【11月6日 夜】
「あら、雪乃ちゃんにガハマちゃん。こんなところで奇遇ね」
不意に背後からかけられた声に、二人はビクッと肩を揺らした。
振り返ると、完璧なメイクと上質なコートに身を包んだ雪ノ下陽乃が、ハイヒールの音を響かせて立っていた。
「姉さん……どうして、ここに」
「ちょっとね。お仕事のトラブル確認よ」
陽乃は雪乃たちを値踏みするように一瞥すると、すぐに先ほどの医師の方へとツカツカと歩いて行った。
雪乃と結衣は、反射的に近くの柱の陰に身を隠し、その様子を息を潜めて見守った。
「すみません、先生」
陽乃は、先ほど雪乃たちを冷たくあしらった医師に対し、ひどく上品で、切羽詰まったような「完璧な演技」の声音で話しかけた。
「現場付近のモール内に、うちの系列店舗があるんです。若いスタッフが多くて……もしかしたら、このパニックに巻き込まれている従業員がいるかもしれません。労災やご家族への対応のためにも、顔と名前の確認だけでもさせていただけませんか?」
「あ、ええと……店舗の責任者の方ですか? しかし……」
医師がためらうのを見て、陽乃は名刺をすっと差し出しながら、さらに一歩踏み込んだ。
「ご心配には及びません。身元が確認でき次第、すぐにこちらからご家族に連絡を回します。病院側の負担も減るはずです。どうか、お願いします」
「……そういうことでしたら、お顔の確認だけなら」
あっさりと、本当にあっさりと、陽乃の要求は通った。
柱の陰で聞いていた雪乃は、その圧倒的な「手際」に戦慄した。陽乃はルールを真正面から破ることはしない。ルールの隙間を突き、相手に「メリット」を提示することで、自分の要求を正当化して通してしまうのだ。
案内された処置室のベッドには、数名の負傷者が横たわっていた。
陽乃は冷徹な目で一人一人の顔を確認していく。自分の店舗の従業員など、一人もいない。
だが、部屋の奥の簡易ベッドに寝かされている『血だらけの青年』を見た瞬間、陽乃の口角が微かに上がった。
(なるほどねぇ…)
「あ……先生。この子、うちのスタッフです」
陽乃は悲痛な顔を作りながら、即座に八幡を指差した。
「本当ですか? ええと、お名前は?」
「名前は比企谷八幡くん。最近入った子で、大学生なんですけど……普段は〇〇店の方で手伝ってもらっていて」
「ご年齢と、生年月日までは分かりますか?」
「ええ、履歴書と学生証のコピーを預かったことがあるので、すぐに本社に確認させますわ」
(ふぅーん、この医者なにか隠してる)
陽乃は淀みなく、八幡に関する「知っている最低限の事実」を並べ立てた。完全な嘘ではない。顔見知りだからこそ知っている個人情報が、彼女の嘘に完璧な真実味を持たせた。
「そうですか……では、至急ご家族へのご連絡をお願いできますか」
医師はすっかり信じ込み、安堵したように息を吐いた。
だが、陽乃は引き下がらない。逆に、ここからが本番だとばかりに、医師の懐に鋭く踏み込んだ。