比企谷八幡は呪いへ堕ちる。   作:NewSankin

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【6-3】陽乃の確信

【11月7日 深夜】

 

雪ノ下陽乃は、破壊されたサンドバッグと、腕を押さえてうずくまる八幡を無言で見つめていた。

彼女の心臓は、先ほどから異常な早鐘を打っている。

 

(……初めてで、ここまで?)

 

陽乃の背筋を、恐怖と、それを上回る強烈な「高揚感」が駆け上がる。

これが、術師と呼ばれる連中にとって当たり前のことなのか、それとも比企谷八幡という個体が持つ異常性なのか、素人の陽乃には判断がつかない。

 

だが、家入硝子が病院で放った、あの警告めいた言葉の意味が、今ならはっきりと理解できた。

 

『今は未熟だ。安定性も低い。でも、条件が噛み合えば、格上すら道連れにできる最高に厄介な地雷になる』

 

理屈も理論も知らないまま、ただの感覚とオタク知識だけで、これだけの破壊力を引き出してしまう素人。おまけに、こいつの本来の術式は、自分が受けたダメージを相手にそっくりそのまま返す能力なのだ。

こんなデタラメな人間が、この先、実戦の中で呪力のコントロールを完全に身につけて完成してしまったら。

 

(……向こう側の人間にとっても、とんでもなく面倒な存在になるわね)

 

陽乃の口元が、釣り上がっていく。

 

最高じゃない。

自分が気まぐれに拾い上げ、首輪をつけたこの「手駒」は、想像を遥かに超えるバグキャラだった。これなら、死滅回游というイカれたシステムの中でも、十分に盤面を荒らし回ることができる。

 

(絶対に、私以外の誰にも渡さない。手放したくない)

 

陽乃の胸の奥底で、ドロドロとした所有欲と支配欲が、一段と深く根を張った。八幡はもう、ただの「試験運用一号」以上の価値を持ち始めていた。

 

「……ねえ、比企谷くん」

 

陽乃は沸き上がる感情を完璧な笑顔の下に隠し、平静を装って声をかけた。

 

「あなた、本当に呪術のことなんて何も知らないのよね。それで、今の威力を出したの?」

 

「自分でもよく分かってない。ただ、腹の底のムカつく感情を腕に集めたら、勝手に爆発したみたいな……」

 

「……そう。なおさら危ないわね」

 

陽乃は肩をすくめ、パンッと一度手を叩いて空気を変えた。

 

「じゃあ、破壊実験はそこまでにしておきましょうか。次、小町ちゃんの状況を確認するわよ」

 

シャワーを浴びて着替えた八幡は、リビングのテーブルで、陽乃が病院側や家入から集めた情報の整理を聞いていた。

本来なら今すぐ病院に飛んでいきたい。だが、今は一分一秒でも早く愛知へ向かう準備を整えることが先決だ。

 

「結論から言うと、小町ちゃんは『止まっているだけ』よ」

 

陽乃は、手元のタブレットを操作しながら、一切の感情を交えずに冷徹な事実だけを伝えた。

 

「新田って男の術式で、進行は固定されてる。家入硝子の処置で、命はなんとか繋いでる。でも、呪いは治ってはいないわ。痩せ方も、肌を覆う呪印も、そのままよ」

 

「……」

 

「あくまで命の砂時計が、一時的に止まっているだけ。長くは保たないわ」

 

それが、残酷な現実だった。

「助かった」わけじゃない。小町はまだ、深い深い暗闇の底で、一人で苦痛に耐えながら、命のカウントダウンの再開に怯えているのだ。

 

「……そうか」

 

八幡はテーブルの下で、両手の拳を白くなるほど強く握り締めた。

 

「なら、なおさら急ぐしかねえな」

 

小町にはタイムリミットがある。俺の「行く理由」は、何一つ変わっていない。

陽乃は八幡のその横顔を見て、この男の意志はもう誰にも止められないと確信した。

 

「目的地は、愛知コロニーよ」

 

陽乃はタブレットの画面を大型モニターに出力した。

そこには、愛知県の広大なエリアを覆う、巨大な黒いドーム状の結界(コロニー)の想定図が表示されていた。

 

「家入硝子たちからの情報によれば、美甘井燈二という呪詛師は、ここを拠点にしている可能性が極めて高い。……でも比企谷くん、よく聞いて」

 

陽乃の声が、一段と低く、真剣なものになる。

 

「愛知コロニーは、行けばなんとかなるような生易しいテーマパークじゃないわ。そこは『死滅回游』という、殺し合いのゲームの舞台。助けが来る前提で入るところでもない。警察も軍隊も介入できない、完全な無法地帯よ」

 

「……」

 

「あなたのような素人が入れば、普通は数時間で死ぬわ。それでも行くなら、自分の足で這ってでも帰ってくるつもりで行きなさい」

 

これが、八幡がこれから足を踏み入れる地獄の輪郭だった。

後戻りはできない。一度結界に入れば、美甘井燈二を見つけて小町を救う方法を聞き出すか、自分が死ぬかの二択しかない。

 

八幡はモニターの地図を睨みつけたまま、短く、しかし絶対的な意志を込めて言った。

 

「……最初から、そのつもりだ」

 

「じゃあ、最後に一つだけ。これは私からの『命令』よ」

 

出発の準備を整え、黒いジャケットを羽織った八幡の前に立ち塞がるようにして、陽乃が鋭い口調で告げた。

 

「絶対に、死なないで」

 

「……」

 

「初めての試験運用なんだから、初回で壊されるのは困るの。高いコストをかけてるんだから、しっかり回収させてもらうわよ」

 

冷たい言葉選び。だが、その瞳の奥には、八幡という存在を絶対に失いたくないという、強烈な執着が宿っていた。

 

「あなたは、死ぬために行くんじゃない。小町ちゃんを助けるために行くのよ。間違っても、自己犠牲の殉死なんてくだらない真似は許さないから」

 

「……試験運用って言い方、ほんと気に入らねえな」

 

八幡は面倒くさそうに頭を掻いた。

 

「でも、死ぬ気で行くつもりは毛頭ない。そんな安い命の使い方は、とっくの昔に卒業した」

 

八幡の目が、獲物を狙う獣のように細められる。

 

「あいつをぶっ殺して、小町を元に戻す方法を吐かせて……必ず連れて帰る」

 

「よろしい。その意気よ」

 

陽乃は満足そうに微笑み、八幡に車のスマートキーと特殊な通信端末を放り投げた。

 

「じゃあ、行きましょうか。地獄の釜の蓋を開けに」

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