比企谷八幡は呪いへ堕ちる。   作:NewSankin

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【6-2】呪力を掴む

【11月7日 深夜】

 

仮拠点に併設された、防音設備の整った簡易トレーニングルーム。

八幡はジャケットを脱ぎ、黒い防刃インナー一枚になって、部屋の中央に立っていた。

 

「で? 私が用意したメニューはここまでよ。あとは、あなたが自分自身でその『気持ち悪い力』の使い方を思い出すしかないわね」

 

陽乃は壁際に寄りかかり、腕を組んで面白そうに観察している。彼女は呪術に関しては完全な素人だ。理論も理屈も教えられない。

だが、八幡自身もどうすればいいのか分からなかった。

 

目を閉じる。

 

あの時――商業施設の広場で、配下に殺されかけた死の淵で、八幡の術式『傷在転嫁』が初めて発現したあの瞬間。

あの時、自分の中に確かに「流れ」のようなものがあった。

血液の循環でも、アドレナリンの分泌でもない。へそより少し下の丹田のあたりから湧き上がり、全身の血管とは別の経路を巡るような、熱と、重い圧力と、どす黒いうねりのような何か。

 

(あれは、なんだった……?)

 

八幡は呼吸を深くし、意識を身体の奥底へと沈めていく。

あの時の絶望、怒り、殺意。小町を理不尽に壊された時の、ドロドロとした負の感情。それを意図的に呼び起こし、かき混ぜる。

すると、身体の奥底で、小さな種火がボッと音を立てて燃え上がるような感覚があった。

 

「……ある」

 

八幡がポツリと呟いた。

 

「血じゃない。もっと別の……粘り気のある流れみたいなもんが、腹の奥にある」

 

「へえ……何か掴んでるの?」

 

陽乃の声色が、微かに変わった。

 

「分からない。でも……さっきまでと違う」

 

「……ええ、そうね。私は呪術なんて一ミリも分からないけど……この部屋の『空気』が、明らかに重く、気味悪く変わったのだけは分かるわ」

 

八幡は理論ではなく、純粋な「感覚」と「負の感情」の想起だけで、呪力という不可視のエネルギーの尻尾を掴みかけていた。

それは、普通の呪術師が何年もかけて訓練するプロセスを、完全に無視した異常なショートカットだった。

 

フッ、と。

 

八幡の身体が、一瞬だけ羽のように軽くなった。視界が異様にクリアになり、部屋の隅を飛ぶ小さな埃の軌道すら、スローモーションのように知覚できる。

肉体のリミッターが、呪力という燃料によって強制的に外された瞬間だった。

 

(……異能バトルの基礎は、まず『身体強化』からだろ)

 

八幡は、自分の脳内に蓄積された膨大なライトノベルや漫画のオタク知識を総動員し、ひどく乱暴な仮説を立てた。二十歳の大学生が考えることとしては幼すぎるかもしれないが、未知のエネルギー(呪力)があるなら、それを魔法のように外に放つ前に、まずは自分の肉体に纏わせて物理的なステータスを底上げする。それが王道であり、一番理にかなっているはずだ。

 

(だったらまず、流す先は……腕か、脚だ)

 

八幡は、腹の奥で渦巻くその「熱」を、無理やり右腕の拳へと送り込むイメージを描いた。

ホースの水を指先で絞るように、意識を拳に集中させる。

 

最初は上手くいかなかった。熱は霧散し、ただ力んだだけで終わる。

だが、三度目。

 

(……ここだ!)

 

一瞬だけ、拳の表面に、黒い陽炎のような「何か」が乗った感覚があった。

八幡はそのままの勢いで、目の前に吊るされた革製の重いサンドバッグに向かって、軽くジャブを打ち込んだ。

あくまで、感覚を確かめるための、体重も乗せていない軽い打ち込みのつもりだった。

 

ドゴォォォォンッ!!!

 

「――っ!?」

 

耳を劈くような爆音と共に、信じられない光景が起きた。

八幡の拳が、分厚い革の外皮と中身の砂を完全に貫通し、サンドバッグの背面にまで達していたのだ。

引き裂かれた革の隙間から、大量の砂がザアザアと床にこぼれ落ちる。

 

「……は?」

 

八幡は自分の右拳と、無惨に破壊されたサンドバッグを交互に見比べ、間抜けな声を漏らした。

 

「いや、今のは……」

 

「……ちょっと待って」

 

壁際で見ていた陽乃が、目を丸くして身を乗り出した。彼女の顔から、いつもの余裕の笑みが完全に消え去っている。

 

「比企谷くん、それ……そういう威力を出すつもりで殴ったの?」

 

「違う。ただ軽く当てただけだ。こんなつもりじゃなかった……っ、痛ッ……」

 

八幡は急に右腕を襲った激しい痺れに顔を歪め、左手で腕を押さえた。

感覚だけで無理やり呪力を流し込んだ代償。出力のコントロールが全くできていないため、反動がダイレクトに筋肉と骨に返ってきているのだ。

 

不完全極まりない。だが、その一撃の威力は、紛れもなく「あちら側」の理不尽な暴力そのものだった。

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