幼き神にはあしからず   作:庚申待ち

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第五段 不死・不尽・浮脂

 大きな目がついた三角形の石の文様という奇妙な神額が(あしら)われた鳥居を潜ると、そこには生を拒むような、異質な空気が漂っていた。

 

「……こんな所に、神社があるなんてな」

 

 馴子によると四季の竪穴というらしい道を抜ける途中で、鬱陶しいピラミッドのような形の石の襲撃に遭ったのだが、橘が結界を張って弾幕を楽々全て防いでしまい、妹紅が一方的に攻撃してすぐさま倒してしまった。妹紅にとって、今までで一番楽勝できた弾幕勝負である。

 チミとの勝負もそうすればよかったのに、という感想は、そっと胸にしまっておくことにした。

 

 そうやって、敵の多さの割に案外直ぐ辿り着いた最奥部には、寂れた神社と思しき場所があった。ただでさえ暗いのに、色の抜け落ちたような神社の色調は、無機質そのものの冷たさを湛えている。完全に凪いでいる空気は、不気味なほどに澄んでいた。

 藤原妹紅が鳥居を潜った瞬間に空気の”冷たさ”を肌に感じ、若干身震いして思わず立ち止まって辺りを見回す中、橘はと言うと。

 

「……もこさん、手離さないでね? うぅ、早く帰りたいよぉ……」

 

 妹紅の右腕をぎゅっと抱えるようにして妹紅にしがみついて、其処彼処が陰に覆われている音のない場所を怖がっているらしく妹紅以上に身震いして泣き言を言っていた。

 

「……ほら神様、しっかりしてよ」

「そんなこと言われてもぉ……」

 

 不安げに辺りを見回しては小さな手に力を込めてくる橘の情けない姿に今日何度目か判らない溜め息を吐きながら、妹紅は橘の頭を撫でてやって少しでも落ち着けてやろうとする。

 自分の神名を妹紅が知らないことに癇癪を起こしたり今のように怖がりだったり、先程の結界術のような神様らしい側面を見せてもらいたいものである。

 

 そんな中妹紅が橘に促して境内の真ん中まで歩を進めると、卒爾として風が起こった。

 

「おや、異変はもう終わったのですが……来客ですか」

 

 次の瞬間、妹紅と橘の前に、忽然と一人の女性が現れた。

 まず目が留まるのは、(妹紅から見て)彼女の身体の右後ろに揺れる火の如きオーラ。暗がりに映えるそれが灯るのは肋骨に似た古びた何かの骨の先で、それと対照をなすように左には鳥の翼と細長い尾のような骨がゆらゆらと揺れている。そして翼の骨には、道中で散々見たあのピラミッド型の石と同じような目の文様が揺れ動く、薄い布に似た翼か外套がひらひらと舞っていた。

 短めの茶髪の下のその顔は半分ほどが切れ長な目を想起させる形状の仮面に覆われていて、その穴から覗く紅い眼光には、見る者の心臓を鷲掴みにする、冷ややかさと鋭さが宿っている。

 純白のシャツに石の柱の束のようなスカートを纏うその姿は異様珍妙以外の何物でもなかったが、不思議とそれが自然に感じられたのは、その女の放つ神気故だろう。彼女の顕現の瞬間から、神奈子とも諏訪子とも違う、木枯らしを感じさせる冷たい覇気が肌にひしひしと感じられる。骨やら石やらと無機質が多い奇天烈なデザインが似合って見えるのは、野の石に座した時に感じられるあのひやりとした感触と肌を震わせる冷感に通ずるものがあるからかもしれない。

 

 その存在感、威圧感故に空気が張り詰める中、橘が妹紅の腕から離れて一歩進み出で、小さくぺこりとお辞儀した。

 あどけない声が、静寂を打つ。

 

「こんにちは。この神社の祀り神、いわながありや……だね? そのマスク、どうしたの? 何かの病気?」

「こんにちは。ああ、この仮面は――」

「あ、思い出した! 前に友達が言ってたの! ありや、”厨二病”なんでしょ!」

 

 瞬間、空気が凍った。

 

「……は?」

「……はぁぁぁぁぁぁ」

 

 ――妹紅は、額に指を当てて項垂れた。長い長い溜め息が、口から漏れる。

 妹紅との初対面もそうだったが、どうしてここまで歯に衣着せずに物を言ってしまうのか。葦のように真っ直ぐ育ったということなのかもしれないが、せめて礼節は弁えてほしい。

 対する阿梨夜はと言うと、怒るよりいきなり侮辱されたことへの困惑が先行しているのか、瞠目して悪気は一切なさそうな橘を凝視している。

 阿梨夜に無益に機嫌を損ねられても困るので、妹紅が場を取り持つために橘と阿梨夜の間に割り込むようにして、阿梨夜に声を掛けた。

 

「私のツレが失礼を働いてすまない。ちょっとまだ分別がつかない年頃だから」

「む、しっけーな! ぼくもこさんよりもずっと年上――」

「はいはい、今はちょっと、岩長姫と挨拶する時間だからステイな」

「でもぉ……はーい……」

 

 橘が頬を膨らませつつもそれに同意すると、妹紅は改めて阿梨夜の方に向き直り、一礼して自己紹介を始めた。

 

「初めまして、磐永阿梨夜さん。私は藤原妹紅という。こっちは橘」

「橘だよ! よろしゅう!」

「何でいきなり京都弁?」

 

 ぱっと手短に自己紹介を終わらせると、橘の不意打ちで若干呆けていた阿梨夜は我に返ったようで、一つ咳払いをすると、妹紅達に応えて自らも名乗った。

 

「えほん……はい、初めまして。妹紅殿と、橘くんですね? もう名前は知って頂いているようですが……改めまして。私はこの浅間浄穢山の主、磐永阿梨夜と申します。不変を司る神にして、前の異変の元凶です。あと、断ってはおきますが、この仮面はあくまでも顔を隠すためのものです。決してカッコつけたいなどという俗な考えはありませんよ。それで、本日はどのようなご用件で?」

 

 そう言って、しっかりと厨二病疑惑を否定しつつ妹紅達に来訪の理由を質してきた。

 それに応え、もう少し前置きすべきじゃないかとは思いつつ妹紅は自分の目的の核心を告げる。

 自らを落ち着けるように一つ深呼吸してから、ゆっくりと言葉を紡いだ。

 

「――”蓬莱の薬”ってご存知?」

「……聞き覚えは。確か、月では禁忌とされている、不老不死の秘薬でしたか」

 

 ”蓬莱の薬”という言葉を聞いた途端に、阿梨夜の紅眼がすっと細くなる。纏う雰囲気が、がらりと変ずる。

 そこに宿るのは、警戒と、深い怨恨だろうか。少なくとも、妹紅はそう解釈した。彼女の目は、千年前の自分が水面に映った時の瞳とよく似ていたから。蓬莱の薬そのものを厭うはずもないので、その怨恨の向かう先は嘗ての妹紅と限りなく近いはずだ。

 

「ああ。その通りだよ。私が飲んだのは、月人が地上に置いていった薬だった」

「……なるほど。貴女は今、不死の蓬莱人なのですね。道理で、どこか私と同じ気配がする訳だ」

「そう、そういうこと。そこで、なんだけど――」

 

 そこで一度言葉を切ると、妹紅は阿梨夜の目を真っすぐに見詰めた。そして、今日、遠路遥々を踏み越えてまでここを訪れた本懐を、漸く遂げる時が来た、と今一度覚悟を決め、再び口を開いた。

 

「――貴女の妹に齎された、私の罪と苦しみの半生の話を聞いてほしい」

 

 その言葉に、ぴくりと阿梨夜の眉が動いた。瞳に移る色が、興味を孕んだそれに変ずる。

 

「……木花咲耶姫が、何か?」

 

 空気を読んでくれているのか、はたまた何も判らずぼうっとしているだけなのか、橘はにこにこ笑って何も言わずにいてくれている。

 珍しく静かな橘を振り返って一瞥して、阿梨夜にまた向き直る。

 

「私は――」

 

 そして、藤原妹紅は、語り始めた。

 


 

「――そして、今に至るという訳だ」

「……ひっぐ、ぐす……ずび……」

 

 四十分後、腕を組んだ磐永阿梨夜は妹紅の身の上語りが終わるのを聞き届けると、深く二度、頷いて見せた。

 

「なるほど、凄絶な人生を歩んできたのですね……遥か昔のこと故私が詫びても如何にもなりませんが、妹の暴挙をお許しください」

 

 そう言って、これまた深く妹紅に頭を下げた。恐らくは謝罪か同情を期待していたらしい妹紅は、神である阿梨夜がたかだか人間である自分にここまで真摯に、自分の与り知らぬ妹の咎のことを謝ってくれたのを見て、若干ながら狼狽しているように見受けられた。

 確かに常ならば阿梨夜が木花咲耶姫の非行の咎を引き受ける必要はないのだが、阿梨夜も性格に難のある妹には散々悩まされてきたので、妹紅の境遇に――妹紅の希望通り、いやそれ以上に――強く共感したのだった。そして、妹紅が胸に抱く願望も、確と受け取ったつもりだ。

 瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)に嫁がされて、彼に厭われた自分のみが父神の許に送り返された時もしこたま煽られたが、それ以外でも妹が富士ヶ嶺に勝る威容で聳えていた八ヶ岳に高さ比べで自らの山が敗れたことに癇癪を起こして八ヶ岳を砕いたり。しかも、まあ妹紅への助言自体は適切かもしれないが、妹紅達が供養しようと持ち込んだ蓬莱の薬を頑なに拒み、引き取らせるために帝の命を受けた一行を皆殺しにしたのだという。妹ならしでかしそうなことではあるが、他人様にまで迷惑をかけるとは……不肖の妹に頭を抱えた。

 さて、そんな妹への複雑な感情を一度胸の中にしまい込みながら、阿梨夜は自らの生涯を詳らかに明かしてくれた妹紅に返答しようとした。

 

「うぇ……ひっ……」

 

 ――のだが、妹紅の背後から聞こえる(すすりな)く声をどうにも無視できず、心配そうに恐る恐る妹紅への言葉に先行させて、橘に声を掛けることにした。

 

「話を伺って、妹紅殿に伝えたいことはあるんですが……橘くん、大丈夫ですか?」

 

 橘は妹紅の話の最中、阿梨夜にその感受性の高さをありありと見せつけてきた。

 一番最初の方は微笑んで聞いていたが、蓬莱山輝夜という月人の話以降は眉を顰めて考え込んでいるかのような素振りを見せ、妹紅が蓬莱人になった辺りからはずっと円らな瞳を潤ませるのみならず潮を零し、声が漏れないようにと引き結んだのであろう唇の端を震えさせていたのだ。背後にいる橘が月の話に表情を曇らせたのは見えていなかった妹紅もしゃくり上げる声で流石に橘が泣き始めたのは判ったらしく一度語りを中断して橘に今の阿梨夜と同じように尋ねたが、橘は鼻を啜りながら「……だいじょぶ……続けていいよ……」と言ったので、妹紅と阿梨夜は顔を見合わせて、居心地の悪い中で妹紅の独白を続行することにしたのだった。そして今、泣き続けた彼のあどけない顔は、涙でぐしゃぐしゃになっている。

 あまり子供の相手に慣れていない阿梨夜が少し狼狽える中、橘は袖で少し乱暴に顔を拭って、鼻声で答えた。

 

「……だってぇ、もこさんかわいそうなんだもん……! お父さんを貶されて、魔が差したせいで岩笠さんも殺しちゃってずっと辛い思いしてきたんでしょ? それってすごく……」

 

 ここまで素直に人の悲しみを我が身の物と思える素直で穢れなき心に、阿梨夜は感心した。出会い頭で自分を厨二病呼ばわりしてきた時は、阿梨夜が神様だと判っているのに言っているのを見て、控えめに言って頭がおかしいのだろうかと思ってしまっていたが、どうやら橘は純粋すぎるだけらしい。幼く、本音を包み隠すのがド下手なのだろうが、それならと先程の非礼は水に流してやることにした。

 

 一方、橘を泣き止ませようと橘の白い頭を撫でている妹紅は、申し訳なさそうに阿梨夜に詫びを入れた。

 

「岩長姫、橘が重ねて迷惑かけて申し訳ない。まさかこんなすぐ泣くなんて思ってなかったし……」

「子供は泣くことが仕事と言いますし、構わないですよ」

 

 軽く笑って(すぼ)む妹紅の言葉を遮り、橘が少し落ち着いてきたのを見て本題を切り出そうとして、阿梨夜はふと開きかけた口を閉じた。

 

 ――妹紅殿に私がこれから伝える話を聞いたら、妹紅殿の時系列の事実の列挙だけで泣いていた橘くんは耐えられるのだろうか。妹紅殿はきっと私の助けを望んでいるのだろうが、子供には酷なものに聞こえようか……

 幼気な彼を傷つけるのは気が引けたので、今この場で妹紅に告げるのは憚られた。

 果たしてどうしたものか、と阿梨夜は思索を巡らせ、小さく息を吐いて決断した。

 ――諦めよう。こういう無垢な子供に限って勘が鋭いと妹もよくぼやいていたし、妹紅殿には日を改めてもらおうか……

 阿梨夜は、再び口を開いた。

 

「さて、妹紅殿の話は承りました。ですがその前に、私の身の上話も聞いて頂けますか? 私も貴女と同じ、朽ちざるこの身の運命に苛まれてきた者。どうか、私の心を安らげると思って」

 

 無論、方便である。我が身の不運を嘆いたことはあるが、他者と共有して哀れんでもらおうなどとは考えたことなんてないし、今も思ってはいない。

 そして恐らく、橘は自分の身の上話でも大泣きしてしまうだろう。でも、阿梨夜が悟った残酷な妹紅の胸中を知らせるよりは、阿梨夜の物語で悲涙してくれた方がマシだろうと考えたのだ。

 幸い今日はユイマンが八坂神と洩矢神に招かれて酒杯を交わしているはずなので、ユイマンの話をしても本人の耳に入って悲嘆させたり、遮られたりする虞はない。

 そんな思惑の下、阿梨夜はそう提案した。

 

 それを聞いた妹紅は一瞬怪訝そうにしていたが、どうやら少なくとも”橘に聞かせたくない話がある”とは察してくれたようで、無言のままこくりと小さく首肯してくれた。

 他方橘は何ら阿梨夜がそう切り出したことに疑念を抱いている様子を見せず、まだ涙の跡が残る顔を擦りつつ、何も言わずに阿梨夜を見つめ返してくる。話を聞く準備はできた、という意思表示だと受け取ることにした。

 

「ありがとう。では、始めさせてもらうよ――」

 


 

「私は、大山祇神(オオヤマツミノカミ)*1の娘、木花咲耶姫の姉として生まれた、恒久と不変を司る磐の神です」

「あ、大山津見の娘さんなの?」

「……そうだけど、どうかしたの?」

 

 確認程度の前置きに、何故か橘が食いついてきた*2。阿梨夜が首を傾げると、橘は手をひらひら振って、「やっぱ何でもないよ~」と言って続きを促してきた。

 米粒ほどの疑問を抱えつつ、阿梨夜は続ける。

 

「父も私も、妹も山の神でして、元々は私と妹は共に不尽ヶ嶺(ふじがね)に住んでいました。ですが、妹が勝負に負けたと言って癇癪から八ヶ岳を蹴り砕いたのでいい加減に妹に嫌気が差して、私は八ヶ岳の方に移り住むことにしたんです。浅間山に模して、今や月の一施設に成り下がったこの本殿を造ってね。まあ、不尽ヶ嶺を離れたのは、子供自慢が大層ウザかった、というのも大きな理由なんだけれど……」

「わかる! 家族自慢ってすっごく腹立つよね!」

 

 橘が強く首を振って賛同してくれた。この子も、友達にしつこく兄弟自慢でもされてあの悔しさと妬ましさが同居した複雑な悪感情を味わったのだろうと阿梨夜は考え、橘の反応に頷きつつ、話を一段落させることにした。自分が八ヶ岳に移ったことはあまり今からの話には関係ない話なので、少し脱線した話を戻す。

 

「それで、今や八ヶ岳が知らぬ間に元の威容を取り戻してここ幻想郷に聳えていて、私も浅間浄穢山と共にここに移っていた、という訳です」

 

 そして、第一段の話に移る。

 

「天孫降臨は知ってる?」

「ううん、知らないかな~」

「確か、天照大御神の子孫で天皇の祖先にあたる神様が降臨したってやつだったっけ?」

「そう、妹紅殿の認識で正しいですよ。国譲りを完遂した天照大御神が、葦原中津国を自らの系譜の者で支配するべく御孫にあたる瓊瓊杵尊に命じて、それを受けた瓊瓊杵尊が天より下ってきた。そしてその後暫くして、我が妹木花咲耶姫が瓊瓊杵尊に見初められ、彼奴はわが父の許に、木花咲耶姫との求婚を願い出た」

 

 自分でも、無意識に語気が強まっているのを感じる。かなりの歳月を経た今でも、思い出すだけで腸が煮えくり返る出来事だ。だって、そのせいで自らの名が不名誉極まりない形で後世に残されたのだから。自尊心はその時酷く抉られ、今に至るまでも恢復していない。

 

「その時、父は彼等――後の皇室に連なる者達の永久(とこしえ)の命を誓約(うけ)いて、私のことも彼奴に嫁がせようと私を妹と共に送り出したのです。しかし……彼奴は私の醜い顔を忌み、妹だけを娶って私のみを父の許に送り返しました。醜女は天孫の君の御眼鏡には適わなかったらしい」

 

 そんな若干の怒りが交じる自嘲気味な阿梨夜の言葉を聞いて、橘が慌てて否定しようと幼けない声を上げた。

 

「そんなことないと思う! ありやは美人さんだよ! 服と格好がちょっと変なだけ!」

「……ふふっ、フォローしてくれてありがとう。でも私は不変の神だから、変じゃないよ」

 

 妹紅は空気を読んで黙ってくれているのに、態々お節介で阿梨夜の一人語りに水を差す橘。可愛らしい顔であたふたしながら蛇足付きのフォローを入れてくれる姿が微笑ましい。いつもは眉根を寄せて話していた瓊瓊杵尊との婚約談の途中だというのに、阿梨夜は相好を崩して優しく橘に笑っていた。

 ちょっとした冗談を交えて礼を言ってから、先程より少し明るい声で続ける。

 

「そんな訳で、父が大変に怒り、”岩長姫を送り返したことで、瓊瓊杵尊の命も桜花のように儚くなろう”と嘆いていましたね。それで、その子孫も神の血を引きながら人の寿命に縛られるようになってしまった」

「ああそうそう、思い出した。私の女房*3がそんなこと教えてくれたっけ」

「へぇ~」

 

 二人は合点がいったようで、ほうほうと頷いている。

 それを確認して、阿梨夜は続けてもう一つの事件――阿梨夜の生涯を構成する殆ど全ての出来事は三つに大別できる中で、その二つ目――について語り始めた。

 

「そして、その後私は、ユイマン……おっと、まだ貴女方には彼女のことを伝えていませんでしたね。ユイマンは、私がここに移ったばかりの頃に出会った維縵(ゆいまん)国の王女です。今もここに住んでいるのですが、生憎今日は旧交を温めると言って外出しています。最初は彼女の方から私を訊ねてきたのですが、ユイマンは気さくで、私にも気兼ねなく宴を誘ってくれたりと優しい子でした。そのうちにユイマンはこの浅間山を模した*4本殿に私と共に祀られるようになって半ば同棲するようになって、私とユイマンの仲は益々深まっていきました。お陰で私も、彼女と話している時だけは、どうしても癒えなかった傷心を慰められたものです。実はこの社が浅間の形なのは、彼女のためなのですよ? 彼女は大変喜んでくれて、それはそれは純粋で心温まる笑顔を見せてくれましたね」

 

 最初の方は「いつか命絶えなん神人と親交を結んでも、きっと失うだけだ」と冷たい態度を取っていた阿梨夜は、執拗に鹿狩りに誘ってきたり自国の近況を訊いてもないのに教えてくれるユイマンの温もりに次第に絆されて、気付けばユイマンよりも会話を楽しむようにさえなっていた。

 あんなに冷たかった阿梨夜がここまで心を開いてくれるなんて、石の上にも九年とはこのことね、と笑っていたあの顔が蘇る。そういうちょっと失礼な事でもざっくばらんに言える辺りは、目の前で話の続きを待っている子供もユイマンに少し似ているかもしれない。

 そう思うとまた笑みが漏れるが、これから口にする内容を思うと、先程の橘の励ましあって尚、阿梨夜の表情は曇ってしまう。

 未だ癒えず、今後も癒えようはずもない、深い恨みと怒りの歴史なのだから。

 

「ですが、幸せは続いてはくれませんでした。ある時、綿月豊姫という月の民が現れて、私に月人にならないかと持ち掛けてきた。妹紅も橘くんも知っているようですが、聞くに神々の一派が遥か昔の世に地上の穢れを嫌って月へ移り住んだとのこと。そこに国津神たる私も参加する栄誉に浴する、とのことでした。ユイマンと共に移住しても構わないと言われましたが、私は仮初めの永遠を(こいねが)う神々の話を聞いて、その醜い姿を想像して嫌悪を催して即座に断った。月を永遠に保つには、穢れを除かねばならない。それにうってつけな私のことを利用しようとしているのは、火を見るよりも明らかだったからね。まあ、嫌いな元・許嫁の子の妻の分際で私のことをしつこく”伯母上”なんて呼んでくる*5相手の申し出なんて、損得勘定無しにもそんな厭悪無しにも受けなかったでしょうけど」

「それは……まあ、そうだよなぁ」

「え~、なんで”おばさん”は嫌なの?」

 

 妹紅は至極当然のように同意したのだが、さっきは「木花咲耶姫の家族自慢が鼻についた」という阿梨夜に頷いていた橘は不思議そうに問い返してきた。

 

 橘には親神は当然、御子神もいないし、横に並ぶ兄弟姉妹に該たる神もいない。八意思兼神という御子神がいる高御産巣日神(タカミムスヒノカミ)や同じく少彦名神(スクナビコナノカミ)を御子神に持つ神産巣日神(カミムスヒノカミ)とは違い、真に独り者の独神(ヒトリガミ)である。常日頃そのこと自体を気にしている訳ではないが、道中妹紅に漏らしたように時折それを煽られることがあり、その度に激昂に近い激怒を繰り返していたり、でも自分で新たに神を生み出して責任を持って育てる勇気はなかったりで幾億年もずっとモヤモヤしている。

 そんな橘にとっては、縁戚関係にある者がいるというだけで他者が酷く羨ましい。結局自分は誰かと友達にはなれても家族というのはどれだけ手を伸ばしても手が届かないものだと思っているから、天地開闢に遅れること暫くして闇の中から生まれ出でた太陽の如く、それは眩く映る。故に、親戚関係で悩んでいる人の気持ちなんて理解できない。もしも何故苦悩しているのか理解しても、「贅沢な悩みだなぁ」としか思わないことであろう。

 少なくともこれから父や母を手に入れることは絶対に叶わず子を生すこともないだろう橘は、阿梨夜が吐露した豊姫への愚痴を解せず首を傾げるばかりだった。

 

 閑話休題(あだしごとはおいて)――橘の正体を未だ知らぬ阿梨夜は、子供には少し判りにくい感情だったろうかと解釈して、話を続けることにした。

 

「豊姫は何度か私を勧誘しに来たけど、その度に突っ撥ねてやった。そうする間に数年が過ぎて私に応じる気がないと判っているはずなのに彼奴はここを訪れ続けた。そして、あの日。月の民が、私の神社を――この”浅間山”を力尽くで奪略し、私に二者択一を迫った。月へ昇るか、封印されるか。彼奴等は、私なくとも月の都を穢れ無き桃源郷に保つ術を見出してしまっていた。よりにもよって、私のかけがえのない存在である、ユイマンを使って。彼奴等は彼女を洗脳して、その情報を浄化する能力を以て月に流れ込む情報の穢れを浄める傀儡に作り替えて、この”浅間浄穢山”に監禁した。結局私は最後まで月人となることを拒んで封印され、ごく最近までは眠り続けていたんですよ」

 

 まあ、今でこそユイマンは洗脳を解かれて、束の間の自由を謳歌していますが――そう付け加えると、阿梨夜は一度言葉を切った。

 妹紅は易々と想像を超えてくる月の民の鬼畜の所業に絶句したようで、眉を顰めて黙ったまま阿梨夜が続きを話すのを窺っている。

 

 橘は――キャパオーバーしているかと思いきや、ちゃんと話について来ているようで、こくりこくりと何度か頷いていた。そして、何も言わぬままに、綺麗な虹色の瞳をこちらに向けてきた。

 それは今までとは違い、相手を射竦めるような視線だった。冷たいとか鋭いとかではないのだが――底が知れない、そうとしか評せない。珍しい色も相俟ってか、先程までのように見れば心の裡が顔に書いてあるという幼気な表情を、恰も深淵を覗き込んでいるかのような、背筋の寒くなる気配を孕ませるものへと変えていた。

 

 ――と、思うと、橘はふっと元の雰囲気に戻ってしまった。妹紅も気づいていない一瞬のうちに垣間見た、今の橘は一体――?

 そんな興味とも疑問ともつかない思いが一瞬脳裏を過ったが、阿梨夜は既にそれなりに長くなっている自分語りを終わらせるべく、話を再開した。もう橘に「今日はもう遅い」と説得するには十分時間は稼いだはずだ。辺りが不変に満ちるこの本殿の最奥部では時間感覚が狂う。恐らく橘も例に漏れず正常なそれは失っているはずで、橘がまだ大丈夫だと言っても恐らくはゴリ押しでどうにかできるだろう。一度連れ出してもらえば、妹紅が後は宥め賺してくれるはず。

 

 かく思考してから、阿梨夜は直近に発生した異変――錦上京の”停止異変”について、妹紅と橘の二人に詳らかに説明した。

 外の世界から流れ込む情報がユイマンの限界値を越えて浅間浄穢山が処理落ち(パンク)したこと。それによって見せかけの不変を保っていた月の都で時が進み始め――穢れが流れ込んで不変が崩れ始め、慌てた月の民がユイマンの洗脳を解いて一時的に”再起動”させるという手を打って、その間の繋ぎとして、穢れという”変化”を辞めさせる程度の能力を持つ阿梨夜を復活させたこと。阿梨夜がユイマンを天秤にかけ望まぬ能力を揮い、幻想郷中を停止させたこと。霊夢と魔理沙によって阿梨夜が打ち倒されることでその異変は終結を見た、そしてユイマンは一時の間だけ解放されていること、阿梨夜が月に怨みを抱いていること。

 

 その最後の一言が終わると、場は束の間の沈黙に包まれた。

 妹紅は、沈鬱な様子で一度、瞼を下げて阿梨夜の言葉を反芻するように何度か頷いていた。千年を生き、自らの人生を”罪と苦しみに満ちた”と表現した彼女の心にも、理不尽に揉まれ続けた阿梨夜の物語は辛苦そのものの如く響いたらしい。

 対して、終始腕を組んで、思惟に耽っているかに見えた橘は、妹紅の話が終わって一拍すると、顔を上げて阿梨夜に幼い声を掛けた。

 

 今までで一番の、真面目で凛とした表情だった。泣いたり笑ったりと浮かべる感情が激しく移ろうその顔は、それら幼い挙措からは想像できないギャップがあって、目を合わせた阿梨夜の意識を――先刻の、あの刹那の空恐ろしい目線のように――鷲掴みにした。

 

「ありや……さっき、ここは月と繋がってるって言ってたよね? どこが通路?」

「え? あ、この神殿を出てずっと奥の丁字路で左に曲がればいいけど、何故――」

「ありがと。もこさんと二人でお話ししたいんだよね? ちょうどいいし、ちょっと外すね」

 

 橘は阿梨夜の言葉を遮って小さく頭を下げると、手短にそう告げた。

 当然、阿梨夜は困惑する。妹紅は、何故か何も言わない。

 ――いや待て、阿梨夜が妹紅に日を改めさせようとしていることを察していたのか?

 

「ちょっと、席を外すって言っても――」

 

 そして橘に何をしようというのか質そうとした阿梨夜の言葉をまたしても遮ると――ヒュンという小さな音と共に、橘はその場から消えた。

 

「――ッッ!? 橘くん、何処に――」

「多分、月じゃないかな。この流れだし」

 

 阿梨夜の問いには、代わって妹紅が肩を竦めて答えた。

 納得できるはずがない。

 追求しようと口を開いた阿梨夜は、それを察して先回りした妹紅に二の句を封じられた。

 

「私にも何故(WHY)は判らんけど、如何(HOW)なら判るよ。というか抑々、まあ私も他人のこと言えないけどさ――貴女は、橘が神だって気付いてたか?」

「……本当ですか?」

 

 全く、判らなかった。完全に、人間の子供だと思っていた。気配だけ見ても、蓬莱人の妹紅の方がよっぽど”人間離れ”しているのだから、当然疑いもしなかった。

 ――然れどよく考えれば、父神の名前を聞いた時、橘は変な反応をしていた。けれど、あれ程何の神気もなく、他の神に対する知識を持たない神などいようか? 或いは、異邦の神なのだろうか……俄かには、信じ難い。

 

「まあ、詳しいことは本人から聞いてよ。私が伝え間違って誤解を招いても困るし。急ぐことじゃないだろ?」

 

 急がないとしても一大事だろうと、不変の神らしくなく表情を変化させて――動揺丸出しで強張らせて――妹紅に言葉を返そうとしたが、そう呟く妹紅が異様に落ち着き払っているのを見て、一気に狼狽えが萎んでしまった。人が慌てている時に妙に落ち着いている人間を見た時の反応はより焦燥に駆られるか冷めるかの二種類に大別できるが、阿梨夜は後者だったらしい。

 そうなると、次に心を支配するのは、普段から変わらざる心を占める冷静さである。阿梨夜はすぐにふっと力を抜いて、いつも通りの柔らかな笑みに戻った。

 

「……その言葉には賛同しかねるけれど、橘くんが後で教えてくれるというならそう思って、一旦脇に置いておこうか」

「ああ、それがいいよ。多分、私と違って神話に詳しそうな貴女なら泡吹くかもしれないし」

「それ程ですか?」

 

 そう言って、先程の一幕が嘘かのようにくすりとお互い笑い合うと、阿梨夜はすっと妹紅に手を差し出した。

 

 

 

「さて、蓬莱人、藤原妹紅殿――望み通り、貴女の永遠の苦痛に、終止符を打ってあげよう」

*1
神生みにて、伊弉諾尊と伊弉冉尊の間に生まれた(日本書紀では、伊弉諾尊が火迦具土神(ホノカグツチノカミ)を斬り殺した際に生まれたとしている)、山の最高神とされる神。

*2
可美葦牙彦舅神(ウマシアシカビヒコヂノカミ)が”足神さん”として祀られている伊勢の宇治神社の主祭神は大山祇神である。また、可美葦牙彦舅神が主祭神である愛媛の浮嶋神社には、大山祇神が合祀されている。

*3
一言で言うと、平安時代、貴族に仕えた女性達のこと。決して妹紅が女性と契りを交わしたわけではない。

*4
維縵国は浅間山の地下にあったと伝わる。

*5
豊姫の元ネタ:豊玉姫は、瓊瓊杵尊と木花咲耶姫の御子神である火遠理命(ホヲリノミコト)の妻であり、神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイハレビコノミコト)、即ち神武天皇の父である鵜葺草葺不合命(ウガヤフキアヘズノミコト)でもある。なお、妹の依姫の元ネタ:玉依姫は、鵜葺草葺不合命の妻で、神武天皇御本人の親神である。




 当然ですが、東方世界と日本神話の世界を合一させると大量に細部で差異が生じます。今回の場合、一番きつかったのは時系列の差異です……どうにか頑張った結果がこれですが、なかなかどうにもならないですね。
 神道に詳しい方は”ん?”と思うかもしれないですが、作者の試行錯誤の後だと思って温かく見守って頂きたいです(どう見てもな間違いならば感想などで教えて下さると助かります)。
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