こいしと、橘と、屋台の店主の鬼と。三者は他の野次馬達と同様に、轟音と熱波の発生源へと向かう。辺りはパチパチと木材が焦げて爆ぜる音で満ちているが、橘の結界のお陰で、店主に肩車されている橘と腕にぶら下がっているこいし、そして二人を引き連れた店主には肌を焼くような灼熱は届かない。尤も、地底そのものの暑苦しさは如何ともならないが。
「だいぶ人が増えてきたね~」
「もう大通りのある辺りだからな。喧嘩の始まった場所ってことだろ」
橘の呟きに、店主が答える。時折弾幕も飛んで来るので、相当近付いているのは間違いない。
「たっちー、お空は八咫烏の力を持ってるから、攻撃が凄く強いんだよ!」
「言ってたね~。八咫烏にそんな力があったなんて知らなかったけど」
こいしがそう言うと、橘は喧噪の先を見つつそんな空返事を返した。こいしの話がどうでもいいというよりは、一応攻撃に備えているらしい。既にこいしはしつこいくらいに橘にお空やお燐、さとりについて家族自慢という名の下に彼女達を紹介していたので、こいしも橘が今は興味を示していないことを察して黙った。
程なくして、人
三人が、半ば見上げるようにして主戦場となっている空中を見上げる。
「あ、やっぱりお空だ~! 相手は……瑞霊? なんで戦ってるんだろ?」
こいしの言葉通り、上空では地獄烏と怨霊と、地底でも屈指の実力者が肉弾戦と弾幕戦を組み合わせた戦いを繰り広げていた。裡に星々の煌めくマントを羽織り、胸に深紅の目を輝かせるお空が右手の制御棒から光弾を発し、首に巨大な手錠をつけ、囚人服の如き紅い横縞の服に身を包んだ瑞霊がそれを躱し、時に真正面から相殺する。その余波で衝撃波や熱波が起こっているらしく、危険極まりない状況の中にも野次馬達は器用に流れ弾を避け、賭けをしたり勝手に喧嘩をおっぱじめたりと、我が身を顧みず刺激を求め、観戦に明け暮れていた。
店主と橘、こいしだけは、橘の結界で安全が担保されている。肌に纏うように展開することで動きを阻害せず通行の邪魔にもならない、橘の卓越した結界術が垣間見える代物だった。こいしも自身の身体が若干白みがかって見えるだけで、全く違和感を感じない。先程試しに流れ弾に被弾してみたところ、流れ弾がパチンコ玉のように弾かれていって、結界の損傷は見られなかったので、余程頑丈と見えた。
「うーん……こいし、あの青白い怨霊がみずち?」
「そうだよ~。お空とも互角なんて、憑依しなくても強いんだね!」
橘は、何故だか先程から瑞霊のことを気に掛けているらしい。こいしは一瞬理由を訊こうかと考えたが、一度はぐらかされたのを思い出し、今は話したくない気分なのかと思い直してその問いを引っ込める。
――直後、戦局が大きく動いた。
「怨霊ってのはしぶといね! さあ、これでおしまいだ!」
お空の大音声が、地底を震わせる。その頭上には、目の眩むような光を放つ巨大な”恒星”が生まれ、成長し始め、周囲の空気が熱で周囲の景色を歪め始めて――
「――っ!?」
「あ、おいチビちゃん!」
「え、ちょっとたっちー!? 出てったら危ないよ!」
橘がそれを見るや否や、店主の肩から飛び出し、被弾や干渉を避けて人がいない戦場の直下に走り込んだ。店主とこいしが止めようにも、店主が声を上げた時には既に橘は焼け焦げた更地の中央で上空を睨んでいた。
「ん? なんかガキがいるぞ」
「いつの間に出て来たのか?」
「今あの烏の全力攻撃だぞ? 危なく――」
同時に、それに気付いた群衆がざわつき始める。されど、自分も出て行ったら巻き込まれそうだし、それに誰か助けるだろうという傍観者心理も働いて、誰も動かない。見ず知らずの幼子が一人死のうがどうでもいいというのも、荒事慣れした旧地獄の民の正直な感想だった。悼みはしても、それが何だという話である。
そして、上空の瑞霊とお空は、一切そんなことには気付いていない。
「準備が遅いぞ、欠伸が出そうだ!」
「待たせちゃって申し訳ないね、いくよ! これでおしまいだ! 霊夢に使った時は自爆しちゃったけど、今回はそうはいかないぞ! さあ、酸いも、甘いも、何もかも――」
頭上に浮かび、恰もお空に背負われるかのような形で地を燦燦と照らす暴力的な恒星が、また一段膨らんだ。もう、殆ど視界の全てが至光で埋め尽くされている。
「――全て熱に還れ! ”太陽を盗んだ鴉”!!」
そして、瑞霊、ひいては地上めがけて、核の炎が墜ちて来る。瑞霊は迎撃の準備に出て、地上の者達は衝撃に備えて身を屈めた。こいしも橘の救助を断念し、先程の結界で助かってくれることを願った。
しかしその直後、それに続いて、あどけない声が全員の耳に届いた。
「こんなの、街が消えちゃうでしょ! 國し
直後、瑞霊と恒星を隔てるように、巨大な結界が地底の街を包み込む。こいし達地上にいる者達の目には、まるで遮光
直後――結界に恒星が衝突すると共に、空気で熱された隕石が放つような爆光が地上の者達の目を眩ませ、形容し難い激震が地底を襲う。地上にいた者は縦揺れで一尺程も身体が浮き上がり、瓦礫も大きく舞い上がって、再び建物が倒壊したかのような土煙を上げていった。
しかし、轟音、爆風、衝撃波、熱波のいずれも、結界に覆われた地底の街には届かない。地上にはクレーターを作り地底では街を焼き尽くすお空の一撃は、半透明の壁一枚で完封され、起こるはずの災厄は幼い神の乱入の名の下に握り潰された。
「……??」
「えっ?」
「は?」
「「「「「???」」」」」
常識を遥かに超える核の破壊が何かの壁に封じ込められたことに、観客達が唖然として固まり、幾人かは素っ頓狂な声を上げる。全員の目が、淡く光る天蓋とそれを睨む幼子を往復する。
「えぇ!? 反獄王ってこんなに強い結界張れたの!?」
勿論一番驚いているのは、相手を消し炭にする気で、満を持して技を放ったお空である。慌てふためいているのがよく判る上ずった声で、瑞霊にそう問うた。
「いいや、私はこんなの張れない。そこの、私達の真下にいる子供なんじゃないか?」
そう言って橘を指差した瑞霊の動きを追うように、お空も橘を見遣る。橘に初めて気付いたらしいお空は、橘に制御棒を向けて、これまた大声を張り上げる。
「誰だ! せっかくの決闘なのに、とんだお邪魔虫め!」
その言葉を敵対的なものと受け取ったのか、ぱっと腕を振って結界を消し去りつつ、そのままぴっとお空を指差し、橘もお空を睨み返す。
「あわや街を灰にしかけた羽虫には言われたくないなぁ。ぼくは橘、健脚の神だよ。こいしが言ってたおくう、だね?」
橘が剣呑な雰囲気で返答したせいで、険悪な一触即発の空気が流れる。
しかし、その空気は、橘に抱き着くように飛び出してきたこいしによって綺麗さっぱり消え去った。
「お空、ごめんね~。たっちーはね、瑞霊とお空の勝負に混ざりたかったんだよ! それで、お空がちょうど技を撃ったから、たっちーもバリアしちゃったんだと思う!」
「!? ちょっ、こいし――んむぅ!?」
橘が何か言い掛けるが、こいしは抱き上げるついでに口を蓋い塞ぎ、反論を封じる。
お空は単純なもので、こいしの言葉を聞いて一度ぱちくりと瞬きをすると、打って変わって満面の笑みになった。
「なーんだ、そうだったんですか! じゃあ、こいし様のお友達なんですね? たっちーくん、それなら思いっきり戦おう! 反獄王もそれでいいよね?」
あまりに切り替えの早さに、橘がこいしの腕の中で暴れるのを止めて、信じられないものを見る目でお空を見る。なお、ここには「お互い様だよ」と言うような、橘の世話を焼く常識人の保護者はいない。
「……いや、構わないけども……もしかして、そのちびっ子が私と組むのか?」
こいしとお空に置いていかれている瑞霊も、橘同様戸惑った反応を見せる。上空から橘を見下ろしつつ、そんな声を漏らす。
「まあ、ハンデだと思えばいいか」
「むー! む~う~!」
続く言葉には橘が食って掛かったが、瑞霊は勘で橘は戦い慣れしていなさそうだと見抜いていた。肩を竦めつつやれやれと首を振る瑞霊に、橘は猛抗議を重ねるが、悲しいかな、口を塞がれているせいで吃って何も聞こえない。
「じゃあ私はお空と組むからね~、たっちー頑張れ!」
「むー! ……ぷはっ、ちょっと、こいしってば!」
橘が漸く解放された頃には、こいしは既にお空の近くに飛び立ってしまっていた。
「ん~、地底って騒がしいから聞こえないな~」
今は皆が事の成り行きを固唾を呑んで見守っているので、地底ではありえないくらいにとても静かである。
こいしにそんな風に嘯かれては、橘もどうしようもない。橘は諦めて、頭を振って小さく溜息を吐いた。
因みに、抑々こいしは一度くらい橘と戦ってみたいと思っていたので、お空の戦闘と聞いてからこれをずっと狙っていた。何も考えていない者と綽名される割に、策士なこいしである。
「……はじめまして、失礼な怨霊さん。ぼくは橘だよ」
仕方なく、橘は瑞霊に対して自己紹介を始めた。いつの間にか瑞霊は橘の近くにやって来ていたので、なかなか空気が読めるらしい。人に乗り移ってその者の素性を真似る怨霊は、こういう人に合わせるようなことに長けているのかもしれない。
「初めまして。私は宮出口瑞霊。最近まで地獄に収監されてた怨霊だよ。橘、飛べないのか?」
「飛べない。なんで判ったの?」
「飛べてたら自分から私の方に近付いてくるだろ」
そんなことを言いながら、橘に背中に乗るよう目と身振りで示す。素直に橘は従って背負われ、瑞霊と共に宙に浮かび上がった。怨霊の身体というものは便利なもので、実体化して人に触れることも十分にできるらしい。
「ねえみずち、みずちってソコタチ*1のこと、何か知ってる?」
「……? いいや、さっぱりだけど」
「あ、知らないならいいの。何でもないよ」
お空とこいしと同じ高さまで上昇する間に、橘がそんなことを瑞霊に訊いた。全く心当たりのない*2瑞霊は首を傾げるばかりだったが、橘は関係なさそうなことを察して質問を自ら引き下げ、少し怪訝そうな瑞霊にお空とこいしの方を見るよう促す。
「おーい、準備できた~?」
「たっちーくん、それに反獄王! こっちは準備万端だぞ! さあ、かかってこい!」
一方で、気炎万丈といった様子のこいしとお空は瑞霊と橘を待ち、包丁や制御棒をぶんぶん回していた。その様子を見て、再び喧嘩が始まりそうだと悟った群衆が、再び、少しずつながらざわめきを取り戻し、活気に満ち始める。
「あのちっこいガキ、神だったのか! 凄い結界だったな!」
「でも、あの地獄烏なら突破できるかもしれないぜ? それに、地霊殿の妹の方も、気付かれずに攻撃できるっていうからどっちか判らないんじゃないか?」
「俺は反獄王に二円*3だ!」
「じゃあこっちは烏に四円だ!」
早速、仕切り直して賭けを始める者まで出て来た。基本面白ければ何でもいい彼等には、節操も遠慮もない。
「……はあ、仕方ないなぁ。
「よく判らないけど、蒟蒻問答になりそうだから答えないぞ?」
橘が苦笑いして呟くと、瑞霊がそっけなくそう答えた。その反応に、それもそうかと橘もこいしとお空に目を向ける。
「――それじゃあみずち、始めよっか!」
「はいはい。足は引っ張らないでくれよ」
「よーし、それじゃあ始めよう!」
「たっちーくん、こいし様のお友達でも手加減はしてあげないからね!」
そして四人が各々に頷き、やっと勝負が始まった。
お空とこいしが瑞霊と橘に向かって飛び出し、橘が結界を展開し、瑞霊も迎撃の準備を始める。
「いくよ、”爆符『ギガフレア』”――ッ!!」
「私も~! ”表象『弾幕パラノイア』”!!」
「橘、突っ込むぞ! 壁で援護頼んだ!」
「はーい!
再び空に弾幕と怨霊の霊力が煌めき、地底の空が色とりどりで鮮やかな光に埋め尽くされた。轟音が地面を揺らし、結界と弾幕の衝突に地底の民が歓声を上げる。
その声をゴング代わりに、既に大方が灰燼に帰した地底の街で第二ラウンドが幕を開けた。
弾幕勝負開始から五分ほど。
瑞霊は、一言で言うと内心で驚愕していた。
瑞霊の背中に小さな身体を預けた、神を名乗る幼い子供は、瑞霊の予想通り確かに戦闘下手だった。瑞霊が指示を飛ばさないと、はっきり言って何も出来ないだろう。
しかし、その結界術は、先程の巨大な結界すらも実力の片鱗に過ぎないことを大いに証明していた。
あの結界は橘が自身の危機と神の矜持の護持が絡んだ結果の、全力も全力の代物。瑞霊はそう思っていた。憑依した諏訪子や紫でも、あれ程の強固な結界を張ろうとすれば印を結ぶ、札を撒くなど、ある程度の準備を必要とするものなのである。
なのに橘のそれは、強度では劣るものの、お空が肉弾戦で急襲を掛けて来た時に咄嗟に張った結界でさえ、お空の攻撃に全く動ぜず、寧ろ反動を喰らったお空の方が腕を痛める程だった。橘が「原初結界」と言って張る結界は二度お空の攻撃で破られているが、即座に重ねて張り直すせいで、瑞霊と橘に攻撃が届く不安がない。
しかも、こいしの無意識からの来襲にも気付けるらしく、恐らく瑞霊単騎ならこいしに全く気付けずフルボッコにされていただろうというのに、橘がこいしの来襲の都度結界を張って攻撃を易々と無効化するお陰で、瑞霊と橘は一度たりとも攻撃をまともに喰らっていない。
クールダウンなしの高耐久防御を持ち、何故かは判らないが不意打ちの効かない防御要員。控えめに言っても――妹紅が大量の異変石を相手取った時と同じように――戦いやすいことこの上なく、橘が攻撃は不得手でも問題ないほどに橘は大活躍していた。
「はぁ、はぁ……ちょっと、なんでこっちの攻撃が一発も通らないの?!」
「たっちー、ズルいってば! 私毎回本気で斬りかかってるのに、なんで傷一つすらつかないの!? お空が壊しても、すぐ張って来るしさぁ!」
「橘、褒められてるぞ? お前の活躍が妬ましいんだってよ!」
「まあ、始めたのはこいしだもん! 悔しくっても我慢してよね!」
先程の「付き合ってやる」云々の言葉は何だったのか、橘が上機嫌にそう煽る。また弾幕が飛んで来るが、瑞霊がグレイズするまでもなく、橘が軽く張った結界一枚にその全てが防がれてしまった。
実はこいしもお空もフラストレーションが結構限界まで来ていて、橘の結界がなければお空の攻撃は地底を十数回は焼き払っているであろう程にまで苛烈になっている。依姫の【
による示現流も真っ青の大上段の一撃を重ねて漸く一枚突破したという程に堅固な結界を二度破っているという事実自体が、お空の頭が戦闘の楽しさと本気を出せる無自覚の喜び、そして無自覚な苛立ちの昂りで埋め尽くされ、加減という概念が吹っ飛んでいることを示している。あまりにも橘が容易く防いで見せるから観客も瑞霊も勘違いしているが、今のお空の一撃は、下手をすれば一撃で地底世界が崩壊しかねないほどの熱量を孕んでいるのだ。こいしも、自分の攻撃は通用しないと悟り、ならばと一切合切思慮と手加減を捨て、瑞霊と橘に殺す気で襲い掛かっていた。
ここまで一方的では観衆から不満が出そうだが、見た目では派手な攻撃を連発しているお空とこいしが優勢なように見え、攻撃の度に上がる轟音や花火も大いに彼等を盛り上げるので、寧ろ彼等は今までで一番派手だと全員大満足である。
そんな中、更に数十発の弾幕を防がれ、とうとうお空とこいしがキレた。
「――ああ、もう! たっちーがチートすぎて全然当たらないじゃん! お空、”アレ”やるよ!!」
「前に夢で見たって言ってたやつですね? 了解です!」
二人は一旦攻撃を中断して、二人で近くに寄り、瑞霊と橘に正対した。群衆が何が始まるんだと期待に満ちた目で溜めを始めた二人に目線を集める中で、二人が同時にスペルを宣言した。
「「”地霊符『マインドステラリリーフ』”――ッッ!!」」
直後、お空が次々と恒星を生み出し、橘と瑞霊目掛けて墜とし始める。
「あちゃあ、ちょっと多いねぇ。”八重の叢雲”くらい?」
その言葉と共に、慣れ切った様子の橘が幾重にも結界を構築した。すぐに轟音と共に核の炎が結界に直撃し、四度か五度の爆発と共に結界が砕け散るが、数枚は結界が重なっているらしく、全てが突破される未来は見えない。そして、こいしの放つハート型弾幕もついでのように防がれ、反対に瑞霊の弾幕は結界を素通りしてお空とこいしに襲い掛かり、スペルに夢中になっていた二人が思い切り被弾してしまう。
あのピチューンという甲高い音が聞こえた後、自慢の合同スペルを瞬殺で破られたこいしとお空が激昂した様子で叫んだ。
「あああああああああああ!!! 手加減してよおおおおお!」
「もういい、全部燃やし尽くしてやるっ!! こいし様の友達だとか知ったことかぁぁぁぁぁぁぁ!!」
元々血の気の多い地底の妖怪である。こいしが無意識のうちに能力でお空の感情を増幅したり、更にそこで神経を逆撫でするような立ち回りに遭ったりで、こいしもお空もすっかり頭に血の気が上っていた。お空など、普段なら絶対口にしないような台詞を口走り、頭上にオーバーヒート上等の大火球を生成し始めている。その色は――普段の赤色ではなく、青白い。それは即ち、恒星の表面温度が摂氏一万度を超えていることを示している。橘の結界がなければ、地底の街の住民達は既に自然発火を始めていてもおかしくないほどの熱量であった。
「……橘、アレは流石に不味いかも」
「そう? 意外とどうにかなりそうだけど、ちょっと本気で守っとく?」
「……神って凄いな」
瑞霊が、お空の影の向こうの青色巨星を見て青褪め、橘に質すが、一番最初の”太陽を盗んだ鴉”を防いで余裕綽々の橘は暢気な反応を返す。その様子に瑞霊は呆れ、一瞬で緊張が解けてしまった。瑞霊には態々言っていないが、橘は敵方のこいしも結界で守るくらいには余裕がある。こいし自身も昂奮のあまりその事実には気付いていないが、凄まじい熱量のすぐ傍でこいしが無事なのには、そういうからくりがあった。
「……おい、あれは流石にヤバくね?」
「なんか世紀末みたいな音が聞こえるぞ」
「……景色が歪んであの烏の姿が見えないんだが」
観客達がいくらなんでもな規模の攻撃を見て、静まり返り始めた。空気は高温になると、周囲との屈折率が変わるために景色が歪む。炎の周囲が揺らめいて見えたり蜃気楼が発生したりするのも全く同じ原理だが、お空の生み出した恒星はあまりに大きく、常ならぬ光路の歪曲を生じて、お空とこいしの像を掻き消し、瑞霊と橘の姿以外には視界に影一つない光の世界を観客達の目に映し出していた。
「私だって怒ったからね! たっちー、神殺しの時間だよ!!」
脅し文句であると信じたい物騒な発言と共に、こいしの声も聞こえた。幻想少女は往々にして途轍もなく物騒なことを口走る。瑞霊や地底の観衆の頭には、こいしが”あの”笑みを浮かべて高笑いしているのが想起された。
それから、更に溜めが続いて数十秒。
「喰らえぇぇっっ!! ”星符『巨星墜つ』”――っ!!」
「”サブタレイニアンローズ”!!」
――遂に二人のスペカが、地上に撃ち込まれた。身体を臓物から揺らすような低い音が轟いて、視界を埋め尽くす光の塊が墜ち始める。
「”故于乾與坤の大結界”!」
即座に、橘が天に手を翳し、結界を張る。
直後、恒星の直撃一発で、爆音と共に橘ご自慢の結界が粉々に砕け散った。
「……え?」
異次元の威力に、橘の表情がフリーズする。それは、瑞霊も弥次馬達も同様だった。
橘の結界が破られた。地底の街を焼燬するに十分な威力を備えたお空の”太陽を盗んだ鴉”をいとも簡単に防いだ橘の結界が破られた。それが意味するものは――自分達が、塵も残さずにプラズマ化する未来である。
「ナイスお空! ほらたっちー、よそ見してたら私の弾幕にやられちゃうよ?」
そして、結界が消え去った上空から、同心球状に広がる弾幕が繰り出される。
本来のこいしのラストスペル”サブタレイニアンローズ”は、その弾幕の層ごとに、隣り合う数個の弾が薔薇の形に膨張、或いは発火して回転していき、相手に薔薇の回転を避けて上手く同心球をすり抜けることを要求する弾幕である。
しかし、こいしもリミッターが外れているせいで、薔薇状に発火する弾幕が円周の殆どを占め、すり抜けられる隙間が殆どなく、しかも薔薇の回転や弾自体の拡散速度、ヘイスト、密度が鬼畜めいている。弾幕ごっこの原則である”不可能弾幕の禁止”に軽く抵触するであろう、高難易度などというレベルではない弾幕が瑞霊と橘に襲い掛かった。
「……! ”三重の
こいしの弾幕が目に入って、漸く橘が我に返り、再び結界を張り直す。しかし、その時には既に、お空が二の矢を放っていた。
橘が結界を張って数秒、再びその直撃で最上部の結界が一枚砕け散る。瑞霊は橘が結界を張るまでに飛来したこいしの弾幕を避け終えてから、焦った様子で声を荒らげる。
「橘! もう二枚破られたぞ!? あんなの直撃したら、いくら私でもお陀仏だ!」
「うっさい! みずち、黙ってて!」
然れど、焦っているのは橘も同じ。同じく苛立った声で、怒鳴るように瑞霊に応える。
瑞霊は、轟音が立て続けに鳴り響く天井を睨み据えた。仮にお空の弾幕が直撃して地底の街が岩漿に沈もうとも、瑞霊にはどうでもいい。ただ、結界を貫通して何発も降って来ては、瑞霊でもこいしとお空の苛烈な攻撃を避け切れる可能性はたかが知れている。はっきり言って、自身でそう言ったように”お陀仏”であろう。
瑞霊は、一度大きく深呼吸をした。そして焦燥を抑え込み、今度は肚を括ったように橘に声を掛ける。
こういう類いの、窮地にあって冷静になる術は、戦闘巧者特有のものである。戦場を俯瞰してみる姿勢の有無が、その者の技量を決めているとも言えよう。瑞霊もまたレミリアも認めるような戦闘狂であり、戦場で自らの感情をそういう意味で制御することには長けている。
「ああ、ごめん。お前も頑張ってたんだもんな……あの烏の高火力の攻撃は長くは続かない。あいつらはキマっちまってるから、多分攻撃が止むのは力尽きる時だ。辛いかもしれないけど、それまで耐えられる? 神様、頼んだよ」
その言葉を言い終え、軽く答えを求めるように橘の身体を揺すってみる。
返答はなく、暫くは橘は無言であった。
しかし、お空とこいしの方に固定された瑞霊の視線の先――丁度、最後の一枚が破られて、一瞬お空とこいしの姿が露わになっている――が、再び淡い光の幕で覆われる。
瑞霊が橘を振り向くと、橘はあどけなくにっと笑っていた。
「――うん、がんばる! ぼく、神様だもん!」
見れば嬉しそうに、えへんと小さく胸を張っている。苛ついていたようだったが、瑞霊の一言で戦意を取り戻してくれたらしい。
橘がやる気に戻ったようで、瑞霊も一安心である。瑞霊ではあの次元の威力の攻撃をどうにかすることは出来ないので、橘とは嫌でも一心同体なのだ。
ただのじゃれ合いの決闘が、随分と大事になってしまった。
「ほんと、やれやれだよ」
それから、凡そ十分ほど――お空とこいしがガス欠になって力尽きるまで、防戦一方の
それでは、受験の合格発表まで、暫しお別れとなります。
三月上旬末くらいに、覚えていてくださったら、再び確認してやってください。受かっていれば、恐らく投稿しているはずです。
それまで、至らぬ拙者と幼き神にはあしからず。