燈二本人は一歩も動かず、ただ軽く、本当に優雅な仕草で右手の指を鳴らした。
「グッ……!?」
唐突に、視界が反転した。
背後の暗がりから音もなく現れた複数の黒い影。その中の一人が、八幡の顎を強烈な力で蹴り上げたのだ。
宙に浮き、受け身をとる暇もなく、大理石の床に背中から激しく叩きつけられる。
「ゲハッ……!」
「先生の鑑賞を邪魔するな、下等生物が」
見下ろしてくるのは、異常な熱を宿した目をした数人の男女。燈二の歪んだ美意識に心酔する、呪詛師の配下たちだった。
「お前みたいなゴミが、割り込んでいい場面じゃない」
腹部に、鉛のような重い蹴りがめり込む。
ゴキリ、と肋骨が嫌な音を立てて折れる感触。八幡は口から大量の胃液と血を吐き出した。
さらに顔面を革靴で踏みつけられ、肉が裂ける。視界が真っ赤な血で染まった。
「あぁっ!? お兄ちゃん! やめて! お兄ちゃんを叩かないで!」
「綺麗に苦しんでるだろうが。先生が見てるんだ、少しは静かに死ねよ」
八幡のこれまでの生き方。自分が悪者になれば、自分が傷つけば、その場は丸く収まるという、捻じ曲がった自己犠牲の解決メソッド。
そんなものは、この呪いと殺意が支配する本物の異常の世界では、紙切れほどの役にも立たなかった。
ただ一方的に、暴力によって蹂躙され、すり潰されるだけの無力な肉塊。
「だま、れ……」
八幡は顔面を血で濡らしながら、それでも這いつくばって、床を掻きむしりながら小町の方へ手を伸ばす。
「どけ……妹に、触るな……殺す……」
どれだけ凄んでも、腕を伸ばしても、届かない。さらに腕を思い切り踏み躙られ、関節が悲鳴を上げる。
自分の無力さが、これほどまでに呪わしいと思ったことはなかった。
這いつくばる八幡を無視し、燈二はゆっくりと小町へ近づいた。
「ああ、よく育っている。素晴らしい呪力だ」
燈二はしゃがみ込み、抵抗できない小町の顎に、その冷たい指を添えて上を向かせた。
顔を至近距離で覗き込む。
「やはり直接触れると、反応が違いますね」
その接触をトリガーとして、小町の身体にすでに刻まれていた『呪印』が、爆発的な速度で活性化した。
「あ、あああぁぁぁっ……!!」
小町の首筋から頬へ、腕から指先へ。服の下から溢れ出すように、黒い血管のような呪印が一気に広がり、白い肌を無惨に浸食していく。
「ゴホッ、ガハッ……!」
小町が激痛に身をよじり、大量の血を吐き出して床に崩れ落ちた。
呼吸が異常なほど浅くなり、痙攣しながら白目を剥きかける。生命力が、燈二の指先に向かって凄まじい勢いで吸い上げられていく。
「やめ……ろ……やめろぉぉぉっ!!」
八幡が血の涙を流しながら叫ぶが、配下に背中を踏みつけられ、動けない。
「その顔です。その顔を見るために、私は待った」
小町の無惨に壊れていく姿を見て、燈二は恍惚とした、心底嬉しそうな表情を浮かべた。
「苦しいでしょう。痛いでしょう。でも、まだ終わらせませんよ。その命は、もう少しだけ私のために残しておいてください」