【11月8日 朝】
同じ頃。都内の見えない結界の内部――家入硝子の拠点。
雪ノ下雪乃と由比ヶ浜結衣は、薄暗い診察室の丸椅子に座り、白衣姿の家入と対峙していた。
「……で、どこから話したもんかね」
家入は火のついていない煙草を咥えながら、面倒くさそうに頭を掻いた。彼女の目の前にいるのは、呪術の世界とは無縁の、一般の女子大生二人だ。
「とりあえず、事の顛末だけ言おう。比企谷八幡は、非常に危険な『裏社会のゲーム』に自ら足を踏み入れた。小町さんが罹っているのも、現代医療じゃ治せない極めて特殊な『感染症』みたいなもんだ。……これで納得して帰るか?」
極力、呪術用語を省いたオブラートに包んだ説明。
だが、雪乃はその言葉を聞いて、小さくため息をつき、家入を真っ直ぐに見据えた。
「……家入先生。お気遣いは感謝しますが、私たちを子供扱いして言葉を置き換えるのはやめてください」
「あん?」
「あなたが今『裏社会のゲーム』や『感染症』と言い換えたものは、論理的な科学や法律では絶対に説明のつかない、超常的な『何か』でしょう? 姉さんが関わっている時点で、それはただの裏社会の抗争などではないはずです。……真実を、正確な言葉で説明してください」
雪乃の理知的で、一切の妥協を許さない鋭い眼差し。
家入はその顔をじっと見つめ、ふと目を細めた。
「……君、姉の名前は?」
「え?雪ノ下陽乃ですが……それが何か?」
「雪ノ下陽乃……なるほどね。あの女の妹か」
家入は、呆れたように、しかし少しだけ面白がるように鼻で笑った。
「大人を理詰めで追い込んで、強引に情報を引き出そうとするその目つき。そっくりだ。血は争えないね」
「姉と一緒にしないでください」
雪乃がむっとした顔で言い返すと、横から結衣が必死の顔で身を乗り出した。
「お願いです、先生! 私にも、先生が本当に怖い部分を隠して、はぐらかそうとしてるのはなんとなく分かります。でも、ヒッキーが一人であんなボロボロになって行っちゃったなら……私たちは、本当のことを知らなきゃダメなんです!」
結衣の真っ直ぐで嘘偽りのない懇願。そして、雪乃の鋭い洞察力。
家入はしばらく二人を交互に見ていたが、やがて観念したように短く息を吐いた。
「……はぁ。本当に、どいつもこいつも面倒くさい連中ばかりだ。分かったよ、説明する。ただし、ここから先の話を聞いたら、君たちも完全に『こちら側』に一歩足を踏み入れることになる。……後悔するなよ」
家入は煙草を灰皿に置き、呪術、呪霊、死滅回游、そして八幡の覚醒した術式について、一切のオブラートを剥ぎ取って正確な事実を語り始めた。
「……問題は、あの姉(雪ノ下陽乃)だ」
一通りの凄惨な真実を語り終え、絶句する二人の前で、家入は最後に最も厄介な事実を口にした。
「あの女、八幡くんを保護してるつもりかもしれないが、やってることは完全に『育成』に近い。いや……彼の異常な術式を利用して、最前線で運用可能な『兵器』として完成させようとしている」
「……兵器として、ですか」
「彼が生き残って、姉の想定通りに完成してしまったら……もう二度と、君たちの知っている比企谷八幡には戻れないだろうね」
「そんな……! 追わなきゃ! 今すぐヒッキーを追いかけなきゃ!」
結衣が涙を浮かべて立ち上がり、診察室のドアへ向かおうとする。
だが、雪乃がその腕を強く掴んで引き止めた。
「待って、由比ヶ浜さん。……いいえ、追うのは後よ。私たちがまず止めなきゃいけないのは、姉さんだわ」
雪乃の瞳には、かつてないほどの理知的な光と、絶対的な敵対心が宿っていた。
「今の比企谷くんの命綱を握っているのは、美甘井燈二という呪詛師じゃない。彼に武器を持たせ、退路を断ち、兵器にしようとしている姉さんよ。姉さんの『管理』を外さない限り、彼を本当の意味で日常に取り戻すことはできない」
「……じゃあ、ゆきのん。陽乃さんを、止める?」
「止める。出し抜く。騙す。……手段はなんだっていいわ。とにかく、姉さんの手から彼を奪い返すの」
雪乃は、握り締めた拳を震わせながら、明確に姉・陽乃への宣戦布告を口にした。
燈二を倒すのが八幡の戦いなら、八幡を陽乃の支配から奪い返すのが、雪乃と結衣の戦いだ。
二人の女子大生は、呪術という圧倒的な暴力の前に怯むことなく、自分たちの戦場を明確に見定めた。