【11月10日 夕方】
「……で、ゆきのん。どうやってあのホテルに入るの?」
近くの公園のベンチに移動し、結衣が不安そうに尋ねた。
ホテルのエントランスには陽乃の部下が配置されている。雪乃の顔を見られれば、即座に陽乃に報告され、最悪の場合は力ずくで排除されるか、ホテルからつまみ出されてしまうだろう。真正面から突破できるような相手ではない。
雪乃はタブレットでホテルの構造図や搬入口のルートを検索しながら、思考を巡らせた。
「正面突破は論外よ。従業員用の通用口か、地下の駐車場からリネン用のエレベーターを使うか……でも、姉さんのことだから、イレギュラーな侵入ルートには必ず監視を置いているはず。それに、物理的なセキュリティをハッキングする技術も時間も、今の私たちにはないわ。だとすれば、どうやってチェックをすり抜けるか……」
雪乃が「完璧な潜入ルート」の構築に頭を悩ませていると、結衣がふと、ひどく単純なことを思いついたように言った。
「あのさ、普通に『泊まっちゃえば』よくない?」
「……はい?」
「だから、変装して、普通の宿泊客のふりしてフロントからチェックインするの。今、この辺りのホテルって、避難してきている一般の人とか報道陣向けに、結構割安で部屋を貸し出してるみたいだし。こそこそ隠れるより、堂々と入っていった方が、逆に怪しまれないんじゃないかな?」
結衣の提案は、雪乃の緻密な論理からすれば、あまりにも「雑」で「大ざっぱ」なものだった。
雪乃は少しだけ頭痛をこらえるようにこめかみを押さえた。
「由比ヶ浜さん……あなたのその発想、比企谷くんに似ているわね。でも、あまりにも雑すぎるわ。もしフロントで身分証を求められたり、顔を見られたりしたらどうするの? リスクが高すぎるわ」
「そこは、コンビニで帽子とマスク買って、風邪引いてるふりするとか! でも、今は雑でも早く中に入れる方が大事でしょ? ここで何時間も悩んでたら、ヒッキーが……それに、お姉さんは『私たちがこそこそ隠れて裏から来る』って思ってるはずだよ。だから、堂々と正面から行くの!」
結衣の言葉に、雪乃は反論を飲み込んだ。
そうだ。時間をかけて完璧な計画を練っている余裕はない。姉の部下たちも、プロの暗殺者を警戒しているならともかく、「風邪気味の女子大生の宿泊客」まで完璧にスクリーニングできるわけがない。裏の裏をかく、という意味では理にかなっている。
「……否定はしないわ。時間がないのは事実だし、姉さんの裏をかくには、そのくらい堂々としていた方がいいかもしれないわね」
二人はすぐさま近くのコンビニへ走り、目深にかぶれるキャップと、顔の半分を覆い隠す大きめの黒いマスク、そしてダミーの旅行用ボストンバッグを購入した。
最低限の変装を済ませ、髪をまとめて帽子の中に隠した雪乃と結衣は、少し背中を丸め、いかにも疲労した一般客の体でホテルのエントランスへと向かった。
自動ドアを潜る瞬間、黒服の男の鋭い視線が二人を舐め回すように動いた。
結衣の心臓が早鐘を打つ。雪乃は結衣の腕を軽く引き、「咳き込むふりをして」と小さく囁いた。
「ゴホッ、ケホッ……」と結衣が演技で咳をすると、黒服の男はあからさまに嫌そうな顔をして視線を外し、別の方向へと歩き去っていった。今のこの愛知周辺で、咳をしている人間(疫病の疑いがある人間)には誰も近づきたがらないのだ。
「……うまくいったわね」
「心臓止まるかと思った……息ができないよ」
フロントでのチェックインも、雪乃が偽名と現金決済を使うことでスムーズに切り抜けた。
渡されたカードキーを握りしめ、二人は客室用エレベーターへと乗り込む。
目指すは、自分たちが取った低層階の部屋ではなく、陽乃が陣取る「最上階のスイートルーム」。
監視カメラの死角を縫いながら、二人の女子大生による、絶対的な支配者への反逆の潜入が開始された。