うるさくて仕方がない。
自分が住んでいるアパートの階上の、男の声がうるさいのだ。
アパートは二階建てで、その男は二階に住んでいる。
隣室は空き部屋なので、階下で暮らしている自分だけが、被害を被っている。
どううるさいのかというと、毎夜、真夜中に、私の部屋の上で「アーッ!アーッ!アーッ」と悲鳴とも絶叫ともつかぬ声をたてる。
朝でも昼でもなく、必ず夜、言葉にならない叫びをあげる。
たまりかねて、ある日、私はその男を注意しにいった。
あれだけの叫びを毎日あげるのだ。
巨体だったり、鋭い目つきをしていたり、といった危険な人物を想像していたが、私の前に現れたのは気の弱そうな男だった。
事実その通りで、私が用件を伝えたら、体を縮こまらせて、何度も頭を下げ、謝罪を繰り返す。
私はすっかり拍子抜けし、何故毎晩あのようなことをするのかと聞いてみたところ、この男、毎晩過去の自分のやった失敗や恥が、一つ一つ突然心に甦って居てもたってもいられなくなり、叫ぶことによって何とか心の平穏を保とうとしていたというのが、事の真相だったのだ。
私は男に同情した。
私とて過去の失敗を想起して、枕を抱えて、足をバタバタさせて煩悶したことは、無いといえば嘘になる。
とにかく男には、失敗の反芻を防ぐことが難しいのならば、枕なりクッションなり、顔を押さえてからやってほしいと伝え、男もそれを了承し、一件落着とした。
男への注意がトラブルなく終わり、アパートを出て道を歩いていると、一羽のカラスが目に止まった。
カラスは車道に降り、クチバシに咥えていたものを、ポロリと落とした。
それはクルミであり、タイヤに轢いてもらって割ってもらおうという、カラスの優れた知恵だ。
狙い通り、車が走ってきたが、それはカラスの計算から微妙に外れ、クルミに当たることはなかった。
それどころか、車のスピードが思ったより出ていたのか、勢いに煽られたクルミはコロコロと転がり、そのまま排水溝へ落ちていってしまった。
電線からその様子を眺めていたカラスは、クルミの落ちていった排水溝まで降り、その穴をじっと見つめていた。
可哀想に、動物の世界では、そのような失敗もあるのだろうと思いながら、私は用事を済ませるべくその場を後にした。
その夜、男の叫び声は聞こえなくなっていた。
私の忠告通り、声を押さえてくれているのだろうか、それとも叫ぶことそのものをやめたのか。
何にせよ、これでゆっくり熟睡できると思った矢先のことだった。
「カーッ!カーッ!カーッ!」
カラスの鳴き声だ。
私はその鳴き声を聞いて、あの男の叫び声が甦った。
今になってあの失敗を悔いているのだろうか。
流石にカラスに注意することはできない。
このカラスがあの男だとするならば、それに注意する私のようなカラスが現れてくれることを願いながら、私は頭から布団を被った。
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