幼き神にはあしからず   作:庚申待ち

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 本作は、智霊奇伝迷宮編第六巻までの作中情報を含んでいます。ネタバレを避けたい方はブラウザバック推奨です。また、サンサーラ編以降は基本含まないので、そこには齟齬が生じる可能性があります。


第四段 嫌われ者の楽園へ

 朝斗彦と橘の約束から三日。

 

「たっちー、準備できた? 地底(あっち)は暑いから、そんなに厚着しなくていいよ?」

「でも地上(こっち)は寒い! 着いてから脱げばいいの!」

「うーん……脱いだら自分で持ってよ~?」

 

 こいしと橘は二人、いつもの柏の木の下で待ち合わせていた。

 

 なお、朝斗彦は軽々しくも神奈子と諏訪子に橘との約束を報告してしまい、その地底観光の後に守矢神社に寄ると言い出したらどうするつもりなんだと猛烈な反対を喰らって”オトナの事情”で案内役を断ることになった。当然橘はかんかんで、命蓮寺のみならず守矢神社全体にも結構な苛立ちを覚えている。朝斗彦自身は行く気満々だっただけに申し訳なさそうではあったが、橘は赦してやる気は毛頭なかった。我儘放題のお子様は、一度機嫌を損ねると面倒臭い。

 

「まあまあ、トモトビコも悪気があるわけじゃないよ、きっと」

「嘘つきは泥棒の始まり!」

 

 勿論、朝斗彦に言わせれば、「嘘も方便」である。ただ、”方便”は本地垂迹にも関係する仏教語なので、橘に言っても変に気を損ねて聞き入れられないだろう。

 

「今度会ったら、泥棒が悪いことって教えてあげるの! これだから最近の若者は……チミさんの気持ちがちょっとわかった気がする」

「お爺ちゃんみたいなこと言わないの~。それに、トモトビコは泥棒なんてしてないよ?」

「嘘ついたから一緒!」

「まあまあ、今度トモトビコに会ったら、ご飯かお酒奢ってもらいなよ」

 

 そう言ってから、こいしは橘を背負い上げ、橘の身体を支えるのと反対の手でぴっと天を指し、元気に声を張った!

 

「それじゃあ、地霊殿に出発進行!」

「おー!!」

 

 


 

 

 地底と地上を繋ぐ道は、複数個存在する。

 

 霊夢達が間欠泉異変で通った場所もその一つ。間欠泉のほか、その他には、現在命蓮寺の墓地がある場所の裏手、魔法の森に散在する小洞窟、その他数箇所の縦穴――転移という反則手段に頼らなければ、このいずれかの経路から地底を目指すことになる。

 

 今回は、最後の中に入るであろう、それほど知られている訳ではない洞穴を通ることにした。

 

「たっちー、早く着いてお姉ちゃんたちに早く会うのと、ゆっくり行って地底の妖怪達と話すのだったらどっちがいい?」

「うーん……後者(ゆっくり)!」

「おっけー、それじゃあ私が飛ぶね~」

 

 一度妹紅と同じような初見殺しジェットコースターを経験しているこいしは、橘の神速は身体で知っている。橘が走れば途中の面倒な住民達(1、2、3面ボス)をすっ飛ばせるのは判っていたので、橘にどちらがいいかを訊いてみたという訳だ。こいしは別にその面倒な手合いとの絡みが嫌いな訳ではないので、橘の選択に快く応じる。

 

「それじゃあ、アテンションプリーズ! 今から、地底に参りまーす!」

「それ日本人しか言わないよー」

「私は日本人だからいいの!」

 

 至って陽気な雰囲気の中、二人は風穴に飛び込んだ。

 

 強い向かい風に二人の風が靡き、こいしが帽子を押さえる中、橘は楽しそうに燥いでいた。

 

「わー、野分みたいだねー! 地下鉄の駅みたい!」

「ちかてつ? 何それ!」

「地面の下に電車が通ってるの!*1 電車って言うのはね、油とか電気で動くおっきなながーい車なんだよ!*2」

「外の世界って面白いんだね! 石油は地底にもあるし、お姉ちゃんは作ってみたいって言うかもね! 私も乗ってみたい!」

 

 他愛もない話をしながら、二人でどんどん穴を下っていく。

 

(たっちー、いつも通り元気だね。これなら心配ないかな)

 

 何だかんだで数日前に橘が癇癪を起こしたことを気にしていたこいしは、楽しそうに話をしてくれる橘を見て安心していた。自分が連れて行った結果の出来事だったので、それなりに気を揉んではいたのである。

 

「地下鉄って名前なのに、地上に出てる駅もいっぱいあるの!*3 ”じそくにひゃくごじゅっきろ”の夢の超特急も走ってるんだよ!」

「なんかもう無茶苦茶だね~。”じそく250キロ”ってどれくらい速いの?」

「ぼくよりは遅いかなぁ?」

「そりゃそうだよ~」

 

 橘が団子鼻やカモノハシ、鉄仮面などと説明して、こいしが何か凄まじいバケモノを想像して話すうちに、いつの間にか洞窟は過半を通り過ぎていた。

 

「おや、こいしちゃん? それと……ちびっ子かい?」

 

 するとその時、やや下方から二人を呼ぶ者があった。

 

 面識のあるこいしは、ぱっと笑顔になって声の主の方に振り向き、そちらへ近寄って行く。

 

「ヤマメ、久しぶりー! ついこないだも会った気はするけど、話したのは久しぶりだね!」

「こいしちゃんは影が薄いからねぇ……私が気付けなかったんじゃないか?」

 

 封じられた妖怪、瘴疫の土蜘蛛こと、黒谷ヤマメだ。

 

「そっちのちびっ子は初めましてかな? 私は黒谷ヤマメ。人を病気にさせちゃうこわーい妖怪だぞー」

「はじめまして! ぼくは橘、人の病気を治しちゃうすごーい神様だぞー!」

 

 陽気に橘を襲うような格好をして見せるヤマメに、ノリ良く橘も「うがー!」と威嚇しながら自己紹介を返す。こいしとヤマメからすれば、可愛い限りだ。

 

「元気でいいねぇ! ここはあまり人が来ないからさ、坊ちゃんみたいな子が偶に来てくれると私も気分が上がるんだよね」

「それはヤマメに友達がいないからでしょ? せつなーい」

「言ったな~? 口の悪い子にはお仕置きだよ!」

 

 こいしがくすくすと笑ってヤマメを煽り、ヤマメが反撃してこいしの頭をわしゃわしゃと掻き乱す。普段から死体を飾るだの人間を病で苦しめるだのと物騒極まりない脅迫ばかりの幻想少女達にとっては、これくらいは日常茶飯事のじゃれ合いだ。

 

 尤も、こいしがヤマメにそう言うのはヤマメに友達が多いことと、彼女がなかなかに図太くて心が強いことを知っているからである。致命傷(クリティカル)になるだろう橘に対しては、最悪絶交されるだろうと賢明に判断してそういった類いのことは言っていない。ある程度空気は読めるし、分別だって弁えた上で天真爛漫という、橘とは別の意味で子供っぽさと大人らしさが同居しているのが、古明地こいしという妖怪なのである。

 

「ヤマメは蜘蛛さんなの? 周りが蜘蛛の巣だらけ!」

「ご明察! 私に優しくしてたら、もしかしたらあの世でいいことがあるかもよ?」

「朝蜘蛛は殺しちゃダメって言うもんね」

「じゃあ夜蜘蛛だったら殺さないとね!」

「おおっと、神様は怖いねぇ。それじゃあ、退治されたら困るし、夜にならないうちにお暇しようかな?」

 

 底抜けに明るい三人の会話は、誰が誰の癇に触れるでもなく、小気味良く警戒に進んでいった。そして、こいしと橘が地底に向かう途中であることを察して、ヤマメが気を利かせ、二人に早く行くよう言外に促した。自分がもっと話したいのは山々だが、こいし達を引き留めるには悪いと考え、二人に軽く手を振る。

 

「お二人さんは、これから地底観光なんでしょ? 私は野暮用でついて行けないけど、楽しんで来なよ。覚えててくれたらまた寄っとくれ」

「そのやぼようって、逢引き?」

「坊ちゃん、お早熟(ませ)さんだねぇ……ただツレと呑むだけだよ。ほら、早く行った行った」

「はいはーい!」

「じゃあまた一緒に遊ぼうね!」

「はいはい、またね、神様の坊ちゃん」

 

 橘は少し物足りなそうだったが、橘が大好きな”またね”が聞けて安堵したのか、こいしの背の上で大きく手を振りつつ、こいしが降下するのに合わせてヤマメから遠ざかっていく。

 

「……何だか、最近は地底に出入りする奴が多いね。まあ、私も退屈しないし、ああいう子供なら大歓迎だ。でも、子供ってのは妙に勘が鋭いね……さて、パルスィとの約束に遅れるし、もうそろそろ行くとするかな」

 

 逢引きとの言葉は、当たらずとも遠からず。心中ドキリとしていたのをどうにか隠し通したヤマメは二人の姿が見えなくなってから大きく息を吐き、外出の支度に戻って行った。

 

 


 

 

「たっちー、さっきヤマメが逢瀬(デート)するなんてよく判ったね~」

「え? ヤマメは違うって言ってたよ?」

「あんなの誤魔化したに決まってるよ~。どうせパルスィと呑んでるんだから、嘘じゃないけど」

 

 洞窟を抜けたこいしは、橘にしたり顔でそんなことを説いていた。無意識を操るこいしは他者の心の奥の感情に敏い。

 

「ああいう風に誤魔化したら、その後で恋仲の人といちゃいちゃするもんなの」

「そーなの?」

「そうなの」

 

 そんなことを言われては、恋心なんて微塵も知らない橘は頷いてそういうものだと納得するしかない。今まで惚気話をされたら、適当に遇(あしら)って応援するか、素戔嗚尊(スサノヲノミコト)など、数少ない知己からであれば独り者によくもそんな話をできるなと凄むくらいしかしてこなかったので、そういった手合いの人情には理解が薄い。

 

「こいしも?」

「乙女にそういうことは聞くんじゃもんじゃないぞ、たっちー少年」

「処女(おとめ)*4じゃなかったらいいの? こいしは処女(おとめ)なの?」

「……そう言うのも聞いちゃダメなの! ほらたっちー! もうすぐ旧都だよ!」

 

 しかし、橘の追及に進退窮まり、結局こいしは無理矢理話題を転換した。心中、子供に大人ぶったのが間違いだったと後悔する。

 

 ちょっと顔を赤くしてずかずかと歩を速めるこいしに、橘が首を傾げる。そうするうちに、橋守が何故か不在の橋を越えて、二人は旧都の中に入った。

 

「うわぁ……人がいっぱいいるね。それに、すっごく熱い!」

「ほら、言ったでしょ?」

 

 既に橘は冬着を脱いでいるが、それでも十分に汗ばみそうな程に、地底の街は地熱と鬧熱に包まれていた。

 

「ともとびこは”旧地獄”って言ってたけど、ここって元々地獄だったの?」

 

 橘が、辺りに立ち並ぶ露店をきょろきょろ見回しながらこいしに訊ねる。

 

「うん、何百年も前だけどね。私は詳しいことは知らないけど、地獄の人が別のところに出て行って、ここに残った鬼とかが”旧地獄”とか”旧都”って呼んで暮らしてるんだよ。それで、お姉ちゃんがここを治めてるって訳。偉ぶったりはしないけど、お姉ちゃんが地底で一番偉いんだよ!」

「ふーん、じゃあこいしは大名(貴族)の妹ってこと?」

「あはは、そうなるのかもね。控えおろー! なんちゃって」

「ははあー! なんちゃって」

 

 そんなことを言い合って笑い合ううちに、二人は人混みに揉まれつつ街の中心に近付いていく。時折怒号が聞こえたり、客を呼ぶ声が聞こえたり。まさに歓楽街といった雰囲気で、薄暗い地底にありながら灯籠や提灯で煌々と照らされ、活気に満ち溢れている。

 

「ああもう、やっと出番を貰えたと思ったら巫女に雑魚扱いされるし、それっきりで出番が終わるし……ああ、それ以外の奴らが妬ましい……」

「まあまあ、出番貰えただけいいじゃない? 久々に戦えたし――」

「ヤマメ(あんた)は私より出番が多いじゃない*5。それに、私よりもいい出番貰ってるでしょ*6。あんただって妬ましいわよ」

「……それを言ったら私、アンタが言うみたいに出番で勝っててもいっつも人気で負けてるんだけど?*7 私もアンタを妬んでいい?」

 

 そんな陰鬱な会話も聞こえた気がしたが、こいしは全く意に介する様子もなく進んでいく。

 

「ヤマメの声しなかった?」

「うーん、聞こえなかったかなぁ。でも聞こえてもデートの邪魔するのは良くないし、私が入っちゃうとイジメになっちゃうし*8」

「?」

 

 しっかりと内容を聞いた上で、強者の余裕か気遣いという名の憐れみか、こいしは橘に意味深長な答えを返しつつ、そのままその声の出元である酒屋を通り過ぎた。

 

「こいしー、おなか空いたー! おこづかい持ってるし、ちょっとごはん食べようよー!」

「いいよー、どこで食べたい? おすすめはあっちのおでんの屋台なんだけど!」

「じゃあそこ!」

 

 


 

 

「おやじさん、どーも! いつものやつ二つちょうだい!」

「お、地霊殿の。でもお嬢ちゃん、うちに来るの初めてじゃないか?」

「……あ、そうだったね! じゃあ、大根と卵二つずつ!」

 

 いつもはバレないのをいいことに無銭飲食しているので、危うくそれを露呈しかけたこいしが内心ちょっと焦りつつ、笑って誤魔化しながら改めて注文を伝えた。

 

 店主の妖怪は手際よく注文の品を用意しつつ、こいしの背から降ろされて、悪戦苦闘して椅子に攀じ登って腰を下ろした橘に湯気の立つ器を差し出しながら、ちょっと揶揄うような口調で声を掛けた。その頭には小さく角が二つ見えるから、どうやら鬼であるらしい。

 

「はいお待ち。チビちゃん、熱いから気を付けなよ」

「ねえ、チビってぼくのこと~?」

「地霊殿のお嬢ちゃんよりちっこいのは坊ちゃんだけだろ? もうちょっと大きくなって見返しに来いよ、そん時はちょっとサービスしてやるから」

 

 橘は店主の言葉に頬を膨らませたが、続く言葉を聞いて、悪い妖怪(ヒト)ではなさそうだと矛を収め、大人しく器を受け取る。そんな時一生来ないけどね、と心中で毒を吐きつつ、そんな心とは裏腹にちょっとご機嫌そうに箸を取って橘が大根を冷ましていると、隣のこいしは大きく開けた口に、いきなり大根を放り込んだ。

 

「あふっ! あふい! あふ……はふはふ……」

「こいし、もうちょっと冷まさないとー。火傷しちゃうよ?」

「むぐむぐ……でもおでん食べる時って、なんかコレやっちゃうの*9」

「そーゆーもんなの? ぼくは熱すぎるのは苦手~」

 

 口から湯気を出しつつ”おでんの醍醐味”を味わうこいしを傍目に、橘はしっかりと息で冷ましながら大根を頬張る。

 

「ん-、おいひい!」

「たっちーも、はふはふやりながら食べたらいいのに~」

「おでんをふーふーするのも楽しいの!」

「それは判るけどさ~……あ、おやじさん! 白滝と蒟蒻*10お願い!」

「ぼくはお団子と半片!」

 

 追加の注文を受け、これまた一分と待たせずに具材を手渡すと、自身も酒を呑み始めながら店主はこいしと橘に世間話を持ち出した。

 

「なあお二人さん、最近の反獄王の一件は知ってるか?」

「うん、私も巻き込まれたっちゃ巻き込まれたからね。お姉ちゃんのせいだけど」

「うーん、ぼくは知らないかな~。どういうお話?」

 

 お冷を傾けつつ、橘が店主に問う。店主はあれだけの大事件を知らないのかと少々驚いた後に、子供だしそんなこともあろうかと勝手に納得して、親切に説明を始めてくれた。

 

「最近、地底に収監されてた宮出口瑞霊って怨霊が脱獄して地上を荒らし回ったらしくてな。それで一度地底がまた地上と隔離されて怨霊共が大騒ぎしたりしたこともあって、それなりに大変だったのさ」

 

 その”大騒ぎ”と巫女、八咫烏の乱入で一度地底の街は灰燼に帰しているのだが、それくらいは日常茶飯事なので、もう店主もこいしも触れすらしない。

 

「今はお姉ちゃんが色々頑張って捕まえたから、偶に地霊殿(ウチ)に来て面談するくらいで、瑞霊も大人しくしてるんだけどね」

「へ~、大変だったんだねぇ……それにしても、でぐち? みずち?」

「たっちー、何か気になったの?」

「ううん、何でもない」

 

 橘は何やら瑞霊の名前を聞いて首を傾げたが、こいしが訊いてもそれには答えなかった。

 

 それよりも、とばかりに、橘が店主に尋ねる。

 

「ぼく初めて地底に来たんだけど、怨霊がたくさんいるね! 旧地獄って言っても、怨霊は地獄に行かないままなの?」

「勇儀の姐さんが言うことには、俺達鬼が怨霊を監視する代わりにここで好き勝手させてもらえてるんだってよ。まあ怨霊ってのは自分勝手で、どうにも話の通じない上にこちらを毛嫌いしてくるんだが、勇儀の姐さんみてぇな力の強い鬼達で黙らせてるんだ。どうにもならねぇのは、例の反獄王がぶち込まれてたのと同じ監獄に入れられてるけどな」

 

 実際、勇儀の周りにいる怨霊は大体腰を極限まで低くして、小間使いのようなことをして勇儀の勘気に触れないようにしている。弱肉強食の罷り通る地底世界では、勇儀は実質的な王である。

 

「そうなんだー。私、瑞霊が出てくるまで瑞霊のこと知らなかったし、そんな場所があるのも知らなかったんだけど」

「まあ、公然の秘密って奴なんだけどな。古株連中は皆知ってるよ」

 

 こいしの呟きにそう反応すると、ここだけの話だが、と前置きして、店主は客席の方に乗り出して周囲の喧噪にぎりぎり負けないところまで声を潜め、口元に手を添え、二人に囁いた。

 

 その内容は本人が言った通りの公然の秘密なのだが、こいしにはともかく、橘にはこうやって特別感を出しての機嫌取りが有効だろうと判断しての仕種だ。粗暴ではあれど面倒見はいい鬼達は、子供の相手にも小慣れている者が一定数いる。細やかな気遣いというのは鬼には難しいのだが、どうやらこの店主は心得ているらしい。

 

 その策略にすっかり乗せられ、橘も身を乗り出し、興味津々で話の続きを強請(ねだ)った。

 

「実はな、反獄王は何をするか判らん上に脱獄が得意だから、怨霊の中でも時折話題になってたんだよ。というか、脱獄って判りやすい事件も起こすし、怨霊からもういてたから話題になり易かったとも言えるか。でもな、そこに収監されてる怨霊の中には、勇儀の姐さん辺りじゃなきゃ太刀打ちもできないようなバケモンもいるんだと」

「勇儀さんじゃなきゃ敵わないなんて、なかなかだね」

 

 強者連中を翻弄する瑞霊すらも”宜しく”してしまう勇儀は、幻想郷最強格の妖怪の一柱に違いない。その勇儀でなければ太刀打ちできないのであれば、他の妖怪では勝負にもならなかろう。

 

「それで、そいつらは怨霊以外近い区分がねぇから”怨霊”って呼ばれてるだけで、実質何なのかすらよく判ってないらしい。ある意味、”妖怪”と定義すべきなのかもしれねぇが……曰く、人間の煩悩の権化とか何とか、色んな噂が飛び交ってるんだ。欲望を支配するとか、怨霊の癖に人を喰い殺すとか。二つ名が”公害”なんだそうで、ちょいと物騒な話も聞こえて来るな」

「二つ名が公害って、なんかすごく可哀想じゃない?」

「なんだか、蕃(キリスト)教の魔王みたいだね」

「生者一切合切を嫌悪してて、全くもって友好的でもないから、今は封印されてるらしい。もしもそいつらが脱獄したら、幻想郷が崩壊するかもしれないんだってよ」

 

 そう言って、店主は体勢を戻して再び酒瓶を取って、如何にも大事であるかのように腕を組んだ。

 

「……でも、結局それってただの噂なんじゃないの? それに、正直勇儀さんと互角なのが何人かいても、紫とか霊夢もいるし、それだけで幻想郷が滅びる気はしないなぁ。その話、結構盛られてるんじゃない?」

「……ま、言っちまえばそうなんだろうさ。火のない所に煙は立たぬとも言うが、肝心の本物を見たことがあるって奴が一人もいないのがその証拠じゃねぇかな。勇儀の姐さんもその怨霊を見たことないって言うし、それ以外の古株でも知らないって言うから、結局はただの根も葉もない噂話なんだろうよ」

「え~、何そのオチ~。世界が滅びないならその方が面白かったー」

「チビちゃん、物騒なこと言うもんじゃないぞ!」

 

 鬼でありながら、この店主、かなり理性的と言うか、落ち着いている。こいしの鋭いツッコミに店主がまあその通りだと首肯するが、橘はその「結局嘘」の締めくくりに不満そうだった。

 

「抑々、怨霊ってのは人間にとっても妖怪にとっても、なんなら神にとっても天敵だから、そこまで強い怨霊がいちゃ困るだろ? いたら、封印で留めるよりもまず真っ先に滅ぼすだろうからな」

「そーだけどぉ……ほんとだった方が面白いじゃん」

「まあドンパチあった方が面白いのは同意だけども、勇儀の姐さんと互角な奴とはやりたくはねぇなぁ」

 

 鬼にしては、弱腰と笑われそうな、或いは常識のある鬼である。

 

「そー言えばなんだけど、おじさんとこいしが言ってた”ゆーぎ”って誰なの?」

 

 ふと、丁度会話が一段落したところで橘が尋ねた。ずっと気になってはいたようだが、どちらかというと気を惹いていた怨霊の話題が終わるまで、子供にしては辛抱強く待っていたらしい。

 

「勇儀の姐さんは、地底じゃ一番強い鬼よ! 星熊童子と言って、嘗ては鬼の四天王と名声を轟かせた、怪力乱神を有する剛力無双の鬼の棟梁さ!」

 

 そう説明する店主は、声を一段大きくして、興奮気味に説明してくれた。やはりその剛勇は鬼達の誇りであるらしく、その武勇を語る時ばかりはこの店主も血の気が抑えられない。

 

「さっきもおやじさんが言ってたけど、勇儀さんが怨霊達を抑え込んでくれているようなものでもあるんだよ。なんでも、相手にハンデをつけた上で圧勝しちゃうんだって」

「姐さんの十八番は、『盃から一滴でも酒を零したら~~』って奴なんだよなぁ! 酒で満たした盃を持ちながら戦って、それで一滴も零さずに勝っちまうのが殆どなんだよ! アレが始まると、観客の俺達もやっぱり血が騒ぐんだよ! 昔みたいに、斧やら棍やらを振りたくなって、無性に暴れたくなる!」

 

 そんなことを言いつつ、店主は昂るままに二度三度、酒瓶を左手に持ったままシュッシュッとジャブをして見せる。

 

「こうやってな、勇儀さんが腕を振っただけで目の前の相手は地平線まで吹っ飛んで、地割れが起こるんだ!」

「ほえ~、すごいねー」

 

 凄すぎて、橘にはよく判らない。パチパチと拍手して素直に賞賛はするが、どれくらい凄いんだろう、という疑問で頭はいっぱいであった。妙に、辺りが騒がしくなっている。

 

「そう、姐さんは凄いんだ! こんな感じで――」

 

 そして、再び店主が腕を振り抜いた、次の瞬間。

 

 カッ――ドガァァァァァァァァン!!

 

「うおっと!?」

「きゃあ!?」

「”原初結界”!」

 

 閃光が辺りを包み、数瞬遅れて耳を聾するような轟音と、熱風、衝撃波が周囲一帯を襲った。周りの建物が瞬く間に崩壊し始め、倒壊、炎上を始めた。

 

 悲鳴よりも歓声に近い叫び声が響めき、火の手から逃げる者より爆心地に近付いていく者が多い中で、店主は五体満足な自身の店と一切の衝撃を受けていないことを訝った。

 

「……って、俺の屋台は無事だし、なんで衝撃が来てねぇんだ?」

「ふふーん、ぼくが結界を張ったの! ぼく、神様だもん!」

「お、おう……ありがとな?」

 

 神と聞いて、店主は自らが崇める東神(とうじん)*11のことが頭を過り、一瞬無礼を働いたかとドキリとしたが、そんなことは全く気にしていないらしい橘を見て安堵しつつ橘に礼を告げる。

 

「えへへ、どーいたしまして!」

 

 橘が燦燦たる笑顔で答え、その笑顔に思わず店主の顔も綻ぶ。街が焼き払われているというのに、地底特有の喧嘩と火事好き文化、そして橘の結界の圧倒的な安心感のせいで、緊張感の”き”の字も存在しない、どこか弛緩した空気が漂っていた。

 

「ちょっと二人共、今はそんなことしてる場合じゃないよ!」

 

 そこに、こいしが大きな声で割って入った。

 

「これ多分、お空が暴れてるんだよ!」

「前にこいしが言ってたペット?」

「ああ、あの烏の。道理で熱波まで飛んで来る訳だ」

 

 そして、その二人の言葉に大きく頷いて、こいしはお空を止めに行こうと――

 

「早く行って観戦しに行こうよ! それか、ピンチだったら応援してあげないと!」

 

 ――野次馬根性丸出しで、二人に早く行こうとせがんでいた。

 

 橘は予想外過ぎてきょとんと固まってしまったが、店主は一瞬の躊躇も見せず、にかっといい笑顔を見せて、即座に橘を肩の上に抱え上げた。

 

「わぅっ! ……ホントに行くの?」

「ここで逃げ惑うんじゃ男が廃るぞ、チビちゃん! それに、神様なんだろ? なら寧ろ調停しに行きな! 東神様みたいな立派な神様になりてぇなら、一発漢を見せてくれよ!」

「ぼくもう立派な神様だよ~!」

 

 そうは言いつつ、命蓮寺の時とは違い、楽し気な橘である。こいしにも、会って幾許も経っていない店主にも、橘が内心で乗り気なのは判っていた。

 

「たっちーが守ってくれるんだったら、私も安心なんだけどな~」

「むぅ、そこまで言うなら……じゃあ、出発!」

 

 あと一押しとこいしが橘を誘い、橘も頼られては仕方ないと体裁だけは鷹揚と――しかしとても嬉しそうに肯ずると、店主の頭の上で自ら音頭を取り、喧噪の中心を指差した。

 

 戦闘が継続していることを示す爆風や熱波、定期的な轟音は続いて聞こえているが、橘の結界で全く三人には届いていない。

 

「それじゃ、終わっちまわないように急ぐか! チビちゃん、振り落とされるなよ!」

「おやじさん、私も連れてって!」

「お安い御用だ!」

 

 ――そう言って、橘を肩に、こいしを片腕にぶら下げた店主は豪快に笑うと、時折光が閃く、建築物が軒並み薙ぎ倒されて視界の開けた方向に向かって地を蹴った。

*1:
英語の"Subway"は”地下鉄”と訳されるが、それはアメリカ英語。イギリス英語では、単に”線路や道の下を潜る通路”、日本語やアメリカ英語で言う所の”アンダーパス(Underpass)”の意味になる。一方イギリス英語での”地下鉄”は"Underground"であり、こちらはアメリカ英語では地面の下、即ち”地底”の意味。

*2:
正確には、油で動くものは気動車という。気動車は電車とは呼ばれないことが多い。

*3:
日本だと、北海道・札幌市営地下鉄の真駒内駅、仙台市地下鉄の八乙女駅など。これらの駅に至っては、地上どころか高架の上に駅がある。

*4:
乙女≠処女。しかし、乙女は若い女性(昔の結婚は十六歳前後だった)、未婚の女性という意味なので、乙女というと十歳前半くらいの女性を指していた。なので、実質的に乙女≒処女とは言える。

*5:
ヤマメは地霊殿、ダブルスポイラー、剛欲異聞、Grimoire of Usamiの弾幕花火大会で登場。一方でパルスィは剛欲異聞では出ていない。

*6:
ヤマメは智霊奇伝迷宮編六巻で再度登場しているので、そういう意味でもパルスィより登場している。

*7:
パルスィは人気投票で35位~40位。ヤマメは110位前後。直近だと、パルスィは33位、ヤマメは115位。

*8:
こいしは魔理沙と僅か2pt差で連覇を飾った。

*9:
こういう、判っている危険に敢えて向かっていく習性を「良性マゾヒズム」という。確実に悶絶するのが判っているのに激辛カレーを食べたり、大して怖いのが得意でもないのにお化け屋敷に入ったりするのは、脳がその後に「自分が危険な状況から脱却した」という錯覚を起こして快楽を感じるからだそう。

*10:
蒟蒻は閻魔の大好物と言われるのだそう。また、内弁慶と同義の言葉で”蒟蒻閻魔”なんて言葉もあるらしい。

*11:
前段で登場した、朝斗彦のこと。




 注釈が多くなってしまい申し訳ない……しょうもない豆知識を入れ込んでしまうのは筆者の宿痾だと思って見逃してやってください。
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