西の国にも冬が訪れようとしていた。このお館での生活もそろそろ半年になろうとしていた。私の仕事は特に代わり映えがない。朝リア様の部屋の暖炉をつけてリア様を起こし、朝食を持ってきて、掃除をして、昼食を持ってきて、午後の紅茶を持ってきて、夕食を持ってきて、食後の紅茶を持ってくる。あれ? 交代制だった筈では? お付きの筈のメイド達も私の役割みたいに渡してくるし、メイド長も執事長も何も言わない。これは実質の専属メイドではないか?
私の仕事は変わらないが、一つ変わったこともある。
「そこの発音はhaではなくàだと言っているだろうが!」
「はい! ha」
「だから違う。音をきちんと認識しろ。私が言っているのはà、君が言っているのはhaだ」
「は、はい!」
何故だかリンゴォ様が言葉の授業をしてくれているのだ。リア様はそれを楽しげに見ている。リンゴォ様は元々リア様の家庭教師でもあるのだからリンゴォ様が教えることは何ら変哲もないのだが、何故私が教わることになるのだか。リンゴォ様が今教えて下さっているのは、中央国プレイアの発音だ。何でも東西南北のどの国も話している言語の80%程は変わらないそうだが、アクセントに関しては、大きく変わってしまうらしい。特に貴族としてプレイアの発音を物にできないのであれば、馬鹿にされるそうでこうして勉強しているらしい。普段かなり温厚なリンゴォ様は教える時だけ少し怖い。だけどそれは期待の裏返しだと気づいてから、自分に喝を入れて頑張る。段々と私も遠慮がなくなり、御茶会も一緒の席に座っていたりと周りの目が気にならなくなっていた。
流石に何かやっかみを受けるかと思っていたのだが、実際周りからはどう見られているかと言うと「可哀想」だそうだ。
最初の頃こそ、仕事が楽だと思っていたが、メイドの仕事とどちらが大変かと言われれば、甲乙つけがたい。最近なんて他の歴史や数学なんかも習わされそうだ。一体ただのメイドに何を求めているのか?
こんなの身分不相応ではないだろうか? イスカ様にどやされたりしないだろうか?
「何をボーッとしてる」
「ヒャッ」
リア様の部屋の入口に立っているといきなり声を掛けられ、びっくりした。噂をすれば、と言うよりも頭に浮かんだだけなのだが、イスカ様が珍しく現れた。別に兄弟仲が悪いわけではないのだが、余りリア様の部屋に訪れない。訪れる理由がないと言えばそうなのかもしれないが。
「兄上は?」
「こちらにおります」
「ふん。見ない間に随分といい身分ではないか」
「いえ、そんなことは」
「兄上だけでなく、リンゴォ氏にも気に入られたと聞いているぞ」
「はい、リア様にもリンゴォ様にもよくしてもらっています」
出会った頃はこの貴族的な口調も怖かったが、今これを聞いても可愛いとしか思えない。こんなものは挨拶に過ぎない。私たちを見てリア様が安楽椅子から起き上がると小さくあくびをした。
「兄上、昨日は夜更かしでもしましたか?」
「%」
「リア様はいつも眠たげですよ。昨日もぐっすり寝たはずですから」
リア様は夜寝るのが早いからと言って朝早いわけではない。なんなら朝食のお時間に寝坊しかける。いくら王子様と言えど、朝食のお時間に間に合わなければ食事は食べれない。ベッドの中でお食事を取るので、リア様を起こしてから、朝食を取りに向かうと大概二度寝している。
「兄上らしい」
イスカ様は少年のように笑った。
「兄上、狩りに行きましょう」
「##」
魔術師にとって狩りとは、魔獣を魔術によって狩ることを言うそうだ。しかし、リア様はともかくイスカ様は10歳だ。魔獣狩りには基本的に連れて行かない。この場合の狩りとは、動物などを魔術によって狩るいわば練習のようなものだ。本来であればリア様とイスカ様のような年齢の子供だけで行くようなものではないけれど、この国においては、リア様より強い者などいないらしい。と言っても私にとってはいまいち魔獣の強さも魔術師の強さもよくわからない。あれほどの大きな魔獣も見たのは一回きりだし、それもリア様があっさりと倒してしまった。
「父上には、馬に乗って遠出することも許してもらいました。兄上とだったら、狩りに行ってもいいと」
「#」
この時ばかりはイスカ様は年相応に見えた。リア様も楽しそうで、こちらまで嬉しい気持ちになる。
「何か料理人に作らせましょうか?」
といってもサンドイッチくらいしかできないだろうが。
「ピクニックじゃないんだぞ。これは狩りなんだから。それにお前はウサギの死体でもみたら卒倒してしまうのではないか?」
「大丈夫ですよ。ウサギ程度ならよく絞めてましたから」
そう返すと何故かイスカ様に引かれた。そう言えばお父さんも魔術を使って狩りをしていた。ウサギ肉は身が引き締まっていて煮てもよし、焼いてもよしで美味しかった。と言っても城壁外暮らしの贅沢の話で、今からしてみれば丸々と太った鶏肉の方が美味しいと感じるだろうが。
料理人にサンドイッチを頼むと火の魔石と水筒、そして小さくて軽いお鍋と茶濾し、鉄製のコップを取りに行った。これは、ピクニックなんかに使うお出かけ中に紅茶を飲む為の道具だ。もっと大勢の人がいるピクニックだときちんと陶器のカップを使うのだが、今回であれば鉄製で十分だろう。陶器で紅茶を飲むと美味しいのだが、ピクニックに持っていったら割れてしまう。
「マリーは付いていくのか?」
サンドイッチを持ってきてくれた料理人のライムさんが世間話に尋ねました。ディジーの次に喋る使用人です。きっとリア様が外出されるのが珍しいからなのでしょう。
「今回はイスカ様とリア様の狩りですから、流石に付いていかないですよ。お二人はお馬に乗られますでしょうし」
私は馬に乗れないし、流石に歩いて来いなんてのは言われないだろう。
「なんでえ、マリーはリア様に気に入られているから三人分入れてしまったわ」
「多い分には大丈夫ですよ。それにきっとイスカ様のお付きの方もいらっしゃると思いますから大丈夫ですよ」
ここでのお付きの方というのは、メイドではなく、男性の兵士と秘書を兼ねたような方で、イスカ様とほぼ年齢が変わらない方やリンゴォ氏と年齢が変わらない方までいる。
逆に言うとリア様はこのお付きの方がいない。
リア様は、旦那様の本来の子供ではあるが、五歳から十歳の頃まで死んだと思われていた。前妻の従士などは、前妻様が流行り病にかかり死んでしまった時に、元の家に帰ってしまった。そこから変わるように旦那様の現在の奥さまの家来が勤めているので、今いる殆どの家臣はイスカ様の派閥ということになる。血を考えればリア様が旦那様の跡を継ぐのだが、リア様が精霊語しか喋れないこともあり、貴族としての役目を全うできるかは微妙な所だ。リア様が既に貰った領地ですら、ほぼ関わっていないというし。
本来だったら御付きの人などは旦那様が用意してくれるはずだ。しかし、リア様が急に戻ってきたことと家臣の殆どはイスカ様の派閥であること。また、竜害があったせいで忙しくて出来なかったそうなのだ。
「だから大丈夫だと言っているだろう」
サンドイッチを持って部屋に戻ろうとするとイスカ様が少し怒ったような声が聴こえた。
「ですが」
「では何だ? お前は自分が兄上よりも強いという気か?」
「そのようなことは…」
「であったらお前は来なくていい。兄上と行くと言っているだろう」
どうしよう。言い争っている従士の方にこれを渡す筈だったのに。話を聞く限り、イスカ様はリア様と二人きりで狩りに行きたいと思っているようなのだ。サンドイッチと紅茶セットを入れたバスケットは決して小さいものでは無いので、私としては、従士の一人、二人は連れていってほしいのだが。
そうこう言い争っているとリア様がやって来て、二人は黙った。
これ幸いとまるで今来たかのように、皆様の前に出た。
リア様はまるで聴いていないかのように歩き出した。いや、本当に聞いていなかったに違いない。
「##」
「外套ですか?」
確かに忘れていた。まだ秋とは言えど、もう寒い。流石に一日中外にいたら、肌が冷えるだろう。
「取ってきますね。少しだけお待ち下さい」
サンドイッチを持ったまま、リア様の上着を取りに行く。私も外套を着るか少し迷った。厩舎までの短い距離といえど、もう冬に近い、この格好では寒いだろう。まあ、厩舎までなので、そこまで暖かい格好はいらないだろうと直ぐに戻ってくるとリア様はそのまま待っていてくれた。
「お待たせしました」
「#>>?」
「そんな格好で大丈夫か? ですか。全然大丈夫です。寒さには強いので」
外に出るとイスカ様は既にいて馬に乗って待っていたのだが、まだ喧嘩しているらしかった。
「御身を気にしているのです」
「兄上がいて、気にすることなぞあるか」
流石に私達に気付くと止めたがリア様も気分は良くないだろう。
馬屋の世話係に馬を持ってこさせるとリア様は馬を撫でた。
「#゜#」
よろしくとでも言っているのだろう。
「お手伝いしましょうか?」
馬の世話係が踏み台代わりになろうとしゃがもうとするのを制した。
鐙に左足を掛けると不自然に右足が上がった。まるで地面がせり上がったかのように右足が馬の高さと同じくらい上がる。恐らく魔術を使ったのだろう。華麗に馬を一人で乗ってしまうとイスカ様が目を輝かせた。
「兄上、今度教えて下さい」
少し困った様に笑ってリア様は頷いた。
「それで…このバスケットは誰に渡せばいいのでしょうか?」
私の仕事はこのバスケットを狩りに行く方に渡すことだけなのである。本来だったら従士の方に渡すべきなのだが、イスカ様が二人で行くと仰るのならどちらかに持って貰うしかない。
「##゜#」
こっちに来てと言われたので、近付いた。どうやらリア様が持っていってくれるらしい。
「兄上、それくらいなら自分が」
その言葉を余所にリア様は私に手を差し出した。私も全力全身でバスケットを上に掲げた。
「リア様?」
しかし、リア様が持ったのはバスケットじゃなくて私の腕だった。
突如として身体が浮く。
「キャッ」
「リア様」
「兄上」
私は気付くと馬の上に座っていた。当然リア様以外は私も含めてびっくりしていた。
「##」
「行くぞって降ろして下さい。リア様」
馬が歩を進めるものだから降りられない。いや、止まっていたって降りられないだろう。馬は思っていたよりも高い。
後ろを振り返ると唖然とする従士と渋々付いていくイスカ様が見えた。
「ま、待ってください。リア様」
馬は思ったよりも早く風が体を吹き抜ける。メイド服の下に肌着を着てはいるが、外に出ても暖かい服装ではない。
「#?」
「いえ、大丈夫———」
ここで大丈夫と言ってしまうのは危ない気がした。
「全然大丈夫じゃないです。降ろしてください」
「%」
断られました。
「いや、本当に寒くて」
「%"#(()#」
だから言ったでしょ。みたいなこと言っていますが、私付いていくつもりは一切なかったんです!
「%&!\」
しょうがないなぁと言わんばかりに外套の前を開けて私を覆った。
「'#"!!」
もっとくっ付いてと言われましても。
「何やっているんだ? お前?」
助かった。
「外に出ると思ってもいなかったので、寒いんです!」
流石にリア様の外套に入るのは恥ずかしい。
「これをやる」
そう言って上をイスカ様は上を一枚脱いで私にくれた。
「脱いで大丈夫ですか?」
「まだ秋だと言うのに真冬の装いを渡してきたのだ。暑くて仕方がない」
確かに一枚脱いでもまだ暖かそうだ。
「ありがとうございます」
私のほうがイスカ様より大きいが、そもそもこの外套が少し大きく、私が着ても十分に大きかった。
「だいたいなんでお前が一緒に———」
そう文句をつけたいのは私も一緒なのだ。しかし、上機嫌なリア様を見て私もイスカ様も諦めた。イスカ様なんてすぐに機嫌を取り戻してリア様にいつもの訓練の話を楽しげに話している。しかし、私はいつも以上に緊張していた。何故ならリア様の熱を背中で目一杯感じるからである。変な汗を背中でかいているのがわかる。それでリア様から離れようとしようものなら、リア様は私の脇を締めて私が前のめりになるのを防ぐ。いっそのこと背中を預けてしまうのが楽なのだが、汗をかいた背中なんてリア様にバレたくなくて、前に行こうとする私と後ろに引っ張るリア様の間で中途半端な体勢で必死に耐えていた。途中馬鹿らしくなって、と言うよりも中途半端な体勢で腹筋が疲れたから諦めてリア様に背中を預けることにした。
狩りは長いのだ。