比企谷八幡は呪いへ堕ちる。   作:NewSankin

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【6-4】見えない拠点、誓い

【11月7日 深夜】

 

同じ頃。

 

都内某所の、入り組んだ路地裏。

雪ノ下雪乃と由比ヶ浜結衣は、スマホの追跡アプリの画面を頼りに、その場所に辿り着いていた。

 

「……この辺りのはずなんだけど」

 

雪乃が怪訝な顔で周囲を見回す。

アプリの赤い点は間違いなくこの一角を指していた。だが、目の前にあるのは古びたコインランドリーと、シャッターの閉まった町工場だけで、病院や医療施設らしきものは影も形もなかった。

 

「おかしいわね。誤差にしては大きすぎるわ」

 

「ゆきのん、なんかこの辺、空気がすごく重いっていうか……気持ち悪いよ」

 

結衣が不安げに雪乃の袖を掴む。

呪術的な結界――一般人を遠ざけ、建物の存在そのものを認識させなくする「帳(とばり)」のような隠蔽の術式が張られているのだ。呪力を持たない大学生である彼女たちに、家入の拠点の入り口が見えるはずがなかった。

 

「……こんな夜更けに、女子大生が二人でうろつくような場所じゃないぞ」

 

不意に。

二人の背後の暗がりから、気怠げな女の声がした。

振り返ると、白衣のポケットに両手を突っ込み、火のついていない煙草を咥えた家入硝子が、面倒くさそうに溜息をつきながら立っていた。

 

「この辺をうろつかれると困るんだけど。迷子なら駅までの道を教えてやるから、さっさと帰りな」

 

家入は、二人が八幡の追跡アプリを頼りに来た一般人だと察し、厄介払いしようとした。

 

「……比企谷八幡くんと、比企谷小町さんの件で来ました」

 

だが、雪乃は一歩も引かず、家入を真っ直ぐに見据えて冷静に告げた。

 

「あの二人は、ここにいたはずです。私たちは友人として、彼らに何が起きているのかを知る権利があります」

 

「権利ねぇ。お嬢ちゃん、帰って寝な。君たちが知ってどうにかなるような、生易しい話じゃないんだよ」

 

家入が冷たくあしらおうとした、その時。

 

「帰れません!」

 

それまで怯えていた結衣が、雪乃の前に進み出て、家入に向かってはっきりと叫んだ。

 

「ここで帰ったら、私、絶対に一生後悔します! ヒッキーが私たちに何も言わずに、一人で抱え込んで行っちゃったなら……なおさら、何が起きてるのか知りたいんです!」

 

「……」

 

「だから、絶対に引きません。教えてもらうまで、ここから動きません!」

 

結衣の瞳には、普段の空気を読む彼女からは想像もつかないような、強い覚悟と執念が燃えていた。

その真っ直ぐで嘘偽りのない感情の奔流に、家入は思わず目を丸くした。

 

「……はぁ。本当に、どいつもこいつも面倒くさい連中ばかりだね」

 

家入は頭を掻きむしり、観念したように短く息を吐いた。八幡の頑固さも厄介だが、この娘たちの粘り強さも相当なものだ。完全に見捨てるには、少しだけ若さと真っ直ぐさが眩しすぎた。

 

「……少しだけだ。ほんの少しだけなら、事情を話してやる。ついてきな」

 

家入は背を向け、見えない結界の入り口へと二人を導き始めた。

雪乃と結衣もまた、傍観者であることをやめ、自らの意志で真相へと近づき始めていた。

 

 

【11月8日 未明】

 

出発直前。

陽乃の用意した仮拠点の玄関で、八幡は黒いジャケットのジッパーを首元まで引き上げ、靴紐をきつく結び直した。

 

ここから病院へ向かうつもりはなかった。

家入のところにいる「止まっているだけ」の妹の姿をガラス越しに見たところで、今の自分には何もできないからだ。同情も、無責任な慰めも、神への祈りもいらない。

必要なのは、あいつを日常に引き戻すための「結果」だけだ。

 

八幡はポケットの中のタクティカルナイフの重みと、雪乃から渡されたお守りの感触を指先で確かめた。

 

「待ってろ」

 

薄暗い玄関で、誰に聞かせるわけでもない、自分自身への血を吐くような誓約を紡ぐ。

 

「絶対に助ける」

 

「あいつを殺して、お前を必ず日常に戻す」

 

「だから……そこで止まってろ。少しだけ、待ってろ」

 

八幡は一度だけ深く息を吐き出し、顔を上げた。

もう、迷いはない。恐れもない。振り返ることもない。俺の行動原理は、ただ一つに固定された。

ドアノブを掴み、仮拠点の重い扉を押し開ける。

 

夜明け前の、深く冷たい闇の中。

陽乃が運転する黒いSUVに乗り込んだ八幡は、深呼吸した。陽乃はナビの目的地を『愛知県』にセットした。

 

小町の命の時間は、止まっているようで、確実に削り取られている。

雪乃と結衣は巻き込めない。

そして、あの美甘井燈二という外道は、愛知コロニーで俺が来るのを待っている。

 

(戻れない)

 

ハンドルを握る陽乃を横目に八幡の脳裏に、かつての平穏な奉仕部の部室の風景が、一瞬だけ幻のように浮かび、そして弾けて消えた。

 

(でも、行くしかない。これは、選択じゃない)

 

アクセルを踏み込む。

低く重いエンジン音と共に、車が夜の闇を切り裂いて走り出す。

高速道路の入り口のゲートをくぐり、比企谷八幡は、狂気と呪いが支配する『愛知コロニー』へ向けて、後戻りできない長い旅の第一歩を踏み出した。

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