愛知コロニーの中心部からやや西に外れた、かつての巨大な複合商業施設。その地下深く、一般の利用者が立ち入ることのない設備区画のさらに奥に、紙屋什路(かみやじゅうろ)の本拠地――いや、彼にとっての『完成された作業場』が存在していた。
コンクリート打ちっ放しの無機質な空間には、本来この場所にあるはずのない無数のモニターが整然と並べられ、青白い光を放っている。そのモニター群の前に、細身の身体をオーダースーツに包んだ紙屋が、ひどく神経質な手つきでキーボードを叩きながら座っていた。彼が地上ではなく、光の届かない地下深くを自らの絶対的な支配領域に選んだ理由は、極めて論理的かつ明確だった。
紙屋の術式『細工場(さいくば)』は、呪力を極細の線、膜、あるいは見えない刻印として空間や物体に配置することで真価を発揮する。つまり、彼の強さは「いかに事前に場を整え、構造を支配するか」に完全に依存している。
地上には不確定要素が多すぎる。天候の変化、風、崩壊した建物の残骸、そして無軌道に動き回る他の泳者(プレイヤー)や呪霊たち。それらは紙屋の緻密な計算を狂わせる「ノイズ」でしかない。
だが、地下設備区画は違う。分厚いコンクリートの壁によって物理的に外界から遮断され、出入り口は極端に限定されている。さらに、旧時代の遺物とはいえ、施設全体に張り巡らされた電気配線、通信ケーブル、水道管、空調のダクトといった「導線」がそのまま残されているのだ。紙屋は自身の呪力をそれらの配線に流し込み、かつての監視カメラ網を強制的に再起動させ、自分だけの完璧な広域観測システムを組み上げていた。
「……十分ですね。実によく働いてくれました」
紙屋は長い指で眼鏡のブリッジを押し上げ、モニターの一つに映し出された映像を見て冷たい笑みを浮かべた。
そこには、今日の昼間から夕方にかけて、彼が断続的に誘導して送り込んだ小型の病喰呪霊たちによって、無惨に削り取られた『旧市民会館の避難拠点』の様子が映っていた。入り口は半壊し、内部にいる一般人たちは恐怖と毒気に当てられ、疲労の極致にある。
紙屋は、コロニー内を荒らし回る轟武玄のような「単純な暴力」を嫌悪していた。また、美甘井燈二のような「個人的な美意識のために陰湿に時間をかける趣味」も、品のない下劣な行いだと内心で軽蔑している。
戦いも、呪術も、すべては『芸術的な構造の完成度』で決まるべきだ。それが紙屋の絶対的な美学だった。
「あの粗雑な手癖の異物……比企谷八幡でしたか。彼も所詮は、その程度の駒に過ぎなかったということですね」
紙屋は、モニターに映る血まみれの八幡の姿を観察しながら、独り言を呟いた。
最初は、自分の理解を超えた「不快な泥仕合」を強要してくる厄介な存在として警戒していた。だが、ふたを開けてみれば、あの少年は避難拠点という「守るべきもの(重り)」に完全に縛り付けられ、その場から動けなくなっているではないか。
戦場において、守るものを抱えた人間ほど脆い構造はない。
「今日、あの拠点を完全に潰すことも可能でしたが……あえて生かして正解でした。あの異物は、自分が守っているつもりの場所で、真綿で首を絞められるようにじわじわとすり減っていく。明日の朝、私がすべての罠の配置を完了した完璧な『場』の中で、彼らが絶望に染まっていく姿を観測させてもらいましょう」
紙屋にとって、今日の仕事はすでに「仕上げの前段階」として完璧に終わっていた。あとは、自分が構築した堅牢な地下の城で、明日の最終工程に向けたシミュレーションを重ねるだけ。
そう確信していた紙屋の視界の端で、無数にあるモニターのうちの一つが、微かに、本当に微かに「異常」を知らせるシグナルを点滅させた。
「……おや?」
紙屋はキーボードを叩く手を止め、神経質そうな目を細めて、そのモニターの画面へと顔を近づけた。