【11月4日 朝】
「……お前、顔色悪くないか」
朝食の席につくなり、八幡は向かいに座る妹を観察して言った。
テーブルの上に置かれたトーストには、ほとんど手がつけられていない。いつもなら朝からやかましいくらいに喋り倒し、テレビのニュースにツッコミを入れる小町が、今日は妙に口数が少ない。それどころか、俺の言葉に対する反応が、致命的に一拍遅いのだ。
「お兄ちゃん、それ女の子に言うセリフとしては最低ラインだからね」
「褒めてねえよ。ただの事実を客観的に述べてるだけだ」
「知ってる。お兄ちゃんが私を褒めるのは、お小遣いが欲しい時か、私に何か面倒な頼み事がある時だけだもんね。わかりやすい」
「人聞きの悪いこと言うな。俺は常日頃から、海よりも深い慈愛で妹の美徳を称賛してるだろうが」
「うわ、嘘くさ」
小町は小さく笑った。いつもの、実家のダイニングで繰り返される軽口の叩き合い。
だが、その笑顔はどこか、薄皮一枚隔てたような不自然さがあった。顔の筋肉を無理やり動かして、「笑っている記号」を作っているような。
「……お前、寝てないだろ」
「寝たよ。たぶん三時間くらい」
「それを寝た扱いすんな。ショートスリーパー気取ってんのか」
「現代人はみんなそんな感じだし。スマホで動画見てたら気づいたら夜明けだった、みたいなのあるあるでしょ」
「お前を現代社会の縮図みたいに言うな。……なんか悩みでもあるのか」
「ないない。ただの寝不足。今日ちょっと早く帰って寝るから、平気平気」
小町は残っていたグラスのミルクを無理やり飲み干し、「ごちそうさまー」と席を立った。
本人がそうきっぱりと言うなら、これ以上問い詰めるわけにもいかない。俺だって、年頃の妹のプライベートに土足で踏み込むような、無神経でデリカシーのない真似はしたくない。兄妹という絶妙な距離感を、俺は誰よりも重んじているつもりだ。
「……ほんとに大丈夫か?」
背中を向けた小町に、最後に少しだけ本音をこぼす。
小町は振り返らずに、
「……うん。たぶん」
とだけ答えて、自室へ戻っていった。
「たぶん」。
その言葉の響きが、小さな、けれど鋭いトゲのように俺の胸の奥に引っかかった。
しばらくして、制服に着替えた小町が「行ってきまーす」と玄関を出ていく。
俺はリビングから、その後ろ姿を見送った。
呼び止めようとして、やめる。呼び止めて、何を言うというのか。ただの寝不足だと言い張る妹を、無理やり病院に連れて行くか? それとも「最近、街の空気が気持ち悪いから気をつけろ」とでも忠告するか?
どれも、保護者代わりの兄としては「正解」の行動なのだろう。だが、俺はいつも、そういう決定的な一歩を踏み出すのをためらってしまう。自分の感覚を信じきれず、相手の「大丈夫」という言葉に甘えてしまうのだ。
半歩、遅れている。
その自覚が、ひどく自分を嫌な気分にさせた。俺は冷え切ったトーストをかじりながら、舌打ちをした。