阿梨夜がどうにか妹紅の助力も得て神奈子を説得した後。
――と言うより、阿梨夜も妹紅も橘から詳しい事情は一切聞いていないし橘も喋ろうとしなかったので「私達だって判らないけれど、もう浅間浄穢山は稼働していないからユイマンも自由の身なんだ」と苦しい説明でゴリ押した、という方が近いかもしれない。
神奈子は固より諏訪子も納得する様子はなかったが、ここで阿梨夜達がユイマンに糠喜びを誘うような嘘を吐くはずもなく、二人が心にしこりを残しつつもどうにかその事実を呑み込んで漸く堅苦しい話し合いは終わり、気を取り直した神奈子の号令で、三人から早苗も入れて八人と倍以上にまで膨れ上がった大所帯で酒宴を再開した。
「妹紅さん、そっちのお酒運んでもらってもいいですか?」
「え、この樽? これ一斗樽じゃないの?*1」
「神奈子様が大酒呑みなので……」
「いや一斗は常識の外でしょ」
「早苗さん、このお料理運んじゃっていいですか?」
「あ、まだ味付けが終わってないのでそっちの汁物からお願いします!」
主賓判定されている阿梨夜とユイマン、神社の主たる神奈子と諏訪子に働かせる訳にもいかず、早苗だけではどうにも首が回らないのを察して妹紅と馴子も自主的に準備を手伝い、酒やら足りない料理やらを大わらわで用意する。
「なあ早苗、この鹿の料理のレシピ後で教えてくれない? 多分外の世界のやつでしょ?」
「妹紅さん、お目が高いですね! そうそう、これ幻想郷に来る前に覚えた料理でして! 妹紅さんって意外と料理するんですか?」
「何かめっちゃ失礼なこと言われた気がする……そりゃ人並みにはするよ。鹿とかは偶に狩ることがあるから、上手く調理出来たら楽しそうだなって」
「判りました! 一段落したら紙に書いて渡しますね!」
お互いに台所の喧騒に負けないように少し大きな声を張りながら、忙しい中でもそれなりに楽しく準備が進む。
一方で、宴会の中心、続々と酒と肴が追加されていく卓袱台の周りには、長方形の両端に二つの輪が成っていた。
「妹紅さん達、忙しそうね……私も手伝った方がいいかしら」
「いやいや、ユイマン殿にそんなことさせられないよ! 申し訳ないが妹紅と早苗とに任せるとして、私達は折角の宴会を楽しもうじゃないか」
「そうそう、ユイマンは寛いでいればいいよ。いざ手が回らなくなったら私が早苗や妹紅殿を手伝うから」
「阿梨夜殿に給仕なんてさせたら私の面目がなくなるから、貴女もちゃんと楽しんでくれると有難い」
「そう? ならお言葉に甘えようかな」
テーブルの長辺を使って、三人並んだ神奈子、ユイマン、阿梨夜がにこやかに杯を交わす。
「……何で私の名前は出て来ないんだろう。結構手伝ってるのに……」
「うーん……まあ気にすんなよ……はい、ステーキお待ち」
「お、サンキュ」
「もこさんありがとー!」
落ち込む馴子を励ましながら、妹紅がもう一つの輪が出来ている場所に追加の皿を置いた。
もう一つの輪を構成するのは、勿論諏訪子と橘だ。
「で、どういう話だっけ?」
「えーと……あ、そうそう! ぼくはちゃんと神様だよって話!」
「あー、私が論破して終わったんだっけ」
「ろんぱされてないってば!」
こちらは対照的に、互いに少し喧嘩腰である。諏訪子が若干絡み酒の気があるのと、橘が諏訪子の言葉に毎度の如くムキになるのとで、険悪とまではいかずとも飛び交う言葉はそれなりに棘を孕んでいた。
「だってさ、神様は普通いるだけで神気を多かれ少なかれ放ってるもので、私たち同族から見れば大体どんな神格を宿してるかだって判るんだよ? 神気もない、神格もないお子様が神なはずがない。ハイ論破」
「それはすわこの目が節穴なだけでしょ! ぼくはえらいえらい神様なの! すわこが今まで会ってきたどんな神よりも、ダントツで!」
「じゃあお名前言ってご覧? そんな凄い神様なら神名はちゃんとしたのがあるでしょ?」
「――それはっ……! ……その……」
因みに、これと似た会話を既に三回繰り返している。その窮し方も殆ど一緒。折れない橘もある意味見上げたものだが、悪足搔きにしかなっていない。
「……橘、口喧嘩弱すぎない?」
「だってぇ……」
妹紅にツッコまれ、顔を赤くして周りには聞こえないように「だって高御産巣日様に怒られちゃうし……」とむくれながらぼそぼそと口籠る。印籠を失くした水戸黄門というのが今の橘を最も的確に表す言葉だろうか。
「……と・に・か・く! ぼくは神様なの!」
「ここまで往生際が悪いと可愛くないよ? 折角可愛らしい格好と顔なんだから……あ、お酒お代わり」
「ぼくもお代わり!」
「……もう既に一升瓶二本目なんだけど」
「まだまだ序の口だよ」
「こんなんで潰れる神様いないよ!」
妹紅の呆れ声に、諏訪子と橘は「御託はいいからさっさと酒をくれ」とずいっと手を差し出してくる。料理と酒をねだる時だけはとても息ぴったりだ。因みに、両者共に未だ
「……はい、どうぞ」
「「わーい!」」
妹紅からお代わりを受け取って、各々最初の盃に一献を注ぎ終わってそれを乾すまでは静かである。
ぷはっ――という声が重なって聞こえた直ぐ後には――
「またしれっと神様って名乗ったね。嘘はよくないって言ったでしょ?」
「だ~か~ら~! しつこいってば!」
「しつこいのはどっちかな~、嘘吐きくん?」
「あ、ぼくのこと嘘吐きって言った! もう怒った!」
――性懲りもなくまた喧嘩が始まった。
妹紅もこの流れは慣れたもので、特にもう口出しする気もなく次の仕事に戻る。
「あ、妹紅さん! 取り敢えず料理は全部作り終えたので、私達も食べましょう!」
台所まで戻ろうと振り向いた時に丁度、お盆に載せたソテーらしき料理を運んで来る早苗が声を掛けてくれた。後ろには、漸く終わったとぐっと伸びている馴子が一歩遅れてついて来ている。
「あ、早苗、お疲れ様。妹紅と馴子も、客人なのに悪かったね」
「新しいレシピも知れたし、それでチャラってことでいいよ。ユイマンと阿梨夜にさせる訳にはいかないし」
「お気になさらず! 手伝った方が料理も早く揃いますし、準備でお腹が減れば宴会も楽しめるでしょうから」
「ふふっ、違いない。ありがとう、助かったよ」
神奈子の労いに、妹紅と馴子がそれほどでもと返し、神奈子もそれに笑顔で頷いて感謝を述べて、二人と早苗にも席に着くよう促す。
三人ともが神奈子達の邪魔をしないように諏訪子と橘の周りに腰掛けた。
「あ、おつかれさま! さなえのお料理、全部美味しいよ!」
「ありがとう、そう言ってくれたら私も嬉しいです! 橘くん、ちょっと撫でてもいいですか?」
「早苗、この子のことペットか何かと勘違いしてない?」
「そんな訳ないじゃないですか! ……うわ、ふわふわですっごく気持ちいいです!」
「さなえ~、ちょっとくすぐったいよ~♪」
「どう見ても橘くんの扱いがペットですね」
「まあ橘も気持ちよさそうだし、いいんじゃない? 撫でられるのは好きそうだし、ちょっと小動物っぽいとこはあるから」
二人が五人に増えたのみならず、喧嘩腰だった橘と諏訪子以外の面子が加わったお陰で随分と会話が賑やかになり、活気を帯びる。早苗が橘の隣、諏訪子との間に腰掛けて橘を愛で、続いて妹紅と馴子が早苗の反対隣に腰を下ろした。
「あ、橘”先生”! 私ちゃんと謎掛け作ったんですよ!」
「……! あ、そうだったね! 聞かせて聞かせて!」
「今忘れてたでしょ」
「忘れてないもん! すわこは口挟まないで!」
「じゃあいきますよ~! ”フグとかけまして、鉄砲と説きます”!」
「”あたったら死んじゃう”ね*2」
「即答ですか?! せめて”その心は”くらい言わせてくださいよ!」
「はいはい、それくらいでいいでしょ。橘が一枚上手だったってだけで、また新しいのを考えればいいさ。じゃあ諏訪子、折角だし音頭取ってくれる?」
「あ~――はいはい、そう言えばまだやってなかったね。皆、酒は注いである?」
妹紅の言葉に応えて諏訪子が盃を持ち上げ、三人がそれに合わせて各々の酒が揺れる漆塗りの盃を、早苗は猪口を揚げてそれに応える。
「あ、私達もやってないな」
「本当だね。じゃあ、今からでも乗っかっておこうか」
「そうね! ほら、阿梨夜も八坂様も、頭の上に!」
それに三人も乗じて、高く盃を掲げた。
「それじゃあ――かんぱーい!!」
「「「「「「「かんぱーい!!」」」」」」」
元気な声が境内中にまで響き渡り、皆が一気に杯を傾けて各々の酒を飲み干す。
喉が鳴る以外の音が暫し消え、やがて飲み干した者から順々に数秒止まっていた呼吸を再開して、酒精の熱が籠った息を大きく吐き出す。
騒がしさ寸前の賑やかさの中で、漸く宴が本格的に始まった。
――ゴンッ!! ガチャン!
「えっ!? ちょっと、諏訪子様~、起きてくださ~い!! 大丈夫ですか!?」
「すわこ、八本で潰れちゃったね」
「いやいや橘くん、普通八升も呑んだら潰れるからね!?」
「ひいふうみい……え、十五本??」
乾杯から
八坂殿が用意してくれたお酒はなかなかに上物で、ユイマンも私も、八坂殿の凄まじい呑みっぷりに感嘆しながら心地良く酔いつつ佳肴と小噺を愉しんでいた。
八坂殿はユイマンから聞いていた以上に気さくで、私も話す中で八坂殿と誼を結ぶことが出来たのだけれど、その会話が唐突に遮られて、何だろうかと訝しみつつ目を遣ったところ。
洩矢殿が自分の取り皿に頭を突っ込んで、ピクリとも動かなくなっていた。
早苗が慌てて揺り動かしているのだが、時折鬼灯のように真っ赤な顔を覗かせるだけで、早苗の声には一切応えない。橘様の言葉から察するに、どうやら酒を呑み過ぎて潰れてしまったようだ。
その橘様はほんのりと赤ら顔になってきてはいるものの、声が蕩けている様子もなく、まだまだ素面といった感じだ。
ただ、私が本当に驚いたのは――勿論、神である洩矢殿が酔い潰れるということにも驚きはしたのだが――妹紅殿の拍子抜けした声に、であった。
「妹紅殿、まさかその『十五本』って、一升瓶の本数?」
「うん。橘が飲んで、空になった瓶の本数」
この短時間で、十五升? ついさっき、私達は八坂殿が一斗樽を乾したのを見て目を丸くしていたのだが、その更に五升増し?
「橘くんに対抗してそんなに呑むからですよ……よいしょっと。まあ、誰も橘くんがこんな
「蟒蛇だってこの酒量は前後不覚になるんじゃないか?」
早苗が洩矢殿を抱き起こして別室へと運んでいくのを見送りつつ、妹紅殿がぼやいた。
「すわこ、お酒弱いなぁ。スサはもうちょっと呑んでたのに。かなこもそれなりに呑んでるんだしさ」
「私は神の中でも相当強いと自負しているつもりなんだけど、これが標準だと思ってるの?」
……そう言えば、父上――
「お代わり!」
「もう瓶のお酒はないです!」
「じゃあかなこが飲んでるやつでいいから!」
「まだ一斗呑むの!?」
「残さないから大丈夫!」
「そういう問題じゃないって!」
馴子が止めるのだが、その傍らで妹紅殿が早苗に会釈して厨房の方に消えていった。
そして予想通り、私の右後ろに転がっているそれと全く同じずんぐりした樽が、妹紅殿の腕の中でちゃぷちゃぷと音を立てながら広間に再登場した。
――ゴトッ。
鈍い音と衝撃が、畳からも空気からも伝わってくる。
「はい。橘、柄杓も持ってきたからこれ使って呑んでね」
「はーい! もこさん、ありがと!」
「妹紅さん止めないんですか!?」
「まあこんだけ呑んでこれなら大丈夫でしょ。それに神様だし、死にはしないって」
馴子と妹紅殿がそんなやり取りを交わす間にも、橘様は蓋を取っ払って一斗樽を抱き抱えるように持って、柄杓で直接に酒を汲んで呑み始めている。
それを一口飲み終えると、ぷはっと小さく息を吐き出し、さも嬉しそうに、可愛らしく笑った。
その笑顔に、私もふと笑みが漏れる。
「……ふふっ」
「阿梨夜、あの子、本当に可愛いわね」
ユイマンも幼気な姿に心打たれたらしく、私の肩をぽんぽんと叩いてきた。それにつられて私がユイマンの方を向くと、橘様の方を眼差した、柔らかな微笑みが私の目に映った。
その笑みは、嘗てユイマンと何の憂いもなく暮らしていたあの懐かしく美しかりし日々の中の、四季折々の花を愛でるあの笑顔と全く変わらない、裏表のない爛漫なもの。
私が護れず奪われてしまった、かけがえのない宝物。
一瞥するだけのつもりだった私の目は、瞬くことも忘れてその笑顔に魅入っていた。
彼女のこの笑顔は、洗脳を解かれてからも幾度も見てきた。霊夢や魔理沙の話をするとき然り、八坂殿に呼ばれて帰って来たとき然り。その度に同じように私も顔を綻ばせていたのだろうが、何故だろうか。今のこの笑顔が、今まで私が見てきた中で一番美しい。そう確信させる何かがあった。
ユイマンがふと自分を凝視している私に気付いて私の方を振り向き、慌てて私は自分の目の前の机に視線を落とす。
その先には、半分ほどにまで減った、数えて五杯目の清酒を湛えた盃があり、私が若干身体を動かした衝撃で、その水面を円形に細かく波立たせながら灯火の光を乱反射していた。
数秒もすれば、波は落ち着き、綺麗な円を描く、澄んだ鏡が復活する。
そこには、真っ赤になった、仮面に顔の左半分を隠した醜い神の姿があった。
「――なんだ。案外、綺麗じゃないか」
そんな言葉が、ふと口を衝いて出た。
「ん? 阿梨夜、何か言った?」
「ううん、何でもないよ」
顔を一度上げてユイマンの言葉にそう答えてから、再び盃の中の自分を覗き込む。
何千年あっても癒えなかった自尊心の疵を、気付けばいとも簡単に取り戻せていたのである。
恥じらう自分の顔は――まあ多少は贔屓目に見てしまっているだろうが――妹にも、妹紅殿のあの紅潮した顔にも、何ら劣るようには思われなかった。ナルシシスティックな感情かもしれないけれど、今まで不変の神としてのちょっと僻んだ矜持以外は自己蔑視に苛まれてきた私の心には、雪解けを誘う春の陽気、温かな満足感を与えてくれるものだった。
その穏やかさに浸るうちに、嘗て罪悪感と呵責が埋め尽くしていた心の領域に、安堵と幸福感、期待が流れ込んで荒んだ心を潤しているのにも気付く。それに続いて、ユイマンの笑顔を美しく映していたのは、自らの索莫たる心象に少しずつでも増えていた彩りだったのだろうとも遅蒔きながら悟る。
やおら盃を持ち上げて、ゆっくりと、でも一息に酒を呑み下してみた。
喉を熱感が通り過ぎ、盃を戻して口から離すと同時に、ほうと大きな息を吐く。
再び盃の中を見ても、そこにはもう自分はいない。
でも、心の中にはしっかりと、私は醜くないと教えてくれる水鏡が設えられていた。
いや、私の中に、ではないのかもしれない。
ふと、橘様と妹紅殿を見遣る。
「もうそんな呑んだの!?」
「まだ十と数杯だよ?」
「三か四升は呑んでるじゃん……」
やはり賑やかに、橘様が酒をぐいぐい呑み進めるのを見物しながら妹紅殿が肴を摘んでいた。
橘様が輝かんばかりに笑い、妹紅殿も苦笑しつつも楽しそうに見守ってやっている。
二人を通して、私は自らの顔を覗き込むことが出来たんだ。
「おや、阿梨夜殿。もう満腹?」
呆けてその様子を見ていると、八坂殿が声を掛けてくれた。確かに、言われてみると数分、下手をすれば十数分、私は折角の料理に箸をつけていなかった。
「ああ、ちょっと見惚れてしまっていてね。まだまだ戴くよ」
そう言って、端を手挟んで、皿に取っておいて暫くそのままであった唐揚げを挟む。
そして、そのまま持ち上げずに、自分にだけ聞こえるように小さな声で半ば口籠るようにしながら、それでも声を出した自分にだけははっきりと聞こえる声で宣言した。
「……妹紅殿、橘様。不変の神の名の下に、恒久の感謝と友情を」
言い終わって直ぐに、ひょいと唐揚げを持ち上げ、一口で口に放り込んだ。
中から肉汁と脂が沁み出し、ちょっとの塩味と一緒に口の中で広がる。
外側の衣は少し冷えていたけれど、中からはあっさりした優しい旨味が溢れ出してきて、とても温かかった。
なんかやっつけ感がありますが、心眼で阿梨夜の胸中を読み取ってくだされば。
そして、いつの間にか、UAが五桁に乗り、お気に入り登録数も300を超えていました。拙作をご愛読戴いていますこと、有難い限りです。
他の方々の作品を見ていて、”UAが一定の値を超えたので、サービス回を!!”という閑話の挿入をしばしば見掛けます。
筆者も少しそれを真似てみようかと思い始めていたりするので、このキャラとの絡みが見たいなどリクエストがあれば感想などでお寄せ下さい。設定や時間が許す限りでお応えします。普通にネタでも、神話ガチガチでも何でもOKです。