これは、まともを強要する大人たちから逃げてきたはみ出しものの世界に馴染めない少年と少女が描く孤独で優しい静かな初恋のような物語。
※この物語は、ピノキオピー様の楽曲『きみも悪い人でよかった』から着想を得て執筆したオリジナル小説です。
また、AIと共作しています。初めて制作したので至らぬ所があれば申し訳ございません
-第一章『冷たい雨』-
この世界とは「つまらない」ものである。
窓の外を流れる雲も、黒板を叩くチョークの音も、隣の席で熱心に取り組むクラスメイトも。ぼくにとっては、ただそこにあるだけの出来事に過ぎない。
そう、これからのぼくの人生もまさに「つまらない」のだ。生きている理由は無いがわざわざ痛い思いをして死ぬ理由も無い。ただ泥のような退屈に足を取られたまま、今日という「つまらない」日をやり過ごしている。
ぼく、藤田 渚はそんなぬかるみに浸って考えていると無機質なチャイムが鳴り、今日最後の授業は終わりを告げた。
学校が終わったからといってこの退屈から解放される訳ではない。
家に帰り玄関のドアを開ければそこには別の「つまらない」が待っているだけだ。
いつもドアが重い。
「おかえり、渚。学校はどう?勉強、順調?」
重い扉を開けると母の声が届く。その声には、嫌味も打算もない。ただ、心からの期待がこもっている。父もそうだ。「お前は、俺たちのようにはなるなよ」と笑う。自分たちが果たせなかった「真っ当な人生」を、ぼくという器に流し込んで完成させようとしている。
両親は決して暴力や権威を振り回すような人たちではない。15年生きてそれは理解している。一人息子であるぼくを信じ、期待し、どんなことがあっても支えてくれるだろう。
ぼくという欠けた器に気づかないまま。
その事実が、何よりもぼくを蝕む。心底、嫌だった。
両親の善意はぼくの足元を固めるコンクリートだ。動けなくなるまで注ぎ込まれ、固まり、欠けたぼくごとこの場所から一歩も出られなくする。
彼らはぼくを愛していると言うけれど、見ているのは「ぼく」ではなく、彼らが夢見る「理想の藤田渚」でしかない。
居間から漏れるテレビの音も、夕食の匂いも、すべてがぼくを削っていく。家は居心地が悪くつまらない、学校よりも最悪な場所だ。
こんな事を思うぼくはどこへ行けばいいのだろうか。何をすればこの気持ちから解放されるのか。
分からなかった。
ぼくという存在が世界のどこにも繋がっていないような、透明だが、とても重く苦しい虚無が胸の中に広がっていく感覚。
いつの間にか父も帰ってきて三人で夕食を囲む。その感覚で支配されそうになったとき。気がつけばぼくは上着を掴んで外へ出ていた。
もちろん行き先なんてない。ただ、この陽だまりのような明るく、生ぬるい窒息から逃げ出したかった、解放されたかった。
外は雨が降っていた。
--
「...わかんないよ、そんなこと」
私が幼い頃、私の母は父に捨てられた。私を含めて。
母はそれ以来私に「将来」という名の正論を投げつけてくる。
私の人生を母の正論が塗りつぶし、押し潰してくる。
母は一人で娘を導くために止まる気配もなく、私の話を聞かず将来を投げつづける。
私は最初の頃はそれを避けて母に反抗していたがその度に母に押し潰され、今では反抗しなくなっていた。そう思っていた。
しかしその日、冷たい雨が降っていた日、私は限界だったのだ、苦しかったのだ。数年ぶりに母と口喧嘩し気がつけば、私は何も持たずに夜の街へ滑り出していた。母が並べる「将来」という名の正論を、私は雨音で塗りつぶしたかったから。
冷たい雨が容赦なく制服ごと私を濡らし重くしていく。けれどこの状況があの母の家で正論に塗りつぶされた私を洗い流してくれる。それはあそこで息を殺しているよりずっと自由だと思えた。
当てもなく歩く。光を避け、届かない路地裏へ入り込んだ時、そこに一人の男の子がいた。
私と同い年くらいのその子もびしょ濡れのまま、当てもなく歩いている。
まるで他の誰からも見つからない自分だけの場所を探しているように。そんな場所どこにもないと分かっていながら。
その様子を見ていたらその男の子がこちらに気づき、近寄ってくる。目の前にきて足を止める。雨のカーテン越しに視線が重なる。彼は低く、掠れた声で私に言った。
「...雨宿り、するか」
初めて会った見ず知らずの男の子、けれど多分私と同じこの世界からのはみ出しもの。彼の提案に私は吸い込まれるように頷いていた。
彼は私の手を掴み無理矢理引っ張った。
でも私は嫌ではなく、むしろ彼の手のひらの暖かさに心地良さを感じていた。
適当な軒下を見つけ、ぼくらは並んで腰を下ろしていた。
雨宿りさせるために掴んだ驚くほど冷たい彼女の手を握ったまま。
狭いこの空間に雨の匂いと確かな二人の呼吸の音がする。手から体温が混ざる。
隣にいる女の子の名前も、なぜここにいるのかも、ぼくはなにも知らない。けれど、彼女の肩が小さく震えるのを見て、この二人だけの狭い空間を通してぼくは自分がさっきまで感じていた「窒息感」が、少しだけ和らぐのを感じた気がした。そして口を開ける。
「...そういえばなんで君はこんな時間にあんな所にいたんだ?」
ぼくの質問に返事は無かった。沈黙が流れる。けどそれは悪いことじゃない。誰だって言いたくないこともある、それはぼくだってそうだ。
「まあ...どうでもいいけどさ」
「...たの...」
初めて小さな声が聞こえた。
「......家出したの。居心地が悪くて」
「お母さんがさ...進路はどうとか、将来はどうとか...。わかんないよそんなこと。私は今で精一杯なのにさ」
将来と言う言葉を口にした彼女の身体は寒さのせいか分からないけどわずかに震えていた。
「...将来、か」
ぼくは彼女の言ったその言葉を口の中で転がし噛み締めてみた。苦くて、硬くて、ちっとも美味くない。そして不安だ。
「大人ってさ!勝手にぼくたちのレールを敷いてここを歩けって強要してくるだろ。その先は霧だらけで何も見えないのに。二度と這い上がれない崖で落ちてしまうかもしれないのに。」
ぼくがそう言うと彼女は少し笑って震えも少し小さくなった気がした。
「...あんたも、変な人だね」
ぼくは彼女の笑顔に驚きながらもそれを隠して
「かもな。でもまともな人はこんな時間にこの雨の中、路地裏なんて歩かないだろ」
ぼくのその言葉の後、二人は顔を合わせる。雨の音にかき消されそうな小さな、でも確かな笑い声が漏れていた。
陽だまりからはみ出したぼくらだけが知っている心地よい温度。
「ねえ」と彼女が言った。「もう少しだけここにいようよ。」「この雨、止まなければいいのに...」
その後ぼくたち変な人二人はお互い何も話さず雨の音を聞いていた。
すると彼女がぼくを見て言った。
「秘密の場所探しの続きをしようか」
そうして二人で手を繋いだまま、雨に打たれながら、路地裏から出て街中を歩いた。
普段は見慣れた明る過ぎてうっとおしい街が雨のせいか夜のせいか彼女のおかげか分からないが全く別物に見えた。
「つまらない」はずの世界が少しよそよそしくなった気がする。それがひどく心地よかった。心地良さに身を任せ二人で歩いた。
それでもぼくらが求める場所はどこまで歩いてもどこにもなかった。
もちろん最初から知っていた。多分、彼女も。
お互いの体温が冷めたことが手からも分かる。そして冷静になっていく。
二人は手を離してそれぞれ本来の世界に帰る。
彼女は最後にこちらを見て、少しだけ寂しそうに笑いながら言った。
気がした。正直暗くてあまり分からなかった。
「ばいばい、変な人」
その言葉に少し悲しい気持ちを誤魔化すように「じゃあ」と短く返し別れた。今晩のことはきっと夢なんだと無理やり自分に言い聞かせた。
だって、そうでなければ明日からの続く「つまらない」を、また一人で歩く自信がなかったから。
-第二章『おはよう、共犯者』-
何事も無かったかのように別れ夢から覚めた次の日、学校の同じ教室に彼女はいた。お互いに目が合いふと声が漏れる。
「「あっ」」
動きが止まる。まるで時間が止まったように。昨日の出来事を思い出し改めて彼女と昨晩は一緒に過ごしたのだと自覚した。昨日の静かな冷たい雨は嘘のように心臓の鼓動は激しく、うるさく、熱くなっていく。どうやらそれは目の前の彼女も同じだったらしい。
少しの沈黙が続くなか彼女は小さな声で話し始めた
「あんた...同じクラスだったんだね」
ぼくも同じことを思っていた
「そうみたい。興味なかったから気づかなかった。」
すると彼女は少し口角を上げ笑いながら言った
「あんたも私と同じなんだ」「じゃあ雫、よろしくね」
雫...。その名前を聞いた時、昨日の雨を思い出した。あの夜と同じく冷たい雨のようなそしてアスファルトに打たれて消えてしまうような響き、恐らく彼女の名前だろう。
「あんたの名前は?」
彼女はぼくに問いかける
ぼくもきっと小さな声で答えただろう
「渚...。どこにも辿り着けない。満ちては引く波のように、ただつまらない毎日を反復している。そんな名前」
ひどい自己紹介だ。だが、自分の名前がこれほどまでに今の自分を言い当てていると思ったことはない。
「渚ね。ふっ、変なやつ」
「そっちこそ」
ぼくらはお互い苗字ではなく名前を教えあった。多分彼女も嫌でも家族との繋がりを実感する苗字があまり好きではないのだろう。なぜならこのように、ぼくらはまだ陽だまりからはみ出したままだから。
そして二人であの夜、家に帰って酷く怒られた話をしてお互いの笑い声がその場に響いた。クラスメイトの喧騒をかき消すほど。
「一ノ瀬、藤田、うるさいぞ」
先生の声でお互いにもう朝のHRの時間だと気づいた。その無機質な声が、ぼくらを苗字という檻に引き戻す。
そうしていつもの「つまらない」世界が再開するが今日からは少し違った。
ぼくら二人は無機質なチャイムが鳴り、今日最後の授業は終わりを告げるまで話さなかった。そして終わりを告げたあと教室から人が消えるまで席に座って待っていた。普段なら誰よりも早く教室から出ていくのに。
教室から喧騒が引いていく。
椅子を引きずる音、誰かの笑い声、廊下を駆けていく足音。それらが遠ざかるたびに、教室の空気は少しずつ澄んで、ぼくと雫だけの別世界に変わっていくようだった。
人がいなくなったのはチャイムから一時間後だった。当たり前だが二人とも部活なんてものはやっていない。
誰もいなくなった教室に、夕陽が長く伸び二人を照らす。うっとおしいが今はいい。
「...渚」
雫がぼくを呼んだ。その声にぼくはすぐさま反応した
「なに、雫」
ぼくは再びその響きを噛み締める。
そうしてぼくと雫は二人で朝の続きを話した。
藤田渚と一ノ瀬雫、その名前を捨てお互いに渚と雫として呼び合う。
「渚と話していると、ここが学校じゃないみたい」
そう言って笑う彼女の横顔をぼくは静かに見つめていた。
時間が経ち、そしてぼくたちは教室を出て、容赦なく世界を我が物顔でオレンジ色に染める夕陽をみながら二人で帰り道を歩いていた。
「夕陽、きれいだね」
雫が話し始めた。
「でも私は夕陽が嫌い。明日が来る合図みたいで忌々しい。」
ぼくもその意見に同意だった。
しかし、雫を照らすその光は彼女のやわらかい輪郭を少しだけ曖昧にして彼女をよりきれいに見せているように見えたと同時に彼女を連れ去ってしまいそうに思えた。
「たしかにきれいだね。だけどぼくも嫌いだよ。雫と全く同じ理由で」
けれど、初めてこの「つまらない」世界の夕陽が心からきれいに思えた。
「やっぱり、似たもの同士かもね」
雫がよくわからない表情で言う。そして言葉を続ける。
「私は親のせいにしたくないしそうしても納得できないし救われないと思う。誰も私の人生の責任を取ってはくれない。私の人生は私のもの。だから私が決めるの」
全く違う話に驚いたが雫の真剣な表情を見てぼくは少しだけ雫のことを察した。
「いいね。崖から落ちそうで」
ぼくも真剣に答えた。
「まあ、誰かに押されて落ちるよりは自分で足を踏み外す方がまだましでしょ」
その彼女の言葉にぼくはただ、彼女の横顔を見つめて言った。
「ぼくも一緒に落ちるか」
「...なに急にきも」
雫は素っ気なく視線を逸らした。
影が長く伸びて、ぼくと雫の境界線を曖昧にしていく。
相変わらず夕陽は、はみ出しものの二人を
世界の終わりみたいな色で等しく照らし続けていた。
雫と別れ、ぼくは家に着く。
いつも重いドア、でも今日は少し軽く感じた。
明日が来る合図から逃げるようにぼくは家に入る。そこで生ぬるい窒息が待っていても。
「おかえり、渚。今日は随分と遅かったのね?」
今日も母の声が届く。
「授業で分からないところを先生に聞いてた」
ぼくは反射的に嘘をついた。その嘘は驚くほど滑らかで、それでいて泥のように不味かった。そんなぼくの嘘を母は疑う素振りもなく信じた。それが更に苦しかった。
「そうか。勉強熱心だな渚は」
父の声だ、ぼくより先に帰っていた。初めてのことだ、ぼくの方が遅いなんて。
父が新聞から顔を上げ、眩しいものを見るような目でぼくを見る。少しでも疑ってほしかった。問い詰めてほしかった。嘘をつくなと怒鳴られた方が、よっぽど救われたかもしれない。
夕食の時間、恐らく両親は楽しそうにぼくの器を完成させる話をしていたと思う。ぼくは適当に相槌を打ちながら、この苦しみから逃げるために早く食べ終え自分の部屋へ駆け込んだ。
部屋でベットに死ぬように倒れ込む。
雫は今頃、何をしているのだろうか...。
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渚と別れ、家に帰る。帰りたくなかったが今の私はここに帰るしかない。
昨日の夜、母に嵐のように怒鳴られた。それは私に対してではなく「一ノ瀬雫」という十五歳の女の子の将来に向けての怒りだった。うんざりした。
でも、渚にその話をした時は自然に笑顔になり笑いがこぼれた。
今日も帰りが遅いことに得意の正論を投げつけてくると思っていた。
「おかえりなさい。...で、今日はどこの誰と、何の用事で遅くなったの?」
母の声は低く、驚くほど冷静だった。
「進路相談してた。先生に」
私は嘘をついた。母に対して初めての嘘。
母はそれが嘘だとすぐに気づいただろう。
しかし、今日の母は落ちついていた。嫌だ。
「先生に、ね。...分かったわ。明日確認してみる」
その一言に私の心臓は冷たく跳ね上がる気がした。冷や汗が止まらない。誤魔化すようにお風呂に逃亡し、形だけの食事を取り部屋に閉じこもった。
味なんてしなかった、いつもの事だ。
ああ、渚と話したい。こんなことなら連絡先くらい交換すべきだったな...。
私は先のことを、明日のことを考えたくなくて、死ぬように眠った。
-第三章『逃避行』-
翌日、ぼくはかつてないほど重い足で学校に向かった。
両親の「勉強熱心だな」という期待と、雫の横顔が頭の中で何度も入れ替わる。
早く雫と会いたい。
教室に入り、自分の席に座る。ほどなくして、雫が教室に入ってきた。
あの夜より顔色が白く、その瞳には隠しきれない焦燥が浮かんでおり、周りは腫れている。
そんな彼女と目が合う。
昨日のような「あっ」という無邪気な驚きはない。
お互いに、首を絞める縄が背後にぶら下がっていることを察していた。
雫がぼくのそばを通り過ぎる際、聞き取れないほど小さな声で呟いた。
「...渚、やばいかも。助けて」
ぼくはなにも答えられなかった。
窓の外は、今にも泣き出しそうな曇り空が広がっていた。
昨日とは違い朝のHRまでがとても長く感じた。それで良かった。永遠に来ないで欲しかった
教室の扉が開く。
「みんなおはよう。一ノ瀬、藤田、HRが終わったら職員室に来い」
昨日とは違い無機質ではなく感情のこもった声が脳内を駆け巡り反射する。いつの間にかHRは終わっていた。
ぼくと雫は学校がいつもより居心地が悪くなり目を合わせ、周りの目を気にせずに学校を飛び出した。
冷たい曇り空の下、肩で息をしながら二人であの夜の路地裏を目指す。
あの日と違うのは朝なこと、雨が降っていないこと、そしてお互いの名前をしっていること、そしてお互いの悪い所を知っていること。
走りながら雫が少しだけ震えた声で言った。
「大人に内緒で学校抜けちゃったね。悪人だ」
声は確かに震えていたが雫は今までで一番の笑顔で言っていた。
「共犯だな」
ぼくは短く言葉を返します。
あの日の路地裏に着き、あの夜と同じように手を握り軒下で腰を下ろす。
学校や家に戻った時のことなど雫と握っている手のひらの心地良さに比べればどうでもよかった。
二人は肩で呼吸をしていたが少しづつ落ち着きを取り戻し、雫が口を開けた。
「...渚。私、もうあの家に帰りたくない。あんな所にいると私が私じゃ無くなっちゃう。お母さんの所有物としてお母さんに管理されながら生きていくしか無くなるの。そんなの絶対に嫌だ」
雫の瞳がコンクリートの地面に落ちる。雫は頭をぼくの肩に乗せた。
「ぼくもあの家にいると両親の望むぼくにしかなれない。限界なんだ...。それならこの路地裏で雫と一緒に朽ちていく方がましだよ」
雫は嬉しそうに口角を上げた。
「渚といると楽。全部話さなくても分かってくれるし」
「...別に分かってないよ。雫のことなんて、何一つも」
突き放すようなぼくの言葉に対して、雫は更に少しだけ口角を上げたように見えた。
「それでいいの。わかったフリで無理に共感される方が無理。うざいし一番死にたくなるから」
走り終えたぼくらの肺は、冷たい空気を吸い込んで痛いほどに熱い。
でも、その痛みだけが、今この瞬間、ぼくらが誰かの所有物でもない「自分自身」であることを証明していた。
雫の頭の重みが、肩を通じてぼくの体温に溶けていく。
「...ねえ、渚。もしこのまま、世界が止まってくれたらいいのにね」
雫がそう呟いたとき、遠くでパトカーか分からないが何かのサイレンの音が聞こえた気がした。
きっと、ぼくらを探すまともな世界の、はみ出しものじゃない大人たちがすぐそこまで来ている。
「...どうしようか、雫」
ぼくが問いかける。すると雫はぼくの制服の袖をぎゅっと掴んだ。
「どうもしないよ...。私たちは私たちの世界にいる。ただそこにいるだけ。こうやって二人で...」
ぼくは頷いた。
足元に広がる泥のような退屈も、窒息しそうな期待も、今は遠い別の星の出来事のようだ。
ぼくらが再び学校に行き始めたのはあれから三日後、あの日ぼくらは警察に見つかり事情聴取を受けた。警察署の冷たい椅子に座らされていた時間のことは、霧がかかったように曖昧だ。
常に大人たちの善意という名の刃物が飛び交っていた気がする。
でも、ぼくの頭の中は隣の部屋で同じように責められているであろう雫の笑顔と、体温と、透き通った声だけだった。
そして三日間、家という名の牢獄に閉じ込められた。
母は泣き崩れ、父は失望を隠そうともしなかった。両親が注ぎ続けてきた「藤田渚」という器にヒビが入り、砕けた音が家中に響いていた。
でも、心は軽かったし前よりも居心地が良かった。壊れた器を直すのは簡単じゃない。なら、もうまともな人のふりはしなくていい。
ぼくと雫はその間、隠れてメッセージを送りあった。
最初はお互いの立場の確認だったが、だんだん今日あった嫌なことやテレビでやっていた野暮なニュースに一緒にムカついたり、駄作のアニメをみて笑いあったりした。そこで雫の家のことを知った。
三日ぶりに登校したぼくの足はとても軽かった。それとは逆に学校の空気は、ぼくらを更に異物として扱っていった。
廊下を歩けば視線が刺さり、ひそひそ話が波のように押し寄せ、叩きつけられる。
でも、そんな喧騒をかき消すように、教室の入り口で彼女と目が合った。
彼女は前よりも少し痩せていたように見えた。けれど、その瞳はかつてないほど輝いていて澄んでいた。
「...おはよう。共犯者」
雫はぼくのそばを通り過ぎる際に誰にも聞こえない透き通った声で呟いた。
その一言で、ぼくの世界は色を取り戻した。
「おはよう、共犯者」
ぼくも誰にも聞こえないように呟いた。
大人たちはぼくらを徹底的に引き剥がした。席は前よりも遠い教室の端と端にされ、休み時間も監視され接触を禁じられた。それでもぼくらは未成年だからか、世間では大事な時期だったからか、無機質なチャイムが鳴り、今日最後の授業は終わりを告げると自由だった。
ぼくらの親は帰りが遅くても気にしなくなった。もちろん納得はしていないだろうが今回の件で諦めたのだろう。
ぼくらはみ出しものからしたら好都合だった。
ぼくらは学校が終わるとあの夜の、あの日の路地裏、そこは大人に見つかったが、冷たい雨の日にぼくらが探していた「秘密の場所」になっていた。毎日、そこに行き話すようになった。
そんな渚と雫の日常を数日間過ごした。
何をするわけでもない。ただ、並んで座ってコンビニで買った適当な安っぽいアイスを分け合ったり、スマホから流れてくる世の中の正論を片っ端から笑いあったりした。
そうしてある日、路地裏から家に向かう帰り道でぼくらは初めて会った夜のことを夢ではなく、大切な思い出として話し始めた。
雫は振り返りぼくを見ながら言った。
「そういえば私が渚と初めて会った時、こいつは私と同じなんだ。私と同じで大人が決める普通にはなれなくて陽だまりを避けながらこの先の見えない暗い道を歩いてるんだってすぐ分かったよ」
彼女は口を開けて笑いながら話した。
ぼくは疑問に思い、すぐさま質問する
「なんで分かったの?」
彼女はどこか得意気に鼻息を荒くし、答えた。
「匂いだよ。私と同じ匂いがした。孤独で悲しくてつまらない匂い」
「は?...何それ...どんな匂い?」
雫は前を歩く足を止め、ぼくに顔を彼女の首元に近づかせるように要求する。
ぼくは仕方なく顔を雫の首元に近づけた。
普通なら年頃の異性との距離感にドキドキするのだろうがそんな感情は今のぼくには無い。いや、好意的な異性に対してはそのような感情も湧くのだろうか?だが確実に、雫には湧かない。
そして困惑しているぼくに対して雫はこの行動の意味を伝える
「こんな匂いだよ」
石けんの香りでも、ましてや香水の匂いでもない。ぼくには何も分からなかったが、改めてこいつはぼくと変わらない悪い人なんだと実感し、安心した。
「全然わかんない。風呂に入ってないやつの匂いか?」
「最悪。渚、二度と私に近づかないで」
彼女はさっきまでの機嫌が嘘みたいに言葉を放った。
「冗談だって、ごめん」
雫に怒られながらぼくは彼女の背中の数歩後ろを遅れて追った。
実際、匂いなんて分からなかった。
でも、彼女の肌に近い場所の空気はあの日の夜の路地裏と同じくらいひんやりとしていて、心地よかった。
「おい、待てよ。冗談だって、謝るからさ」
「やだ。渚は一生、つまらない匂いに包まれて一人で死んじゃえばいいんだ」
「それは雫も同じだろ」
そう言うと、前を歩く彼女の肩が、可笑しそうに少しだけ揺れた。
-第四章『君と落ちる雨』-
しかし、ぼくと雫の日常は善意の刃によって切り裂かれた。
どうやら、雫の親とぼくの親が話し合いという名の裁判で善意を投げつけてくることにしたらしい。
めんどくさい。
スマホは没収され、学校が終わるとぼくらの親が教室に押しかけて無理やり迎えに来る。
先生と親が何かを言い争っていたが分からない。
ぼくは前よりも息が詰まり、泥に溺れていく。
「逃げても意味はないよ、雫」
ぼくがそう言ったとき、雫は強く言葉を発した。
「やだ、一緒に逃げようよ」
逃げる...、無理だよそんなの。ぼくはもう苦しかった。
「無理。」
ぼくの言葉に対し、彼女はかつてないほど鋭い視線でぼくを射抜いた。
「渚! 自分で決めなよ!人に勝手に決められるくらいなら、自分で足を踏み外した方がましでしょ!」
それが雫との最後のやり取りだった。
それから数日間、ぼくの壊れかけだった器は固め直され前よりも執拗に善意を注がれた。まともな息子「藤田渚」を完成させるために。
両親はあんなことがあってもぼくを見ようとしなかった。
ぼくが起こした反逆を若さ故の過ちとして寛大に、慈悲深く許してくれた。それこそがぼくの首を締め付ける。
「大丈夫よ、渚。誰だって迷う時期はあるわ。あの子が悪いのよね。お父さんもお母さんもあなたの味方だからね」
母の笑顔がぼくの足元のコンクリートを更に強固にしていく。ぼくを愛していると言うけれど、この人たちが見ているのは等身大のぼくではなく理想の息子の幻影だ。ぼくがどれだけ悲鳴をあげてもその声は期待という膜にすら届かない。
それに雫を汚された。
ぼくを唯一、ぼくとして受け入れてくれた雫を。
それからぼくは、雫のことは考えなかった。
思い出すと死んでしまいそうだったから...
彼女のいない世界はずっと静かで、グロテスクだった。
もう何も考えたくない。
泥に包まれたある日、あの初めて雫と会った夜と同じ、冷たい雨が降り始めた夜。
ぼくの体は考えるより先に動いていた。
鉄のドアをこじ開ける。
監視の目を盗み、あの時と同じくずぶ濡れになりながらたどり着いた路地裏。
もう来ないと決めていたのに。もう来ないはずだったのに。約束をしていない、誰も居ないはずのその場所に、一人の人影があった。
軒下に座る彼女を見つけたとき、ぼくの心臓は学校で初めて会った時と同じように激しく、うるさく、熱く脈打った。
雨音が遠のく。
「...また、雨だね」
雫が顔を上げずに言った。
「...うん」
「つまらないね、世界」
「うん」
「でも、前よりちょっとまし」
彼女の隣に腰を下ろす。肩が触れ、湿った服の冷たさが伝わってくる。
あの日と同じ、湿ったアスファルトの匂い。
「...ねえ、渚」
雫がぼくの肩に頭を乗せた。その重みがただただ心地よかった。そして彼女は暗い夜空を見て言った。
「どっちかがもう少しまともな人間ならさ、残された片方は今頃ひとりぼっちだったかもしれないね...」
雨音に混じって、彼女の透き通った声が、ぼくの胸の空洞に染み込んでいく。
「...だから、二人とも変な人で悪い人で良かったね」
ぼくは何も言わず、彼女の手を握った。
あの日と同じ、驚くほど冷たい。でも、その奥にある確かな熱がぼくをこの世界に繋ぎ止めてくれる。
雫。
ぼくらは明日、また大人たちに連れ戻され、ひどく叱られてもっと厳しい正論に押しつぶされるだろう。
この秘密の場所でさえいつか侵食されコンクリートで埋め尽くされてしまうかもしれない。
でも、もう大丈夫。
ぼくは雫と一緒に悪いはみ出しものとして生きることを決めた。
この泥のような「つまらない」世界で君を探し、生きていくと決めたんだ。
霧だらけの将来なんていらない。
崖から落ちる瞬間まで君のとなりでこの窒息の中でも君と笑いあっていたい。
ぼくは、二度と辿り着けない渚のままでいい。
一瞬で消えてしまいそうな雫を、この手の感じていられるのなら。
降り続く雨音と暗い夜空がぼくの静かな初恋を祝福する。
「...ああ。君を好きで、本当によかった」
ぼくらはただお互いの体温だけを信じていた。
-エピローグ-
「...またここ?」
ぼくは呆れた声で言った。
そこは、使われていない旧校舎の非常階段の踊り場。大人たちの視線も、クラスメイトの喧騒も届かない、ぼくらの新しい「秘密の場所」だ。
「ここが一番つまらない匂いがして落ち着くから!」
彼女は笑顔でそう答え、ぼくの隣に当たり前のように腰を下ろし手を握った。
中学の時よりも少し長くなった紺色のスカートが、コンクリートの上で広がる。
高校生になったぼくらは地元の公立校にいた。
離れなさいとあんなに必死だった親たちも、ぼくらが同じ高校に受かってしまった時は、毒気を抜かれたように黙り込んだ。
少しだけ痛快だった。
今でもあの子とは関わるなという無言の圧力は感じるけれど、あの頃の時のような窒息しそうな監視はない。彼らは、ぼくらが「まともなフリ」を覚えたのだと勘違いしているらしい。
実際にはぼくらはただ、化けるのが上手くなっただけなのに。
「渚、さっきの授業の進路希望調査、なんて書いた?」
「白紙で出した」
「あはは、最悪。あの担任、顔真っ赤にして怒るよー」
雫が笑う。その笑顔はあの頃見た時よりもずっと、自由で、わがままだ。
ぼくらは相変わらず霧だらけの将来には興味が無い。
崖から落ちるのを待つのではなく、ただ流れる雲を雫と一緒に眺めている時間。それが全てだった。
時間も経ち、不意に空から夕陽が相変わらず我が物顔で照らす。
「あ...」
雫が空を仰ぐ。
かつてきれいと言っていながらも嫌っていた夕陽、「明日が来る合図」は今はぼくらの大切な時間を祝福するカーテンのように感じられる。
「ねえ、渚。あの時の匂い、まだする?」
雫がいたずらっぽく笑って、ぼくの方に少しだけ肩を寄せる。
ぼくは、彼女の首元から漂う、ひんやりとした、でも確かな体温の混じった心地よい空気を感じた。
「...全然分かんない。香水変えた?」
ぼくは冗談を言いつつ嘘をついた。
本当はあの頃よりもずっと濃く、深く、鋭くぼくの体に溶け込んでいる。
孤独で悲しくて今にも息が詰まりそうな、でもどうしよもなく愛おしい悪い人の匂い。
「...嘘つき、渚のばか」
雫はぼくの嘘を見透かしたように笑い、より強くぼくの手を握った。
ぼくの隣には、同じ歩幅で一緒に歩んでくれる雫がいるのだから。それだけでこの「つまらない」世界を、悪くないと思えた。
読んでいただき、ありがとうございます。
誤字、脱字あればごめんなさい