名探偵コナンLegendary Justicez Twilight 作:アサシン・零
谷グループ本社、最上階。重厚なマホガニーのデスクを挟み、江戸川コナンは静かに頭を下げた。その姿は小学一年生のものだが、纏う空気は数千人の社員を路頭に迷わせぬよう差配してきた「若き独裁者」のそれだった。
「短期労働契約の満了です。……谷会長、大変お世話になりました」
谷会長は、手元の莫大な利益報告書から目を上げ、惜しむような、それでいて畏怖を隠しきれない眼差しでコナンを見つめた。
「ああ。君がいなくなると、この部屋が急に広くなったように感じるだろうな。……少し、寂しくなるよ」
コナンは淡々と辞表をデスクに置いた。欲はない。彼にとって、谷グループでの日々はあくまで「高陽の再建」のための資金調達と、この世界の経済構造を把握するためのプロセスに過ぎなかった。
「富は流動してこそ価値があります。私がここに居座り続ければ、組織は自律を失い、私の『言葉』を待つだけの操り人形になる。それは歴史が証明する、帝国の崩壊の第一歩です。……では、失礼します」
一礼し、社長室を後にする。重い扉が閉まる音が、一つの「統治」の終わりを告げた。
会社ビルのエントランスを出ると、そこには四人の影があった。灰原哀、そして少年探偵団の面々だ。彼らはどこか、自分たちの知らない場所で大きな戦いを終えてきたコナンを、どう迎えていいか測りかねているようだった。
「よお、おめえら……。大丈夫か? 変な顔して」
コナンはいつもの、やんちゃな江戸川コナンの仮面を被り直した。
「……少し、散歩でもしようか」
夕暮れ時の公園。コナンはベンチに座る彼らに、突然、奇妙な講義を始めた。それは探偵の心得ではなく、国を、組織を、そして己の魂を律するための「哲学」だった。
「光彦、君には『情報と論理』を。元太、君には『強さと自制』を。歩美、君には『共感と外交』を。……お前たちはバラバラだ。だが、その欠落を埋め合うことで、初めて一つの『正義』が形を成すんだ」
灰原は隣でカントやニーチェ、マキャベリの名を引用するコナンの言葉に目を細めた。歩美は真剣な表情で、ランドセルから出したノートにコナンの言葉を書き留めていく。
とそこに酒を酔っているかは分からないがめちゃくちゃ差別的な事をいう老人がいた。
その人はかなり世代に拘る差別的な事でしたが、コナンはこう説くのです。
「私にも世代はいた...だが...戦中・団塊世代は食うものがない...国は滅亡し...崩壊した...前政府が悪いと...決めつけ...団塊ジュニア世代・就職氷河期世代は就職難から...社会は我々を見捨てた...子供の時よりも金が無い...バブルや経済は崩壊した...となり、ゆとり世代・Z世代は...未来が見えない...明日への希望が分からない...我々は何のために生きているんだろう...となったわけだ...誰もが苦労したということだ...御老体もそうじゃないか?」と逆に老人を説き伏せた。
「……平和を簡単に語る奴は、本当の平和主義者じゃない」
コナンの声が、不意に低くなった。
「私は前世、広島にいた。ずっと考えてきたんだ。……国境をなくすなんて、現実的には無理だ。それを口先だけで『理想』だと呼ぶのは、被爆した人たちの沈黙を無視することと同じだよ。何も知らずに日常を奪われた彼らや、その苦しみを引き継いだ2世の両親が、そんな軽い言葉を望んでいるはずがないんだ」
歩美のペンの音が止まる。光彦は「歴史」という名の、あまりにも重い血の匂いを感じて立ち尽くした。
「……なんだ、その目は」
ベンチの端に座っていた、一人の老人がコナンの言葉を遮った。その老人は、先ほどから今の若者や世代の差について差別的な毒づきを繰り返していた人物だった。
「小僧……お前のようなガキが、なぜそんなことが言える。……お前は、何のために生きているんだ?」
コナンは、夕日に照らされた自分の小さな手を見つめた。
「私は『真実』と『正義』を求めて生きてきた。……だけど、一回死んでいるのさ。泥を啜り、誰にも理解されずにね。だからこそ、私は私なりの生き方を選ぶ。……絶望した世代に光を見せ、孤独な魂に居場所を作る。それが二度目の生を授かった私の責任だ」
老人は、しばらく言葉を失っていた。コナンの語る「世代を超えた苦労の等価性」……戦中の飢え、氷河期の絶望、Z世代の閉塞感……。それらが等しく「歴史の痛み」であるという指摘に、老人の凝り固まった肩が、小さく震えた。
「……そうじゃな。わしが、どうかしておったわ……」
老人は力なく笑い、去っていった。その後ろ姿を見送りながら、コナンはポツリと付け加えた。
「私もいずれ死ぬ。灰原も、歩美も、光彦も元太も。……死ぬ時は皆同じじゃない。何があるか分からないんだ。だからこそ、今をどう在るかだ」
その光景を、数百メートル離れた黒塗りの車内から、高性能集音マイクで盗み聞いていた男がいた。
「……死ぬ時は、同じじゃない……か」
降谷零は、ヘッドホンを外し、深くシートに体を預けた。
彼の脳裏に、かつて共に笑い、競い、そして自分を置いて逝ってしまった四人の同期たちの顔が浮かぶ。
伊達、松田、萩原、景光。
誰も、同じようには死ななかった。正義の果てに、あるいは不慮の事故の果てに、自分一人を残して消えてしまった魂。
(……君の言う通りだ、コナン君。いや、梶谷朝陽。……僕たちは、死者たちの沈黙の上に立っている)
降谷は、冷え切ったコーヒーを一口飲み、寂しげな感情を押し殺すように目を閉じた。
「……日本スパイ多すぎ、なんて笑っている場合じゃなかったな」
夕闇が迫る公園。コナンは立ち上がり、空を見上げた。
「さて……明日は休みだ。お祝いに、何か美味いもんでも食いに行くか?」
歩美がノートを閉じ、笑顔で頷く。そのノートの最後のページには、震える字でこう記されていた。
『平和とは、語るものではなく、守り抜く覚悟のこと。』
新しき主権の種子が、今、米花町の土に深く根付こうとしていた。
米花刑務所、最深部。そこは通常の受刑者が立ち入ることのできない、完全孤立した地下房だった。
鉄格子の向こう側で、ジンは一冊の分厚い『組織心理学』の原書を捲っていた。かつて愛銃ベレッタを握っていたその指先は、今や紙を捲る音だけを響かせている。
「……ジンの兄貴。またその本ですかい?」
隣の房から、ウォッカが力なく声をかけた。かつての屈強な体躯は、規則正しい獄中生活と、何よりも「敗北の理由」を突きつけられ続ける精神的負荷によって、鋭く削ぎ落とされていた。
「黙れ、ウォッカ。……我々は、あの少年に負けたのではない」
ジンの声は、かつての冷酷さに加え、ある種の学術的な静謐さを湛えていた。
「我々は、『歴史の構造』に踏み潰されたのだ。警察組織を末端から刷新し、士気を武器に変えたあの戦略……。我々が信じていた『個の暴力』がいかに脆弱な愚策であったか、この教本が証明している」
彼らの手元には、コナンが差し入れとして持ってくる大量の教科書、新聞、そして哲学書があった。コナン……梶谷朝陽は、彼らに「反省」を求めているのではない。**「自分たちがいかに旧時代の遺物であったか」**を、理論的に分からせようとしているのだ。
「あの方……烏丸蓮耶は、我々を見捨てたのではない。この『新しいシステム』の前に、もはや手出しができないだけだ」
ラムもまた、別の房で警察組織の構造図を睨みつけていた。かつて組織のNo.2として君臨した彼は、自分たちがどれほど警察を「事なかれ主義」だと侮っていたか、その傲慢さを思い知らされていた。
中でも、ジンの変貌は著しかった。
彼は組織論、政治学、さらには医学にまで手を広げていた。
(APTX4869……。あの薬がもたらした『若返り』という奇跡すら、医学的・生物学的な構造の範疇に過ぎない。もしあの時、我々にこの知識があれば……)
ジンは鋭い眼光で、壁に貼られた人体の解剖図を見つめる。
彼はもう一度、同じ轍は踏まない。もしこの檻から出る日が来れば、その時は銃ではなく、**「知識という名の暴力」**を振るう怪物として蘇るだろう。
「……江戸川コナン。貴様が私にこれを与えたのは、最大の慈悲か、それとも最悪の余興か」
暗い廊下に、ジンの乾いた笑い声が微かに響く。
少年が蒔いた「教育」という種は、皮肉なことに、かつての宿敵たちの魂をも作り替えようとしていた。
米花刑務所、地下独居房。暗い廊下に響くのは、ページを捲る乾いた音と、冷え切った空気だけだった。
「……ウォッカ。脱走の計画を練るぞ」
ジンの低く、静かな声が鉄格子の外へ漏れた。その声には以前のような短気な殺意はなく、研ぎ澄まされたメスのような
鋭利な理知が宿っていた。
「……兄貴……」
ウォッカが絶句する中、ジンは手元の医学書を閉じ、虚空を見つめた。
「ただし、シェリーは諦めるしかない。……そして、あの眼鏡のボウズもだ」
「なっ……! 諦めるんですか!? あの裏切り者と、俺たちをこんな目に合わせたガキを!」
「そうだ」
ジンは冷淡に言い放った。朝陽から与えられた組織論と歴史書は、彼に教えたのだ。執着こそが判断を曇らせ、組織を破滅に導く最大の「不純物」であることを。
「組織の幹部も大半を失った。だが……この知識と、まだ外に潜伏している僅かな種火があれば、再起は計れる。あの方の『真の目的』を達成するための、新しい機構(システム)を作るだけだ」
「よしなさい、ジン……。みっともないわよ」
向かいの房から、ベルモットの嘲笑混じりの声が響いた。拘束されてなお、その美貌と余裕を失わない女は、煙草を求めるように指先を遊ばせている。
「あら、意外ね。貴方がそんなに潔く『負け』を認めるなんて」
ジンは不敵な笑みを浮かべ、ベルモットを、いや、その先にいるであろう「江戸川コナン」を見据えた。
「今回ばかりは……オレの負けだ。認めよう。あのアカデミックな攻撃の前に、我々はあまりにも無知すぎた。……だが、次はこうはいかない」
ジンの瞳には、朝陽が蒔いた「知恵」という毒が、新たな野望の炎となって燃え盛っていた。
「私は私なりの『正義』を学ぶことにした。……待っていろ、神殺しの梶谷。貴様が作ったこの平穏な『国』を、内側から腐らせる術を、この檻の中で完成させてやる」
夜の阿笠邸、地下室。
コナンから語られた「刑務所への差し入れ」の内容を聞き、灰原哀は持っていたマグカップを危うく落としそうになった。
「え……!? ジンに知識(情報)をあげたっていうの……!? 正気なの、貴方。あの男に知恵を与えるなんて、火薬庫に火を投げ込むようなものよ!」
「まぁ、案外次はいい味方になってくれるかもだぜ……?」
コナンはソファに深く腰掛け、天井を見上げた。その瞳には、すでに数手先の「盤面」が映っている。
「敵をただ殺すのは、歴史上最も非効率な手段だ。彼らが『なぜ負けたか』を理解し、その上でこちらのシステムの優秀さを認めれば、彼らは最強の『執行人』に成り代わる。……ジンなら、それが理解できるはずだ」
「相変わらず、恐ろしい考え方をするわね……」
灰原が溜息をつくと、コナンは少しトーンを落とし、優しく彼女を見つめた。
「……あ、そうそう。高木刑事にお前の姉さんの周りのことを調べてもらってたら、色んなことが分かったそうだぜ」
「え……」
灰原の手が止まる。姉、宮野明美。彼女にとって、この世で最も触れるのが怖く、そして愛おしい名前。
「明美さん自身は、確かに10億円強盗の主犯として追われ、公式には自殺と断定された。……だがな、黒の組織の下っ端にも、やっぱり『いい奴』はいたんだろうぜ。高木刑事が見つけたんだ。明美さんと本当に仲の良かった女性友達をね。彼女も組織の末端にいた人間だったが……」
コナンは一通の報告書を差し出した。
「その彼女が、明美さんの生涯を『ノンフィクションの本』として執筆するそうだ。組織の闇に消された一人の女性としてではなく、一人の人間として生きた証を、世に残すためにな」
灰原は震える手でその報告書を受け取った。
組織という冷酷な機械の中で、姉が誰かと笑い合い、友情を育んでいたという事実。それは、APTX4869の解毒薬よりも、今の彼女の心を救う劇薬だった。
「……そう。お姉ちゃん、独りじゃなかったのね……」
「ああ。これからは、偽りの死を遂げたお前の代わりに、その本が『宮野明美』の生きた証を語り継いでくれる。……良かったな、灰原」
コナンはそう言うと、静かに地下室を後にした。
階段を上がるコナンの背中を見送りながら、灰原は溢れ出す涙を拭おうともせず、ただ報告書に記された「姉の友」の名を、愛おしそうになぞり続けた。
「……ねえ、その女性の名前は?」
灰原の声が、暗い地下室から階段を上がるコナンの背中に届いた。コナンは足を止め、振り返らずにその名を告げた。
「青山紗月……。青山紗月さんという方だそうだ」
「青山、紗月……」
灰原はその名を反芻する。聞いたことのない名だが、その響きには姉が遺した温かな残響が宿っているような気がした。
「その青山さんがな……明美さんがなかなか帰ってこないのを不審に思って、あろうことかジンに直接詰め寄ったらしいんだ。『明美はどこなの?』ってね。……あのジンを相手に、だ」
灰原の背筋に冷たいものが走った。組織の末端の人間が、処刑を覚悟でジンに直談判するなど、正気の沙汰ではない。
「ジンは……その時、ただ『事故に遭ったんだろう』としか答えられなかった……そう話していたよ」
その言葉に、灰原の瞳が大きく見開かれた。
「ちょっと待って……!! 『話していた』って、貴方……ジンと直接話したの!?」
驚愕に震える彼女の声に、コナンはようやく半分だけ顔を向けた。その表情には、かつて幾多の修羅場を言葉一つで制してきた「総督」の余裕があった。
「ああ。……案外、物分かりがいい奴だったよ」
それだけ言い残すと、今度こそコナンは階段を上がっていった。
後に残された灰原は、呆然と立ち尽くしていた。
あの冷酷非道な、死神の化身のようなジンを「物分かりがいい」と評し、あまつさえ姉の最期の周辺事情を聞き出してきたというのか。
コナン……いや、梶谷朝陽。
彼はすでに、灰原が見ている「世界」のさらに外側に立っている。
姉を殺した男にすら「学び」を与え、その沈黙から「真実」を毟り取り、遺された者たちに「救い」として分け与える。
(貴方は……どこまで行くつもりなの……?)
灰原は、姉を愛してくれた「青山紗月」という女性の存在と、変わり果てた「ジン」という男の情報を胸に抱き、静か
に暗闇の中で目を閉じた。
夜の米花町。
阿笠邸の窓から漏れる微かな光を、遠く離れた刑務所の鉄格子の隙間から、ジンもまた同じように見つめているのかもしれない。
歴史という名の歯車が、朝陽の指先によって、再び静かに、しかし力強く回り始めた。