【11月10日 夜】
深夜。
静まり返ったホテルの最上階の廊下を、雪乃と結衣は息を殺して進んでいた。
非常階段からの侵入。警備員に見つかるリスクは高かったが、不思議なことに、このフロアには黒服の部下の姿は一人もなかった。
「……おかしいわね。姉さんの拠点にしては、警備が手薄すぎるわ。いくらなんでも、誰もいないなんて」
「ゆきのん、罠かな……? 開けたら撃たれるとかないよね?」
「それは流石にないと思うわ。おそらく、すでに私たちがここに来ていることはバレているわね。姉さんが、あえて通したのよ。私たちと『お話』をするためにね」
雪乃は奥歯を噛み締め、フロアの最奥にある最も重厚な扉――スイートルームの前に立った。
逃げ場はない。だが、ここで引く選択肢もない。
雪乃は深く深呼吸をし、迷うことなくその扉を三回、ノックした。
「どうぞ〜。鍵は開いてるわよ」
扉の向こうから、まるで休日の昼下がりに友人を招き入れるような、ひどく気楽で明るい陽乃の声が響いた。
雪乃がドアノブを回して扉を開けると、そこには異様な光景が広がっていた。
広大なリビングルーム。ふかふかの絨毯と、間接照明に照らされた高級家具。
中央のテーブルには、高級なティーカップが三つ、湯気を立てて上品に並べられている。完全な「茶会」の空気だ。
だが、その背後の壁際には、無骨な黒いドローンが何機も並べられ、巨大なモニター群には血みどろの愛知コロニーの映像と、八幡の戦闘データがビッシリと表示されていた。
日常の優雅さと、異常な殺戮のデータ。その二つが完全に融合した気色悪い空間の中央で、陽乃が脚を組み、にっこりと微笑んで二人を迎えた。
「いらっしゃい、雪乃ちゃん、ガハマちゃん。遠いところまでよく来たわね。紅茶、淹れたてよ? 一緒に飲みましょう」
部下が後ろに控えているわけでもない。ただ一人で、完全にリラックスした様子の陽乃。
その絶対的な余裕の態度に、結衣は身震いしそうになるのを必死に堪えた。
「……姉さん」
雪乃は、勧められたソファには座らず、陽乃を真っ直ぐに睨みつけた。
「お茶を飲みに来たわけじゃないわ。……比企谷くんを、解放しなさい」
「ヒッキーを、返してください」
結衣もまた、雪乃の隣で力強く声を張り上げた。
二人の宣戦布告。だが、陽乃はそれに動じることなく、ただ面白そうにクスクスと笑い声を漏らした。
「それで? 何しに来たのかと思えば、ずいぶんと可愛らしいお願いね。……でも、嫌よ」