して選定してください。**

 

そこだけ、文字が妙に重かった。

 

形態。

 

要するに、見た目である。

 

私は昔から、見た目を決めるのが苦手だった。

 

地球にいた頃もそうだ。就活のスーツ、会社の私服、休日の服、髪型、化粧品売り場の前を素通りする罪悪感、でも急に頑張ると頑張ったことだけが見えてしまう怖さ。どれも苦手だった。おしゃれが嫌いというより、おしゃれには正解がないくせに、外した時だけ正解があるみたいな顔で周囲が見てくるのが嫌だった。

 

ファッション雑誌の表紙には「正解の秋コーデ」「好印象を作る五つのコツ」と書かれていた。正解がないはずのものに正解と書くあの文化を、私はよく覚えている。あの雑誌の言う正解の通りにしても褒められたことはなく、自己流にしても褒められたことはなく、褒められないという一点だけは正解だった。

 

その私が、今や他銀河文明との初回接触の外見を決めなければならない。

 

たぶん、向いていない。

 

でも、向いていないからといって、誰かが代わってくれる話でもなかった。

 

共同統治層との面談で、私は確かに聞かされていた。

 

あなたは偶然選ばれたのではない。旧居住文明の記憶と、共同圏の長期滞在経験と、辺境観測の継続履歴と、認知安定性の高さが一致したからだ、と。

 

言い方はもっと上品だったが、要するに「あなたが一番まだマシだから」ですらある。そう思うと気が重い。

 

自分がエースだと思っている人間は強いが、自分が消去法の生き残りだと思っている人間は、だいたい変に慎重になる。

 

私は慎重になった。

 

慎重になって、最初の三日で、十八種類の候補形態を試した。

 

 *

 

候補一。地球人そのまま。

 

却下。

 

見慣れているから安心感はある。あるが、それは同時に嘘でもある。私はもう完全な地球人ではないし、相手から見ても、どうやって天の川の外から来た存在が普通の地球人の姿をしているのかという別の気味悪さが出る。しかも、どこの地域の、どの年代の、どの性別表現に寄せるかで、余計な政治と文化の摩擦が増える。

 

地球人にとって「普通」は、だいたい普通ではない。

 

東アジア系で行けば、アフリカ系・南アジア系・中南米系の視聴者が違和感を覚える。北欧系で行けば、なぜ白人基準なのかという議論が即座に湧く。混血的な中間表現にすると、どの地域にも属さない見た目として逆に浮く。性別表現を曖昧にすると、今度はそれが「性別の政治化」として受け止められる。年齢を大人に振れば権威的に見え、若くすれば未熟に見え、中間に振れば結局どっちつかずになる。

 

どこへ振っても、誰かが怒るか、誰かが怖がるか、誰かが勝手に解釈する。

 

つまり、地球人の姿で地球へ行くのは、最も安全そうで最も危険な選択だった。

 

却下。

 

候補二。現共同圏での平均的な市民形態。

 

却下。

 

平均的といっても、地球から見れば十分に異形だった。輪郭は人に近いが、肌の透過、骨格比、視線の置き方、余剰感覚器の痕跡、全部が説明を必要とする。説明を必要とする見た目は、最初の一秒で失敗しやすい。地球のテレビ番組でも、画面にゲストが映った最初の一秒で視聴者の半分は好き嫌いを決める、と昔どこかで読んだ。他銀河相手に、その一秒を勝ちに行くのは、とにかく難しい。

 

候補三。完全な抽象体。

 

却下。

 

光の球、あるいは幾何学的な場のようなもの。共同統治層の一部はこれでも普通に会話できる。私もやれないことはない。だが地球側からすれば、宗教か災害かのどちらかに見える可能性が高い。しかも無機質な概念体ほど、人類は勝手に人格を盛る。優しい光なら救済者、冷たい光なら審判者。どちらも面倒だ。

 

しかも地球には、光の球が降りてくる映像をフィクションで数え切れないほど見てきた歴史がある。見覚えのある光が降りてきた瞬間、視聴者は「ああ、あれか」と記憶のどこかの棚から答えを取り出してしまう。その棚の中身は、こちらが用意したものではない。七十年代のSF映画だったり、新興宗教のパンフレットだったり、陰謀論チャンネルのサムネイル画像だったりする。

 

候補四。完全な機械体。

 

却下。

 

これは単純に嫌だった。

 

私は地球で、少なくとも最後まで生身の人間だった。便利さはともかく、初めて会う相手に「あなたの未来の最悪の予感みたいな見た目」で出て行きたくはない。AI恐怖も機械支配も、地球にはもう十分ある。わざわざ悪い意味で象徴を踏みに行くことはない。

 

ターミネーター風のシルエットで大統領府に現れて、第一声で「あなたたちの文化に関心があります」と言ったら、地球側がどういう表情をするか。私は容易に想像できた。想像できるから、やらない。

 

候補五から十七は、どれも細かい違いだ。

 

表情筋の可視性を増やす案。瞳孔収縮を地球仕様に寄せる案。体格を大人に振る案。中性的に寄せる案。翼状構造を消す案。翼状構造を装飾に見えるよう薄く残す案。耳介を丸くする案。髪色を暗くする案。肌を温色にする案。発声に息を多く混ぜる案。瞬きの間隔を地球仕様の0.3秒前後に揃える案。まつげの長さ。眉の角度。唇の湿度表現。

 

ひとつ試しては、鏡を見る。

 

違う。

 

また変える。

 

違う。

 

気づくと半日が終わっていた。

 

これはもう、あれだ。前世で婚活写真を撮るとき、スタジオで十七パターン試して最終的に最初のやつに戻る、あれ。就活の証明写真を、駅前の機械で八回撮り直して結局どれも同じ顔になるやつ。マッチングアプリのプロフ写真を、明るい所で撮って暗い所で撮って笑顔で撮って真顔で撮って、結局自分の顔が嫌になるやつ。

 

宇宙規模でそれをやっていた。

 

数百年生きて、共同圏の外交使節の見た目を決めている人間が、前世の駅前証明写真機と同じ挙動をしている。

 

住区の同期友人に相談しようかとも思ったが、やめた。向こうの「気にしすぎでは」という一言で崩れそうだったし、何より、他人に見た目の相談をするのは地球時代から苦手だった。たぶん、自分の恥ずかしさが先に露見するからだ。

 

一度だけ、同期のひとりと通信が繋がった。向こうは私の顔を見るなり、

 

「地球行き、決まったんだって」

 

と言った。声色は祝福というより、珍しいものを見る時の声だった。

 

「決まった」

 

「大変じゃない」

 

「うん」

 

「そう」

 

それだけだった。それ以上聞かれなかったし、それ以上答えなかった。

 

数百年付き合っていると、聞かないことが一番のいたわりになる場面がある。向こうも、それをわかっていた。

 

私は通信を切って、また鏡の前に戻った。

 

 

私は結局、自分の記憶の方へ戻った。

 

地球の記憶。しかも、子どもの頃から青年期までの、どうでもいい記憶の層だ。役に立つ知識ではなく、ネットの海で拾った画像、深夜アニメの宣伝絵、ゲームイベントのビジュアル、同人即売会のまとめ、動画サイトの切り抜き、SNSで流れてきた「こういう見た目好きでしょ」の集積。

 

それらの中に、ひとつの型があることを私は知っていた。

 

天使。エルフ。白い翼。少し長い耳。銀髪。淡い目。年齢不詳だけど若く見える。怖くないけど強そう。無害に見えるのに、人間ではないことは分かる。

 

私はそのイメージを思い出した時、正直ちょっと安心した。

 

ああ、これだ。

 

地球人はこういうのが好きだ。

 

好き、というのは乱暴だが、少なくとも見慣れている。完全な未知ではなく、過去にフィクションとして受け入れられてきた記号群だ。未知すぎない未知。怖すぎない異形。たぶん、そのくらいがいい。

 

今になって思えば、それがすでに甘かった。

 

地球人は「見たことがある形」にこそ、勝手な意味を山ほど背負わせる。天使なら宗教、エルフならファンタジー、美少女なら保護欲と性と年齢倫理、白い翼なら救済、無表情ならAI、不老なら搾取。既知の記号は安心を与えるが、そのぶん連想も暴走する。

 

未知は怖い。

 

しかし、「見たことがある未知」はもっと怖い。

 

なぜなら、見たことがある未知には、見た人の人生ぶんだけの解釈が既にこびりついているからだ。天使を見たカトリックの老人と、天使を同人誌で見慣れた二十代のオタクと、天使を悪魔と同一視する地域の少数派宗教徒では、同じ図像でも受け取りが違う。私はそれを、全員分引き受けなければならない。

 

でも、その時の私は本気で賢い選択だと思っていた。

 

懐かしい文化圏の記号を使う。警戒されすぎない。非人間性も残る。かわいい寄りだから攻撃的に見えない。地球のオタク文化は、何だかんだで人類共通の安全装置みたいなところがある。

 

そう思ってしまった。

 

どう考えても、元地球人の雑な判断だった。

 

オタク文化は安全装置ではない。オタク文化は、その文化に浸ってきた人間にとっての安全装置であって、それ以外の人間にとっては、むしろ理解不能な地雷原だ。銀髪で翼のある美少女を見て「ああ、いつものやつね」と思える人と、「魔性のものが来た」と思う人の比率を、私は完全に見誤っていた。

 

盛るという動詞は、たぶん、文明を問わず失敗する。

 

でも、その時はまだ分かっていなかった。

 

 

アバター工房は、住区の南側にある。

 

工房、と呼んでいるが、物理的な意味ではない。形態設計と表現補正を専門に扱う共同施設で、芸術家、医療者、劇場関係者、長距離観測者、儀礼担当者、変人、その他大勢が出入りしている。変人、という分類は公式ではないが、体感としてはだいたい合っている。

 

入り口の案内表示には、利用目的の例が並んでいる。舞台用仮形態。医療用代替形態。長距離観測用耐性形態。儀礼用象徴形態。記録再演用歴史形態。その下に、小さい文字で「その他特殊用途」の項がある。私の用件は、たぶんそこだ。

 

受付で目的を言うと、担当の個体が一瞬だけ静止した。

 

「初回接触用ですか」

 

「はい」

 

「対象文明は」

 

「旧居住文明。天の川銀河、第三腕、地球」

 

担当者は、沈黙した。

 

沈黙といっても、向こうの種族の標準的な処理時間かもしれない。だが私は、完全に「面倒な客が来た」と思われた感じがした。地球で窓口の人が書類を受け取った瞬間に、目線だけが奥の上司のほうへ動く、あの一瞬に似ていた。

 

「興味深い案件ですね」

 

「そうでしょうね……」

 

「追加の同意書をお願いします。対象文明が申請者の前世居住圏に該当するため、文化的利益相反の確認、記憶依拠の表現選択に関する宣誓、誤表現時の共同圏側の免責範囲、帰還後の記憶共有の程度、の四点です」

 

「はい」

 

同意書は、十四画面あった。

 

読み進めるうちに、私はだんだん「前世に帰省する人間の書類ってこんなに厚いのか」という気持ちになった。会社を辞めるとき、退職届以外にも健康保険の切り替えと年金手帳と離職票と雇用保険と住民税の精算と貸与物の返却リストがあって、それだけで辞めるのが嫌になりそうだった記憶を思い出した。

 

あれに似ている。

 

役所っぽい、というのは、文明を跨いでも通じる感覚らしい。

 

「どの程度の威圧性を許容しますか」

 

「威圧性」

 

「はい。未知文明との初回接触では、安心感と同じ程度に、非対称性の明示も重要です」

 

その言葉で、私は面談の最後に共同統治層から受けた助言を思い出した。

 

**必要以上に親しみやすく見せないこと。**

 

**友好と軽視は似た見た目を取ることがある。**

 

**あなたが侮られることは、あなた個人の問題ではなく、共同圏と地球双方の誤認につながる。**

 

あの時も思ったが、そこが私の一番苦手なところだった。

 

私は、自分一人の面子のためなら、たぶんいくらでも引ける。雑に扱われても、まあいいかで済ませられる。学生の頃も社会人の頃も、私は大体そうやって摩擦を減らしてきた。

 

でも「あなたが引くと後ろが迷惑する」と言われると、途端に硬くなる。

 

地球でもそうだった。自分が怒られるだけならまだいい。部署の顔だから、店の看板だから、家の代表だから、そう言われると余計に失敗できなくなる。

 

自分のためなら引けるが、代表の顔を持たされると引けない、という性格を、宇宙規模に拡張すると、たぶん事故になる。

 

今回も、それだった。

 

私は私のためではなく、地球にも共同圏にも迷惑をかけないために、ちゃんとして見えなければならない。

 

その発想が、すでに危うかった。

 

「安心感は必要です」

 

私は言った。

 

「でも、軽く見られるのは困ります」

 

「では、親和性と高位性の併存ですね」

 

担当者がさらっと言う。

 

高位性。

 

その単語だけで、急に話がややこしくなった。

 

私は高位存在ではない。少なくとも内心はそうだ。数百年生きていても、朝に通知を何度も開き直し、服で悩み、送信文面で後悔し、地球のジャンクフードを思い出して唾液分泌の再現設定をいじるような市民である。

 

先週、住区の共用食堂で席の取り合いに負けて、端っこの振動椅子に座らされた記憶もまだ新しい。あの椅子は古い規格で、座ると微妙に揺れるから、汁物がテーブルの上でさざ波を立てる。高位存在は、たぶんさざ波を立てない。

 

なのに見た目には高位性が必要。

 

矛盾している。

 

だが、外交というものは多分そういう矛盾の上に立っている。中身が追いつかないものを、先に形だけ作ってなんとかする。私は会社員時代にそれを散々見た。部長でも、課長でも、代表でも、最初から中身が完璧な人はいない。肩書きが先に来て、人はあとからその服の中に入る。

 

新入社員の名札も、そうだった。入社式の日に胸に付けた「○○株式会社」の名札は、中身が追いついていないのに、電車の中で見知らぬ人に軽く会釈をされたりする。人は名札の方を先に見る。中身を見るのは、だいたい後だ。

 

だったら、私もそうするしかない。

 

私はそこで、妙な決意をした。

 

自然体で行くのはやめよう。

 

ちゃんと、上の文明の使者らしく見せよう。

 

威厳。落ち着き。曖昧さ。必要以上に親しくしない。説明しすぎない。向こうから見て「少なくとも舐めていい相手ではない」と分かる形。

 

そうだ。

 

ロールプレイをすればいい。

 

私は得意ではないが、やったことがないわけではない。地球では誰だって、会社用の顔、実家用の顔、友達用の顔、店員に見せる顔、全部少し違う。つまりロールプレイの経験はある。今回はそれを宇宙規模に拡張するだけだ。

 

だけ、ではない。

 

全然だけではない。

 

でも、その時の私は勢いづいていた。

 

勢いづいた小市民ほど、危ないものはない。

 

 *

 

「形態候補を出します」

 

担当者が空間にいくつもの輪郭を浮かべる。

 

私は地球の記憶を参照しながら、それを削り、足し、また削った。

 

「耳は、もう少し長く」

 

「どの程度」

 

「人間に見間違えられない程度には。でも、滑稽にならない程度に」

 

担当者の指先が動き、耳介の先端が三ミリずつ伸びていく。どこかで、私は「これ、美容整形のシミュレーションと同じ動きだ」と思った。前世の雑誌の記事で見たことがある。鼻を高くする、目を大きくする、顎を細くする、その一ミリ単位の調整を、いま自分は他銀河文明相手にやっている。

 

「翼はどうしますか」

 

「完全な実用構造は、生々しすぎます」

 

「では、装飾寄りに」

 

「はい。でも、明らかに偽物には見えないように。触ったら本物だと感じるけれど、機能していないと分かる、くらいの」

 

担当者は少し沈黙した。たぶん「面倒な注文が来た」と思ったのだろう。それでも、一分もしないうちに、背中の白い翼状構造は、羽根の一枚一枚に微妙な透過度が乗り、見る角度によって実在感が揺らぐようになった。

 

「髪色は銀で確定ですか」

 

「はい」

 

「理由を」

 

「黒だと、地球人に近すぎて混乱が出ます。金だと、特定地域の記号に寄りすぎます。銀は、フィクションの中では記号化されていますが、現実にはあまり存在しない色なので、『実在するけれど人間ではない』を示しやすいと思います」

 

言いながら、自分で「この説明、プレゼン資料みたいだな」と思った。

 

前世の会社で、新商品のパッケージデザインを提案した時の自分を思い出す。根拠は後付けでいい。選んだ理由を整理してそれっぽく並べれば、会議は通る。私は、その小さな技能を、どうやら数百年持ち越してきたらしい。

 

「肌の色温度は」

 

「極端に白いと死体に見えます。かといって温色に寄せすぎると、地球のある年代のアニメ絵に寄りすぎます。中間で、ごくわずかに血色が残る程度に」

 

「瞳の色」

 

「淡い青か、淡い灰か、その中間。強い青は攻撃的に見えますし、強い灰は無機質に見えます」

 

「瞬き間隔」

 

「0.3秒周期で。地球人の平均値に合わせます。ただし、稀に長めの瞬きを混ぜてください。完全に規則的だと、機械に見えます」

 

「発声」

 

「息を多めに混ぜて。だが揺らしすぎないで。『疲れている人間』には聞こえないように」

 

担当者の指先が、細かい項目を順に固定していく。指定すればするほど、私は「これは自分の顔なのか、誰かの理想像の寄せ集めなのか」が分からなくなってきた。

 

プロフィール写真を何枚も加工していくうちに、元の顔が何だったか分からなくなる、あの感覚に似ていた。

 

そうやって詰めていくうちに、私はだんだん、自分が何を作っているのか分からなくなった。

 

地球のオタク文化を引きずった、共同圏製の外交アバター。

 

言葉にすると、かなり駄目である。

 

でも見た目だけ見ると、まとまっていた。

 

少なくとも私はそう思った。

 

「どうでしょう」

 

担当者が言う。

 

工房中央の鏡面に、完成候補が映る。

 

銀の髪。薄い青の目。少し長い耳。背中には白い翼のような構造。輪郭は細いが、不健康ではない。年齢は十三にも十七にも二十にも見える。見る側が勝手に解釈を乗せられる顔。

 

私は、しばらくそれを見た。

 

懐かしい、と思った。

 

前世の地球で、見たことがある顔だった。もちろん、そのままの人物はいない。いろんな記号の混合だ。でも、世界のどこかにこういう絵は確かにあった。深夜アニメのED、ライトノベルの表紙、ソーシャルゲームのガチャ画面、同人誌の表紙、ゲームセンターのフィギュアショーケース。全部の平均値みたいな顔。

 

「かわいくて、無害そう……かな」

 

私は自信なく言った。

 

担当者は、少しだけ困ったような気配を出した。

 

「無害そう、は初回接触における最重要項目ではありません」

 

「ですよね」

 

「ただ、敵意の不在は伝わりやすいでしょう」

 

「それなら」

 

「はい」

 

その「はい」に、私は勝手に許可を感じた。

 

いま思えば、向こうはただ「それでも構造上は成立する」と言っただけだったのだと思う。外交の正解を保証したわけではない。だが私は、緊張している時ほど、曖昧な肯定を都合よく受け取る癖がある。

 

地球でもそうだった。上司の「まあいいんじゃない」は、大体「責任は持たないけど好きにしろ」である。

 

その手の空気読みを、私は結局、死んでもやめられなかった。

 

 *

 

見た目が決まったら、次は挨拶だった。

 

ここで、私はさらに失敗する。

 

外見だけならまだよかった。少なくとも、誤解の方向は読めないまでも、意図自体は単純だ。怖がらせすぎない。だが軽くも見せない。そのために、懐かしい記号を使って人外感を調整する。

 

問題は言葉だった。

 

言葉は、私の中身が出る。

 

だから私は、中身を出さないようにした。

 

最初の草稿は、ひどかった。

 

**こんにちは。地球のみなさん。私は昔ここに住んでたことがあって、ちょっと見に来ました。**

 

論外である。

 

私は五秒で消した。

 

正直すぎる。軽すぎる。しかも地球由来を最初に出すと、地球側の内部政治と宗教を最悪の方向でかき回す。魂はあるのか、転生はあるのか、なぜ一人だけ戻るのか、どの地域の誰だったのか、なぜ選ばれたのか。質問が増えすぎる。

 

次の草稿。

 

**初めまして。あなたたちの文化に関心を持っています。可能であれば交流を。**

 

弱い。

 

弱い、という感想がすぐ出た。

 

この世界は今まさに共同統治層と承認のもとで他銀河接触を行っているのに、文面だけが国際交流イベントの挨拶みたいだ。地球側はたぶんパニックになるし、そのパニックの中心に立つ言葉としては頼りない。

 

自治体のホームページにありそうな文面。「このたびは当市姉妹都市交流事業にご関心をお寄せいただき、誠にありがとうございます」──あれの宇宙版。あれを読んで武装解除する国家は、たぶん、地球上に一つもない。

 

次。

 

**あなたたちの現在の通信環境と認知負荷を考慮し、この言語で開始します。**

 

あ、なんかそれっぽい。

 

私はその一文を書いた瞬間、少しだけ安心した。

 

ここから先は、わりと滑った。

 

**個体名は省略します。必要があれば後で伝えます。目的は救済でも取引でもありません。観察と交流です。主要兵器管制の一部を安全のため停止しました。破壊はしていません。復旧可能です。**

 

書いているうちに、だんだん気持ちよくなってきた。

 

危ない兆候である。

 

私は昔から、メールや文章を推敲しているうちに、内容の正しさより「それっぽさ」に酔う瞬間がある。会社の報告書でも、大学のレポートでも、SNSの長文でもそうだった。ちょっと硬い言い回しが決まると、全体が整っている気になってしまう。

 

前世で、退職届を書いたときも、実はそうだった。「一身上の都合により」という、たった九文字の定型句を書いた瞬間に、私は辞めることそのものより、その九文字の綺麗さに満足した記憶がある。あの時の自分と、いまの自分は、たぶん地続きだ。

 

今回も完全にそれだった。

 

しかも、共同統治層に「侮られないこと」「非対称性の管理」を言われている。そこへ小市民の処世術が混ざると、どうなるか。

 

過剰にちゃんとした文章ができる。

 

つまり、中二病全開の冷徹な高位存在ふう原稿である。

 

私はそれを書きながら、どこかで「いやちょっと堅すぎるかな」と思った。

 

思ったのに、削れなかった。

 

柔らかくすると、軽く見られる気がした。親しみを足すと、相手がこちらを同じ土俵の中へ入れてしまう気がした。ここで変に冗談や比喩を入れて、もしその場で地球のミサイルが飛んだらどうする。そう思うと、全部を硬くするしかなくなった。

 

怖かったのだと思う。

 

地球が。

 

違う。地球だけではない。自分が、その場の意味に押し潰されるのが怖かった。

 

だから私は、文章を硬くすることで、内心の柔らかさを隠そうとした。

 

営業用の敬語で震えを隠すみたいに。

 

しかも最後に、余計な一文まで入れた。

 

**必要なら、よく眠ることを推奨します。**

 

何だそれは。

 

今ならそう思う。

 

でもその時の私は、本気で少しだけ優しいことを入れたつもりだった。地球人は恐がるだろう。だから、命令ではなく助言を一個だけ置いておく。人間味は出さない。でも完全な機械でもない。そのくらいの温度がいい。

 

そんな都合のいい温度があるわけがない。

 

だが、その時の私は信じた。

 

数百年生きても、人は「ちょうどいい感じの空気」が作れると信じてしまう。作れた試しがないのに。

 

あとで分かることだが、この一文は地球側で一番議論を呼んだ。睡眠。助言。なぜ、他銀河文明の使節が、地球人に眠れと言うのか。思いやりなのか、鎮静作用のある電磁的信号の前触れなのか、催眠暗示なのか、単純な侮辱なのか。

 

正解はもちろん、どれでもない。

 

小市民の、余計なひと言。ただそれだけだ。

 

だが、全世界の前に置かれたひと言は、もう「ただそれだけ」では済まない。

 

* * *

 

送信前夜、私は原稿を百三回読み返した。

 

百三回は盛っていない。本当にそのくらい見た。途中で回数を数えるのをやめたから、もっと多いかもしれない。

 

文法の確認。訳語の確認。敬意の濃度。威圧の濃度。曖昧さの位置。武装停止の説明順。日付の明記。大統領府を最初の到着点にする合理性の書き方。世界中の画面へ同時送信する際の負荷分散。地域別翻訳の癖。宗教語に聞こえる単語の回避。逆に無機質すぎてAIと誤認される危険。

 

翻訳の癖、というのが一番厄介だった。

 

同じ単語が、地域によって違う意味の影を持つ。「使者」はある文化圏で宗教的、別の文化圏で政治的、また別の文化圏では宅配業者である。「観察」はある言語で中立的だが、別の言語では「監視」に近い語感を持つ。「交流」は穏やかだが、「接触」は警戒色が強い。「非対称性」は学術語だが、地域によっては経済用語として定着している。

 

百三回読み直しても、その地雷の全部は踏み抜けない。

 

送信前夜、私は一度、深呼吸のような動作をした。生身の呼吸ではないが、数百年かけて染みついた癖で、緊張すると胸の位置のセンサが息を吸う時間だけ止まる。

 

地球の、住宅街の窓から漏れる夜の光を思った。

 

夜中にコンビニへ行って、なんとなくおでんを見て、買わずに戻ってくるときの気分。明日の会議に出す資料を、もう何度も直しているのに、また開いてしまう感じ。直しても、どうせ会議で何か言われる。それでも開いてしまう、あの深夜の作業机。

 

宇宙船の観測窓の前で、私はたぶんそれと同じ顔をしていた。

 

最後の最後まで、私は原稿をいじった。

 

そこまでしても、安心はしなかった。

 

安心しなかったのに、止めもしなかった。

 

止める理由がなかったからではない。理由はあった。いっぱいあった。大役に向いていない。地球側がどう受け取るか読み切れない。共同圏の顔を背負う器ではない。元地球人という出自をどう扱うかも整理できていない。

 

なのに、止めなかった。

 

ここがたぶん、私の人格の一番面倒なところだ。

 

私は慎重なくせに、最後の最後で勢いを使う。

 

考えすぎて、疲れて、もうこれでいいだろう、と押す。地球にいた頃もそうだった。転職サイトの応募ボタン、深夜の長文メッセージ、退職届、引っ越し先の契約。迷って、迷って、最後は半ばやけくそで押す。

 

やけくそ、というのとも少し違う。疲労と希望が同時に閾値を超える感じだ。

 

たぶん私は、ちゃんと考える人間ではあるのだ。

 

ただ、ちゃんと考えたあとで、最後の一押しを勢いに任せる悪癖がある。

 

それが今回も出た。

 

 *

 

送信装置の前に座ったとき、私はもう引き返せないくらい準備していた。

 

世界規模ハンドシェイク。武装系統の一時セーフモード。言語選択。地域別同期。記録保存。帰還導線。翻訳キャッシュ。時間差配信の抑止。通信冗長化。傍受耐性。緊急中止コマンドの位置。全部整えてしまった。

 

整えてしまうと、人は逆に押すしかなくなる。

 

あれだけ用意して、やっぱやめます、は私の性格では無理だった。

 

共同圏の標準時で深夜。地球ではまだ金曜の朝に差しかかる地域が多い時刻。

 

私は最後に、自分のアバターを見た。

 

銀髪。淡い目。少し長い耳。白い翼のようなもの。

 

正直、かわいいと思った。

 

いや、本当に。

 

少なくとも悪意のある見た目ではない。地球人が完全未知を前に硬直するより、物語の中で一度は見たことがある記号で受け止めた方がいい。私はそう信じていた。

 

信じていたし、そこには前世のオタク文化への信頼があった。地球人は、よくも悪くもフィクションで訓練されている。だから現実が来ても、いったんフィクションの棚へ置いて受け止める。その棚の形をこちらで選んでやれば、衝撃は少し和らぐ。

 

今となっては、驚くほど傲慢だ。

 

私はフィクションの棚を選んでやれるほど、地球の文化を代表して理解しているわけではない。私が見てきたのは、前世の自分が偶然触れられた狭い範囲のオタク文化であって、地球全体の記号体系ではない。あの惑星には、私が一度も名前を聞いたことのない神話があり、私が一度も見たことのない女神像があり、私が一度も読んだことのない聖典があり、私が一度も訪れたことのない祝祭がある。

 

その全部を、私は「懐かしい」の一言で勝手に代表してしまった。

 

だが当時の私は、それを傲慢ではなく配慮だと思っていた。

 

配慮のつもりでやらかす。

 

これもまた、いかにも元地球人の失敗だった。

 

「本当にこれで行くの」

 

誰にともなく、私は言った。

 

もちろん誰も答えない。

 

答えないのに、私は勝手に「まあ、今さらだよね」と返した。

 

そういう独り言まで、昔のままだった。

 

送信直前、共同統治層からの最終確認が一件だけ入った。

 

**必要以上の恐怖を与えないこと。だが誤解による攻撃可能性には備えること。**

 

備えは、もう済ませていた。

 

地球の主要兵器管制と戦略通信の一部に、期間限定のセーフモードをかける。破壊しない。戻せる。撃たれないための最低限の処置。

 

私はそれを、善意の範囲だと思っていた。

 

ここも、今なら分かる。

 

善意という言葉ほど、力の差を隠すものはない。

 

でも当時は分からなかった。分からなかったから、私は押した。

 

 *

 

送信ボタンは、やっぱり小さかった。

 

宇宙史的には大事件なのに、指先の感触は妙に軽い。地球の動画投稿ボタンより少し重いくらいだ。軽いものほど取り返しがつかないのは、文明共通の仕様なのかもしれない。

 

私は一度だけ目を閉じた。

 

豆腐のことを思い出した。

 

死ぬ前日に冷蔵庫へ残してきた豆腐。賞味期限は、三日後だったはずだ。絹ごしか木綿か、そこだけが今になっても思い出せない。その下の段には、半分だけ使った長ねぎと、開封済みの味噌のパックがあった。誰かが捨てたのか、腐ったまま放置されたのか、それとも家族の誰かが使い切ってくれたのか、私はもう知る術を持たない。

 

横断歩道。信号は青だった。それは覚えている。

 

部屋干しのシャツ。ハンガーにかけたまま、畳まずに出かけた。

 

それらの記憶は、数百年経っても、妙に鮮明なままだった。大事な記憶ほど薄れて、どうでもいい記憶ほど残る。記憶というものの意地悪なところだ。

 

私は、その豆腐と横断歩道と部屋干しのシャツを抱えたまま、送信ボタンの前に座っていた。

 

他銀河文明の使節として。

 

その肩書きと、前世の冷蔵庫の中身は、どうやっても同じ人間の中に同時にあった。

 

それから、地球を見た。

 

見た、というのは比喩だ。実際には観測窓と送信系の補助表示が重なっただけだ。けれど私には、遠くの青い星へ視線を向けた感覚があった。

 

あの星には、いま、七十数億の人間がいる。起きている人、眠っている人、学校にいる人、職場にいる人、病院にいる人、結婚式を挙げている人、葬式に参列している人、まったく無関係に寝坊している人。

 

その全員の画面に、これから、私の顔が出る。

 

銀髪で、耳が長くて、翼のある、かわいいと自分で思ってしまったあの顔が。

 

「必要なら、よく眠ることを推奨します」という一文を添えて。

 

懐かしい。

 

ちょっと怖い。

 

たぶん、なんとかなる。

 

この三つが同時に来た。

 

だから押した。

 

次の瞬間、全世界の画面へ、私が作った“高位存在”が走っていった。

 

盛りすぎた挨拶文と、かわいくて無害そうだと信じたアバターと、善意のつもりのセーフモードを抱えたまま。

 

あとで地球がどれほど大騒ぎになるのか、この瞬間の私はまだ知らない。

 

大統領府の南庭に、どれほどの報道機関が張り付くことになるか。国連の緊急会合がどう招集されるか。各国の軍がDEFCONの階段を何段上がるか。バチカンが何を言い、モスクが何を掲げ、シナゴーグが何を祈るか。深夜の東京のコンビニで、何人の人が缶コーヒーを握ったまま画面を見つめるか。

 

私はまだ、何も知らなかった。

 

知らないくせに、送信完了の表示を見た直後、私は最初にこう思った。

 

誤字、なかったよね。

 

それが、数百年生きた私の本音だった。

 

数百年。観測員としての訓練。共同圏の長期滞在経験。辺境の記録業務。認知安定性の評価。全部を経由したあとで、送信直後に最初に出てきた思考が、誤字、なかったよね。

 

人間は、たぶん、どこまで行っても人間の延長である。

 

盛ったアバターも、硬すぎる文面も、余計な一文も、全部、その延長のうえで発生した。

 

配慮のつもりでやらかす。

 

配慮のつもりでやらかしたあとで、誤字の心配をする。

 

それが私の、初回接触の、最初の数秒だった。

 

観測窓の向こうで、遠い青い星が、いつもと同じ速度で自転していた。

 

まだ何も変わっていないように見えた。

 

実際にはもう、全部が変わり始めていた。

 

ただ、その変化は光の速度より遅く、私の自覚よりもずっと速かった。

 

私はもう一度、通知画面を閉じて、開いた。

 

閉じて、開いた。

 

癖は、やっぱり直らない。

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