【11月8日 朝】
黒塗りのSUVは、夜明け前の東名高速をひた走り、朝の光が差し込み始めた愛知県内へと滑り込んだ。
指定されたナビの目的地は、名古屋市街を中心とした広大なエリア――『愛知コロニー』の外縁に近い街区だった。
「……着いたわ」
運転席の陽乃が、車を路肩に停めてエンジンを切った。
助手席から降り立った八幡は、冷たい朝の空気を肺いっぱいに吸い込み、そして、目の前に広がる光景に息を呑んだ。
「……なんだよ、あれ」
街そのものが物理的に崩壊しているわけではない。だが、明らかに「異常」だった。
空が、黒い。
朝陽が昇り始めているはずなのに、前方の巨大な区画だけが、空を覆い隠すような『巨大な漆黒のドーム』によって完全に外界から遮断されていたのだ。
「……見事なものね。これが、あちら側の人間が作った隔離施設(コロニー)」
陽乃が車に寄りかかりながら、一般人の目にもはっきりと映るその巨大な黒い壁を見上げて言った。
事前に避難勧告が出たのか、それともこの異様な黒いドームに怯えて逃げ出したのか、周辺の街区からは人間の気配がすっぽりと抜け落ちている。
八幡は黒いドームを見つめた。
千葉の商業施設で感じたあの重苦しい不快感が、ここでは何十倍にも濃縮されて大気に溶け込んでいる。肺に吸い込むたびに、内臓が警鐘を鳴らすような重さ。
俺は本当に、取り返しのつかない場所まで来てしまったのだ。
車を離れ、二人は巨大な黒い結界の境界線とされるポイントまで歩を進めた。
進めば進むほど、違和感は明確な「恐怖」へと変わっていく。
周囲は退去済みのゴーストタウンめいた空白地帯だ。風の音すらも妙に遠く、現実感が薄い。
さらに数百メートル歩き、巨大な黒い壁が手の届く距離まで迫ったところで、八幡は突如として肌が粟立つような、強烈な悪寒に襲われて立ち止まった。
「……おい。ここから先、空気が明らかに違うぞ」
八幡は、目の前にそびえ立つ黒い壁を睨みつけた。
陽乃にも黒いドームの姿は見えている。だが、そこから発せられる『呪力』という絶対的な死の圧力は、呪力の尻尾を掴みかけている八幡の感覚器官にしか受信できていなかった。
一歩でもこの黒い線を越えれば、二度と元の世界には戻れない。本能がそう告げている。
八幡が結界の境界の直前――あと一歩で足を踏み入れるという位置まで近づいた、その瞬間だった。
『ちわーっす! 泳者(プレイヤー)候補、ハッケン!』
「……っ!?」
「なに、これ。気色悪いマスコットね」
突如として、何もない虚空から、奇妙な羽音と共に「それ」は現れた。
昆虫のようでもあり、悪魔の使いのようでもある奇妙な式神。そいつは八幡の目の前でプカプカと浮遊しながら、その不気味な外見に全く似つかわしくない、妙に甲高く、ギャルっぽい口調で喋り出したのだ。
「なんだ、お前……」
『アタシはコガネ! 死滅回游(しめつかいゆう)の窓口担当みたいなもんっしょ!』
コガネは一回転すると、八幡の顔を覗き込むように近づいてきた。
『これから、死滅回游への参加意思を確認するから、マジでよく聞いてね〜! 命かかってるんで!』
死滅回游。家入硝子の口から出たその単語が、こんなふざけた式神の口から現実のシステムとして提示される。八幡は息を呑み、陽乃もまた、信じられないものを見る目でその式神を観察していた。