好きな女の子を守るために強くなった結果、何故か彼女を曇らせてしまった 作:えしゅろん
「――中間結果を見るための任務の日にちが決まった」
数日後、僕らはまたユリア教官に呼び出された。
どうやら大体の調べがついたのか、かなり詳細な作戦内容まで決まったらしい。
「以前にも言った廃棄指定区域の件だが、そこでヘラルドがネストを形成している可能性が高い」
ユリア教官が端末を操作すると、ブリーフィングルーム中央に荒野の立体マップが表示された。
僕はそれを見ながら、以前見たデータと照合する。低ランクヘラルドの反応点は前回より増えている。赤い光が複数の塊を作り、その中心部に黒く塗り潰されたような領域があった。おそらく調査ドローンがロストした範囲だろう。なるほど……こりゃ厄介そうだ。
「ネストって、低ランクが増殖するための巣だったわよね」
メイリンが確認するように言った。
「そうだ。グレード1から2程度のヘラルドが、資材や生体反応を取り込みながら自己増殖を行うための拠点だ。小規模なうちは処理も難しくないが、放置すれば一日で数百体規模まで膨れ上がる。最悪の場合、巨大なネストへ成長し、周辺一帯をヘラルドの生産地に変える」
「面倒くさいんだよな……ネストの処理って……やれやれ」
ジャックが顔をしかめる。
フィーナは端末を操作しながら、眠そうな目を少しだけ細めていた。
「低ランクだけでも数が増えれば一般兵には地獄。外縁部に流れ込んだら、避難誘導だけで手一杯になる」
「その通りだ」
ユリア教官は淡々と頷いた。
「このまま放置すれば、アルタ外縁部がヘラルドで埋め尽くされる可能性がある。よって今回は、ネストの位置特定および破壊を最優先とする。悠長な観測任務ではない。手っ取り早く、確実に処理する必要がある」
手っ取り早く、確実に処理。
ん〜……実に分かりやすい。
「予想以上に、猶予はなさそうですね」
僕は隣に座るセリアの顔を見る。
表情筋の緊張、呼吸の間隔、瞬きの頻度、声の揺れ。再会直後と比較すると、精神状態は明らかに良好だ。初日のセリアは、僕を見るたびに胃の内容物が逆流しそうな顔をしていた。今も時々痛そうな顔をするけれど、少なくとも会議中に崩れる兆候はない。
良かった! セリアは改善している!
僕はちゃんと役割を全う出来ている。
「セリア、体調は安定している?」
「え? うん、大丈夫だけど……急にどうしたの?」
「今の君は、初日よりも呼吸が安定している。声の震えも少ない。任務前の緊張としては正常範囲だと思う」
「そ、そう……?」
セリアは困ったように笑った。
その顔を見る限り、僕の指摘は少し唐突だったらしい。なるほど、会議中に相手の生体反応について感想を述べるのは、適切な会話ではない可能性がある。覚えておこう。
「ライル、そういうのは心配しているなら、もう少し柔らかく言いなさい」
メイリンが呆れたように言う。
「柔らかく……? 表現としては特に間違ってはないはずだが……」
「たとえば、無理しないでね、とか」
「なるほど――セリア、無理しないでね」
「うん。ありがとう、ライル」
今度は少しだけ嬉しそうに笑うセリア。
指示通りに言い換えた結果、反応が改善した。メイリンの助言は有効だ……記録しておこう。
それにしても、ブルーコメットの空気はずいぶん変わった。メイリンはディオに文句を言いながらも、彼の隣に立つことに拒否反応を示さなくなった。ゼインとフィーナはイリンの挙動を観察しているが、以前のような敵意や嫌悪は薄い。リアとカイも、シェイとノラを見る目が少し違う。悔しさは残っているようだが、それは敵を見る目ではない。
「ライル、何か変なこと考えてない?」
セリアが僕の顔を覗き込んできた。
「ドレッドのみんなが友好関係の構築に成功していて偉いと思っていた」
「うん……言い方は変だけど、褒めてるんだよね?」
「褒めているよ」
「そっか」
セリアはまた笑った。
僕はその表情を見て、胸の奥に微弱なノイズが走るのを確認する。
「何事もなく、全員無事で終わらせたいものだ」
「そうね……」
思わず僕は呟いてしまった。
セリアが同意してくれなかったら、危うく無視されてるような感じになってしまうとこだった……。
《ライル》
おや……ユリア教官からチャットが来た。
《ブルーコメットには内密に伝えたい内容がある。会議が終わり次第、私のところへ来い》
表示された短い文章を読み、僕は数秒だけ思考を止めた。
ブルーコメットには内密――セリアたちには今この場で共有しない情報ということになる。内容は不明だが、ユリア教官が来いと言うなら、行けばいい。
《ライル、そっちにも来た?》
イリンから通信が入った。
《来ている》
《俺にも来た》
《シェイにも来た》
《私も》
ディオ、シェイ、ノラも同じ内容を受け取ったらしい。
つまり、ドレッド全員に対する個別命令だ。ブルーコメットではなく、僕たちだけに伝える必要がある。理由は分からない。けれど命令なら従う。ただそれだけだ。
「ライル?」
セリアが不思議そうに僕を見る中、僕はこう言った。
「何でもないよ」
だって知る必要ないんだから。
◆
会議終了後、ブルーコメットの面々と別れた僕たちは、そのままユリア教官に指定された小さなブリーフィングルームへ移動していた。
室内に入ると、自動で扉が閉まり、外部との通信遮断を示す赤いランプが点灯する。ここまで厳重に隔離するということは、やはり機密性の高い内容なのだろう。
ユリア教官は僕たち五人を見回すと、端末を操作して新たなホログラムを展開した。
「ここから先はドレッド部隊のみへの共有事項だ」
映し出されたのは、先ほどのマップと同じ廃棄指定区域だった。しかし今度は低ランクヘラルドの反応とは別に、青白い光点がいくつも表示されている。
「ネストの形成には、人間の武装組織が関わっている可能性が高い」
「人間……ということは、
僕がそう尋ねると、ユリア教官は静かに頷いた。
「その通りだ」
ホログラムの一部が切り替わり、粗い映像記録が映し出される。
荒野を歩く人々、粗末な装備、身体中に黒い紋様のようなものを刻み込み、巨大なヘラルドへ向かって跪いている。
「シティの外で生き残っている人間の一部には、ヘラルドを神聖視する集団が存在する。奴らはヘラルドを破滅ではなく救済だと考え、人類を進化へ導く存在として崇めている」
映像の中で、一人の男が自ら腕を切り裂き、その血をヘラルドへ差し出した。
「時には、自らの身体を供物として捧げることすら厭わない。ヘラルドに喰われ、利用され、それでも本望だと考えるイカれた連中だ」
これを聞く度に思う――人間という種族は、何とまぁ不思議な種族なのだと。この行為が何も意味ないものなのに、本当に世界や人類の為になるという思考回路になるのは、何故だろうか。
「つまり……ネストを作りやすい環境を、あいつら自身が整えてるってことか」
ディオが腕を組みながら言った。
メイリンの真似かい?
「その可能性は高い」
ユリア教官は映像を止める。
「供物となる生体反応、資材の収集、周囲の警戒。奴らは自分たちの意思でヘラルドを補助している。単なる協力者というより、共犯者と考えた方がいい」
シェイが首を傾げる。
「でも、人間がそこまでして何を得るの?」
「信仰だ」
ユリア教官は短く答えた。
「あるいは、ヘラルドになれるという幻想か。いずれにせよ、正常な価値観では測れない」
ノラは「ふーん」とだけ呟き、ホログラムを眺める中、僕は別の点が気になった。
「重要なのは、彼らがヘラルドと接触を続けていることですね」
「そうだ」
ユリア教官の目が鋭くなる。
「この信奉者どもは、ヘラルドと深い繋がりを持っている可能性がある。低ランクとはいえ、ネスト形成に関する情報や、我々がまだ知らない生態情報を把握しているかもしれん」
つまり、情報源になる訳か。
「よって命令を伝える」
室内の空気が少しだけ張り詰めた。
「ヘラルドは破壊して構わない。だが信奉者は、必要ならその場で
「それは構いませんが」
僕は命令内容そのものには異論はなかったが、一つだけ疑問を口にした。
「ブルーコメットへ共有しない意図は何でしょう」
ユリア教官は少しだけ目を細めた。
「正規のセンチネル部隊には出来ない仕事だからだ」
ああ、そうか。
確かに出来ないか。
普通に殺すのとは違うからね、その経験はセリアたちにはない。
「理解しました」
僕が答えると、ユリア教官は小さく頷いた。
「だからこそ、お前たちだけに伝えた。ブルーコメットはヘラルド掃討を優先する。信奉者への対応はドレッド部隊、お前たちに任せる」
ブルーコメットは人類の英雄であり続ける。
僕たちは、人類が英雄には任せられない部分を担当する。
暗にそう言われているようなものだ。
「以上だ。質問がなければ解散する。任務開始までに各自準備を整えておけ」
◆
輸送機の内部には、低い駆動音が一定のリズムで響いていた。
僕たちブルーコメットとドレッド部隊は、ステルス輸送機に乗って廃棄指定区域へ向かっている。機体は外部への探知を極限まで抑えるため、高高度を静かに飛行しているらしい。窓はなく、壁面モニターに映る外部映像だけが、自分たちが空を飛んでいることを教えてくれていた。
「いやぁ、久々の実戦だな」
ジャックが両腕を頭の後ろで組みながら、大きく伸びをする。
「一ヶ月以上空くと、逆に身体が鈍ってそうで嫌なんだよな」
「貴方の場合、それでも普通に暴れるでしょう」
「褒め言葉として受け取っとくぜ」
メイリンが呆れたように肩を竦めると、ジャックは気楽そうに笑った。リアは静かに目を閉じ、呼吸を整えている。カイも無言で装備を確認していたが、以前より空気は柔らかい。フィーナは端末で周辺地図を眺め、ゼインは任務資料を読み返している。
誰もが多少の緊張はある。それでもこの空気は悪くない。
ブルーコメットは久々の実戦にもかかわらず、必要以上に肩肘を張っていなかった。
「ライルはどう?」
メイリンがこちらを見る。
「久々の実戦って緊張する?」
「多少は」
そう答えてみる――実際に緊張という感覚が正しいかは分からないが、この場ではその返答が自然だと判断した。
「なら安心したわ。ライルでもそういう感覚あるのね」
「ある、らしい」
「何よそれ、あははっ!」
周囲が小さく笑うと僕も一応、口元だけ少し動かしておいた。その一方で、頭の中では別のことを考えていた。
(現地で解析を許可した理由は何だろう)
ヘラルドの情報収集が目的なら理解できる。
信奉者を確保し、本部へ連行してから解析する方が、安全性も設備も揃っている。
それなのにユリア教官は、その場で解析しても構わないと言った。
現地でなければならない理由がある。
あるいは、現地だからこそ得られる情報が存在する。
ユリア教官が無意味な命令を出す人ではないことを知ってるからこそ、僕はわからなかった。
「ライル」
「ん?」
考え込んでいると、隣からセリアが声を掛けてきた。
「ライルも実戦は久しぶり?」
「うん。セリアと合流する直前が最後だから、一ヶ月半くらいはしてないね」
「そうなんだ」
セリアは少しだけ身体をこちらへ寄せる。
「どんな任務だったの?」
その質問に、僕はすぐ答えようとして止まった。
「任務内容は言えないんだ、そうプログラムされてるから」
「……そっか」
セリアは少しだけ視線を落とすと、困ったように笑っている。多分、この答えは期待していたものではなかったのだろう。でも言えないものは言えないし、それ以上説明する必要も感じなかった。
「セリアも同じくらい期間が空いてるの?」
今度は僕が聞いてみた。
「そうだね……大体同じくらいかな」
セリアは少し考えてから答えた。
「武装組織の鎮圧任務だったの」
「武装組織」
「うん。最後まで降伏勧告は続けたんだけど、それでも撃ってきた人がいてね。やむを得ず殺さなきゃいけない場面があって……ちょっとしんどかったかな」
僕は数秒だけ考える。
しんどい……というが、セリアの実力を考えたらおかしな話だ。
「人間の方が弱いのに?」
「違うの」
ん……?
「ヘラルドを倒す方が、気持ち的にはずっと楽」
「……」
「だって私たちは、人を殺すためにセンチネルへ乗ったんじゃないもの」
あー……なるほど、理由がわかった。
同族殺しへの忌避感か。
でも大丈夫、きっとそれは慣れてないからだ。
心理的な抵抗感があっても、任務は果たせる。
「大丈夫だよ、セリア」
「ん?」
「何があっても僕がいる」
例え上手く出来なくても僕らがいる。
万が一は起こりはしない。
「……ありがとう、ライル」
するとセリアは優しく笑った。
良かった、僕の笑顔と優しい言葉はまだ効果あった。
《間もなく目標地点上空へ到達します。降下準備をお願いします》
操縦席から機械音声が流れた。
輸送機の内部が、一瞬で引き締まった。
「よし」
いきなりセリアが立ち上がると、ブルーコメットの皆も自然と腰を上げた。これは……予定にない動きだ。
「いつもの、やろう」
ジャックが笑いながら拳を握る。
ん……? 殴り合いとかするの?
「景気づけってやつね」
「了解」
七人が自然と円になると、セリアはそのまま僕の方を向き、当たり前のように手を差し出した。
「ライルも」
僕はその手を見る。
「ドレッドのみんなもやるよ」
セリアが笑うとイリンは「やる」と即答し、ディオは一瞬だけ僕を見てから頷いた。シェイとノラは「これも文化?」と小声で話しながら歩み寄る。
あー……号令みたいなものか、記録にあったな。
少しだけ戸惑いながらも、僕たち五人はブルーコメットの輪へ加わると、十人の手が、一つずつ静かに重なっていく。
「皆、聞いて」
セリアは僕らを見渡しながら言った。
「今日、私たちは初めて一緒に任務に行く仲間になる。仲間は家族であり、そして命を預け合う関係性である」
一拍だけ言葉を切ると、その青い瞳に強い光が宿る。
「私たちは人類を守るためにここにいる。一人も見捨てない。一人も欠けない。それがブルーコメットとドレッドの編成部隊の在り方よ」
そしてセリアは小さく笑った。
「全員で帰ろう」
「「「おおっ!!」」」
重ねられた十人の手が、一斉に高く掲げられる。
歓声と共に広がった熱気を、僕は黙って見つめていた。
◆
輸送機後部のハッチがゆっくりと開き、乾いた風が機内へ流れ込んだ。
視界いっぱいに広がるのは、崩れた高層建築群と砕けた高架道路、錆び付いた鉄骨が剥き出しになったビル群だった。植物に侵食されたコンクリートと、黒く焼け焦げた壁面が、ここで何が起きたのかを静かに物語っている。
まさに絵に描いたような廃墟だ。
「降下開始!」
号令と同時に、ブルーコメットが次々と地上へ降り立つ。
僕たちドレッドも、それに続いて静かに着地した。
足裏へ伝わる地面の硬さを確認しながら周囲を見渡す。風の音だけが廃墟を吹き抜け、割れた窓ガラスが小さく軋んでいた。
見える範囲にはヘラルドの姿はないが、だからと言って安全とは限らない。
「索敵開始」
僕が呟くと同時に、イリン、ディオ、シェイ、ノラも頷いた。
視界の隅へ黒い文字列が流れ、ドレッド専用の複合センサーが起動する。熱源、振動、生体反応、空気中の微粒子濃度、ヘラルド由来粒子の拡散状況。それらを同時並列で解析しながら、周囲数百メートルの情報を頭の中へ展開していく。
《異常反応なし》
《ノラもなし》
《シェイも検出ゼロ》
《俺もだ》
やっぱり引っかからない。
低ランクなら、この距離まで近付けば何か一つくらい反応があってもいいはずなのに、不自然なくらい静かだった。
「ライル」
セリアが僕の隣へ歩いてくる。
「どう? 見つかった?」
僕はもう一度周辺データを更新してから首を横へ振った。
「まだ引っかかってない」
「やっぱりね」
セリアより先に、メイリンが静かに口を開いた。
「ヘラルドもステルスモードを使っている可能性があるわ」
その言葉に、僕も納得する。
高ランクヘラルドは総合性能が高く、状況に応じて複数の能力を使い分ける個体が多い。それに対して低ランク帯は火力も耐久も低い代わりに、一つの能力だけを極端に伸ばした個体が珍しくなかった。
「散開して……探りに行こう、チーム分けはセンチネルとドレッドが必ず混じった編成で」
ジャックの意見が廃墟に静かに響くのと同時に、セリアと目があった。組み合わせに関しては……言わずもがな。
「ライル、一緒に行こう」
セリアが自然な調子で僕を呼ぶ。
断る理由はなかった。
▼
ブルーコメットとドレッドが降下した区画から、いくつもの崩落した建物を挟んだ奥地。半ば地面へ沈んだ旧式の商業施設、その暗い搬入口の影で、巨大な何かがゆっくりと身を震わせていた。
「……ギキキ」
外見は甲虫に近いヘラルドだった。
頭部から突き出した長い角と、胸部から伸びる太い角が上下から噛み合うような形をしており、獲物を縦に挟み込んで潰すための構造を思わせる。黒灰色の装甲には細かな亀裂が走り、その隙間から薄紫色の光が脈打っていた。
だが、その異様な姿は一見しただけでは確認できない。
ヘラルドの輪郭は周囲の瓦礫や影と同化し、光学迷彩によって空間そのものへ溶け込んでいた。
「ギギ……ギィィ……」
甲虫型ヘラルドは、金属を擦り合わせたような奇怪な音を響かせながら、胸角をゆっくりと開閉した。
その物陰から、複数の人影が現れる。
彼らは擦り切れた外套や汚れた防護服を身につけ、顔や首、腕の一部には無骨な機械部品が直接取り付けられていた。錆びた端子、露出した配線、粗悪な義眼。機械化というより、壊れた部品を無理やり肉体へ縫い付けたような有様だった。
手には旧式のアサルトライフルが握られている。銃身は傷だらけで、弾倉も複数の部品を継ぎ合わせて修理されていた。
「映像……出せ」
一人の男が掠れた声で命じると、別の信奉者が手首に巻きつけた古い端末を操作した。
ノイズ混じりの映像が空中へ浮かび上がると、そこに映っていたのは、廃墟へ降り立つブルーコメットとドレッドの姿だった。白く輝くセンチネルたちの後方で、黒い異形の肉体を持つ五人が周囲を探っている。
「あれは……何だ」
一人が息を呑む。
「人……違う」
「機械……でもない」
「神の形……近い」
彼らの視線が、ライルたちへ集中していく。
人間の輪郭を残しながら、ヘラルドと同質の気配を纏う存在を見て、信奉者の一人が震える指で映像の中のライルを指した。
「選ばれた者……」
「神に触れた人」
「代弁者……神の声を持つ者」
誰かがそう呟いた瞬間、周囲の人間たちが一斉にざわめき始める。
「捕らえる」
「聞く……神の言葉」
「我らも、選ばれる」
甲虫型ヘラルドが再び奇怪な鳴き声を上げると、それを合図にするように、信奉者たちは銃を構え、崩れた建物の奥から静かに動き出した。
◆
私とライルと二人で本隊から離れ、崩れかけた建物が密集する区画へ足を踏み入れてから、数分が経過していた。
(何だか不気味……)
私たちは互いに十メートルほどの距離を保ち、瓦礫の陰や割れた窓の奥へ視線を走らせながら、慎重に廃墟の中を進んでいく。風が吹くたびに砂埃が舞い上がり、錆びた看板が耳障りな音を立てるものの、それ以外に動くものは見当たらない。
あまりにも静かすぎる――先ほどから、ルナ・クラリタスの索敵機能にも明確な反応はない。しかし、誰かに見られているような感覚だけが、肌の上へ薄く張り付いていた。
《セリア、止まって》
ライルの声が通信越しに響くと、私は反射的に足を止め、右手を軽く上げた。ライルも数メートル先で動きを止め、周囲へ視線を巡らせている。
《生体反応を検知。距離は約40メートル、複数》
「こっちでも拾ったわ」
建物の壁や地下構造物が干渉しているのか、反応の位置が微妙に揺れている。人間に近い大きさだが、ヘラルドの反応も混ざっているように見えた。
相手もこちらが気付いたことを察している可能性がある。先に動けば、待ち伏せの位置を教えることになる。
「出てくる気はないみたいね」
私たちはその場で構え、相手の出方を待った次の瞬間――
「――来る」
崩れた建物の窓から円筒形の物体が投げ込まれ、乾いた音を立てて地面を転がった。
「ライル!」
叫ぶより早く、白い煙が爆発的に噴き出した。
周囲の景色が瞬く間に塗り潰され、数メートル先にいたはずのライルの姿まで完全に見えなくなる。私はすぐに部隊通信を開き、襲撃を知らせようとした。
「こちらセリア、敵襲――」
激しいノイズが鼓膜を打った。
《――ザザッ……信……途絶……》
「ジャミング……!」
通信画面に警告が走り、本隊との接続が強制的に遮断される。煙幕と同時に通信妨害まで仕掛けてきた。偶然近くにいた人間ではなく、最初から私たちを待ち伏せしていたのだ。
「ライル、聞こえる!?」
「聞こえてる。僕がジャミングを解除するから、少し任せて」
煙の向こうから、いつもと変わらない穏やかな声だけが返ってくる。
「やってくれたわね」
ライルの位置を確かめようと、私は顔の前へバイザーを展開した。通常視界が閉じ、代わりにサーマルビジョンが起動すると、濃い煙の向こう側にいくつもの赤い人影が浮かび上がる。
人間だ――しかも全員銃を構えている。
「っ……!」
閃光と共に、銃声が連続して響いた。
飛来した弾丸がルナ・クラリタスの装甲表面で弾け、甲高い音を立てる。旧式の実弾兵器ではセンチネルの装甲を簡単には貫けない。それでも関節部やセンサーへ集中砲火を受ければ無視はできなかった。
「鬱陶しい……」
私は光翼を瞬間的に展開し、横へ飛びながら右手へエネルギーライフルを形成する。
「武器を捨てて! 抵抗をやめなさい!」
煙幕の向こうへ警告を飛ばしたが、返ってきたのは再び銃弾だった。
敵の一人が瓦礫から身を乗り出し、私の頭部へ照準を合わせる。私は銃口の動きを見た瞬間に引き金を引き、細く絞った光線で男の胸を撃ち抜いた。
「……嫌になる」
それでも立ち止まれない。右側から二人、左奥から三人。彼らは互いに射線を重ねながら接近し、粗末な装備とは思えないほど統制された動きで私を包囲しようとしている。
「く……」
私は火力を抑え、可能な限り急所を外して撃つ。しかし手足を失っても銃を離さず、地面を這いながら引き金を引く者までいた。
どうして、そこまで。
「退いて! これ以上続けたら死ぬだけよ!」
「神の……敵」
「偽物……殺す」
「選ばれた者を……渡せ」
煙の中から、途切れ途切れの声が聞こえた。
選ばれた者――ライルのことを言っているの?
そんな事を考える暇もなく、背後から弾丸が迫る。私は身体を捻って回避し、振り返りざまに銃撃者の肩を撃ち抜いた。しかし男は倒れながら腰の爆発物へ手を伸ばしている。
迷えば、こちらが危うくなる。
私は奥歯を噛み締め、二発目をその胸へ撃ち込んだ。
人を撃つ瞬間には、今でも身体のどこかが拒絶する。センチネルの補助が照準を合わせ、最適な攻撃位置を示してくれても、最後に引き金を引くのは私自身だ。
その事実だけは、どれだけ戦っても軽くならない。
人を殺すぐらいならヘラルドの方が、まだマシだ。
「本当に……最悪」
吐き捨てながら、私は再び襲いかかってきた一人を撃ち倒す。
煙の中で銃声と閃光が絶え間なく交錯し、サーマルビジョンに映る熱源は少しずつ減っていく。それでも彼らは逃げず、死んだ仲間を踏み越えながら、ライルがいるはずの方向へ進もうとしていた。
私はエネルギーライフルを構え直し、煙の向こうで動く熱源へ照準を合わせた。
「もうやめなさい! これ以上続けても意味はないわ!」
返事の代わりに、銃弾が壁を削った。
「選ばれた者……渡せ」
「偽物……邪魔」
「神の声……聞く」
また、紡がれる意味のわからない言葉に私は胸の奥に引っかかるものを感じながら、一人の手首を撃ち抜く。銃が地面へ落ちたにもかかわらず、男は歯を剥き出しにしながら腰のナイフを抜き、こちらへ走り込んできた。
「何なのよ、もう……!」
仕方なく腹部へ光弾を撃ち込み、その身体を後方へ吹き飛ばす。
おかしい。
さっきから、こちらへ押し寄せてくるのは人間ばかりだ。ヘラルドの反応も確かに混ざっていたはずなのに、襲ってくるのは古い銃を持った信奉者だけで、肝心のヘラルドが姿を見せない。
それどころか、彼らの攻撃にはどこか違和感がある。
私を倒そうとしているというより、私をこの場へ縫い付けようとしているような――。
「選ばれた者を……捕らえる」
「黒き身体……神に近い」
「代弁者……渡せ」
煙の向こうから聞こえた言葉を、今度こそ聞き逃さなかった。
選ばれた者。
黒き身体。
神に近い存在。
それが指しているのは、センチネルではない。
「まさか……」
嫌な予感が背筋を走る。
「ドレッドを狙ってる……?」
私ではない。
最初から、彼らの目的はライルたちだった。
「ライル!」
周囲を見渡し、サーマルビジョンの表示を切り替える。しかし煙幕とジャミングの影響で熱源は乱れ、先ほどまで近くにいたはずのライルの位置が掴めない。
「ライル、返事して!」
応答はない。
その直後、少し離れた区画から、金属が砕けるような激しい音が響き、さらに続いて銃声が聞こえると、何かが壁へ叩きつけられ、コンクリートが崩れ落ちるような音が鳴った。
「く……っ!」
私は反射的にそちらへ顔を向けた。
「ライル……!」
光翼の出力を一気に上げ、足元の瓦礫を吹き飛ばしながら空中へ跳び上がる。信奉者たちが後方から銃撃してきたが、今は構っている暇がない。
「どこ……! ライル……!」
ブースターを吹かし、崩れた建物の隙間を縫うように加速する。白煙の層を突き抜け、壁を蹴り、発砲炎の残光が揺れる通路へ飛び込んだ。
「……ライルがやったのね」
そこには、倒れた信奉者たちが転がっていた。
腕が不自然な方向へ曲がった者や胸部を深く抉られた者。
壁へめり込み、赤いシミになった者までいる。
「ライル!」
私は煙の向こうに見えた人影へ呼びかける。
「無事なの!?」
返事はなかった。
すると煙が風に流され、視界がゆっくりと開けていく。
そして私は、息を止めた。
「……え?」
ライルは、一人の男を片腕で持ち上げていた。
信奉者の男はまだ生きている。足をばたつかせ、喉から潰れた悲鳴を漏らしながら、必死にライルの腕を引き剥がそうとしていた。
「や……め……ろ……」
「動くな、すぐ終わる」
ライルの声は、いつもと同じだった。
穏やかで、静かで、まるで怪我人を落ち着かせているような優しい口調だ。
だがその右手の指が、男の頭へ突き刺さっていることを除けば。
「ぁぐぅぇぇ……」
額の脇から入り込んだ黒い指先は、皮膚と骨を押し割り、そのまま頭蓋の内部へ深く沈んでいた。傷口から流れた血がライルの手首を伝い、黒い装甲の隙間へ吸い込まれていく。
「ぎぃぃ」
男の身体が大きく痙攣する。
「記憶領域へ接続。神経信号を抽出する」
ライルの瞳が、闇の中で赤く光った。
人間のものとは思えない、濁りのない赤だ。
その光が強くなるたび、男の口から声にならない息が漏れ、眼球が細かく震える。
「ネストの位置……地下構造……ヘラルドとの接触記録……ん……? あ、セリア」
するとライルは転がった死体を踏み潰しながら、私の前に立って、軽薄な笑みを貼り付けて言った。
「人がいて助かった、ヘラルドと違って脳味噌にファイアウォールないから、セリアもこいつらバラして調べるの手伝ってくれる?」