比企谷八幡は呪いへ堕ちる。   作:NewSankin

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【5-5】答えの決まった問いかけ、追跡の開始

【11月7日 夕方】

 

家入との面会を終え、八幡と陽乃は薄暗い処置室を後にした。

非常階段を上り、ビルの裏手の、人気のない薄暗い路地に出る。冷たい夕暮れの風が、八幡の火照った身体の熱を少しだけ奪っていった。

 

「で? どうするの?」

 

陽乃が、背後から軽い調子で問いかけてきた。

街灯の逆光で顔は見えない。だが、彼女が答えを知っていて、あえて俺の口から言わせようとしていることは、嫌というほど分かっていた。

 

「待つ? それとも行く? あなた、他人に任せて大人しく待てるような、お利口なタイプじゃないでしょう?」

 

陽乃の言葉は、八幡の心の一番柔らかい部分を的確に抉ってくる。

 

八幡はゆっくりと振り返り、陽乃を真っ直ぐに見据えた。

その瞳には、もう微塵の迷いもなかった。

 

「……行くに決まってる」

 

「そう。どこへ?」

 

「愛知だ。あのクソ野郎をぶっ殺して、小町を元に戻す方法を吐かせる」

 

八幡の口から紡がれる言葉は、ひどく静かで、だからこそ狂気を孕んでいた。

 

「武器と、足(移動手段)を用意してくれ」

 

「硝子ちゃんは、行くのは自殺行為だって止めてたわよ?」

 

「知るか。……あんたが用意してくれなくても、行く。歩いてでも、這ってでも行く」

 

「ふふっ……いいわ」

 

陽乃は、極上のエンターテインメントを見つけたように、心底楽しそうに笑った。

 

「そう言うと思った。やっぱり比企谷くんは、私の期待を裏切らないわね」

 

「……」

 

「じゃあ、さっそく準備しましょうか。あなたの『初陣』のためにね」

 

【11月7日 夜】

 

路地に停められていた黒塗りの車に乗り込み、陽乃の仮拠点へと向かう道中。

後部座席で、陽乃は冷酷なビジネスマンの顔に戻り、八幡に条件を提示し始めた。

 

「愛知までの移動手段、結界(コロニー)の内部情報、それにあなたが戦うための武器。……全部、私が最高のものを用意してあげる。ないよりある方が、生存確率は上がるでしょう?」

 

「……ああ。助かる」

 

「でも、勘違いしないでね。これはボランティアじゃないわ」

 

陽乃は脚を組み替え、冷たい視線で八幡を射抜いた。

 

「勝手な真似は絶対に許さない。あなたは今後、私の完全な管理下で動くの。私が『殺せ』と言えば殺し、『引け』と言えば引く。……私の期待に十二分に『働いて』もらうわよ」

 

それは、完全な支配の宣言だった。

陽乃はもう、八幡を対等な人間としてではなく、自分の目的を達成するための強力な「手駒」として扱っている。

 

「……わかってる」

 

八幡もまた、その首輪の重さを理解した上で、自ら首を差し出した。

小町を救うためなら、悪魔に魂を売ることすら安い代償だ。

 

「よろしい」

 

陽乃は満足げに頷き、スマートフォンを取り出してどこかへ連絡を入れ始めた。

愛知コロニー行きに向けた、血生臭い現実の準備が、水面下で着々と進んでいく。

 

 

同じ頃。

 

病院から少し離れた、人気のないコインパーキングに停められたカーシェアの車内。

運転席に座る雪乃は、ハンドルの横に固定したスマートフォンの画面を、射抜くような鋭い視線で見つめていた。

 

「……今なら、まだ追えるかも」

 

助手席に座る結衣が、身を乗り出して画面を覗き込む。

 

「行こう、ゆきのん! ヒッキー、絶対危ないことに巻き込まれてるよ!」

 

「だめよ」

 

雪乃は、結衣の言葉を短く、だが強い意志で遮った。

 

「姉さんが一緒にいるうちは、不用意に近づけないわ。あの人は、私たちを邪魔者だと判断したら、躊躇なく切り捨てる」

 

「でも、このままじゃヒッキーが……!」

 

「見失ってはいないわ」

 

雪乃は、スマホの画面に表示された『地図アプリ』の一点を指差した。

そこには、都内の道路を移動する『小さな赤い点』が表示されている。

 

「……ゆきのん、これって」

 

「お守りよ」

 

雪乃は冷静に答えた。

 

「比企谷くんに渡したあのお守りの中に、超小型のGPS追跡タグを縫い込んでおいたの。だから、彼がどこへ行こうと、現在位置は正確に把握できるわ」

 

「……ええっ!? お守りって、そういうこと!?」

 

結衣は目を丸くして驚いたが、すぐに雪乃の意図を理解し、表情を引き締めた。

雪乃は、ただ悲しみに暮れて見送ったわけではない。感情に流されることなく、八幡を追うための「確実な手段」を、姉の目を盗んで打っていたのだ。

 

「保険よ。今は追わない。でも、彼らが最終的な目的地に移動したら、必ず追う。……それでいいわね?」

 

「うん……! 待ってるだけなんて、絶対に嫌だもん」

 

結衣もまた、ただ守られるだけの傍観者でいることを良しとしなかった。

 

スマホの画面の中で、赤い点が都心の高速道路に乗り、西へと向かってわずかに動き始める。

二人は、その小さな光の点から、決して目を離さなかった。

 

【11月7日 深夜】

 

夜の闇が最も深くなる時間。

薄暗い処置室のベッドで、小町は新田の術式によって、悪化を一時的に「固定」されたまま眠り続けている。だが、その命の砂時計は、見えない場所で確実に落ち続けている。彼女に残された時間は、ごくわずかだ。

 

八幡は、陽乃の用意した仮拠点の一室で、愛知へ向かうための準備に入っていた。

家入の警告は正しかった。俺は何も知らない。呪術のルールも、結界の中の戦い方も。

ただ、自分が傷つくことでしか戦えない、ひどく泥臭くて醜い術式を一つ持っているだけだ。

 

だが、待つことなんてできない。

誰かに任せて、安全な場所で祈っていることなんてできない。

 

(行くしかない)

 

俺が俺であるために。

比企谷八幡という、ひねくれていて、でも妹の日常だけは絶対に守りたかった兄で在り続けるために。

あの、小町を理不尽に壊した美甘井燈二がいる、死滅回遊のコロニーへ。

 

狂気と殺戮が支配する地獄への切符を握りしめ、八幡の長く血生臭い夜が、静かに幕を開けた。

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