「……お兄ちゃん」
駅の構内で待ち合わせた小町は、八幡の顔を見るなり、ほっとしたような、しかし何かに縋るような細い声を上げた。
学校帰りの小町と合流し、一緒に帰路につく。それが今日の予定だった。
「おっそ。お前、返信くらいしろよ。心配するだろ」
「ごめん、なんかスマホ見る気になれなくて……」
「……お前、ほんとに顔色悪いぞ。やっぱり病院行くか?」
「だから大丈夫だってば。早く帰ろ」
小町は八幡のコートの袖を軽く引き、人混みの中を歩き出す。
夕方の駅構内は、帰宅ラッシュの波でごった返していた。行き交う無数の人々の波を縫うようにして歩く。
その時だった。
「っ……」
不意に、小町がピタリと足を止めた。
繋いでいたわけではないが、すぐ隣を歩いていた彼女の気配が急に立ち止まったことで、八幡も怪訝に思って振り返る。
「おい、どうした」
小町の呼吸が、異常に乱れていた。ヒュッ、ヒュッと、喘息のひどい発作のように、浅く短い息を繰り返している。顔面から血の気が完全に失せ、唇が紫に変色している。
彼女の焦点の合わない視線は、行き交う人混みの向こう、コンコースの中央付近に釘付けになっていた。
「……お兄ちゃん」
「だから、どうしたってんだよ。具合悪いのか」
「今、いた」
小町が、震える両手で八幡の袖を強く掴んだ。その力は異常なほど強かった。
「あそこ。見てた」
「誰が? どこだ?」
八幡は小町の視線の先を追う。だが、そこには疲れた顔をしたサラリーマンや、スマホを見つめる学生たちが足早に通り過ぎていくだけで、特に変わった様子はない。不審者らしき姿も見当たらない。
「落ち着け、小町。見間違いじゃなくてか? 誰もいねえよ」
「違う」
小町の声は、泣き出しそうに、いや、すでに絶望の底にいるように震えていた。
「あれ、こっち見てた。……見てた、っていうか……」
小町は八幡の袖を握る手に、さらに力を込める。爪が食い込むほどの力。
「なんか……『選んでる』みたいだった」
その言葉を聞いた瞬間、八幡の背筋に、氷の刃を突き立てられたような悪寒が走った。
「見ている」でも「狙っている」でもない。「選んでいる」。
その表現の圧倒的な異質さが、俺のこれまでの「気のせいだろう」「考えすぎだ」という自己欺瞞の言い訳を、木端微塵に打ち砕いた。
何も見えない。俺の目には、ただの日常の風景しか映っていない。
だが、小町が全身から発している純粋な恐怖と、今のこの場の空気が孕む決定的な重さだけが、そこには確かにあった。見えない悪意が、すぐそこまで迫っている。
「……行くぞ」
八幡は小町の肩を強く抱き寄せるようにして、その場から足早に離れた。
だが、改札を抜け、駅の外の冷たい風に当たっても、小町の手の震えは止まらなかった。
俺は初めて、理屈抜きで認めるしかなかった。
これは、本当にまずい。
もう、日常の論理で処理できる段階は完全に終わったのだ。見えない「敵」は、すでに小町を明確に認識している。
――見つけられたのだ。