FPSのUIが現実に見える俺が、いつの間にか殺し屋になるまで 作:鳥獣跋扈
雨宮様から呼び出しを受けたのは、恒一さんが東京を発つ前日のことだった。
「明日から、少し彼を見てきてくれるかしら」
部屋へ入るなりそう告げられ、私は机の上へ視線を落とした。
そこには恒一さんの顔写真を添えた資料が広げられ、学歴や職歴、過去の住所が時系列に沿って並んでいる。
以前にも何度か目を通した内容だ。
特に新しい情報が加わった様子もなく、そこにあるのは相変わらず不自然なくらい整った内容。
「護衛、でしょうか?」
初めての休暇で装備も置いたまま。襲われた場合の事を考えて、なのだろうか。
もっとも、彼に護衛が必要だとは思えないが。
「違うわ」
雨宮様は頬杖をついたまま、指先で一枚の紙をこちらへ滑らせた。
「墓参りに行くって言ってたでしょう? 一応、経歴上では故郷にあたる場所だけど……本当にそれだけとは限らないから」
なるほど。
恒一さんについて調べれば調べるほど、妙なところがある。
だからこそ、その土地へ行けば何か見えるのではないか――そう考えるのも分からなくはなかった。
まぁ、こちらの構成員が既に現地で調査はしているが、『数字持ち』が向かうことで分かることがあるかもしれない。
「こちらに隠して、何か『事を起こす』可能性があると?」
「可能性は低いでしょうけどね。まあ、念のためよ」
雨宮様はあっさりと答えた。
「故郷とされている場所へ戻って、誰と会うのか。昔からの知り合いがいるのか。訓練に使っていた場所でも残っているのか」
一度言葉を切り、資料の中にある恒一さんの写真へ目を落とす。
「それとも、本当に墓参りをして帰ってくるだけなのか。今回は、その確認ね」
「承知しました」
「気づかれないでね」
「もちろんです」
そう答えた時の私は――。
この仕事が、そこまで難しいものになるとは思っていなかった。
* * *
翌朝の東京駅は、旅行客や出張らしい会社員で朝から混雑していた。
もっとも、私は最初から恒一さんを近距離で追うつもりはなかった。普段とは服装や髪型の印象を変えているとはいえ、自分が尾行向きの外見でないことくらい理解している。
行き交う人々の視線を意識して受け流しながら、手元の端末へ目を落とす。広域地図の上では、小さな光点がゆっくりと西へ移動していた。
恒一さんが左手首につけているブレスレットには、低出力の発信器が仕込まれている。数分おきに短い暗号化信号を送るだけなので位置には多少の誤差が出るものの、移動方向を把握するには十分だった。
予定どおり新幹線へ乗り込んだことを確認してから、私は一本後の列車に乗る。
岡山での乗り継ぎではさらに差が開き、恒一さんが使った特急には間に合わなかった。結果として一時間近く遅れることになったが、追う側としてはむしろ都合がいい。位置さえ分かっているのなら、対象へ不用意に近づく必要はない。
小さな駅へ着いた頃には、昼をかなり過ぎていた。
ホームへ降りると、東京とは質の違う湿った暑さと、耳を塞ぐほどの蝉の声に包まれる。駅舎の向こうには低い家並みが続き、そのさらに先では、夏の日差しを反射した海がわずかに覗いていた。
どこにでもありそうな、日本の田舎町。
私自身には懐かしさを覚えるような景色ではないが、恒一さんにとっては違うのだろうか。そんなことを考えながら端末を確認すると、光点は駅から離れた山側でしばらく動きを止めている。
地図を重ねてみれば、そこには寺があった。
「……本当にお墓参りですね」
少しばかり拍子抜けしつつ、私は駅前から離れた場所にある喫茶店へ入り、しばらく時間を潰すことにした。
店主は私を見るなり少し驚いた顔をして、妙にサービスしようとしてきたが、笑顔でやんわりと断る。そうしているうちに端末の光点が再び動き始め、恒一さんが駅へ戻り、そのまま雲浜方面の電車へ乗ったことが確認できた。
そこでようやく席を立ち、今度は入れ違うようにして彼がいた地域へ向かう。
資料に残っていた祖父母宅の住所には、すでに新しい二階建ての家が建っていた。昔の家は取り壊されたらしく、周囲にもところどころ建て替えられた家が混じっている。
近くの商店で飲み物を買いながら、店番をしていた老女へそれとなく話を振ってみた。
声も表情も、いつも通りの人好きするものを意識する。
「この辺りって、昔から住んでる方が多いんですかー?」
「まあねえ。最近は建て替えも増えたけど」
「知り合いが昔この辺にいたらしくって。二階堂さんっていうんですけど……」
「ああ、二階堂さんとこの?」
思ったより簡単に反応が返ってきた。
そこから聞けた話も、これまで調べていた内容とほとんど変わらない。両親を早く亡くして祖父母に育てられたこと。大人しい子供で、特に親しい友人もいなかったらしいこと。
変わった道場へ通っていたという話もなければ、軍人だった親類や怪しげな人物との交流も出てこない。
どこまで聞いても、ごく普通の日本人だった。
「ありがとうございました!」
笑顔で礼を言って店を出、人目が切れた角を曲がったところで小さく息を吐く。
結局分かったのは、これまでの調査結果がおおむね正しかったということだけだ。
だとすれば、あの経歴のどこをどう辿れば、今の彼になるのか。
そこだけが、ますます分からなくなった。
念のため寺にも足を運んだ。
墓前には少し短くなった線香が残り、供えられた花も夏の日差しの中でまだ瑞々しい。恒一さんが確かにここへ来て、本当に墓参りだけをして帰ったことが分かる。
私も軽く手を合わせてから住職へ話を聞いてみたものの、やはり特に変わった話は出てこなかった。
調べれば調べるほど、彼の過去はどこまでも普通だった。
だからこそ、その普通さがかえって不自然に思えてならなかった。
そのまま駅へ戻り、私も列車で雲浜へ向かう。
到着した頃には、恒一さんはすでに駅近くのホテルへ入っているらしい。
私はそこから少し離れた、駅を挟んで反対側のホテルに部屋を取っていた。高層階の窓からは、望遠鏡を使えば恒一さんの部屋を確認できる位置だ。
ただ、残念ながらカーテンは閉じられていて、室内までは見えない。
雲浜には組織の実働員こそいないものの、協力者なら何人かいる。ホテル関係者やタクシー会社、それに昔から情報を融通してくれる者たちへ、恒一さんには決して接触せず、定点情報だけを流すようあらかじめ頼んでおいた。
ほどなくして、ホテルを出たという連絡が入る。
望遠鏡越しに確認した恒一さんは、どこからどう見ても普通の旅行者にしか見えない。
こちらも少し間を置いてホテルを出る。
相変わらず距離は詰めない。端末に表示される位置情報を頼りに追っていると、やがて彼は古い商店街の中へ入っていった。
人通りの少ない直線の道で、こちらまで中へ入れば目立つ。
離れた位置から端末だけを確認していると、恒一さんの位置がしばらく動かなくなった。
買い物でもしているのだろうか。
やがて再び動き出したので、そのまま追う。
そして、辿り着いた場所を地図上で確認した瞬間、思わず眉を寄せた後、私はすぐに雨宮様へ連絡を入れた。
「恒一さんが、地元の暴力団――黒崎組の本宅へ入りました」
『……ヤクザ? なんでまたそんな所に……』
雨宮様の声が、わずかに低くなる。
『黒崎組については、こっちでも調べさせるわ。アルフはそのまま続けて』
「承知しました」
後から分かったことだが、黒崎組は過去に一度だけ、こちらへ正式な依頼を出していたらしい。
ただ、それ以降に接触した記録はない。
恒一さんが事前に黒崎組を知っていた可能性は、ほとんどなかった。
もちろん、彼と黒崎組が以前から繋がっていたと示すものも、何一つ出てこない。
それなのに、故郷へ戻った初日に、よりにもよって地元の暴力組織へ入っていった。
偶然と言ってしまえばそれまでだが、あまりにも出来すぎている。
しばらくして恒一さんが黒崎組から出ると、今度は古い家並みの残る住宅街の方へ向かい始めた。
位置情報は追えている。
ならば今は、黒崎組の方を見ておいた方がいい、と判断した。
遠目にも、屋敷の中がどこか慌ただしい。
何かあったのだろうか。
そう考えながら様子を窺っていると、今度は雨宮様の方から連絡が入った。
『今、彼から連絡が来たわ』
「恒一さんから?」
『黒崎組が何か揉め事に巻き込まれてるみたい。少し首を突っ込むって』
「……なぜです?」
思わず、そのまま口に出ていた。
すぐに失礼しましたと付け加えたが、そう言いたくもなる。
ここまでの行動を見る限り、彼が本当にただの帰省でここまで来たことは、ほぼ間違いないと思っていた。
それがどうして、地元ヤクザの家へ入り、そのまま厄介事に首を突っ込む流れになるのか。
……やはり意味が分からない。
最初から予定していた、と考えた方がまだ筋は通る。
『こっちも訳が分からないわよ』
雨宮様はそう言ってから、少しだけ間を置いた。
『まあ、念のため調査部には、さらに広い範囲で確認するよう指示しておいたけど』
声色に、どこか面白がっているような響きが混じっている。
私は出かかったため息を飲み込み、そのまま続きを待った。
『だから、もう少し見てて。まだ接触はしなくていいわ』
「承知しました」
恒一さんが次に向かったのは、港の外れにある旧日栄水産だった。
着く頃にはすっかり日が落ち、周囲には古びた倉庫が並んでいる。人通りはほとんどなく、聞こえてくるのも波の音と、遠くを走る船の低い機関音くらいだ。
一体、あんな場所で何をするつもりなのか。
さすがに近くまで寄るのは避け、少し離れた場所にある放置された建物へ入り、屋上から双眼鏡で様子を窺うことにした。先ほどまでの服装の上から薄手の黒い上着を羽織り、キャップを被る。人の少ないこの辺りなら、それだけでも十分に紛れられる。
ただし、屋上から確認できるのは道路と施設の外周までで、内部までは見えない。
やがて恒一さんは一人で旧日栄水産の裏手へ回り、そのまま死角へ消えた。
それから数分が過ぎても、銃声も怒号も聞こえてこない。物寂しい倉庫街には、変わらず波の音だけが響いている。
そうして十分ほど経った頃、彼は何事もなかったように建物の陰から姿を現した。
急いでいる様子もなければ、負傷しているようにも見えない。そのまま普通の足取りで町の方へ歩いていった。
しばらくして、今度は黒崎組のものと思われる車がやって来る。
数人が建物の中へ入り、ほどなくして一人の男を抱えるようにして戻ってきた。その男は明らかに負傷しており、車へ乗せられると、彼らもすぐにその場を離れていく。
少し待って後続がないことを確認してから、私は屋上を降り、旧日栄水産へ向かった。
開け放たれた扉から中を覗き込んだ瞬間、思わず足が止まる。
床には男たちが何人も転がり、低い呻き声を上げていた。見える範囲では全員に呼吸があり、死者はいないようだったが、十人前後がまとめて戦闘不能にされているのは一目で分かる。
素性だけでも確認しておこうと中へ踏み込もうとしたところで、遠くから荒いエンジン音が聞こえてきた。
しかも、一台ではない。
数台分の音が、こちらへ近づいている。
目的地は恐らくここだ。
情報を得られないまま離れるのは歯痒かったが、欲を出す場面でもない。私はすぐにその場を離れた。
倉庫街から十分に距離を取り、端末で恒一さんがすでにホテルへ戻っていることを確認してから、雨宮様へ連絡を入れる。
「雨宮様」
『……何か進展があったかしら』
通話口の向こうから、紙を捲る音が聞こえた。
「恒一さんが向かった先は旧日栄水産です。建物の裏手へ入り、およそ十分後に一人で出てきました。その後、黒崎組と思われる車両が到着し、内部から一人を連れ出して撤収しています」
そこまで報告してから、続ける。
「私も中を確認しましたが、十名前後が戦闘不能状態でした。素性を確認しようとしたところ、複数の車両が接近してきたため離脱しています」
『彼の方は?』
「そのままホテルへ直帰しております」
『……なるほど』
短い沈黙のあと、また紙を捲る音がした。
「何かありましたか?」
先ほどから、雨宮様の間の取り方に妙な含みがある。
『ちょっと、こっちでも動きがあってね。まあ、詳しいことは後で。今日はもう多分動かないでしょうから、続きはまた明日お願いね』
「畏まりました」
何があったのかは気になったが、今ここで聞き返すほどでもない。
私はそれ以上尋ねず、通話を終えた。
* * *
翌日も、監視は継続することになった。
恒一さんはホテルを出ると、そのまま海側へ向かって歩き始めた。途中、端末上の光点が一度だけ止まったものの、買い物か何かだろう。ほどなくして再び動き始める。
私は一本裏の通りへ回り、距離を保ったまま追跡を続けた。
そこで、ふと違和感を覚える。
それまでの恒一さんは、ほとんど迷うことなく目的地へ向かっていた。それが今日は、突然横道へ入ったかと思えば、途中でコンビニへ寄り、また別の道へ抜けていく。
土地勘がないせいで迷っている――最初はそう考えた。
けれど、どうにも動きが不自然だった。
迷っているというより、何かを確かめているように見える。
まるで――。
「……尾行に気づかれた?」
思わず端末へ目を落とした。
ありえない。
私は一度も彼の視界へ入っていない。そもそも、かなり距離を取っているうえ、今いるのは入り組んだ住宅街だ。こちらの存在に気づける要素など、普通に考えればあるはずがない。
「偶然、ですよね」
小さく口に出して、自分に言い聞かせる。
そうでなければ説明がつかない。
端末上の最新位置は、まだ私の前方にある。今はしばらく動いていないが、それ自体はおかしなことではない。
なのに。
なぜか、胸の奥に嫌な感覚が残った。
私はゆっくりと顔を上げる。
前方には誰もいない。
夏の日差しに白く照らされた住宅街の道が、そのまま続いているだけだ。
その時だった。
背中側に、ほんのわずかな気配を感じた。
身体が僅かに強張る。
端末では、彼はまだ前方にいる。
いる――はずなのに。
この気配は。
私は日傘の柄をぎゅっと握り、そのまま素早く、それでも表面上は取り乱さないように振り返った。
まさか。
そんな馬鹿な。
「……あ」
口から漏れたのは、自分でも情けなくなるほど間の抜けた声だった。