【11月10日 夜】
ホテルの最上階、広大なスイートルーム。
雪ノ下陽乃は、最高級の革張りソファに深く腰掛け、大型モニターに映し出される「死地の記録」を、恍惚とした表情で見つめていた。
「すごいじゃない、比企谷くん……」
陽乃の艶やかな唇から、感嘆の吐息が漏れる。
モニターに映っているのは、先ほどドローンが結界内から持ち帰ってきたばかりの最新の映像だった。
病院跡地付近の旧市民会館。エントランスに押し寄せる異形の呪霊の群れに対し、血まみれの八幡がたった一人で立ち向かい、防衛戦を繰り広げている様子が、荒い解像度の中にはっきりと記録されている。
陽乃の視線は、呪霊のグロテスクな姿ではなく、ひたすらに八幡の「変化」を追っていた。そもそも呪霊が見えない陽乃は八幡しか見えていない。
傷を負い、血を流し、骨が軋む。その度に、彼の身体から立ち上る見えない圧力(呪力)が、画面越しに伝わってくるほどに強大なものへと跳ね上がっていく。
「ふふっ……ちゃんと黒く、きれいに育ってるわね。たった数日で、ここまで実戦に適応して、自分の異常な力を使いこなすようになるなんて。私の見立ては完璧だったわ」
陽乃はワイングラスを揺らしながら、ゾクゾクするような背筋の震えを楽しんでいた。
さらに映像を分析していくと、陽乃の鋭い観察眼は、八幡の戦い方における「ある劇的な変化」に気づいた。
映像の中盤。彼を後ろから支えた冴えない中年男(牧野)が、八幡の背中に触れた瞬間。
そこを境にして、八幡の荒削りだった暴れ方に、明らかに「理にかなった洗練」が乗ったのだ。無駄な手数が減り、呪霊の急所を的確に穿つようになっている。
「……なるほど。あの男が、彼に呪術の『基礎』を与えたのね。……素晴らしいわ。私が投資した原石が、他人の手すらも貪欲に喰らって、最高の兵器として研ぎ澄まされていく。あの無愛想な男の子が、ここまで完璧な殺戮の道具になるなんて」
陽乃は、八幡が着実に人間離れした怪物へと近づいていることに、狂おしいほどの喜びを感じていた。
だが、その映像の端に、彼が守っている避難拠点の中から、どこか見覚えのある青みがかった長髪の女――川崎沙希の姿が映り込んだのを見て、陽乃はさらに笑みを深めた。
「ああ、でも……あんなに血に塗れても、まだ『人間(誰かを守る)』の顔も残っているのね」
陽乃にとって、八幡が完全に心を失ったただの殺戮マシーンになってしまうのはつまらない。
人間としての理性を保ち、誰かを守りたいという弱さ(足かせ)を抱えながら、それでも復讐と生存のために悪魔の力を行使し、血の泥沼でもがく姿。
それこそが、彼女が彼を「愛して」やまない最高のエンターテインメントだった。
「そこが、最高に可愛いのよね。……ねえ、比企谷くん」
モニターの映像が途切れ、陽乃がうっとりと余韻に浸っていると、部屋のドアが控えめにノックされ、黒服の部下が静かに入室してきた。
「陽乃様。ご報告があります」
「なに? 私の楽しい鑑賞会を邪魔するなら、それなりの理由があるんでしょうね」
「はっ。……先ほど、下の階に、雪乃様と同年代の女性の二人が、変装してチェックインされたのを確認いたしました。監視カメラの映像から、間違いなく雪乃様と由比ヶ浜結衣と思われます。現在、非常階段を使ってこの最上階へ向かっておりますが、どういたしますか?」
部下の報告を聞き、陽乃は驚くどころか、心底嬉しそうにパァッと顔を輝かせた。
「ようやく来たのね。ふふっ、可愛い妹たちが、お姉ちゃんに会いに来てくれたんだもの。無粋な真似はしないで」
「では、ご案内を?」
「いいえ。彼女たちの好きにさせてあげて。私はここで、美味しい紅茶でも淹れて待っているわ」
陽乃は立ち上がり、ドレスの裾を翻してティーセットの準備を始めた。
盤面の外側で繰り広げられる、もう一つの「最高に面白いゲーム」の開幕を、彼女は万全の態勢で迎え撃とうとしていた。