【11月10日 朝】
ドンッ……!!
愛知コロニー内部、旧市民会館の分厚いエントランスの扉が、外側から激しく打ち鳴らされた。
ミシッ、と蝶番が悲鳴を上げ、ドア枠のコンクリートから細かい粉塵がパラパラと零れ落ちる。
ただの人間が体当たりした程度で出る音や重さではない。扉の向こう側に、圧倒的な質量の「何か」が密集しているのが、肌を刺すような悪寒として伝わってくる。
「……来ます」
牧野が顔面を蒼白にしながら、低く呟いた。
次の瞬間。
バァンッ!! という破裂音と共に、重厚な両開きの扉が内側へと吹き飛んだ。
「ヒィィッ……!」
「キャアアアアッ!」
ホールに避難していた一般人たちが、恐怖に顔を歪めて悲鳴を上げる。
吹き飛んだ扉の向こう、白み始めた朝の光を背にして、どす黒いヘドロのような姿をした『病喰(やまいぐい)系』の下級呪霊の群れが、雪崩を打ってホール内へとなだれ込んできた。
膨れ上がった腐った肺のような巨大な胴体。不釣り合いなほど痩せ細った手足。
それらが、ゲホッ、ゴホッという、人間の苦痛に満ちた咳のような不気味な鳴き声を上げながら、床を這いずり、壁を伝って押し寄せてくる。
腐臭と、ひどく熱を帯びた濁った呪力の圧が、一気に避難拠点の空気を「死」へと傾かせた。
(……ただの自然発生じゃねえ)
八幡は、群れの最後尾の虚空に、見覚えのある極細の呪力線が張り巡らされ、切断されている痕跡を見た。紙屋の仕掛けた『誘導罠』の残滓だ。
誰かが意図的に、このおぞましい群れを、この拠点へとけしかけたのだ。
八幡は血糊のついたナイフを逆手に構え、吹き飛んだ入り口の正面へと歩み出ようとした。
「比企谷くん、ダメです!」
牧野が、八幡の血に染まった肩を掴んで必死に引き止めようとする。
「あなたは下がって! まだ動ける状態じゃない!」
牧野は八幡を後ろへ突き飛ばすようにして前に出ると、即座に背後の避難民たちへ向かって声を張り上げた。
「動ける人は一番奥の部屋へ! 子どもと重病人を優先して下げてください! 扉から離れて!」
牧野の身体から、微弱だが確かな呪力が立ち上る。彼は自身の呪力を薄い膜のように展開し、入り口付近の空間に『簡易的な結界(足止め)』を構築しようと試みた。
決して強固な盾ではない。呪霊の群れに触れられれば、数秒で破られてしまうような薄い膜。それでも、彼は自分が盾になることを一秒もためらわなかった。
その牧野の指示に呼応するように、川崎が弾かれたように動き出した。
「立てる人、こっち来て! 荷物は置いてって! ケイちゃん、あたしから絶対に離れないでね!」
川崎は、熱に浮かされるケイカの小さな手を強く引きながら、自力で動けない重病人の車椅子を必死の形相で押し始めた。
彼女の手は恐怖で小刻みに震えている。それでも、その足は絶対に止まらない。
(……お前ら)
八幡はその光景を見て、息を呑んだ。
自分は今まで、一人で戦っている気になっていた。一人で地獄を背負って、一人で汚れ役を引き受けているつもりだった。
だが違う。この絶望的な拠点には、自分以外にも「逃げずに踏ん張っている人間」が確かにいるのだ。
「ぼさっと見てないで、動けるなら手伝ってよ、比企谷……っ!」
重病人の肩を担ぎながら、川崎が血走った目で八幡を見て叫ぶ。その声には、不良ぶった虚勢は消え失せ、必死で縋るような響きが混ざっていた。
その声に、八幡の中でくすぶっていた黒い呪力が、爆発的な熱量を持って跳ね上がった。