【11月7日 深夜】
日付が変わる頃。八幡は、雪ノ下陽乃が手配した都内某所の高級タワーマンションの一室――彼女が「セーフハウス」と呼ぶ仮拠点に運び込まれていた。
無機質で生活感の欠片もない広々としたリビングのソファに、軋む身体を沈める。
大理石のテーブルの上には、数台の真新しいスマートフォン、分厚いファイルの束、そして見慣れない黒いアタッシュケースが乱雑に置かれていた。
「まず、大前提の確認よ」
革張りの一人掛けソファに深く腰掛けた陽乃が、グラスの氷をカラリと鳴らして冷ややかに告げた。
「あなたは今後、私の完全な管理下で動く。勝手な真似は一切許さないわ。動くなら、必ず私が把握している範囲で、私の指示通りに動くこと。いいわね?」
「……小町を助けるのに邪魔になる指示なら、迷わず無視するがな」
「強情ね。でも、そういう暴走の可能性も含めて『管理』するの。私にとってあなたは、高いコストをかけた大事な試験運用一号なんだから、勝手に死なれたら困るのよ」
陽乃は悪びれもせずに笑う。
彼女は本気だ。八幡を善意で助ける気など微塵もない。自分の手駒として、あちら側の世界(死滅回游)のシステムをハックするための「生きた探査機(プローブ)」として運用しようとしている。だが、完全には信用していないからこそ、何重にも保険と首輪をかけようとしているのだ。
八幡の頭の中には、眠っている小町の姿しかない。
陽乃の腹黒い思惑や支配欲など、今の俺にはどうでもいい。ただ、利用できるものは悪魔の力でも利用するだけだ。
「じゃあ、さっそく準備を始めましょうか。まずは、あなたが『死ににくくする』ところからね」
陽乃はテーブルの上の黒いアタッシュケースのロックを外し、無造作に蓋を開けた。
中に収められていたのは、ゲームや映画でしか見たことのないような物騒な代物の数々だった。
「拳銃とかマシンガンとかは、さすがの私でも数時間じゃ用意できないわ。だから現実的に、一般市場や裏ルートで即座に調達できる、最低限の装備よ」
陽乃がケースから取り出したのは、艶消しの黒で塗装されたタクティカルナイフと、見た目はただの黒いインナーシャツやジャケットだった。
「その服は防刃繊維入りよ。最新の軍事用レベル。もちろん、あちら側の化け物たちの攻撃を完全に防げるわけじゃないと思うけど、致命傷を避けるくらいの役には立つわ。ないよりはマシでしょう。ナイフも、取り回しのいい最高級のもの」
八幡は無言でジャケットを受け取り、タクティカルナイフの冷たいグリップを握りしめた。
ずしりとした重みが、掌から腕へ、そして脳髄へと伝わってくる。
これは、ゲームのアイテムじゃない。これで生身の肉体を切り裂き、血を流し、命を奪うための「本物の凶器」だ。
「……十分だ。これで、あいつを殺せるならそれでいい」
八幡の口から、ひどく冷たく、平坦な声が漏れた。
「殺す」。その単語を、俺はもう完全に現実の選択肢として受け入れている。その事実に、自分でも驚くほど心が凪いでいた。
「物騒な大学生ね。でも、今のあなたにはそのくらいバグっていた方がちょうどいいわ」
陽乃は八幡の狂気を咎めるどころか、むしろ歓迎するように目を細めた。
「装備はこれでいい。次は、あなた自身の『中身』の問題よ」