【11月11日 午前1時前後】
牧野との静寂な対話が、不意に、ひどく場違いで軽薄な声によって破られた。
『ちわーっす! 全泳者にお知らせっしょー!』
空気を完全に無視して、虚空からコガネがポンッと音を立てて出現した。奥の部屋で眠る一般の避難民たちには見えていないのか、反応はない。呪力を持つ八幡と牧野の前にだけ、その気色悪い式神がパタパタと羽ばたいている。
『鹿紫雲一が、100得点を消費して総則(ルール)を追加したっしょ!』
八幡は眉をひそめた。鹿紫雲一。聞いたこともない名前だが、この狂った死滅回游というゲームで100点、つまり術師なら20人分もの命を奪い、ルールを追加する権利を得た化け物がどこかにいるということだ。
『総則9! 泳者は他泳者の情報――氏名、得点、ルール追加回数、滞留結界――を参照できる! 以上、追加完了! よろしくねー!』
コガネが一方的に告げて消えた瞬間、牧野の顔色がサッと青ざめた。
「……これは、最悪のルール追加です」
「どういうことだ」
「これまでは、紙屋の監視網や、轟の戦場勘、あるいは上空のドローンといった、それぞれ独自の手段を使わなければ、他者の動向を正確に把握することはできませんでした。ですが、このルールが追加されたことで……」
牧野は、八幡を険しい目で見つめた。
「今後は、すべての泳者がコガネに尋ねるだけで、結界内の誰が、どこにいて、何点持っているのかを『検索』できるようになったんです」
その意味するところを、八幡も即座に理解した。紙屋什路という強者が、つい先ほどこのコロニーから姿を消した。そして同時刻、この愛知コロニーに滞留している「比企谷八幡」という新参のプレイヤーの得点が、突如として増加した。少し頭の回る術師なら、八幡が紙屋を殺したことなど容易に推測できる。八幡がこれ以上、隠れて動ける時間は完全に終わったのだ。
【11月11日 午前1時過ぎ】
八幡は、空中に向かって静かに命じた。
「コガネ。比企谷八幡の情報を出せ」
『りょーかい!』
八幡の目の前の虚空に、半透明のディスプレイのような枠が浮かび上がり、無機質な文字が羅列された。
比企谷八幡
得点 35点
ルール追加回数 0回
滞留結界 愛知コロニー
八幡は、自分の名前の横に表示された「35」という数字を、瞬きもせずに見つめていた。
術師七人分の命。一人五点。
俺がこの手で切り裂き、呪力で破壊し、命を奪ってきた人間たちの断末魔の顔や声が、ゲームのスコアのような、たった二桁の無機質な数字に変換されている。
(……三十五点)
八幡の心の中に、冷たい風が吹いた。
(ずいぶん分かりやすくなったもんだ。人間を殺すってのは、こういうことか)
人を七人殺して、三十五点。その事実を、数字として極めて客観的に、論理的に理解できてしまっている自分がいる。吐き気は来ない。手も震えない。八幡は、この数字を前にして発狂できない自分自身の冷静さを、再びひどく恐ろしいと感じた。俺は確実に、人としての何かが摩耗し、欠落し始めている。だが、それでも。俺は止まるわけにはいかないのだ。小町をあの呪いから救い出し、川崎やここの連中を死の淵から遠ざけるためには、この狂ったゲームの盤面を最後まで歩き切るしかない。
【11月11日 午前1時過ぎ】
「……これで、轟武玄や美甘井燈二も、あなたという存在を明確な脅威として認識するはずです」
牧野が、緊迫した声で告げた。
「紙屋が消えたことで、愛知コロニーの三すくみは完全に崩壊しました。今度は、あの暴力の塊である轟か、それとも陰湿な元凶である燈二か……必ず、どちらかがあなたを狙って明確に動き始めます」
待ちの姿勢では、いずれ押し潰される。八幡は、虚空に浮かぶ自分の『35点』という数字をしばらく見つめた後、ディスプレイを無造作に手で払い消した。自分が怪物になっていく恐怖と、すべてを終わらせて小町を救うという絶対的な決意。その二つの矛盾した感情を、無理やり腹の底へと呑み込む。相手がこちらを認識したというのなら、好都合だ。隠れんぼは終わりだ。八幡は、まだ痛みの引かない身体をゆっくりと起こし、冷たい殺意を瞳に宿して、虚空に向かって低く告げた。
「美甘井燈二の情報を出せ」