幼き神にはあしからず   作:庚申待ち

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 筆者は錦上京をプレイしていないため、詳しいエンディングを一切知りません。
 大方は想像で書いていますので、大いに差異が生じているかもしれません。ご了承を。


第十二段壱 賑やかなる神社

 寒風荒ぶ山の神社の、本殿の大広間。

 

 先程まで一人の給仕に三人の酒宴が張られていた其処には、給仕に勤しんでいた人間が急な来訪者達を迎えるために即席で用意した座布団三枚と茣蓙一枚が元から布かれていた座布団三枚に加えられていた。

 まだ芳醇な酒の匂いが鼻腔を満たし、鹿肉を使っているらしい肴が多く四角い卓袱台の上に載っていて、それを囲むように計七枚の敷物が並ぶ。空いている皿が然程多くないのは、酒宴が始まって幾許も経っていない、ということを示していた。

 

「さて、改めて――だな。浅間浄穢山の主、磐永阿梨夜殿。お初にお目に掛かる。私はこの守矢神社の祭神にして、妖怪の山の守護神たる八坂神奈子。こっちは私の友人で共に此処に祀られている洩矢諏訪子、そして風祝(かぜはふり)を務める東風谷早苗。貴女のことはユイマン殿からよく伺っている。一度は直接に話してみたいと思っていた所だったんだよ。随伴した者達も共に歓迎しよう、阿梨夜殿」

 

 上座に近い座布団の一つに腰を下ろした体躯に恵まれた女神――八坂神奈子が、慇懃に阿梨夜を迎える口上を述べた。

 その右隣に座る諏訪子が目線で阿梨夜に会釈し、更にその右隣に腰を下ろした早苗がぺこりと頭を下げる。

 

 今の今まで立ちっぱなしで酒や肴やの準備に奔走していた早苗は自分は給仕に徹すべきだと思い自らの座布団は用意していなかった――抑々客人に茣蓙を出さなければいけない時点で早苗の座る場所はなかったのだが、妹紅の膝の上に白髪の子供が陣取って一つが空き、茣蓙に遠慮がちに座ろうとした早苗を道神馴子と名乗った来客の一人が「私のことはお気になさらず」と自ら茣蓙に腰を下ろしくれたお陰で、余った諏訪子の隣の座布団に一時間と数十分ぶりに腰を休めていた。

 それ故、妹紅が「コイツちょっと相性悪いな」と思った馴子に、早苗は対照的にかなりの好感を抱いていた。

 

 閑話休題(それはともかく)――神奈子の言葉に、阿梨夜が答える。

 それもまた、神奈子同様畏まった懇ろなものであった。

 

「歓待の程、感謝します。初めまして、八坂殿。私のことはユイマンから伝え聞いているとのことですし、自己紹介は控えましょうか。今日はユイマンに伝えたいこともあり、心機一転の機会と考えお邪魔しました。ユイマンの土産話通り大層仲睦まじくしてくださっているようで、ユイマンも楽しそうですから有難いばかりです」

「阿梨夜、少し堅いんじゃない? 私に用事ならパパッと済ませて、一緒に八坂様が設けてくれた宴を楽しもうよ」

 

 その言葉に少し不満気に、神奈子の左隣、妹紅の右隣から声が上がった。

 言うまでもなく、今し方阿梨夜が会話に挙げたユイマン・浅間その人である。

 

 俄かに、阿梨夜の態度が軟化した。

 

「あ、うん……そうだね、早く終わらせようか」

 

 その頬は、ほんのりと紅潮して見える。羞じらい半分、嬉しさ半分で、目を細め、柔らかく笑っている。その仕草や相貌は妖しい、美しいというよりは、どこか可愛らしく思えるものだった。

 とても微笑ましい光景で、皆がそれを見てほっこりする――のだが、例外が一人。

 

 膝に乗った橘が料理にこっそり手を出そうとするのを窘めつつその頭をゆっくり撫でてあやしてやっている妹紅は、阿梨夜の乙女の顔にひどく驚いていた。

 

 いや、正確に言おう。

 妹紅は、己の中の阿梨夜像がガラガラと音を立てて崩れているのを感じ、正直に言うと大分引いていた。

 

 妹紅が浅間浄穢山での会話から感じた分には、阿梨夜のユイマンへの愛情は母性愛に近いものだった。ユイマンの自由を喪失を嘆く時も単に彼女の話をする時も、こういう甘酸っぱさは感じられなかったのである。

 妹紅の中での阿梨夜は少なくとも恋煩いすることは絶対なかっただろうから、目の前でイチャつかれる――とまではいかずともそういう”乙女”の表情を見せられるとは思ってもみなかった。

 

 そして、妹紅の心には更なる感情が湧き上がる。

 

 ――ズルい。私だって……

 

 妹紅には、その阿梨夜の姿が急にひどく妬ましく思われた。百何年付き合ってきても胸に秘めた想いを想い人に打ち明けられずにいる彼女にとっては、気付いてしまえばこんな景色は神経を肌理の荒い布帛で逆撫でしてくるようで鬱陶しい――もといウザいことこの上ない。

 

「ン゛、ン゛ン゛ッ!!」

 

 なので、妹紅は容赦なく強制終了に持ち込むことにした。

 全員が一斉に妹紅を振り向く。

 

 妹紅の内側に湧いた嫉みに気付いていないのは、阿梨夜、ユイマン、馴子、そして膝の上の隙あらばご飯を摘もうとしている橘の四人。殆ど会話を聞いていなかったらしい橘に至っては、「急にどうしたんだろ」と一切妹紅の悪意を察せず無垢な瞳で妹紅を見上げている。

 

 他方気付いた三人はばっと妹紅の方を振り向いて「お前正気か?」「邪魔しないでくださいよ」「なかなか酷いことするね」と総じて責めるような視線を投げてきたが、そんなものには一顧だも与えず妹紅は阿梨夜の方に向き直る。

 

 阿梨夜はというと、妹紅の咳払いにはっとしたようで、少しもじもじした後に自らも小さく咳払いして話を再開した。その顔もほんのりと紅く染まっていたが、それは妹紅に対する羞恥だろう。ちょっと身動ぎしていたのはユイマンへの気持ちの表れだろうからそこにはイラっとしたが、取り敢えず妹紅の溜飲は下りる。

 

 そんな妹紅の胸中はいざ知らず、勿論妹紅が阿梨夜とユイマンの遣り取りに僻んだなどとは露も思わず、阿梨夜がユイマンに向き直り、妹紅を手で示して説明を始めた。

 

「ユイマン、こちらは藤原妹紅殿。私の新しい友で、態々私の神社を訪ねに来てくれて、私を此処に連れて来てくれた人だよ」

「藤原妹紅だ。阿梨夜を連れ出すのが目的で神社にお邪魔した訳じゃないけど、阿梨夜とは友達ってことになってるよ。宜しく、ユイマン」

 

 阿梨夜の言葉を受けて自己紹介する妹紅に、ユイマンは少しきょとんとした後俄かに顔を明るくし、屈託のない笑みで自らも自己紹介を始める。

 

「阿梨夜の新しい友達? 阿梨夜に私以外の友達ができるなんて夢にも思ってなかったから、私も嬉しいわ!」

「……ユイマン、私のこと何だと思ってるの……?」

 

 悪気ゼロの高威力な流れ弾に阿梨夜が悲しそうに少し凹む中、構わずユイマンが続ける。

 

「改めて、初めまして! 私はユイマン・浅間。在りし日の維縵国――死の国と神の国の境にあった国の王女で、今は阿梨夜と一緒に浅間浄穢山で暮らしてるの。八坂様とは旧い付き合いで、阿梨夜とももう相当長い付き合いね。妹紅――さんでいいかしら。私とも友達ってことでいいよね? 今度、鹿狩りにでも行こうよ! 阿梨夜を引っ張り出してくれてありがとう。こちらこそ、宜しくね!」

 

 そう言って、左隣にいる妹紅の方に身体ごと向き直り、すっと右手を差し出した。

 

「あ、ああ……宜しく」

 

 確かに阿梨夜は妹紅に「ユイマンは明るく笑ってくれるいい子」と言っていたけれど、妹紅の頭の中には阿梨夜の話を聞くうちに”悲劇のお姫様”というバイアスが形成されていたようで、妹紅はユイマンの裏表のない燦然たる笑顔に驚き――不覚にも少し見惚れて――少し遠慮気味にその手を取った。

 

 視界の端に、阿梨夜が妹紅達を――正確にはユイマンとそれに見惚れる妹紅を――見て、拗ねた子供のように若干頬を膨らませているのが見える。どうやらユイマンが絡むと不変の神の威厳はどこへやら、年頃の少女のように素直で純粋な恋心をエンジンに行動してしまうようだ。

 

 妹紅は不意に、先程大人気なく嫉妬を覚えたのを申し訳なく思った。

 と言うよりも、そんなことを考えた自分が恥ずかしくなった。多分張り合うことが間違いだったというか、純真すぎる二人の姿は妹紅には眩しすぎた。

 

 あと、阿梨夜があんな可愛い顔を出来るものなのかとも驚かされる。

 

 握手を交わして手短に切り上げると、ユイマンは新たな友達との握手が案外短く終わったことに名残惜しそうにし、対して阿梨夜がそれを見て安堵したようににこにこの笑顔に戻る。守矢神社の三柱は、阿梨夜とユイマンの様子を何とも言えない満足気な顔で鑑賞していた。

 

 甘酸っぱくて居心地の悪い空気と、この空気をそう感じているのが自分だけらしいという事実に妹紅が小さく溜め息を吐くと、妹紅の下、膝の上から不機嫌そうな声が聞こえて来た。

 

「ね~え~もこさ~ん、まだごはん食べちゃだめ? お腹減ったよ~」

 

 幾度も目の前の鹿肉の唐揚げに幾度も手を伸ばしては妹紅に腕を軽く掴まれて制止され続け、相当不満が溜まっているらしい。まあ、橘の性格を考えれば声を上げるのはよく我慢した方だろうか。

 

 皆の関心が一挙に橘に向いた時に、諏訪子が橘のあどけない膨れっ面を一瞥してから妹紅と阿梨夜に問い掛けた。

 

「そう言えばさ、あんた等が何も言わないからこっちも聞かなかったけど、そっちの探検家みたいな服――馴子とこの子は何者なの? 流石に何の説明もナシってのはないんじゃない?」

 

 最初から気になってはいたようだが、タイミングを掴めないで聞けずにいたらしい。

 

 その言葉に妹紅と阿梨夜は仲良く顔を見合わせ、目線だけでどうしようかと相談した。

 馴子については何も問題ない。ただの謎掛け中毒の道祖神だ。しかし、橘はどうだろうか?

 実感が伴わないとは言え、懇々と阿梨夜に説教を受けた妹紅は橘――可美葦牙彦舅神(ウマシアシカビヒコヂノカミ)が如何に常識外の存在かは知識としては知っているつもりだし、阿梨夜からすれば拝顔の栄誉に浴することすら奇跡に思える程の高貴な神だ。それを素直にここで暴露して、大騒ぎを巻き起こすというのはなかなか望ましいものではない。

 されど、妹紅達の勝手な判断でそれを隠して適当に繕って紹介しても変に橘の機嫌を損ね兼ねない。妹紅には兎も角、阿梨夜には絶対にそれは許容できなかった。

 

 二人が以心伝心の凝議を経て「本人にお願いするしかない」とコンマ数秒で結論に至るが、その時既に話を始めている者があった。

 

 その声は、妹紅の膝元――ではなく、妹紅の左隣、阿梨夜の右隣から。

 

「そうですね、名乗りは致しましたけど、自己紹介がまだでした。私は浅間浄穢山に置かれた道祖神です。そこの橘くんに謎掛けを教えてもらって、考えた力作を橘くんに披露しようかと思っていたんですが、妹紅さんと阿梨夜さんが中から出て来た時は妹紅さんの背中でぐっすりだったので、お二人にお願いして同行させてもらったんです。以後お見知りおきを」

 

 そう言って馴子は三人に深々と頭を下げる。妹紅達三人が神殿から出ようとした時に妹紅の説得を受けてからの阿梨夜への態度もそうだったが、馴子は神としての立ち位置を弁えてか、とても礼儀正しく応対している。

 頭を上げ、自らのターンを終えた馴子は橘に目配せしてみせた。それに気付き、何か自分も話したい、或いは目の前の料理を食べたい、酒を呑みたい、兎に角待つだけではなく何かしたいと思っていたらしい橘が元気に頷き、妹紅の膝から立ち上がり、机を挟んで橘と向かい合って並ぶ神奈子、諏訪子、早苗に自己紹介を始める。

 幼い声が朗々と響き、その溌溂とした笑顔が聞く者にユイマンに負けない程の鮮烈な印象を与える。

 

「はじめまして! ぼくは”足神さん”、足の神様の橘だよ! もこさんと、ありやの友達! 今はれーむの神社に泊めてもらってるの! よろしくね!」

 

 それに対する反応は――

 

「あら、君も阿梨夜のお友達なの? じゃあ私とも仲良くしてくれる?」

「うん! ユイマンはいい人みたいだし! あくしゅ~!」

 

 朗らかににこやかに返し乞われた通り橘と握手するユイマンとは対照的に、守矢勢は固まっていた。

 

「……神? 何の神気も感じられないけど?」

「足神って私達の系譜の神*1だから、そうだったら顔くらいは知っているはずなんだけれど……僭称するのはよくないわよ? それに、名前と神格が何も関係ないというのはちょっと不自然だし、妖怪か半妖かしら」

 

 諏訪子と神奈子が辛辣に答えた。

 

 早苗はぬいぐるみのように小さな橘を可愛がりたい気持ちと神様ならばそれが失礼に当たるのではという遠慮、そして冷静に考えれば失礼なんてものではない祭神二柱の言葉への戸惑いが綯い交ぜになって、おどおどしながら妹紅と阿梨夜に揺れる視線を送っている。

 

 橘は、案の定あからさまにむくれて眉根を吊り上げ、二柱の返事に反論した。

 

「ぼくはれっきとした神様だよ! ぼくの名前は自分でつけたんだもん! 四代目なのと花びらが四枚なのを掛けて、ずっと変わんない生命力(活力)に肖っただけだもん!」

「じゃあ何の何代目なのさ」

「それは――ッ! ……その……」

 

 諏訪子にツッコまれて漸く自分が襤褸を出してしまったことに気付き、返答に窮して橘が押し黙った。

 自分が別天神(コトアマツカミ)だということを出来るだけ隠そうとしていたのに、ここで言ってしまってはまた自尊心が傷つけられて終わるだけだろう。幼い頭にもそれくらいは判るだけに、反論を即座に封じられて二柱を睨めつけることしかできない。

 

「……橘、実際に足が速いのを見せてあげたら?」

「……! わかった!」

 

 このままだと橘が嘘吐き少年のレッテルを張られそうなので、妹紅は助け舟を出してやった。

 橘は天啓を得たかのようにはっとして、こくりと頷いて元気良く答える。

 

 

 

 ――直後、一陣の風と共に守矢一家の前から橘の姿が消えた。

 橘十八番の、神速の”俊足”だ。

 

「「……!?」」

「あれ、どこに――」

 

 何の予兆も気配もない突然の消失に、神奈子と諏訪子の二人が身体を強張らせて無意識に臨戦態勢になり、早苗が戸惑って首を振る。

 

「――うわあっ!?」

 

 そして、早苗が左斜め後ろに視線を遣った時、早苗の魂消るような声が皆の耳朶を打った。

 思わずそれとは反対方向に身体を反らせ、体勢を崩して畳に倒れ込む早苗の眼差しの先には――

 

「ここでした~♪」

 

 ――あどけなく笑う橘が早苗に手を振っていた。

 

 即座に、諏訪子と神奈子もそちらに視線を向ける――が、既に其処には白い小さな影はない。

 

「どこ見てるの?」

 

 おちょくるような声が、今度は諏訪子と神奈子の間から聞こえた。

 ぞっとするような気配を感じた――何も気配を感じなかったことにぞっとした二人が反射的に左右に開くように飛び退くが、そこに視線を遣ってみればまたそこからは橘の姿が消えている。

 

「こっちだよ」

 

 その声の発生源は、諏訪子と神奈子から見て卓袱台を挟んで反対側――元々橘がいた、妹紅の真横。

 

 諏訪子と神奈子は互いに見合わせた顔を、ギギギッと頸椎が軋る音がしそうな程にぎこちなくゆっくりと回した。自分達があの幼子に手玉に取られている、という屈辱的な事態を信じたくないという気持ちが、その動作から確と読み取れる。

 そこには、腕を組んで仁王立ちしている白髪虹瞳の子供が佇んでいる。その表情は少し楽しげで、今の数秒で憂さ晴らしできたのか多少機嫌がいいのが一目瞭然だった。

 

「これで信じてくれる? 神の君達に見えないくらい速く走れるんだから、ぼくだって神様ってことでいいでしょ?」

 

 橘が十分驚かせただろうと考えて、諏訪子と神奈子に訊ねる。

 

 しかし、それにも神奈子と諏訪子は難色を示す。

 確かに神奈子と諏訪子の視力ですら負えない敏捷性を持つ者は片手の指程もいないが、逆を言えば唯一無二ではない。射命丸文、そして吸血鬼姉妹――特に姉のレミリア・スカーレットのみが幻想郷における例だが、二人は共に神ではない。天狗は往々にして神の如き扱いを受けることがあるにしても、吸血鬼は西欧の神に仇成す悪魔の一種と聞く。

 二人に言わせれば、一言で言えば理由が弱いから認め難い、ということになってくる。驚かされこそしたが、それは何ら神と名乗る根拠にはならないのだ。自分達も神である以上、神格を感じられない生半可な人外を力があるからと神と認めるのでは、自らの格と沽券に関わってくる。個人的な感情として、敗北感も邪魔して首を縦に振ろうと思えない。

 しかしそんな神がいてもおかしくないとも思えて、二人は答え倦ねていた。

 

 渋い顔で思案する二人の顔を見て、二人から即座に首肯して貰えると思っていた橘も、一度は上がったテンションがじりじりと低下していく。

 

「八坂殿、洩矢殿。橘さ――くんは歴とした神だよ。頭ごなしに疑うのは流石に失礼じゃないか?」

 

 するとそこに、阿梨夜が少し強い言葉を投げ掛けた。埒が開かないというのもそうだが、阿梨夜にとっては橘が機嫌を損ねる方が怖い。

 先程は「橘様がご機嫌を損ねなさるのは不味いけれど、私が御名をお呼びして二人に橘様の正体が伝わっては橘様なりの努力が水泡に帰してしまう」という葛藤と戦っていたところ妹紅が先んじて助言してくれたのだが、それでも状況が動かず仕方なく口にしたが、阿梨夜は内心で「橘様を……”くん”等と呼んでしまった……」と既に畏れ多さに震えていた。

 

 この中では最も大事な客人である阿梨夜がそう言う以上は、神奈子と諏訪子も引くしかない。

 

「あ、ああ、済まない……申し訳なかった」

「うん……橘、ごめんね」

 

 納得している気配は微塵もないが、二人は素直に軽く頭を垂れて非礼を詫びた。

 

 それに漸く橘が頷いて、少し不満そうに妹紅の膝の上に戻る。

 

「イイネ、橘くん! 本当に瞬間移動みたいだった! 神様ってすごいのね!」

「……そう? えへへ、そうかなぁ?」

 

 ユイマンがそれを無意識ながら巧いこと煽ててやって、橘のご機嫌を取ってくれた。

 阿梨夜もそれを見てほうと安堵の溜息を吐き、親友のファインプレーに感謝を送る。一方橘の対角に近い位置にいて距離の差もあり橘に話しかける機会に恵まれない早苗はそれを心底羨ましそうに見詰めていた。普段から気苦労が多い早苗には、無垢で愛らしい橘の笑顔がペットを愛でるかのような癒やしを与えてくれるように感じていたのだ。

 

 更に、橘が何度も肴を食べたがっていたのをしっかりと見ていたユイマンが気を利かせて、自分の皿の上に残っていた分の料理を「私のなら食べてもいいと思うよ」とすっと差し出してやった。

 

 思わぬ幸運に橘が元々明るかった照れ臭そうな笑顔を更に輝かせて即座に手を伸ばそうとするが、直後にピタッと動きを止めて、期待に満ちた、少し潤んだ目で妹紅を見上げた。

 

「……まあ、好意を無下にするよりはいいと思うよ。ちゃんとお礼言いなよ?」

 

 妹紅もそうまでされては止める理由がないので、軽く頷いて認めてやった。

 橘が、その言葉にぱあっと顔を明るくした。どこまでも笑顔が可愛らしく、明るくなっていくのは周りの者にとって、なかなかに見ていて飽きず、癒されるものであった。

 

「ユイマン、ありがと! いただきます!」

「はい、召し上がれ! まあ作ってくれたのは早苗さんだから、早苗さんにもいただきますしたら?」

「……!!」

 

 橘が言われた通りにユイマンに礼を伝えると、ユイマンが早苗の心を知ってか知らずか、橘の関心を早苗に自然に向けた。

 思わぬチャンス到来に、俯き加減だった早苗がはっと顔を上げる。

 

「はーい! さなえ、いただきます!」

「……はい! どうぞ召し上がれ!」

 

 橘に幼けない笑顔を向けられた早苗が、一拍遅れて返した。その声には、明らかな歓喜が滲んでいる。

 一瞬のブランクは、まるで太陽のように眩しい笑みに早苗が意識を奪われたことを如実に示している。それは、早苗の顔が綻ぶ前にぴたりとその挙措が止まっていたことにも表れていた。

 

 早苗が思った通り――思っていた以上に、橘は彼女の心の言葉を借りるなら「天使」であった。

 

 ――可愛い! 可愛すぎる!? ユイマンさんありがとうございます、これだけで一ヶ月は社務を頑張れます!! ああ、尊い……

 

 早苗の脳内は絶賛フィーバータイムに突入して、なんとか気張って明るい顔に留めていた顔は既に蕩けて、宴会ならいざ知らず凡そ面会の場で見せるものではなくなっている。

 

「……早苗、落ち着きなさい」

「え、あ、はい!!」

 

 神奈子の溜息交じりの一言で、早苗はしゃきっと背筋を伸ばしたが、その視線はすぐに一心不乱に鹿肉のステーキを頬張る橘に固定される。

 

「……おいひい……」

「――ッッ!!」

 

 橘が幸せそうに顔を綻ばせると、その(早苗にとっては)国宝級の笑顔を見れていることとその笑顔を作ったのが早苗謹製の料理であることが、早苗の気持ちを天元突破しそうなまでに昂揚させていく。

 

「……そう言えば、一回ペットを飼いたいって言ってハムスターを飼ってた時に夢中になりすぎて勉強しなくなって、親に暫く没収された、なんてこと言ってたね。ベッドからおやつから、自分で調べて全部自分で作ってたんだっけ」

「小動物や子供好きなのはいいとして、それに血道を上げるのが早苗の悪癖だったわね……それもまた可愛い所なんだけれど……難儀なものねぇ……」

 

 諏訪子と神奈子がぼやき、妹紅と阿梨夜、馴子、ユイマンが反応しづらくて不意に早苗と橘から目を逸らす。

 阿梨夜には、橘を小動物(ペット)扱いしているのは正気の沙汰とは思えなかった。

 対して他の三人は、頭の中で至極同意してしまい、自分もちょっと橘をそんな風に見ていたな、と思ってしまって何とも言えなくなっていたのだった。

 

 橘が忙しなく箸を動かす音以外が止み、どことなく居心地が悪くなる。

 

 馴子は橘に謎掛けを披露したがっているし、阿梨夜はユイマンとあれやこれやと語らいたいし、妹紅は相伴に与った以上は美酒佳肴を堪能したいのだが、何分空気がよろしくない。

 

 そこに、何かを思い出したらしいユイマンがふと阿梨夜に声を掛けた。

 

「そうそう、阿梨夜、結局用事は何だったの? 妹紅さん達の紹介ではないんでしょ?」

 

 その言葉に、阿梨夜がはっと我に返った。

 それを見た妹紅は、「……しっかりしてくれよ」と既に砕け散った”しっかり者の阿梨夜”の虚像を幻視しながら呆れ返る。

 

 まだそわそわしている馴子と対照的に、神奈子と諏訪子は視線を早苗から阿梨夜に移し、話を聞く準備は整った、と無言で頷いて合図した。

 

 それを受けて、阿梨夜も頷き返して要件を口にする。

 

「まあ、これは御本人の口から言って戴きたかったけれど……」

 

 そして、嫣然と微笑んだ。

 

「ユイマン、貴女はもう、月の為に働く必要はないんだよ。これからはずっと、気儘に生きていいんだ」

「そうなの? だったら、もっと八坂様や阿梨夜と一緒にいられる時間が増えるわね!」

 

 ユイマンは、明るい表情のままに朗らかに笑っていた。

 洗脳されて月に扱き使われていたことはさして気に留めていないようで、素直に解放を喜んでいる。最早、”解放”されたとすら思ってもいなさそうだった。

 

 阿梨夜もその笑みにつられ、覚悟していたよりもユイマンが強かったのに安心してふっと小さく笑う。自分より前に八坂神奈子の名が出てきたのは少し残念だったが、ユイマンが嬉しそうなら何よりである。

 

 阿梨夜が想定していた今日一番の山場は、どうやら恙無く乗り越えられ――

 

「はぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?!? 阿梨夜殿、今何と言った!?」

「ちょっと神奈子、耳元で叫ばないでよ!」

 

 ――固まっていた神奈子の怒号に近い大音声が社を揺らした。早苗と橘も、肝を潰してばっと神奈子の方を振り返る。

 

「だからユイマンは浅間浄穢山の業務から解放されたと――」

「何でそうなるんだという話だよ! 私だって結構あれこれユイマン殿のために画策していたのに、どうすることも叶わないと半ば諦めかけていたんだぞ!? というか、阿梨夜殿だってそんな簡単に達成できていればとうに叶えているでしょ!? もう少し具体的に説明してもらいたい!」

「神奈子、五月蠅いってば! がなり立てないでくれない!?」

「八坂様、もう少し落ち着いて……」

 

 ――どうやら、宴が始まるのはもう少し先らしい。

*1
足神と呼ばれる神は、筆者が知る限りは二柱。勿論一柱目は宇治神社や蟻通(ありとほし)神社の足神神社に祀られる”足神さん”で、橘、即ち可美葦牙彦舅神。もう一柱は静岡県浜松市に鎮座する足神神社に祀られる”足神霊神”、”足神さま”、五代目守屋辰次郎の御魂である(面倒だが、”足神さま”≠”足神さん”である)。名前から察せられる通り彼は諏訪大社社家守屋氏(守矢氏)の者で、その四代前の辰次郎畑義入道という人物が諏訪大明神の御幣を掲げて駿河の地を訪れたのだそう。五代目辰二郎が旅の僧に扮した当時の執権北条時頼を熱心に看病したことで歓心を得、死後神として祀られることとなった。二柱の足神の間には、恐らくは何の関係もない。尚、元ネタと設定に照らせば、神奈子の言う”足神さま”は諏訪子の子孫の一人に当たり、早苗とは相当に遠くとも縁戚関係にあると言える。




 出したい出したいと思ってユイ阿梨を出しました。多分これからもちょくちょくこういうネタを出しますが、がっつり百合百合しい展開を出すつもりはないですしそれを主軸にすることもないので、”ガールズラブ”、”恋愛”タグをつけるつもりはないです。
 ……それにしても、展開が進まない……
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ヤーナムにて果てしない狩りの果てに上位者となったクリスティーナ・ブラウン。▼ある日彼女のもとに届いたのは聞いたこともない学校からの入学許可証だった。▼ホグワーツ魔法魔術学校。▼より良い存在となるため、赤子を抱くため、何よりも好奇心を満たすため。彼女は''神秘''ではない新たな世界へ身を投じる。▼(初めての投稿となる為、非常に粗…


総合評価:1650/評価:8.44/連載:11話/更新日時:2026年06月07日(日) 23:36 小説情報


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