【11月4日 昼】
『小町ちゃん、おはよー! 最近どうー?』
大学の講義の空き時間、由比ヶ浜結衣はキャンパスの中庭のベンチに座りながら、メッセージアプリで小町に連絡を入れていた。
数日前のやり取りから、なんとなく小町のことが気にかかっていたのだ。他人の感情や「空気」に誰よりも敏感な結衣のアンテナが、微かなエラー信号を受信し続けている。
数分後、返信が来る。
『小町は今日も元気です! って言いたいところだけど眠い!』
結衣は画面を見つめ、少しだけ眉を寄せる。
『え、だいじょぶ?』
『たぶん寝不足! たぶん!』
『“たぶん”多いなあ(笑)』
『大丈夫大丈夫〜。ちょっと夜更かししすぎちゃって』
『無理してない?』
『してないしてない。たぶん』
また「たぶん」。
結衣はスマホの画面を見つめたまま、小さく息を吐いた。
文字面だけを見れば、絵文字もついているし、いつもの明るくて少しあざとい小町だ。でも、結衣の直感が「なんか違う」と告げている。テンションが少し空回っているというか、言葉の端々に、隠しきれない焦燥感と疲労感が滲み出ている。
結衣は少し迷った末に、思い切って通話ボタンを押した。
数回のコールの後、少し間を置いて小町が電話に出た。
「もしもし、結衣さん? どうしたの?」
「あ、ごめんね急に。なんか、声聞きたくなっちゃって」
「えへへ、結衣さん寂しがり屋だなぁ。でも嬉しい」
「……小町ちゃん、声ちょっと変じゃない?」
「そう? ふつーふつー。あ、ちょっと風邪気味なのかも。乾燥してるしね」
小町は明るく返す。でも、やっぱりどこか声のトーンが低い。無理をして声を張っているのが、耳元から痛いほど伝わってくる。
「……ヒッキーには言った?」
「え、お兄ちゃん? 言ってない言ってない。言ったら絶対めんどくさいやつになるし」
「あー……それは……ちょっとわかるかも」
「でしょ? 『お前、熱計れ。いや病院行け』ってうるさくなるの目に見えてるもん。絶対大げさにするから、内緒でお願いします!」
「うん、わかった。でも、ほんとに無理しないでね。また今度ゆっくり話そ?」
「うん! ありがとう結衣さん」
通話が切れた後も、結衣の中に、冷たい泥のような説明できない不安だけが残っていた。
小町は「大丈夫」と言った。「ヒッキーには言ってない」と言った。
じゃあ、この不安は私の気のせいなのだろうか。私が過保護になっているだけなのだろうか。
「……ヒッキー、気づいてるかな」
結衣は灰色の雲が広がる空を見上げた。
街の空気は、数日前よりもさらに重く、息苦しくなっているように感じる。
でも、それを「急いで知らせるほどではない」と、結衣自身も思ってしまっていた。決定的な異常が起きているわけではない。まだ、ただの日常の延長線上の不調だと思いたかったのだ。