幼き神にはあしからず   作:庚申待ち

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第二段 本地垂迹なんて

「お待たせ~!」

「たっちー、まだ時間じゃないよ? まあ私も早く来ちゃったからちょうどいいか」

 

 人里を少し外れたところにある、大きな柏の木の下。冬でも落ちない緑色の葉が雪化粧で綺麗なコントラストを出す下で、奇しくも同じような色の組み合わせの髪を持つ二人も待ち合わせしていた。

 

 灰味がかった薄い緑髪の上に黒い帽子を乗せた少女がいきなり現れた橘を抱き上げ、「たかいたかーい」とまるで赤子かのように甘やかして、橘にやめてとぺしぺしと軽く叩かれる。二人にとってはお約束の、どこか温かみのある光景だった。

 

 この少女――古明地こいしと橘が会ったのは、橘が人里に来て一週間程、初めて雪が一夜を超えて積もった日だった。

 

 初雪に燥ぎ人里の通りで遊ぶ橘が、同じく初雪に釣られて人里を放浪していたこいしを見て、霊夢が「原則妖怪は人里にいてはいけない」ということを言っていたのを思い出し、不思議がって声を掛けたのが始まりで、初めこいしは、虹色の瞳を気に入って橘と一緒に暫く遊んでいた。

 

 それが、話を聞くうちに、橘が見た目に反して神であること、自分の能力が何故だか一切通じないことを知り、天真爛漫な性格も馬が合ってか、その日が終わる頃には二人は親友になってしまっていた。

 

 橘はこの一月で相当知り合いが増えているが、その一因はこいしが知り合いに橘を紹介して回ったりしていることにもある。

 

「あれ? 前会った時、こんな手袋つけてたっけ?」

「あ、これ? いいでしょ~、さなえに作ってもらったんだ~!」

 

 ふと、自分の頭を叩く橘の手の感触がふわふわしていることに気付いたこいしが橘を下ろして見遣り、橘が赤地に白でノルディックの文様を(あしら)った、可愛らしいミトンをつけていることに気付いた。橘はこいしに満面の笑みを向け、ぱっと手を開いて手袋を見せつけて自慢する。

 

 閑話有題(あだしごとをはじめて)――早苗は、橘が人里に移ってからというもの、何かと世話を焼いていた。

 

 実は橘が守矢神社で宴会に参加して以降、神奈子と諏訪子は早苗に「二度とあのガキを神社に連れて来るな」と厳命していたのだ。あの一日で橘は結局神奈子の三倍程の酒を乾し、橘は寝た頃にはその場にいた全員が驚愕で言葉を失ってしまっていた。

 

 神奈子は橘には悪感情はないが、霊夢と同様に、あの量の酒を宴の度に乾されるのでは堪らないと音を上げた。同じことをもう一度やられると、神奈子達が呑む分のみならず、神事に使う分や客に振る舞う用の分まで危うくなる。神奈子達にとって酒は半分は商売道具で必需品なので、それだけは勘弁願いたかった。

 

 しかも、神奈子は、阿梨夜が始終橘を”様”づけで呼んでいたことを忘れていない。本人はただの健脚の神だと言うが、八坂”殿”、洩矢”殿”に対しての橘”様”である。阿梨夜も橘もなんとなく触れてくれるなという空気だったので穿鑿はしなかったが、神階正一位*1諏訪明神(神奈子)より上の敬称を使われる存在なんて、その辺にホイホイいる訳がない。高位の神のお忍びか、或いは阿梨夜を支配しているのか……阿梨夜や妹紅と話して後者の線は切ったが、前者だとしても正直面倒事を呼びそうなのであまり関わりたくはない。そんな訳で、橘には丁重に自社と距離を取ってもらおうとしたのだ。

 

 そして、裏の主祭神であり言わば第二の神社の主人である諏訪子が橘と反りが合わず、翌朝も出合い頭で言い合いになったり、喧嘩別れをしたり、何故か大人げなく橘に突っかかり続ける諏訪子が、珍しく思慮もなく橘を嫌ったのも理由の一つである。他所様の神社で堂々と神を僭称する者への嫌悪や酔い潰された恨みもあるのだろうが、見た目の割に知恵の働く諏訪子らしくない、感情剥き出しの対応であった。毛嫌いというのは、まさにこういうことを言うのだろう。

 

 祭神達にそう言われては早苗も橘を守矢神社に連れ込むことは出来ず、代わって街頭演説などで里に来る度に何かと橘に世話を焼くようになった。今回のように裁縫をしてあげることもあれば、朝ご飯のおかずを作ってあげたり、おやつを買ってあげることも屡々。宛ら気分はペットの隠し飼いで、早苗は神奈子と諏訪子の見ていないところでは、結構見境なく橘を愛でるようになっていた。

 

 尤も、神奈子は早苗の行動に気付いている。橘を嫌っているのは諏訪子だけなので、神奈子は神社に迷惑を掛けないならと口出しせずに見守ってやることにしていた。

 

 閑話休題(それはさておき)――

 

「へ~、いいなぁ……お姉ちゃん、そういうのぜんっぜん出来ないんだよね。早苗にお願いしたら作ってくれるかな?」

「今度訊いてみる? さなえは優しいし、いいって言ってくれそう!」

 

 さらりと姉を貶しつつ、こいしが橘を羨む。そして橘は、早苗なら絶対に内心面倒だと嫌がりつつも橘に嫌われたくないからと渋々、表面上は快諾してくれるだろうことをどこまで察してか、こいしにそんな提案をしていた。

 

 程なくして、二人の関心は今日何をして遊ぶかに移ろった。

 

「ねえねえ、今日は命蓮寺に行ってみようよ! たっちー、まだ行ったことないんでしょ? 皆いい妖怪(ヒト)だし面白いから、絶対楽しいよ!」

 

 こいしが、満面の笑みでそう提案した。前にこころや菫子を紹介した時は友達が増えたと無邪気に喜んでいたので、彼女はきっと喜んでくれると信じて疑わない。

 

「……お寺? うーん……」

 

 しかし――意外なことに、橘は難色を示した。腕を組み、ちょっと俯き加減になって悶々とした様子で考え込む。普段なら即座に二つ返事なのにと、こいしは不思議そうに首を傾げた。

 

「たっちー、お寺は嫌いなの? たっちーって、韋駄天さまじゃなかったっけ?」

「”足神さん”だけど、韋駄天じゃないよ。お寺は嫌い……というよりは、蕃神(あだしくにのかみ)は好きじゃない……」

「天狗とかみたいに、仏教の敵の神様なの?*2

「そういうわけじゃないけど……」

 

 どうにも歯切れの悪い橘である。

 

 実は橘、外来の宗教――特に、日本では文化の一つと言えるまでに吸収され、神道とも分かち難い存在になった儒教、道教、仏教、そして(キリスト)教――の類いが大嫌いなのである。

 

 理由の一つは、それらがただでさえ少なかった橘が崇められる機会をことごとく奪ったこと。

 

 もう読者諸賢もご存知の通り、可美葦牙彦舅神(ウマシアシカビヒコヂノカミ)はその地位に反して低過ぎるほどに知名度が低く、少な過ぎるほどに逸話や伝承が少ない。それなのに大陸から、南蛮から得体の知れない宗教が流入してきて、どんどん人々の信仰を蚕食していったのである。

 

 諏訪子と同様、橘は外来勢力に自らの居場所を奪われる形と相成った。いや、正面切って戦って、敗北を喫し、そのことが神話に残っているだけ諏訪子の方がマシだろうか。橘含む多くの神は、いつの間にか仏教の波に呑まれ、人々から次第に忘れ去られていったのである。戦うことすら叶わずに橘は己を知る存在を失っていき、益々孤独感に苛まれるようになっていった。可美葦牙彦舅神の名は、もし平田篤胤と橘が偶然出会っていなければ、確実に知られることはなかった。平田篤胤が礎を築いた神道の流派のお陰で、可美葦牙彦舅神への信仰はある程度蘇った。しかしそれほどまでに、橘は希薄な存在へと成り果てていたのである。

 

 そして、もう一つの理由は、橘が”仲間外れ”にされたこと。

 

 本地垂迹(ほんちすいじゃく)*3だの、神本仏迹*4だの、多くの学者や僧、神職者が仏教と神道の融合の理論の確立に心血を注ぎ、神社の中に寺を建てたり、神と仏を同一視して”神仏”なんて単語を使ってみたりと様々な努力をしてきた。

 

 その中で、多くの神々が本地垂迹に基づき、仏に結び付けられている。例えば、諏訪明神、即ち建御名方神、八坂刀売神は普賢菩薩と千手観音だったり、洩矢神は薬師如来だったり……大抵の神は本地仏が対応しているものだ。面白味も糞もないことを言うなら、仏教隆盛の世に在っては、仏教と自身の崇める神を結び付けて参拝者を確保することが大事だったのかもしれない。

 

 さて、そんな周りの神々が必死に本地仏と繋げられる中で、別天神は――ものの見事にスルーされていた。正確に言うと天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)は北極星を象徴する妙見菩薩と習合しているが、可美葦牙彦舅神に関して言うのなら、どこの縁起や解釈を参照しても、牽強付会の神仏習合すら存在しないのである。

 

 仏教の力を借りて信仰を集めた神も、仏教を上手く取り込んで命脈を保った神も沢山いた中で、橘は仏教と結びつくことなく、より肩身が狭まるばかり。

 

 居場所を奪われたと感じて、しかも神を仏の救いを求める衆生に含める、即ち神を仏の下に置いたりして日本の神話をがらりと作り変えてしまった、橘からすれば捻じ曲げてしまったに等しい仏教を憎むようになるのも、無理もない話だった。

 

 他にも、人間の一生の目的を生きる間に何かを為すことから死ぬことへ挿げ替えたことなど、挙げれば様々に怨む理由はある。そのどれもが、自分をより孤独にさせたことへの怒りと悲しみに起因していた。

 

 ――そんな訳で、全く関係のない外国の宗教なら一切わだかまりなく接せられるけれども、日本に影響を及ぼし、変革を与えた宗教を毛嫌いする橘は、さりとて仏教徒まで憎む訳でもなく、こいしに対しても可美葦牙彦舅神であることを隠している以上詳らかな説明は出来ず、悶々としつつただ嫌いだと言うしかなかった。

 

 こいしは口籠る橘を見てそれなりに複雑な事情があるのを察してくれたようで、心得顔でこくこくと頷き、じゃあ、と再び口を開いた。

 

「ふーん……じゃあたっちー、命蓮寺行こっか」

「うん……へ?」

 

 こいしは、素っ頓狂な声を上げる橘の小さな体を両腕でがっちりと捕まえ、そのままホールドして己の身体の前に抱き上げた。

 

 橘はパタパタと短い手足を動かしながら、こいしに虚を衝かれて慌てる。

 

「今の、じゃあやめとこって流れでしょ!? なんで!? ぼくお寺好きじゃない!」

「それ、食わず嫌いみたいなものでしょ? 行ってみないとわかんないよ~」

 

 こいしはそんな風に嘯きつつ、橘を抱えたままふわりと身体を宙に浮かせて、抗う橘には耳も貸さず、悪戯っぽく(あしら)いながら命蓮寺へと向かい始めた。

 

「こいしの聞かん坊! はーなーしーてー!」

 

 雪に覆われ、静謐な木々の間に、幼い声が谺した。

 

 


 

 

むー()しき()しょー()こー()みー()そく()ほー()むー()げん()かい()むー()いー()しき()かい()むー()むー()みょー()……」

 

 場所は移って、命蓮寺の近傍。まだ命蓮寺はもう少し先だが、ここでは恒例の、人里を少し離れれば聞こえるほどによく通る読経が響き渡る。

 

「おー、今日も元気にお経呼んでるね~!」

「……蕃神の神話なんかより、もっと古事記読んでよ……」

 

 未だこいしにぬいぐるみよろしく抱えられたままの橘が、こいしの漏らした声に不貞腐れて反応する。

 

「え~? いいじゃんお経も~。難しいけど、覚えやすいよ? それにさ、さっきのやつ、”無意識”って言ってたの聞こえた? 私のためのお経みたいじゃん!」

「……ふふっ、なにそれ。でも、こいしのお経だったら誦えてみてもいいかも」

 

 ただ、こいしの底抜けの明るさの前にはその仏頂面も突き崩され、いつも通りの明るい笑みが戻った。仏教は嫌いでも、それでこいし(友達)まで嫌う理由にはならないし、嫌う気にもなれない。

 

「たっちーやっと笑った! 可愛いんだからずっと笑顔の方がいいよ!」

「それはこいしが”むいじい”するのが悪いの!」

「あはは、やっぱり膨れっ面も可愛いね!」

 

 こいしが先ほどのセリフと矛盾することを言いながら、頬を膨らませる橘の頭をぽんぽんと撫でると、橘は尚もむっとはしつつ、吊り上がっていた眉根を少し下げた。相変わらず、仲良しな二人である。

 

「おや、こいしちゃん! お久しぶり~! 一月ぶりくらい?」

「響子、久しぶり~! もうそんなになるのかな~、時の流れって早いね~」

「爺臭いこと言うな~」

 

 そうこうするうちに、いつの間にか寺の正面まで来ていたらしい。寺の前でいつも通りに経を諳んじながら雪を掻いていた幽谷響子がこいし達に声を掛け、二人に歩み寄って来た。橘が、仏教徒に反射的に身構える。

 

 こいしと軽く挨拶を交わし、響子が人当たりのいい笑顔のままに、こいしの腕の中にすっぽりと収まった少し警戒気味の幼子を優しく見遣りながら、こいしに訊いてみる。 

 

「それで、この子は? 迷子? それとも入信希望?」

ぜったいにいや!

「ひゃあ!?」

 

 すると、俄かに橘が大音声を張った。大きな音には慣れっこの響子も意表を衝かれて思わず悲鳴を上げる。

 

「こらたっちー、いきなり大声出しちゃだめだよ」

「だって……むぅ」

 

 こいしに窘められ、橘はそっぽを向き、黙して不貞腐れてしまう。子供過ぎる橘を相手にしては、こいしだって保護者枠になってしまうらしい。

 

 遊んでいる時と違いすぐに拗ねてしまった橘に難儀しつつ、こいしは未だ面食らっている響子にちょっと申し訳なさそうに紹介を始めた。

 

「ごめんね、いつもはこんな子じゃないんだけど、なんか虫の居所が悪いみたいで……」

「それ、ペットとかでする説明じゃない?」

「いつもは噛みついたり威嚇したり(叫んだり)しないんだけど……」

「ぼく噛みついてないもん!」

食って掛かって(噛みついて)はいたよ」

 

 申し訳なさそうなのは見た目だけだった。その台詞はいつも通りで、ツッコミに回った響子はなんでだか安心してしまう。橘は再び文句を言うと、腕を組んで身体一杯に不機嫌をアピールしながらまた口を固く引き結んだ。

 

「この子は橘だよ。こんなちっちゃいけど、一応”足神さん”っていう神様なんだって。すっごく足が速いんだよ! 白蓮さんより! あと、お寺が嫌いなんだって」

「へー、この子が神様? はじめまして~、私は幽谷響子だよ! 宜しくね、足の神様!」

「……」

「あちゃあ、ご機嫌斜めか」

 

 目の敵にしている仏が絡むと、とかく気難しいお子様に、響子も困り顔である。橘も普段はこれほど頑迷固陋ではないのだが、初手で響子が”入信希望”と言ってしまったのが悪かったらしい。相当拗らせてしまっていて、響子も困り果てる他ない。

 

「ほらたっちー、仲直りしたら? 響子、お友達になってくれないよ?」

「……んー……」

「ごめんね、橘くん。もう仏様のお話はしないから。ね?」

 

 しかし、橘の扱いをある程度は心得ているこいしの、”友達”を含んだ一言は、橘には効果覿面であったらしい。暫く唸った後、響子から謝ってもらい、更に黙った後、視線は逸らしたままですっと響子に手を差し出した。

 

「……あくしゅ」

 

 謝りたくないながらも友達は減らしたくないと必死に妥協した結果の、彼なりの最適解である。

 

 くすりと笑いつつ、響子が優しく笑ってやって小さな手を握り返してやる。なお、橘はずっとこいしに抱き上げられたままなので、響子はしゃがむことなく、少し前に屈むだけで事足りた。

 

「はい、握手。許してくれてありがとね、橘くん」

「……ん。指切りげんまん」

「え?」

 

 橘がぼそりと言った言葉に、響子が訊き返すと橘は響子の方に向き直っていて、握手している右手の代わりに左手の小指を響子の方に突き出していた。

 

「ぼくに仏教のお話しないって、指切りげんまん」

「あー……はいはい。じゃあお約束ね」

 

 そう言って、響子も小指を差し出して橘の小指に絡め、元気に明るい声で聞き慣れたメロディーを歌った。

 

「ゆーびきーりげーんまん♪ 嘘ついたら針千本のーます♪ ゆーびきった!」

「……切った」

 

 そう言って絡めた小指を上に跳ね上げるようにして切ると、橘は暫し自分の左小指を見詰めて、響子に照れ隠しのような笑みを向けた。

 

「……じゃあ、これでお友達。きょーこ、よろしくね」

「ありがと! 橘くん、改めて宜しくね!」

「おっけー! これで円満解決だね!」

 

 橘の言葉に響子が満面の笑みで頷き、こいしも橘を左右に揺すって喜びを表現する。こいしの動きに抗議するような橘の所作も、響子には幼くて可愛らしく映る。可愛らしい風貌というのは、卑怯なものだ。

 

 すると、その時。

 

 カツカツと門の方から硬い音がした。それに、シャンシャンと鈴の音のような澄んだ音が重なる。石畳と沓の音に相違ない。こいしと響子、二人から目を背けていた橘の三人が、同時にそちらを振り向く。

 

 澄んだ音が数回続いた後、数匹の鼠鳴きが聞こえ、鼠が門から躍り出てくると、それに続いて、二つの人影が現れた。

 

 一つは小柄で大きな丸い耳が頭上に覗く、一対のダウジングロッドを手にした少女。その後ろには、丸みを帯びた尻尾がゆらゆらと揺れている。

 

 もう一方は、金に黒の混ざった虎斑の髪に花飾りを据え、地を杖代わりの鉾で衝きつつ門を潜って来る。光の下に来ると、虎柄の腰巻と、シルエットが恰も仏像かのように見える、背に浮かぶ布の輪がその姿を露わにした。

 

「響子、今子供の悲鳴が……って、訊くまでもなかったか」

「おはようございます。こいしさん、その子は?」

 

 虎の威を借る鼠の従者、ナズーリンと毘沙門天の代理、寅丸星だ。

 

「久しぶり! この子ね、橘っていうの! 可愛いでしょ!」

 

 二人の言葉に答え、こいしが橘を抱き上げ、二人に向かってくるりと身体を反転させる。

 

「それペットにやる動きじゃない?」

「ほら星さん、撫でてもいいよ!」

 

 ナズーリンのツッコミは無視され、こいしは星の方に寄って行って橘を差し出す。先程から黙っている橘だが、こいしはこころや菫子に紹介する時も常時こんな感じだったので、橘はすっかり慣れっこになっていた。

 

 とは言っても、既にこいしの頭の中では橘は半分ペット枠である。抵抗の仕方も甘え方も反応も全部小動物なので、何の躊躇もなくあやせるのもこいしが橘を気に入った点の一つであった。

 

 一方、星は撫でていいと言われて素直に撫でると橘が小さく喉を鳴らし、仔猫宛らの反応を見せたので、星が無意識のままに撫で続ける。撫でるほどに橘が小さく身動ぎし、星がもう少しと撫で続ける。

 

「主客逆転ってやつだね!」

「……? どういうことですか?」

「そういうこと~」

 

 こいしのよく判らない言葉に星が首を傾げるも、こいしがけらけらと笑って流す。いつものことだが、第三者の響子は意味が判ってくすくすと笑いを堪えていた。当事者には判らず、傍で聞くものだけが察せられるという類いの言葉も往々にしてある。

 

「こいし、橘とは友達なの?」

「そうだよ! 最近幻想郷に来たんだって!」

 

 先刻無視されて一人気まずくなっていたナズーリンがこいしに話題を振ると、こいしは元気に答えてくれた。仲間外れにされなかったことで内心胸を撫で下ろしながら、もう少し話を広げようと言葉を続けた――

 

「そっか。命蓮寺に来るのは初めて?」

「今日初めて連れて来たの!」

 

 ――いつも通りに。

 

「それじゃあ、君も見学ついでに仏門に入らないか? 毘沙門天様のご加護に肖れるよ」

「「あっ」」

 

 こいしと響子の間の抜けた声が重なった。

 そして予想通り――橘はその言葉を聞くや否や気持ち良さそうな表情から一変、仏頂面になると星からも顔を背け、こいしの腕から抜け出し、ぽつりと呟いた。

 

「……帰る」

 

 そう言って橘は数歩駆けだしてから、ナズーリンに振り向き、舌を出して思い切り顔を顰める。

 

「べー! 社鼠*5は早く追い出されちゃえ!」

 

 そして――そのまま、茫然とする皆の前で、風を切る音と共に消えてしまった。

 

 暫しの沈黙が、命蓮寺の門の前に落ちる。

 

「……ナズーリンさん、なんでピンポイントであの子の地雷踏んじゃうんですか……」

「あーあ、たっちーかわいそー。これはお燐出動案件かなぁ?」

 

 二人の憐れむ声が雪の中に溶けていった。

 

「いや、私何もしてないだろ……それに、あの猫を呼ぶのは止めてくれ……」

 

 困惑しきった声も、続いて白雪に染みていく。

 

「……もうちょっと撫でてたかった……」

 

 最後の、ひどく名残惜しそうな声が、冷たい空気の中に残り続けていた。

*1
実のところ、神階は中世以降濫りにあちらこちらに授けられるので、あまりあてにしなくてよい。寧ろ、全国有数の”大社”の祭神であることの方がずっと凄い。

*2
一般に、天狗は山伏や山賊など山に住まう者に仮託した山への畏怖と仏道修行を妨げる存在への信仰が結びついたものと言われている。嘗ては、怨霊である御霊の存在とも結びつけられて語られることも多かった。

*3
ざっくりな説明だと、日本の神々は人前に姿を現す時の仏の姿であるということ。仏が本地(本来の姿)で、神としての姿は人々を救済するための仮の方便(垂迹)だという説。

*4
本地垂迹に異議を唱え、神こそが本地だとした説。入り混じった神道と仏教の信仰を体系化、或いは正当化するための理論という点では本地垂迹説と同じもの。

*5
集団の中にいる厄介者、癌となる存在のこと。主に同義の”城孤()”と対にされて使われる。




 らしからぬ、不機嫌な橘でありました。あと、オチのつけ方唐突で申し訳ない……

 それはそうと、サンサーラ編のもう一人の瑞霊の名前が”厳霊”なのではと思えてならない今日この頃。
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