【11月6日 深夜】
陽乃の先導で病院の裏口へと向かう廊下を歩いていた時だった。
「比企谷くん……ッ!」
角を曲がった先で、雪乃と結衣が息を切らせて立っていた。ずっと八幡を探して院内を走り回っていたのだろう。
「ヒッキー! よかった、無事だったんだ……!」
結衣が泣きそうな顔で駆け寄ろうとする。だが、八幡の隣に立つ陽乃の姿を見て、二人はピタリと足を止めた。
「姉さん……なぜあなたが一緒にいるの」
雪乃が、警戒心を露わにして陽乃を睨みつける。
「比企谷くん、何があったの。小町さんは? それに、こんなボロボロの体でどこへ行くつもりなの」
「今は説明してる時間がないの。雪乃ちゃん」
陽乃は、普段のおどけた態度を完全に消し去り、冷酷な声で雪乃の言葉を遮った。
「それに、あなたたちは来ちゃダメ。ついてきてはいけないわ」
「……どういう意味よ」
「言葉通りの意味よ。雪乃ちゃん、あなたは『来ない方がいい』じゃなくて、『来てはいけない』の。由比ヶ浜ちゃんも同じ。ここから先は、あなたたちが首を突っ込んでいい話じゃない。巻き込まれて死ぬだけよ」
その強烈な拒絶の言葉に、雪乃と結衣は息を呑んだ。
陽乃は意図的に、彼女たちを「あちら側の世界」から切り離そうとしていた。
「ヒッキー……ねえ、何が起きてるの?」
結衣が、すがるような目で八幡を見る。
だが、八幡は結衣と雪乃から目を逸らし、短く答えた。
「……説明できない。すまない」
「小町ちゃんは……?」
「……小町のことも、今は何も言えない」
八幡はもう、彼女たちと「普通の友人関係」の言葉で繋がれる世界にはいなかった。呪いと殺し合いが支配する泥沼に、自ら足を踏み入れたのだ。
病院の裏口には、すでに陽乃の手配した黒い車が停まっていた。
結衣が、震える手で八幡のコートの袖を掴んだ。
「ヒッキー……私は、信じてるからね」
涙をこらえ、必死に笑顔を作ろうとする結衣。
「ちゃんと、小町ちゃんと一緒に、戻ってきてね」
その言葉に、八幡の胸が締め付けられる。
その横から、雪乃が一歩前に出た。
彼女は陽乃から見えない角度で、八幡の手に小さな布袋を押し付けた。
「……これ、お守りよ」
「……」
「無くさないで」
雪乃の目は、怒りでも悲しみでもなく、ただ静かな祈りに満ちていた。
八幡は無言でそれを受け取り、ポケットに深く押し込んだ。結衣の「信じる」という言葉と、雪乃の「お守り」。それは、八幡がまだ完全にはあちら側に壊れきっていないという、唯一の証明だった。
「……ああ」
八幡は短く応え、陽乃の待つ車の後部座席へと乗り込んだ。
バタン、と重厚なドアが閉まる音が響く。
八幡は、スモークガラス越しに、立ち尽くす雪乃と結衣の姿をじっと見つめていた。
車が静かに発進し、二人の姿が夜の闇の中へ遠ざかっていく。
戻れない側への一歩。
比企谷八幡の青春は、ここで完全に終わりを告げた。