妖怪山下腹部、守矢神社の
哨戒の白狼天狗、犬走椛は、身勝手な要求を繰り返す面倒な登山客二人への対応に悪戦苦闘していた。
「だから、私達は妖怪山に会いたい神様がいるから、山姥の聖地に行きたいだけなんだよ。あんたら天狗に迷惑かけるつもりなんざこれっぽっちもないし」
「そうは言われても、勝手に入ってくる輩を押し留めるのが私の仕事なんですよ。第一です、あそこの山姥共が自分の縄張りを荒らされるのをヒステリックなくらいに嫌うのはご存知でしょう? 仮に貴女方が聖域に侵入したら、理不尽なことに我々天狗が詰められるんですから!」
「別にいいでしょ? ぼく達泥棒とか悪いことするわけじゃないもん!」
「話が
山に入りたいと申し出た妹紅に対して、椛は最初は丁重に断ったのだが、一緒にいる橘というらしい白髪の子供が駄々をこね、妹紅も食い下がり続け、十分間以上もこうして言葉の応酬を続けている。
態々律義に入山許可を求めてやったらこれか、と妹紅は苛立っているようだ。ただ、それ以上に椛も、目の前の頑固な二人との対話を続け、蟀谷と耳を小刻みにぴくぴくと跳ねさせている。相当に頭に来ている。そして全く当を得ていない発言をしたという自業自得ではあれど、子供扱いされた上で黙っていろと言われてしまった橘も不満気に頬を膨らませて椛に食って掛かる。三者三様にどんどん不機嫌になっていき、次第に交渉だった筈の舌戦はただの言い争いになっていった。
「で・す・か・ら! 私では貴女方の入山を許可致しかねます! もし望むのなら、守矢の御二柱に允可を請うて下さい! ウチの上役でもいいですけど兎に角、上からの許しがなければ私は梃子でも動きませんからね!」
そしてとうとう椛は相互の罵倒に近くなっていた交渉を強制的にぶった切り、腕を組んで鼻を鳴らし、”もうこれ以上話すことはない”と口を閉ざしてしまった。
「……チッ……面倒だなぁ……」
妹紅の苛立ち交じりのぼやきに、それはこちらのセリフだ、と椛は内心妹紅に毒ついた。
どの組織にも属しておらず何をしてもいい妹紅とは違い、組織と役割に縛られ、それを必死に全うしながら殆どは何も起きず退屈極まりない日々を過ごす椛とでは、立場も思考回路も全く違うのだ。好き勝手言われて他所者を通すのでは、偶にしかない哨戒任務でも役立たずの無能という烙印を押されてしまう。
それに、今日は八坂様に来客があるとのことで、警戒を厳にしろと上司から仰せつかっている。この二人にそれを邪魔しようという気は(抑々そのことを知っている素振りも)なさそうだとはいえ、万が一ということがある。神の機嫌を損ねれば、身の破滅が怖い。椛も意固地になる所以である。人間の子供がいる以上荒事にするのも気が引けるので、引き下がってくれなければどうしようかと椛は心底悩んでいた。
しかし椛の粘りが功を奏したようで、一言ぼやいた妹紅がこのままでは埒が開かないから、と取って返そうとする素振りを見せたのだ。有難いことこの上ない、帰ってくれれば自分は職務を十全に果たしたことになる。とっとと帰ってくれれば、今相手の奔王*1をどうやって詰めてやろうかと長考中の大将棋に戻れる。いい加減に無意味な長丁場にもウンザリしていたので、今直ぐにでもお帰り頂けそうで椛は漸く安堵していた。
――のだが、ところがどっこい、そうは問屋が卸さなかった。
小さな身体で仁王立ちしていた橘が、むっと頬を膨らませながらその警告を拒んだのだ。
「やだよ! そんなことしてたら、晩ご飯までにれーむのとこ帰れないもん!」
諦めの悪さ、ここに極まれりだ。精一杯にそう主張する橘に、椛も流石に呆れ返る。
「そんなの知らないから……いい? 私が言ってるのはね――」
「もういいよ! 勝手に行くから!」
しかし、その忠告は幼い、不機嫌そうな声に遮られた。
ちょっと慌てた様子の妹紅が止めに入る。
「待て待て、この分からず屋が苛つくのはわかるけど、短気はダメだ。第一、天狗ってのはアホみたいに速いから、勝手に入っても直ぐ捕まるぞ」
「何で私が分からず屋なのか意味不明だけど、そういうこと。隠れて行ったって私には判るからね。ほら、大人しく帰った帰った」
椛の合いの手に妹紅はまたイラっとしたようだが、それには鼻を鳴らして応え、橘を引き戻そうと橘の低い肩に手を置いた。
「……しょうがないさ、引き返――」
そうして、妹紅が橘の肩を軽く掴むと――
「もこさん、手、離さないでね」
――今度は妹紅の言葉を遮った、先程より若干低い橘の声が椛と妹紅の耳朶を打つ。
椛が怪訝そうに首を傾げる。嫌な予感がしたので、反射的に一応腰の刀に手を掛け、抜刀の姿勢を取る。そして、妹紅が言われるがまま、これまた反射的に橘の肩をぎゅっと握ると、次の瞬間――
――ヒュンという風を切る音と共に、椛の前からふっと、橘と妹紅の姿が消えた。
「……え、え!? どこ行った!?」
いきなりの消失に慌てた椛は自身の”千里先まで見通す程度の能力”で、辺りを全力で探る。今のやり取りの後で、逃げたとは考え難い。移動は椛の眼を以てしても見えなかったし、恐らく妖怪山のどこかに転移したのだろう。
でも、もし転移が可能なら自分と折衝する必要はなかった筈で……? 抑々、転移が可能ということは、橘と呼ばれたあの白髪の子供は、あの気配で人間ではない……? もしかして、潜伏して自分への奇襲を狙っている……? 謎が謎を呼び、一見張りに過ぎない椛は普段絶対しないような頭脳労働を強いられ、ショート寸前になっていた。
そして数秒後、そんな混乱の中にあっても、妖怪山の哨戒に一役買っている彼女の優秀な視界は、いつも通りに侵入者を成功裏に捕捉した。
彼女の幸運は一つ。その場所を特定した瞬間に、自分の役割がもう終わったことを察せたこと。
そして不運も一つ。仮に橘が転移したのであれば、椛では――恐らく幻想郷中の錚々たる強者もその殆どは――予備動作なしの転移など絶対に止められないので妹紅達に侵入を許した咎を責められることはなかったのに、大変残念なことに、橘が恐らく転移など使っていないことも察せられたことだった。これは、後で呼び出しの上詰問を受けること間違いなしだ。
確実に自分に訪れる、大天狗からの有難い地獄の説教タイムをぼんやりと想像して諦めの溜息を吐きつつ、椛は空を見上げて独り言ちた。
「……速さが売りの天狗様相手に、この突破方法はないでしょ。あーあ、あとで〆られるな、私。ほんと、何なのよ、あの子供は――どうやったら、私よりずっと早く走れるのよ。文様なら追いつけるのかなぁ……」
橘と妹紅が椛の前から忽然と消えてからここまで僅かに二十秒弱。椛の千里眼は、二人が直線距離でもここから
そしてそれから体感で一秒ほど。俄かに減速した二人の姿は、外部の者は容易には入れない筈の聖域の中に消え、椛の千里眼からも、完全に外れたのだった。
山姥の聖域内にて。
「うぅ、吐きそう……初めてすぎるタイプの感覚なんだけど……」
「もこさん、だいじょーぶ?」
「あんまり大丈夫じゃない……うっぷ……」
藤原妹紅は、身体の中身をシェイクされたお陰で強烈な吐き気を感じて口を押さえた。
数十秒まで、飛ぶこともできず、目の前で異能を行使するわけでもなかった橘を人外だとは露も疑っていなかった。妖怪山まで来る道中は妹紅が橘を抱えて飛んできたのもあり、橘の質問攻めに(多少子供には刺激が強そうな部分をぼかしながら)答えるうちに着いてしまったので橘自身についての話は大して聞いていなかったのだ。先刻の交渉では、椛に対して橘が強気すぎて、妖怪相手にこれほど喧嘩を売るかと若干困惑していたくらいである。恐らくは橘は喧嘩を売っていた気など微塵もないのだろうが。
そんな訳で当然、何の予告もなしに、妹紅が千年の生涯でも経験したことのない、何なら今まで予測もできなかったような本物の”神速”で引っ張られるとは思っていなかった。
最初に反射的に手に力を入れていたのと、初っ端にかかった凄まじい加速度に命の危機を覚えてそこから全神経を握力のみに注いでいたお陰で橘に振り払われずついて来れたが、最初と最後の逆方向の慣性力に内臓を引っ掻き回され、今朝食べた作り立ての干し柿と干し肉をリバースしそうになっていた。たかだか二十秒の間に握力は完全に死んでしまっていて、腕がプルプルと痙攣してしまっている。輝夜に見られたら、「鈴をつけたらシャンシャン鳴りそうね」なんて煽られそうだ。
そう思うと気合いで腕の痙攣を止めることができてしまうので、何とも不思議なものである。妹紅の輝夜に対する堪忍袋が時折物部守屋も青褪めるくらい短く細いことと、妹紅の脳内の輝夜が死ぬほどウザいことのお陰で成り立つ離れ業だ。尤も、普通に死んで
さて、あんな速度――妹紅には周りの景色なんて観覧する余裕は一切なかったものの、目の前の景色が恐ろしい勢いで流れていったのは視界の端に捕えていたので、具体的な数値を知るのはもはや怖くなっている――で決して歩き易いとは言えない山道をかっ飛ばしても荒い息一つ吐いていない橘は、聖域の結界の前まで来ると、それを一瞥してすぐに小さな手で指をパチンと鳴らし、そのまま中に入って行ってしまった。
前に岩長姫を探しに妖怪山に来た時はどうやっても結界の中にも入れず、山姥達から取り付く島もなく追い出された妹紅には信じ難い光景である。
外の様子が全く判らない、暗い聖域の中を小さな足でずんずんと進んでいく橘の後を歩きつつ、吐き気がようやく収まってきた頃に、息を整えながら妹紅は橘に訊ねた。
「はあ、はあ……橘、人間じゃなかったの……? さっきのは神懸かった俊足は一体……あんなの、天狗よりずっと速いだろ……それに、今の結界はどうした……?」
「ぼく、一応”足神さん”でもあるからね~、結界はちょっと弄っただけだよ!」
「……足神?」
橘の答えに、抑々橘が神であることすらも知らない妹紅は怪訝そうに問い返した。
「そう、足神さん。もこさんが生まれた頃よりは前だったと思うけど、ぼくを何でだか脚にご利益がある神様って祀った神社があったみたいなの。そのお陰でぼく、結構足は速いんだよ~!」
橘の説明だと粗雑に過ぎるので、少々補足を入れておこう。
とはいえ、だからと言って祀っている神社が存在しない訳ではない。他の八百万の神に比べれば相当に少なくはあれどそれなりの神社には祀られているし、出雲大社にも他の別天神と合祀されているのだ。知名度が低いだけで。
「うっさい! さっさと説明!」
実は可美葦牙彦舅神は、記紀での記述が少ないだけに結構色々なご利益に結び付けられている神でもある。特異な別天神ではあれど一応は神様である橘も、そう由縁が付されていればそれを司る神としての力を扱えるのだ。
橘が言った”足神さん”というのは、全国的にも珍しいという、足にご利益を齎す神様としての可美葦牙彦舅神の愛称だ。ご察しの通り、”アシ”の音繋がりの御神徳(有り体に言えば洒落)だ。”
神様に”さん”とつける馴れ馴れしさに若干の違和感を覚える読者もいるかもしれないが、関西を中心として、”さん”は比較的原義的な、”
加えて余談をすると、足にご利益がある神社は様々あるが、諏訪大社の系譜の者が死して後に人神として祀られている足神神社(同じ名だが先述のものとは全く違う。こちらは静岡にある)や御祭神が
因みに”足神さん”としての可美葦牙彦舅神は三重にある宇治神社、大阪の
かなり話が逸れたが、要約すると、足神さんとして祀られているお陰で橘は足が速い、ということになる。ただ足が速いだけではあるのだが、侮る勿れ、橘は仮にも神である。
地に足つけての走りなら、橘は幻想郷含む数多の異界でも余裕で無双できるだけの俊足を誇る。単純な速さならそれが売りの射命丸文達のような上位の鴉天狗や吸血鬼達には及ばないとはいえ、”比類無き脚力を持つ程度の能力”を持つ早鬼であっても敵わないだけの神速を出せる。
しかも橘の場合、地に足をつけているお陰か、ほぼほぼ慣性の法則を無視したような急停止、急発進が可能で、出鱈目な速度の癖に小回りも利くのだ。ちょこまか動く速度に限れば比肩する者は幻想郷にはいない。もしも単純な鬼ごっこをするというのなら文句無しで幻想郷最強を名乗れる、文やレミリアとは違った”最速”なのである。
「なるほど……取り敢えず、橘は足が速い神様ってこと?」
「うん!」
あどけない元気な返事に、教えておいてほしかったなぁ、と妹紅は溜息を吐いた。マイペースすぎる橘の手綱持ちというのは、竹林で迷い子を保護したりして子供慣れしている妹紅にも重労働である。確かに言われてみれば、神様特有の自由奔放さ、唯我独尊感はある気がする。
そんな妹紅の疲弊にも気付いていないように橘は屈託なく笑い、ぴょこぴょこと跳ねるように妹紅の数歩前を歩いている。その姿はやはり、橘を神だと知って尚可愛らしく思われる。
そして妹紅がその姿に「橘って、これでも神なのかぁ」なんて考えつつ、五分間で得た数ヶ月分の疲労感に沈鬱な気分になりながら、いつの間にか前を行く橘と開いていた差を埋めようと軽く歩く速度を上げようとした、その時。
――ヒュヒュン。
――ドドッッ。
妹紅と橘の間に、空から飛来した何かが二本突き刺さった。妹紅の片腕程の長さがあり、その身は黒光りしている。所々ほんの少しの血曇りが白く陽光を反射する刃の逆側の背に見える。ずんぐりとした形状から、それが包丁であることを理解するのにさして時間は要さなかった。
地面に突き立ったそれらの姿を認めた瞬間咄嗟に後ろに飛び退き、妹紅が空を見上げる。
橘はと言うと、自身の背後からしたくぐもった低い音に後ろを振り返って、自分の目線の高さ程もある出刃包丁に初めて気付き、その威圧感と恐怖に肝を潰したようである。
「……ん? うわぁぁぁぁぁ!? も、もこさん、こ、これってぇ……」
橘は見る間に涙目になって妹紅を頼ろうとしたが、流石に今包丁が突き刺さった場所を通るのは不味いことくらいは幼い頭にも理解できたらしい。妹紅の方に駆け寄ろうとしたようだったが、包丁を見てぴくっと肩を震わせて二の足を踏み、おろおろしながら妹紅の方を見つめてくる。
その姿を見て、妹紅は頼りなさすぎる”足神様”に苦笑してしまった。文字通りの神業を見せられては疑う気はないが、やはり橘は幼い子供らしい。生まれたばかりの神なのだろうか。いや、さっき千年は生きていると言っていたから、妖精辺りと同じで精神だけが重ねた年月に対して幼稚なままなのだろう。
緊急事態にあるまじき微笑みを湛え、妹紅は怯える橘に声を掛ける。
「橘、確か空飛べないんだよな?」
「うん……」
「じゃあ、そこから動かないでちょっと待っててね、すぐ終わらせてくるから」
一旦は上空にいるだろう敵に向けた目線を橘に下ろして、橘に待機しておくように伝えた。橘は妹紅の苦笑を自分を安心させようというものだと思ったようで、妹紅の言葉にこくりと頷くと、すぐ近くの木陰に移動して身を隠す。
「全く、私が妖怪山でも子供のお守りとは……」
その様子を見届けて独り言ちると、妹紅は空へと飛び上がった。
「お前、いつか前に来た蓬莱人だよね? 『ここは聖域だ』っつって追っ払ったと思うんだが」
飛翔してきた妹紅に、薄く青みのある長髪に冠を載せた女が問うた。確か、名を塵塚ウバメと言ったか。前回妹紅が山姥の聖地を訪れた時に丁重に追い出してくれた張本人である。その時はどこか余裕のある――”聖域さえ守ればいい”という感情の表れだと妹紅は理解した――表情を浮かべていた彼女は、妹紅達の存在そのものを全力で警戒しているかのような険しい顔で出刃包丁を妹紅に向けている。隣にいる似た服装の白髪は口を閉ざしたまま、ウバメの灰がかったそれとは対照的な深紅の目で妹紅を睨み据えてきていた。
「藤原妹紅だ。名前を憶えててくれよ、私は憶えてやってるんだから」
「侵入者の名前なんていちいち憶えてられるかい。取って喰われてないだけマシだと思いなよ」
「捌かれて刺身になろうが擦り潰されて鍋にぶち込まれようが死なないもんでね。全く脅しになんないよ、御愁傷様」
向けられる包丁に応じるように妹紅も炎を身に纏う。今ではもう慣れた、肌をちりちりと焼く熱感が妹紅の全身を撫で、妹紅の身体が条件反射的に戦闘に備えて構えを取る中、ウバメと妹紅の会話は続く。
「そうかい、じゃあ蓬莱人さんにはお帰りいただきたいね。もう異変は終わったんだろ?」
「名前で呼べ、名前で。私以外にも、蓬莱人は二人いるんだから。異変のことは詳しく知らないが、橘の口ぶりからして終わってるんじゃないのか? 私はその異変の元凶の神様に用があるんだよ。そっちこそ、さっさと尻尾巻いて帰ってくれないか?」
続く、とは言いつつ、その一度の白々しい言葉の応酬の後、今まで黙していたもう片方の山姥が我慢できなくなったのか、大声を張り上げた。
「だあぁ、埒が開かねぇべ! 逃げ帰んのはお前だ、聖域を踏み荒らす侵入者め! こんなのとぶつくさ話し合うより、とっとと二人で取っちめるべ、ウバメ様!」
余程聖域内の他所者が気に食わないと見える。こちらは携えた包丁をウバメのように警告として向けるのではなく、直ぐにでも襲い掛かれるように大振りに構えた。妹紅を見据える深紅の眼は細まり、荒々しい威圧感を放っている。
それに妹紅も不死鳥の翼を象った焔を纏って応じ、ゴウッという空気が焼けて膨張する音が轟いた。そして二人は睨み合い、激突せんと互いに前傾し――
「ネムノ、待て! 妹紅も、一つ答えろ!」
――威圧の乗ったウバメの一言で制止させられた。さっきまで(恐らく挑発目的で)妹紅を蓬莱人呼ばわりしていたのにしっかり名前を使った辺り、山姥の長としての正式な命令、或いは警告ということなのだろう。妹紅もネムノと呼ばれた山姥も、ぴたりと動きを止めてウバメに目線を向ける。
今こそ戦うというタイミングでの肩透かしにあって若干苛つきつつ、妹紅はウバメに問い返した。
「お宅のツレを止めてくれるのはいいんだけど、もうスイッチ入っちゃったし、聞くならさっさとしてくれないか? 最悪私はお前ら二人ともぶっ飛ばせば済む話なんだから」
「外の奴らってのは物騒だね。喧嘩を売るか恫喝するかしないと死んじまうのかい?」
打って変わって血気盛んになった妹紅に呆れたように小さく溜息を吐いたウバメは、一度言葉を切ると、その両の眼で妹紅を真正面から捉え、改めて問うた。
「お望み通り、単刀直入に聞くよ――お前、どうやって聖域に入ってきた? 前に来たときは、お前は聖域の外で右往左往するばっかりだっだろ。何となく見当はつくが……お前の連れてた、あの子供だろ? 今は下で隠れてるみたいだけど、あの子は何なんだ?」
冗談の答えは許さないという、真剣そのものの眼差しだ。一組織を束ねる者の持つ、特有の圧を孕んだ眼光が妹紅を射抜く。
その程度では気圧されない妹紅だが、残念なことに真面目に答えようにも、その問いへの答えは持ち合わせていなかった。
「……マジで申し訳ないけど、私にも判らん」
「いや何言ってんだべ」
ネムノの指摘もご尤もであるが、知らないものは知らないのだ。
それに、妹紅は橘の発言の中に感じた違和感を忘れてはいない。
『ぼく、一応足神さん”でも”あるからね~』
つまり、橘の本質は俊足の神などではないのだ。少なくとも、別の神格も併せ持った神だと考えるべきだろう。この妖怪山の神社の神も、軍神にして山と湖の神だというのだから、それは不思議ではない。
それに、神霊は結界術に長けているとは聞くが、山姥の聖域に一瞬で侵入できるというのは流石に橘が異常なはずだ。そこら辺の神に簡単に解かれる結界で、千年単位で聖域を護れるとは思えないのである。
「私だってついさっきあの子が神様だって知ったんだ。何か足神って名乗ってたけど、正確には違うみたいだし、掴み所もないしで正体不明なんだよ。目的地への行き方を知ってるみたいだから一緒にはいるけど、初対面と大して変わらないんだよ」
これを橘が聞いていたら「友達だって思ってたのに……」と拗ねるか泣くかしそうだな、とは思いつつそう続けた。
ウバメとネムノから、言外に「そんな奴についていくか普通」と言う目線が投げかけられる。時に目は口程に物を言うもので、妹紅には彼女等が自分を異常だと見ているらしいことがありありと察せられた。
「あとここに入った方法だけど、私は関与してない。橘が聖域の結界を弄ったって言ってたぞ」
「そんなこと出来てたまるかい!」
「落ち着けってネムノ、出来てるらしいんだから仕方ないだろ」
どうやらネムノはウバメに比べると沸点が低い――というよりは感情の比熱が小さいらしい。
ウバメがネムノを宥めるのを聞きつつ妹紅が下を見遣ると、橘が太い杉の幹からほんの少しだけ小さな身体を覗かせて、心配そうに妹紅の様子を窺っているのが見えた。どこまでも純粋で無垢な表情には、例え橘が得体の知れない存在だとしても妹紅を和ませてくれる柔らかさがある。
橘を安心させるように小さく微笑んで軽くひらひらと手を振ると、橘は短い腕を精一杯に振って妹紅に応えてくれた。恐らく、妹紅を激励してくれているのだろう。
「ま、橘が頼ってくれてるんだから、頑張ってやらなきゃな」
そう小さく呟き、妹紅は身体から迸る炎を爆発させる。その熱気と音に山姥二人が妹紅に視線を戻すのを確認して、自身の周囲に大量の弾幕を現出させながら、幻想郷の不死鳥は高らかに宣言した。彼女を覆う紅い光が、嘗てのあの満月の夜のように、暗闇に煌めいて妹紅の影を照らし出す。
「さて、御託は終わりだ! 長々話すのは性に合わんし、力ずくで行くぞ!」
妹紅自身も橘の正体は気になるが、それは後回しである。魔理沙や輝夜辺りは好奇心が勝って訊ねていたのだろうが、妹紅は今の自分の目的――岩長姫の下に辿り着くことに専念し、雑念ごと炎に心を焦がした。
「……全く、血の気が多いね。うちらの住処に土足で踏み入ってんのはそっちだ。こっちも遠慮しないよ」
「かかって来い! 二対一だ、捻り潰してやんべ!」
そして、ウバメとヤマメも弾幕を展開し始めた。
「上等だ! 蓬莱”凱風快晴――”」
――さあ、弾幕勝負、開始である。
「”――フジヤマヴォルケイノ”ォォッッ!!」
橘のダッシュの速度を考えると、等速直線運動だとしてもマッハ7程という、通常火砲の初速の倍を遥かに超える化け物数値になってきます。これ、現実世界だと衝撃波の発生は勿論、空気が摩擦と圧縮でプラズマ化したりもし他の物に当たったら本当に漫画みたいな大穴開けて吹き飛んだり(調べてみたところ、ダイエット等でお馴染みのキャビテーションと言う現象なのだそう)とかいう凄い威力になるんだそうです。実際自分の手で計算してみても、日常生活で類似した威力の物が存在しないので凄まじいこと以外は理解できませんでした。
物理法則がまともに機能しないことで定評がある幻想郷では、そんなことにはなっていない筈です。多分、文が幻想郷でも最高クラスの力を持つってそういうことではないですもんね。