【11月2日 夕方】
「――繰り返します。渋谷駅周辺では現在も広範囲にわたる一部区画の封鎖が続いており、警察・消防・自衛隊による合同の対応が……」
液晶画面の中で、防災ヘルメットを被った記者が早口で捲し立てている。
その後ろでは、強風に煽られるブルーシートと、黄色と黒の進入禁止テープがせわしなく揺れていた。記者の顔には明らかな疲労と、隠しきれない困惑が張り付いている。
「原因については現在も各機関が合同で調査中ですが、未だ公式な発表はありません。SNS上では錯綜した目撃証言や、真偽不明の、非常にショッキングな映像が多数拡散されており……視聴者の皆様におかれましては、不確かな情報に惑わされないよう……」
俺、比企谷八幡は、水滴のついたグラスを片手に、そのニュースをぼんやりと眺めていた。グラスの中の冷めた麦茶が、微かに揺れる。
2018年11月2日。ハロウィンの夜に起きたあの大規模災害から、丸二日が経とうとしている。だが、事態が収束する気配は一切ない。いや、収束以前の問題だ。
なんだ、このひどく粘り気のある、妙な気持ち悪さは。
事故にしては報道陣の立ち入り制限が厳しすぎるし、テロにしては「誰が」「何を」目的にしたのかという輪郭がひどく曖昧だ。
通信障害、原因不明の集団的パニック、突発的な暴動、そして桁違いの行方不明者。並べられる単語はどれも国家を揺るがすほど深刻なはずなのに、どこかパズルのピースが根本から間違っているような、決定的な違和感がある。
何より気持ち悪いのは、テレビの中の人間たちの「顔」だった。
ニュースキャスターも、したり顔で解説する専門家とやらも、現場の記者も。
誰も彼もが「恐怖」や「悲しみ」ではなく、「処理できない不快感」を持て余しているような、薄気味悪い表情をしているのだ。
理解の及ばない未知の事象に直面したとき、人間はまずそれに「名前」をつけようとする。わからないものを、わからないまま放っておけないのが人間の悪い癖だからだ。
だが今回は、その名前の付け方すら見失っている。それでも無理やり、「大規模な暴動」「集団的ヒステリー」「未知のテロリズム」といった手垢のついたラベルを貼ろうと必死になっているのが画面越しに伝わってくる。
理解ではなく整理。納得ではなく分類。
なるほど、大人ってのは実に便利にできている。適切なラベルさえ貼ってしまえば、中身がどれほど腐臭を放つ生ゴミであっても、直視せずに処理施設へ放り投げることができるというわけだ。
ただ、そのわりに誰一人として安心していないのが滑稽だった。
事件は終わったのではなく、今もまだ「見えない形」で続いている。その事実を全員が薄々勘付いているのに、口に出すことだけを恐れている。そんな得体の知れない重圧感が、画面の向こうからリビングの空気をじわじわと汚染していく。
「……くだんねぇ」
俺はリモコンの電源ボタンを押し込んだ。プツリ、という小さな音とともに、液晶画面が暗転する。
途端に、急激な静寂が部屋を満たした。
だが、音が消えたリビングの沈黙は、ニュースの騒音よりもずっと居心地が悪かった。見えない何かが、すぐそこまで迫ってきているような。暗くなったテレビの画面に映る自分の顔のすぐ後ろに、知らない誰かが立っているような――。
「お兄ちゃん、なんか怖い顔してる」
ふいに背後から声がして、俺はビクッと肩を揺らし、危うくグラスを取り落とすところだった。