【11月9日 夜】
愛知コロニー内部。
かつては活気に溢れていたであろう商店街のアーケードは半壊し、シャッターの閉まった店舗の隙間には、赤黒い血の跡と、名状しがたい呪霊の残骸が散乱していた。
薄暗い廃ビルの影に身を潜めながら、八幡は荒い息を殺していた。
周囲の気配を探りながら、短く虚空に向かって声をかける。
「……コガネ」
『ちわーっす! なになに、どしたの?』
ポンッ、と軽い音を立てて、一つ目の気色悪い式神が空中に現れた。
「今の俺の得点(ポイント)を確認しろ」
『りょーかい! 現在の八幡のポイントは、20点っしょ!』
無邪気なギャル語のアナウンスを残し、コガネは再び虚空へと消えた。
(20点……か)
結界に入ってから、すでに丸二日が経過していた。
外縁部で最初に殺したナタの男を含め、俺はここまでに『追加で3人』の他泳者(プレイヤー)を殺している。術師の命が5点。4人を殺して20点だ。
自分から進んで狩りに行ったわけじゃない。向こうから殺意を持って襲いかかってきたから、迎撃しただけだ。正当防衛だ。
だが、そんな言い訳が通用する場所ではないことは、自分の血濡れた手が一番よく分かっていた。
4人の人間を殺した。ただそれだけの事実。
八幡はナイフの柄を握り直し、瓦礫の向こう側へと鋭い視線を向けた。
いた。
崩れた雑居ビルの二階部分。窓ガラスの割れた隙間から、周囲を警戒するように見下ろしている二つの人影。
その身のこなしと、漂う呪力。
(……美甘井燈二の、配下か)
八幡は、ただポイントを稼ぐためではなく、「情報」を奪い取るために、その二つの影に狙いを定めた。
廃ビルの二階。
美甘井燈二に心酔する二人の配下は、突如として背後から這い上がってきた「異常な気配」に、ビクッと肩を震わせた。
「……なんだよ、これ」
配下の一人が、腕をさすりながら不快気に顔をしかめる。
見えない何かが、皮膚の上を這い回っているような感覚。
通常の術師が放つ、鋭く研ぎ澄まされた殺気や、重く押し潰すような呪力の圧力(プレッシャー)とは違う。
それは例えるなら、真夏の生ゴミ置き場に充満する腐臭や、底なし沼のヘドロのように。
ネチャネチャとしていて、湿っていて、ひどく陰湿にまとわりついてくる。
「なんか、すげぇ気持ち悪ぃ呪力だな……」
「油断するな。来るぞ!」
直後、床のコンクリートが爆ぜる音と共に、黒いジャケットを着た八幡が階段から躍り出た。
八幡は無言のまま、異常な脚力で一気に距離を詰め、右の拳を配下の腹部めがけて叩き込む。
「ガハッ……!?」
殴られた配下の顔が、苦痛と「別の感情」で歪む。
痛い。だが、ただの打撃の痛みじゃない。殴られた箇所から、呪力がヒルように吸い付き、ドクドクと不快な鈍痛を周囲の神経に拡散させていく。
傷口の周りがじっとりと疼き、骨の髄まで嫌な痛みがこびりついて離れない。
「てめぇ……! なんなんだ、その気色悪ぃ殴り方は……!」
「……知るかよ。俺だって、好きでこんな風に殴ってるわけじゃねえ」
八幡の呪力は、彼のひねくれた性格と自己犠牲の生き方をそのまま反映したように、「相手を不快にする(生き地獄を味わわせる)」性質を強く帯びていた。
「死ねェッ!」
もう一人の配下が、背後から八幡の肩口に呪力を込めた鉄パイプを振り下ろした。
ゴスッ、という骨の砕ける鈍い音。八幡の身体が大きくグラつく。
「やった……!」
だが、配下が歓喜の声を上げた次の瞬間。
「ア……ガァァァァッ!?」
鉄パイプを振り下ろした配下自身の肩が、内側から弾け飛び、奇妙な方向にへし折れた。
「なんだこいつ……!?」
「なんで、俺が……!?」
配下たちは、目の前の男を見て恐怖に戦慄した。
八幡は、ここ数日の戦闘で受けた傷でボロボロだった。防刃ジャケットは切り裂かれ、顔には血糊がこびりつき、肩の骨も砕けている。見た目は完全に死にかけの重傷だ。
なのに、倒れない。
それどころか、こいつを攻撃して傷をつけるたびに、なぜか「こっちの身体」まで同じように破壊され、重傷を負っていく。
さらに気味が悪いことに、八幡が負った傷は、不完全な反転術式のせいで、ゆっくりと、だが確実に「塞がりかけて」いるのだ。
完全回復ではない。しかし、致命傷を与えても死なず、逆にこちらの命を確実に削り取ってくる。
「バケモノが……ッ!」
配下たちの心は完全に折れた。勝てない。こんな理不尽な泥仕合を強要してくる狂人には、絶対に勝てない。
二人は完全に背を向け、一目散に非常階段へと逃げ出した。
だが、八幡はそれを許さなかった。
「逃がすかよ」
八幡は、床を蹴って逃げる配下たちの背中を追う。
廃ビルの狭い廊下、非常階段。八幡はナイフと不完全な呪力強化を使い、相手の退路を正確に潰していく。
「ヒィッ……! 来るな、化け物……ッ!」
パニックに陥り、鉄パイプを落として逃げ惑う配下の一人に、八幡は背後から音もなく肉薄した。
(情報は、一人いれば十分だ)
躊躇いはなかった。八幡は呪力で強化した左腕で男の頭を背後から掴むと、右手のタクティカルナイフをその首筋に滑らせ、躊躇なく一文字に引き裂いた。
ブシャッ、と生暖かい血飛沫がコンクリートの壁を汚す。男は声にならない悲鳴を上げながら、痙攣して崩れ落ちた。
『ピロリンッ! 泳者死亡〜! 八幡に5得点追加っしょ!』
空中で鳴り響くコガネの軽薄な音声を背中で聞き流し、八幡は血濡れたナイフを下げたまま、残ったもう一人——逃げる途中で階段から転げ落ち、両足の骨を複雑骨折して踊り場で腰を抜かしている配下へと歩み寄った。
「ヒィッ……あ、ああ……っ!」
八幡は血塗れの靴でゆっくりと距離を詰め、残った配下の首元を無造作に掴んで持ち上げた。
「……教えろ」
八幡の目は、深い海の底のように冷たく、一切の感情が抜け落ちていた。
「美甘井燈二は、今どこにいる」
「し、知らねえ! 俺たちはただの末端だ! 先生の居場所なんて……!」
「じゃあ、次だ。あいつは……次、いつ小町(妹)に触るつもりだ」
「ヒッ……!」
八幡が手に持ったナイフの切っ先を、配下の眼球の数ミリ手前まで近づける。
「知らねえ! 全部なんて知らねえよ! でも……!」
「でも、なんだ。言え」
「先生は……先生は、『そろそろ極上の顔を見に行く』って……! 『まだ完全に壊れきってない、絶望に染まる直前の顔がいい』って、言ってたんだよぉっ!」
その言葉を聞いた瞬間、八幡の頭の中で、何かがブツンと切れる音がした。
「……そうかよ」
「た、頼む、助け……!」
「……死ね」
八幡の指先に呪力が集中し、配下の首の骨を容赦なくへし折った。
燈二は、また小町へ干渉する気でいる。ただでさえ数日しかないタイムリミットが、さらに削り取られていく。猶予など、もう一秒もない。
ゴトッ、と物言わぬ肉塊となった二人目の配下を床に投げ捨てる。
『ピロリンッ! 泳者死亡〜!』
間髪入れず、虚空に現れたコガネの無機質なギャル語のアナウンスが、血生臭い踊り場に再び響く。
『またまた八幡に5得点追加! これで現在ポイント30点っしょ! マジおつかれー!』
人を殺した直後に鳴り響く、ゲームのスコアのような軽薄な通知音。
これで、追加で二人の命を奪った。殺した人間の数は、合計で6人。
向こうから襲ってきたからだ。情報を吐かせるためだ。妹を助けるためだ。
頭の中で、そんな言い訳が虚しくループする。
だが、そんな言い訳が、この血の海で何になるというのか。
八幡自身、自分が少しずつ、だが確実に「人間をやめていっている」という恐ろしい感覚があった。
痛みに鈍感になり、他人の命を奪うことへの躊躇いが薄れ、ただ目的を達成するためだけの『機械』になりつつある。
でも、止まれない。
俺が人間でなくなることと引き換えに小町が助かるなら、そんな取引、喜んで応じてやる。
八幡は、絶命した配下のポケットから、コロニー内の簡単な見取り図らしきメモを抜き取った。
得た情報を頭の中で整理する。
美甘井燈二の拠点は、まだ正確には分からない。だが、配下たちの動きと、あの男の「顔を見に行く」という気色悪い趣味から推測すれば、次に奴が現れる可能性が高いエリア、あるいは奴へと繋がる『線』が見えてくる。
(近い)
八幡は、血に濡れたナイフをジャケットの内側にしまい込み、立ち上がった。
(あいつは、確実にこの中にいる)
顔を見に行く前に。
小町の命の砂時計が、完全に落ちきってしまう前に。
こっちから行って、あいつの首を刈り取る。
八幡は崩れかけた窓枠から外の暗闇を見下ろし、次の獲物、次の場所へと向けて、夜のコロニーの街へと音もなく消えていった。
鹿紫雲ってすごいハイペースで術師殺してね?って思う今日この頃