幼き神にはあしからず   作:庚申待ち

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天地初發之時、於高天原成神名、天之御中主神、次高御產巢日神、次神產巢日神。此三柱神者、並獨神成坐而、隱身也。

次、國稚如浮脂而久羅下那州多陀用幣流之時、如葦牙、因萌騰之物而成神名、宇摩志阿斯訶備比古遲神、次天之常立神。此二柱神亦、獨神成坐而、隱身也。

上件五柱神者、別天神。
(古事記・上卷二 原文(注釈抜))

現代語訳(平易な日本語に寄せようと頑張った結果、精訳ではなくなっている箇所があります)
 天と地とが始まった時、高天原(たかまがはら)に出でなさった神の御名は、天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)、次いで高御産巣日神(タカミムスヒノカミ)、更に次いで神産巣日神(カミムスヒノカミ)であった。この三柱の神は、独神(ヒトリガミ)*1となりなさって姿を隠しなさった。

 次いで、国土が幼く水に浮く脂のように、クラゲのように島々が漂っていた時、葦の芽のようにそこから萌え出でたものが神となりなさり、その御名は宇摩志阿斯訶備比古遅神(ウマシアシカビヒコヂノカミ)で、次いで天之常立神(アメノトコタチノカミ)が現れなさった。この二柱の神もまた、独神となりなさって、姿を隠しなさった。

 以上五柱の神が、別天神(コトアマツカミ)である。

*1
性別不詳で配偶神もいない神。ここに記す五柱に加え、天地開闢以後最初の二柱である国常立尊(クニノトコタチノミコト)豊雲野尊(トヨクモノノミコト)の計七柱が該当する。高御産巣日神と神産巣日神は対の神として描かれることも多いが、飽く迄も単独の神である。




序章
第一段 幼き神、来たる


 如月の六日。先日冬の陽気(とは?)に浮かれた雪女が所構わず大暴れしたお陰で昼一刻の間に丈三尺(約91㎝)という大雪が積もり、彼方此方で人も妖も家を潰されないよう雪掻きに追われるある日。昨日の暴風雪の名残か、風はなくともしんしんと細雪が降り頻る中、昨日件の雪女を魔理沙、早苗と三人がかりで漸く成敗して疲労困憊の霊夢がいる博麗神社にも、雪が音を吸うことで、静謐が満ち――

 

「こら橘! 勝手に私のフィナンシェ食べてんじゃないわよ! 昨日お礼で里の人から貰って今日食べようと大事に取っておいたんだから!」

 

「べー! 昼まで布団でぬくぬくしてたねぼすけれーむの代わりに雪掻きしてあげたんだから、別にいいでしょ! 悔しかったらぼくに追いついてみなよ!」

 

 ――喧しいことこの上ない鬼ごっこが開催されていた。

 橘と呼ばれた小さな――年回りは、チルノよりも下であろうか――男の子は、彼の身体には少々大きい、「天」「高」「可」「国」「豊」「淤」「意」等の無数の漢字が描かれた白地の甚平の袖や裾を翻し、軽く波打つ短い白髪を靡かせつつ、小さな身体と短い脚で見た目からは信じられない俊足を見せ、空を飛んで追尾する霊夢を余裕綽々で翻弄していた。時折振り返って霊夢を見遣る円らな両の瞳は淡く七色に輝き、あどけない顔貌に神々しさを与えている。

 韋駄天の如き神速で境内や社殿を疾走する彼は、幻想郷の住民が弾幕勝負の時に見せるあの――輝かんばかりに美しく、そして獰猛で挑戦的な――笑みを浮かべつつ更に速度を上げる。そして何十周したか分からない社殿の廊下を抜けると、慣性の法則を無視しているのかと疑う程の小回りで部屋部屋を駆け回り、柱や梁を障害物に使って霊夢を妨害する。それらに激突させて、霊夢を自爆させようとしているようだ。

 ただ弾幕勝負に慣れている霊夢が止まっている障害物如きでぶつかる(ミスする)はずもなく、狭い部屋の中で白と紅白の残影がビュンビュンと風を切る轟音を立てて旋回し続けていた。障子や襖が風に煽られてガタガタと喧しく鳴り、部屋の中の調度品が烈風に巻かれて転がる。

 橘に振り払われないように必死に自分の寝室の中を飛び回りながら、霊夢は昨日の疲れが抜け切らない頭で回顧する。

 何故、こんな面倒なお子様を抱え込む羽目になったのやら……

 


 

 時は、阿梨夜の異変から一ヶ月程が経った頃の初冬の某日まで遡る。永琳から異変の種明かしを受けて月人の身勝手さに魔理沙共々憤慨したのも一月前の話、特に変わり映えのない日常を送っていた日のことであった。

 雪そのものはちらつき始めていたがまだまだ冬将軍の足音は遠く、先日までは降った翌日には雪が消える、を二週間ほど繰り返していた所での小春日和に、霊夢、そしていつも通り魔理沙が久々に縁側に出てまったりとお茶を啜っていた朝に、"人間"の来客の気配がしたのだ。

 魔理沙は神社に参拝客が来たらしいことを驚いていたようだったが、一方で霊夢は希少な賽銭(参拝客)に諸手を挙げて喜びはせず、寧ろ若干の訝しさを感じていた。

 

 現代の外の世界では気にする者の数は多くないが、神社に参拝する時注意すべきものの一つに、忌み日がある。通常忌み日と言えばある人がこの世を去った日から四十九日やその故人の祥月命日等を指すことが多いが、それは仏教におけるものだ。神道においては――無論仏教の忌み日も該当するが――その他にも様々な忌み日が存在する。

 例えば、六曜の一つである赤口は、「赤」の字が血や火等の穢れを暗示する凶日とされており、この日に参拝することは祭神への不敬である故に避けるべきだとされる。他には不成就日という、何を始めるにも凶とされる縁起の悪い日も忌み日だ。前述の四十九日は、忌中と言われている。

 

 閑話休題(はなしをもどして)――この日は、まさにその忌み日であった。しかも、赤口と不成就日が重なるという大のつく凶日である。更に言うなら、赤口は正午の前後一時間、昔の言い方でなら午の刻以外は凶とされる日なので、朝に来るなど最早神への冒涜ですらある。

 未だ神も妖怪も健在の幻想郷で斯様な真似をする愚者など、少なくともまともな里の人間にはいない。では、一体――?

 

 霊夢は一通り考えてから、自らの目で確かめるべく縁側を立った。魔理沙もそれに続き、未だ湯気がゆらりゆらりと立ち上る湯呑を置いて、境内へと向かった。

 鳥居と社殿を繋ぐ石畳が、日の光を受けて白く光っている。所々、雪解け水の水溜まりによって、思わず目を細めそうになるほどに陽光を反射してくる。

 その眩い光の中に、一つの小さな人影が黒いシルエットとして浮かび上がった。霊夢の目測なら、妖精よりも小さいかもしれない。メディスンよりは大きかろうが、三妖精やチルノには背丈で劣る、といった所か。言うまでもなく、相当に幼い子供の体躯だ。

 暫くその子供はきょろきょろと辺りを見回していたが、霊夢と魔理沙に気付いたらしく、とことこと小さな足で二人の方に駆けてきた。その影が近付くにつれ、逆光の暗がりが薄らいできて、霊夢達にも段々とその容貌がくっきりと見えてくる。

 丸みを帯びたあどけなく、可愛らしい顔立ちに短い純白のウェーブヘア。霊夢達を見上げてくる大きな双眸には虹の輝き。腕の動きに合わせてぱたぱたと端が揺れるぶかぶかの白い服には筆字と思しき漢字が幾つも(あしら)われていて、見る者に厳つい印象を与える。下衣は対照的に、殆ど黒にしか見えない紺色――所謂留紺(とめこん)――だ。身に纏う物と子供自身の雰囲気が対極にあり、そのお陰か奇妙な自然さが――(つづ)めれば、ちぐはぐなファッションの癖して非常によく似合っていた。妙に着衣が派手で他の者の感性を置いていくあの二柱とは違い、奇抜ではあれど違和感のないファッションだった。

 

「ねえ、そっちの赤と白のお姉さんはここの巫女さん?」

 

 既に霊夢と魔理沙の一見先程まで歩いて来ていた子供が、よく通る、やはりあどけない声でそう霊夢に問いかけた。質問というよりは、確認に近い問いだった。

 

「そうよ、私がこの博麗神社の巫女、博麗霊夢。初対面でアレだけれど、紅白呼ばわりは止めてくれない?」

「事実なんだから別にいいんじゃないか? 縁起もいいんだし」

「初対面で毎回言われてると腹も立つのよ。というか、それじゃあ魔理沙(あんた)は葬式模様でしょ? 縁起悪いわね、流石魔女様」

「おいおい、そんな露骨に拗ねんなよ巫女様~」

 

 霊夢の返答に魔理沙が茶々を入れ、誰が見ても「仲良しなんだな」としか思わない、じゃれ合いのような口喧嘩が始まった。

 

 因みに、今では一般的に葬儀などで使われる白黒の幔幕は、紅白幕に対して鯨幕という。鯨の腹に模様がよく似ていることからこう呼ばれていて、元来は冠婚葬祭いずれの祭事でも使われてきたのだが、明治初期に流入した(キリスト)*1の影響で弔事の印象が強くなり、慶事の際には紅白幕に取って代わられることが多くなったとされている。白と黒だって、元々は縁起の良い物だったのだ。なお、紅白幕が使われ始めたのは昭和初期とされている。

 

 さて、そんなことは知らない霊夢と魔理沙が二言三言言葉の応酬を続けていると、待ち兼ねた白髪の幼子が少し語気を強めて口を開いた。

 

「縁起がどうとか色がこうとか、どうでもいいの! それより、ぼくの話聞いて!」

「あ、ごめんごめん。この魔理沙(アホ)が変に口を挟んだもんだから」

「アホってなんだよ、アホって」

「あんたのことよ?」

「喧嘩禁止!」

 

 売り言葉に買い言葉、また直ぐしょうもない言い争いを始めようとする二人に、彼がイライラした様子で釘を刺した。そして、導入が面倒になったのか、そのまま強引に本題に移った。

 

「もう……まあいいや。それじゃあれーむ、お願い、っていうか命令ね――

 ――もうぼくの仕事を増やさないで!」

 

 小さな手でびしっと霊夢を指差しながら彼がそう告げた。如何にも、四季映姫・ヤマザナドゥがしそうなポーズではある。背格好と顔が幼く、纏う雰囲気にも威圧感が皆無なせいで、緊張感が微塵もないのは童顔でも大変怖い映姫とは対照的だが。

 さて、当然霊夢と魔理沙の反応は――

 

「「……何のこと?」」

 

 ――あからさまな困惑であった。素性も分からない子供に「仕事を増やすな」と言われてもどうしろと言うのか、という話だし、抑々霊夢達に心当たりはない。どちらかというと異変を解決する側――仕事を片付ける側――なので、言い掛かりもいい所だ。あり得るとしたら、弾幕勝負の時に偶に流れ弾で里に被害を出してしまうことだろうか。

 彼はどうやら「ぼくが注意したら、直ぐ謝ってくれる」とでも思っていたらしく、霊夢と魔理沙が呆気に取られているのを見て彼自身もきょとんとしていた。数秒後、何か間違ったのだろうかとそわそわして視線を揺らし始める。彼が自分の説明不足に気付くのは、気まずい沈黙が一分程続いた後だった。

 漸く自分の失態に思い至ったらしい彼はきまりが悪そうにちょっと視線を逸らすと、ほんのり頬を赤らめながら咳払いして、六十と数秒ぶりに言葉を継いだ。

 

「こほん……そっか、まだぼく自己紹介してなかったね。ごめんごめん、何で怒られてるのかわかんないよね。それじゃ、ぼくの名前、教えてあげるね! びっくりして倒れないでよ?」

 

 そこまで言うと、彼は一度言葉を切った。その場でくるりと一回転してみせると、精一杯に胸を張ってポーズを決めた。霊夢と魔理沙の目には、お芝居で主役を貰って喜色満面の幼稚園児のようにしか映らない。正直に言って、とても可愛い。未だ目の前の子供が人間だと疑っていない霊夢には、背伸びしたい年頃なんだろうな、と微笑ましく思われた。

 そんな霊夢と魔理沙の胸中はいざ知らず、決めポーズを取った彼は、そよ風に髪と袖を靡かせつつ、幼気な声を張って名乗った。

 

「幻想郷の民よ、目にも聞け、音にも見よ! われは別天神(コトアマツカミ)が第四代、億万年を生きる高天原最古の神が一柱にして、生命と活力を司りし原初の神、可美葦牙彦舅神(ウマシアシカビヒコヂ)なり! 畏れ崇めよ、人間達よ!」

 

 渾身の大声に、近くの木に留まっていた小鳥が数羽驚いて飛び立った。

 とは雖も、たかが小鳥が数羽、少し羽音が聞こえるくらいだ。さして迫力はない。

 霊夢は目の前の子供がいきなり自らを神だと名乗ったのにも驚いたのだが、傲然としたセリフに反して可美葦牙彦舅神が可愛らしすぎた。先程の譬えの繰り返しだが、「わるいおにたちめ、たいじしてやる!」と言っている桃太郎役の幼児と大して変わらないのだ。畏れ崇める筈もなく、言葉と裏腹の可愛げな声と見た目をまじまじと見るうちに――

 

「……ぷっ」

「あはははは!」

 

 ――霊夢と魔理沙は、どちらからともなく爆笑し始めた。どうやら魔理沙も、可美葦牙彦舅神の見てくれと名乗りのギャップに堪えられなかったようだ。

 

「ちょっと、そんな可愛い(ナリ)でそんなこと言われても……ふふっ……」

「抑々さ……『目にも見よ、音にも聞け』じゃないか? そんなカッコつけて間違えるとか……やべ、お腹痛い……」

 

 余談だが、魔理沙が指摘した以外でも可美葦牙彦舅神のセリフにはもう一つ間違いがある。「司りし」のような、芝居がかった自己紹介ではお馴染みの「~し」という表現は古語の過去の助動詞「き」の連体形なのだ。言い換えると、「~し」は「~た」に置き換えられる。つまり、「司りし」だと「司った」という意味になってしまう(英語で例えると分かり易くて、「死を司りし神」は"a god who mastered(manipulated) death"となる)。「爆裂魔法を極めし」とか「魔王を倒せし」辺りなら何ら問題はないのだが、状態を表す言葉に使うと途端に意味が通じなくなる。なので、可美葦牙彦舅神はシンプルに「司る」とするか、若しくは存続の助動詞で「司れる」(「司っている」という意味になる)とすべきだった。

 

 霊夢と魔理沙が恐れ慄いて平伏するか汗だくになるかとばかり思っていたらしい可美葦牙彦舅神は、両名に大笑いされ、更には魔理沙に揚げ足を取られるというあまりに予想外な展開に思考停止していたようだったが、そのうち鬼灯を彷彿とさせるほどに顔を赤くして唇をわなわなと震わせ始め、短い腕をぶんぶんと振りながら喚き始めた。

 

「――ッッ!! 何笑ってんのさ! ここ怖がって『はは~っ!』ってする所だよ! それにぼく間違ってないもん! ぼくの威光はすごいから、音でも見えるし目でも聞けるの!!」

 

 かの石に(くちすす)ぎ流れに枕する男のような苦しい強がりをしながら、可美葦牙彦舅神は怒りと恥ずかしさが限界に達して今にも泣きそうな表情で霊夢と魔理沙に食って掛かる。先程まで演出しようとしていたらしい威厳も台無しだ。ここまで来ると、もう崇めるべき神様として見ろという方が無理難題である。

 そして可美葦牙彦舅神にとって不幸だったことがもう一つ。

 そちらは、可美葦牙彦舅神が小さな身体で霊夢に飛びついて一頻りぽかぽかと殴って落ち着いた時に判明した。尚、可美葦牙彦舅神は別天神を自称する割には膂力が貧弱なようで、霊夢は一度も痛いとは感じていない。

 その不幸と言うのは――

 

「……はぁ、笑い疲れた」

「だな。ここまで笑えたのは久しぶりだぜ。ありがとな、別天神様?」

「なんでこんなに馬鹿にされないといけないのさ……ぼく最古参なのに……」

「仕方ないでしょ? 私達の歓心を買いたいからって、自分が神様だなんて、嘘はダメでしょ?」

「……え??」

「そうそう、霊夢の言う通りだぜ。そんな神様、私も霊夢も知らないし」

 

 ――彼の神名の知名度があまりにも低かったことだった。

 

 霊夢も魔理沙も、別天神と言う五柱の神がいることを知らず、当然その中の一柱など論ずる無く、だ。「この世の創造神と言えば伊弉諾(イザナギ)伊弉冉(イザナミ)」というのが一般常識である。大抵の者にとっての、ではあるが、常識とは一般大衆が等しく持つものなので、正しくそれこそが常識なのである。

 ある意味、それは仕方がないことなのだ。読者諸賢でも、可美葦牙彦舅神(宇摩志阿斯訶備比古遅神)という神を拙作を読む前から知っていた、という方は多くはなかろう。

 第一に、別天神全体について言えることだが、あまりにも――そう、あまりにもマイナーである。彼等は化成した瞬間に隠身(かくりみ)となってしまったせいで、五柱のうち三柱に関しては全くと言っていいほどに他の神と接点がない。

 高御産巣日神、神産巣日神は、八意神が高御産巣日神の御子神に当たることと、二柱が国譲りで助言を成したなど天地開闢以後の神話にも姿を見せるが、それ以外の三柱は隠身となった後の記紀での記述が文字通りのゼロなのである。

 天之御中主神は宇宙の中心に存在する神として北辰(北極星)を象徴する妙見菩薩と習合していたりもするのだが……残念ながら、可美葦牙彦舅神と天之常立神はそういう類の神話も各神社の縁起に拠らなければ存在しない。

 そして、そんな神と"面識"がある神は高天原広しといえど、数柱の例外を除けば同属の独神のみだ。生まれて直ぐに幽世に引き籠っているのだから当たり前である。八意神でさえも、可美葦牙彦舅神のことは神名でしか知らない。まさか、幼い子供の形をしていようとは露も思っていないだろう。

 

 しかし、その「当たり前」は、可美葦牙彦舅神(お子様)の矜持を抉るには充分であったようだ。

 

「……え……? ほんとに、ぼくのこと知らないの……?」

 

 そう呟いた数秒の後、彼の口がへの字に歪み、また震え始めた。虹色の眼が、じわりと潤む。そして――

 

「……ぅぇ……うわぁぁぁぁん!!」

 

 ――声を抑えようともせず大泣きし始めた。地面にへたり込み、大粒の雫をぽたりぽたりと石畳の上に落としていく。既に解けた雪で湿っている白い石板にはほんの少しの染みが出来るだけだが、数分あれば新しく水溜まりが一つできるのではないかと思えるほどの凄まじい泣き様である。

 

「……うぇ……ひっぐ……ぼく、えらいのにぃ……しらないだなんて、ひどすぎるよぉ……」

 

 いきなり崩れ落ちて嗚咽する自称原初の神を見て、霊夢と魔理沙は大層慌てふためいた。

 天照よりも、伊弉諾よりも旧いらしい神の機嫌を損ねたから?

 いいや、単純に子供を泣かせたことへの罪悪感故である。

 

「ちょっ、どうしたの!? ほらほら、泣かない泣かない、深呼吸して、ほらゆーっくり……」

「……なんで私等子守させられてるんだろうな」

「ぼやくのは後でいいから手伝いなさいよ魔理沙! 文に変な事書かれたらどうすんのよ!」

 

 そうやって騒ぎながら霊夢と魔理沙は必死で可美葦牙彦舅神を宥め、二十分かけて漸く、鼈甲飴を献上することで彼を泣き止ませた。既に霊夢と魔理沙は疲労困憊である。

 


 

 霊夢は頬を伝った涙の跡がまだ乾ききらない可美葦牙彦舅神を取り敢えず社殿にあげて鼈甲飴や煎餅を盆に出してお茶を淹れてやり、話を聞くことにした。魔理沙も勿論の如く一緒である。

 

「まず謝って! ぼくのこと馬鹿にしたの、謝って!」

 

 彼の第一声はこれだった。彼のメンタルに止めを刺したのは彼自身の知名度の低さだし、霊夢と魔理沙に笑われたのも自分が背伸びして使った日本語が稚拙すぎたからなのだが……そう正論をぶつけてもこのお子様は拗ねるだけだろうし、一応純粋無垢そうな子供を泣かせてしまった負い目はあったので二人とも素直に謝る。

 すると、可美葦牙彦舅神はそれだけで溜飲を下げられたのか、さっきまで癇癪を起していたとは思えない程に大人しくなり、二人に頭を下げた。

 

「……ごめんなさい。さっきのは、やっぱ八割方はぼくが悪いよ。れーむたちが知らないって言ってるんだから、ぼくが教えてあげればよかったね」

 

 ――凄まじい人格のブレようである。さっきまで泣き喚いていたのに急に聞き分けが良くなる辺り、ほんの少し人外特有の”測れなさ”を感じる。

 霊夢がフランドール辺りを思い浮かべていると、可美葦牙彦舅神は言葉を紡ぎ始めた。

 

「改めまして、ぼくは別天神(コトアマツカミ)の四番目、可美葦牙彦舅神(ウマシアシカビヒコヂ)。長いから、普段はぼくが名乗りに使ってる"橘"って呼んでくれればいいよ」

「お、おう……なんだ、普通に話せるんだな。それで、橘、でいいのか? 名乗りが遅れたが、私は霧雨魔理沙。普通の魔法使いだ。宜しくな。悪いけど、まず別天神ってのが何なのか説明してくれないか?」

 

 魔理沙が訊ねると、可美葦牙彦舅神改め橘は、湯気が途切れることなく立ち上って如何にも内容物が熱いと報せてくる自分の湯飲みを見詰めながら答える。どうやら、猫舌らしい。

 

「むぅ……あ、別天神について、ね。別天神っていうのは、空と地面が分かれるより前に化成した(生まれた)、ぼくも入れて五柱(いつはしら)の神のこと。一番最初から、天之御中主様、高御産巣日様、神産巣日様、ぼく、で最後にトコタチ――天之常立だね。ぼくより先に成った御三方は造化三神って言われていて、正真正銘の、神々の頂点だね。まりさはともかく、なんで巫女のれーむが知らないのかよくわかんないけど」

「……」

 

 言うまでもなく、霊夢の不勉強のせいである。

 

「ただ、ぼく達は皆が言うような”神様”じゃないんだよね。幻想郷に神が大勢いるのは知ってるけど、例えそれが国津神であれ天津神であれ、信仰がないと存在できないよね。でも、ぼく達は別にそれで力が弱ったりはしないの」

「じゃあ何でわざわざ幻想郷に来たんだ?」

「話最後まで聞いてよ……」

 

 魔理沙の質問に橘は顔を顰めた。あまり話すのを邪魔されたくない話したがりらしい。

 

「ぼく達は、この世の理そのものなんだよ。天之御中主様ならこの世界が存在すること、続くお二方は生きてない物が存在すること。トコタチは、天が上にあって、地面が下にあること。そしてぼく、可美葦牙彦舅は、生き物が生きてることの象徴なの!つまり、れーむやまりさが今生きてるのは、ぼくがいるから!」

 

 そう言って、橘は自慢げな顔で言葉を切り、霊夢と魔理沙をじっと見てきた。

 霊夢と魔理沙は目配せすると、順に歯の浮くようなお世辞を口にする。

 

「……すごいわね、別天神ってそんな格の違う存在だったんだ」

「だな。流石って感じだぜ。私達が生きてるのもお前のお陰、か。ありがとな」

「えへへ……でしょでしょ!」

 

 慣れれば、扱い易いことこの上ない。霊夢も魔理沙も、こんな幼子が生けとし生けるものの生命を司っているなんてこの世界大丈夫だろうか、という率直な感想は胸に秘めておく。それを吐露して橘の機嫌を損ねても、百害あって一利なしだ。

 それどころか、生命を司るというなら、幽々子のような凶悪能力持ちかもしれないし、本気で機嫌を損ねると命を奪われかねない。霊夢は目の前の子供の警戒度を――本来は最初から最高クラスにすべきだったのだろうが、目の前の子供があまりにも無邪気で無意識に下げていたようだ――今更ながら一気に跳ね上げる。

 霊夢の顔が少し強張ったのには気付かず、橘は上機嫌のままに続ける。

 

「ただ、ぼくも何でもかんでもできるってわけじゃないんだ。さっきも言ったけど、ぼくは”概念”が意識を持ったような存在。だから、崇められなくても消えたりしないし力も弱まらない代わりに、こういう風に姿を現しては現世(うつしよ)には干渉できないの。だから、今のぼくはぼく自身に”橘”って名前を付けて現世に”堕ち”て、やっとこうやって顕現できるんだよ。ぼくは暇なのは嫌だからちょくちょく葦原中津国(下界)に遊びに来てたけど、ぼく以外の四柱はそういう名前はないよ。そこまで暇が嫌じゃないんだろうね~」

 

 霊夢は、名付けに関しては似たような話を諏訪子と神奈子の二柱から聞いたことがある。神――特に自然神というのは、名前が付けられることによって自我を得るとか、忘れられるとその力も薄らぎ、いつしか存在ごと溶けて消えてしまうとか。信仰こそが存在の糧である神霊にとっては、信仰されるためには欠かせない”名前”はそれ程の価値を持つが、どうやらそれはある程度この原初の神にも適応されるらしい。

 

「ぼくは別天神の中でも変わり者扱いされてたからね~。ぼくは自然神と人格神の混合変異種(ハイブリッド)でもあるけど、他の皆は生粋の自然神――というより、喜怒哀楽とか自分の意志が薄い機械みたいなもんなんだよ。高御産巣日様と神産巣日様は国譲りの辺りまでは結構人情味があったんだけどね……どうして変わっちゃったんだろうね」

 

 そこら辺から霊夢にはよく判らない話になってきたが、それからも橘は、とめどなく様々に自分語りをした。

 霊夢なりに纏めれば――誤謬はあるかもしれないが――橘は多分数十億年を生きていること、少なくとも数回は外の世界に遊びに降りていることは分かった。信仰が特段必要ない橘は存在の保持のために幻想郷に来る必要はなかったようで、幻想郷に対しては「忘れられる神々と人外が信濃の山中に創った楽園」くらいの認識だったらしい。明治初期に構築された博麗大結界の存在を検知して、初めてその存在を知ったという。

 また、橘が完全に人間と同じ雰囲気をしているのは、擬態などではなく、本人曰く「ぼくの気配が人間に似てるんじゃなくて、人間に気配がぼくに似てるんだよ」とのこと。最初の神人(カミ/ヒト)だから、と説明していたが、霊夢にはよく理解できなかった。

 後は、橘は国津神、別天神以外の天津神の誰とも面識がないそうで、橘自身も神世七代*2三貴子(みはしらのうずのこ)たる天照大御神、月読尊、素戔嗚尊、そして高御産巣日神の御子神である八意思兼神――霊夢達は月の頭脳:八意永琳として知っているが――くらいの名前しか知らないのだと。一応は神職たる霊夢ですらも知らない程にマイナーなのも納得がいく。

 一応別天神は纏めて出雲大社に祀られていて、橘もそれは認知しているのだろうが、そこに毎年八百万の神が集っていて、それでもなお可美葦牙彦舅神の名が殆どの神に知られてすらいないと知ったら橘は果たしてどんな顔をするのだろうか。

 そんなことを考えつつ、霊夢は一時間程の橘の漫談に付き合い、あまりに長い無駄話(結局橘が言っていたことを要約すれば、上の十数行に纏まってしまった)に若干辟易しつつ、漸く話が一段落したらしいのを察して口を開いた。

 なお、「一段落した”らしい”」と推量形なのは、お察しの通り霊夢がもう殆ど橘の話を聞き飛ばして適当に相槌を打っていたからである。最初の方こそ臍を曲げられると面倒だからと聞いてやっていたが十数分聞いた所でもう飽き飽きしてそれ以降は何を話していたのかよく憶えていなかった。橘が未だ上機嫌に喋り続けているのは、外の世界の話や橘のこの世の根源や神格に纏わる話に興味津々の魔理沙が始終熱心に聞いて、霊夢の代わりに色々適当な質問も織り交ぜながら辛抱強く(と言っても魔理沙本人は楽しそうだったが)聞いてくれたお陰である。

 魔理沙の好奇心と集中力に少し感心し、若干の感謝も心中で述べておいた。

 

「……ねえ橘。丁度キリもいいし、最初の質問に戻ってもいい? あんた、何で幻想郷に来たの?」

 

 問い掛けると、橘は――魔理沙も――完全に忘れていた、という顔をしていた。

 なんで魔理沙(あんた)まで話に没頭してんのよ、橘も目的忘れて駄弁ってんじゃないわよ……、と、霊夢は頭を抱えさせられた。

 

 お茶は、とっくに冷めきっている。折角の煎餅も鼈甲飴も、橘は全く手を付けていない。

 ほんと、なんなのよ(コイツ)は……どう見ても、滅茶苦茶面倒な奴じゃない……疲れで語彙力も退歩しかけの霊夢の溜息が、押し隠されもせずに漏れ出でた。

*1
キリスト教では、黒は喪服等に使われる、死を連想させる色である。

*2
天地開闢から大八洲(日本列島)が成るまでの、七代十二柱の神々のこと。末代、第七代が伊弉諾、伊弉冉である。




 お読みいただき、有難うございます。
 かなりマイナーで謎な神様を主人公に据えました。本人の性格が結構ブレるのもあって相当人物像が掴みにくいかもですが、が、それも含めて楽しんでもらえたら、と思います。
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 余談
一書曰、天地混成之時、始有神人焉、號可美葦牙彥舅尊。次國底立尊。彥舅、此云比古尼。
(日本書紀一書(あるふみ)(別伝)の一つの原文の冒頭)

 ある書物によると、天地が混ざり合っていた時、始めに神人(カミ)がおわし、その名を可美葦牙彦舅尊と仰った。次いで、国底立尊(国常立尊の別名とされる)が現れなさった。”彦舅”というのは、”比古尼(ヒコヂ)”と読む。
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