【完結】100トンホシノ先輩の規格外な日常 作:ていん?が〜
アビドス高等学校、生徒会室。
そこは今、生命維持が危ぶまれるほどの「地獄」と化していた。
窓の外から差し込む直射日光は、もはや光ではなく暴力だ。壁に掛けられた温度計の目盛りは、キヴォトスの乾燥した空気を吸い込んで48.5°Cという狂った数値を指し示している。
「……ああ……っ。あ、暑い……。もうダメ……脳みそが沸騰して……耳から溶けて出てきそう……」
黒見セリカは、学習机の上に「ぐったり」と力なく突っ伏していた。ツインテールは完全にしおれ、猫耳も熱を逃がそうと全開に伏せられている。
机の上のノートは、彼女が噴き出した汗でベチャベチャに濡れ、書かれた文字が滲んで判別不能になっていた。
「セ、セリカちゃん……無茶を言わないでください……。暑いのは……みんな、一緒……。う、団扇……団扇………」
書記の奥空アヤネは、床に大の字になって転がっていた。眼鏡のレンズは湿気と熱気で真っ白に曇り、彼女は視界を奪われたまま、力なく天井を仰いでいる。
エルフ耳が微かに震え、彼女の体力の限界を物語っていた。
「ん……。現在の室温、アビドス砂漠の観測史上最高値に迫る。冷房の基板が熱で焼き切れたのが致命的。……扇風機、ぬるい風をかき混ぜるだけで逆効果」
砂狼シロコだけは、壁に背を預けて辛うじて立っていたが、その首筋には大量の汗が流れ、激しく肩で息をしている。
彼女の銀髪は汗で肌に張り付き、その瞳も心なしか焦点が定まっていない。
「ほわぁ……。私の髪の毛も、湿気と熱で大変なことになっちゃってます〜。先生から頂いた高級な保冷剤も、もう全部お湯になっちゃいましたねぇ……☆」
十六夜ノノミは、ソファーの上で優雅に……というよりは、もはや幽霊のような虚脱状態で揺れていた。
彼女ほどの体力と余裕があっても、この異常気象には太刀打ちできない。
そんな惨状の中、ただ一人。
「うへ〜、みんな元気ないねぇ。おじさん、冷たい麦茶のおかわり淹れてこようか?」
生徒会長、小鳥遊ホシノ。
彼女だけは、汗一粒すらかいていなかった。
それどころか、いつも通り眠たげな顔をして、鼻歌混じりに冷えた麦茶を啜っている。
「……な、なんで……なんでホシノ先輩だけ、そんなに涼しい顔してるのよ……!? おかしいでしょ!? バケモノなの!? 冷血動物なの!?」
セリカが恨みがましい声を絞り出した。
ホシノは「うへぇ?」と首を傾げた。
「いや〜、おじさんも理由はよくわかんないんだけどさ。おじさんの体、ほら、密度が凄いじゃない? 100トンの質量がぎゅっと詰まってるとさ、外気の熱振動が細胞の奥まで届かないみたいなんだよね」
これこそが、100トンホシノ先輩の具体的な物理法則の一端である。
彼女の肉体はあまりにも「密」であるため、比熱容量が天文学的な数値に達している。
外気温がどれほど上がろうとも、その膨大な質量を温めるには戦術核レベルのエネルギーが必要であり、48度の熱風程度では、彼女の深部体温を1度上げるのに数十年かかる計算なのだ。
「うへへ、おじさん、ある意味で究極の断熱材なんだよ。みんな、おじさんに引っ付く? 表面温度は冷たいままだよ〜」
「物理的に潰されるから無理です……っ!!」
アヤネが死にそうな声でツッコんだ。
セリカが、もはや限界だとばかりに机を「バン!」と(力なく)叩いて立ち上がった。
「もう嫌っ!! こんなところで干物になるのは御免よ!! 海!! 海に行きましょう!! アビドスの海岸まで行けば、少しはマシなはずよ!!」
「ん、賛成。……このままでは訓練どころか、日常生活の維持が困難。海水による冷却、合理的」
「いいですね〜! ちょうど、新しい水着を用意していたんです〜☆」
後輩たちが目を輝かせて「海!」と合唱する中、ホシノだけは露骨に嫌そうな顔をしてソファーに沈み込んだ。
「えぇ〜……おじさん、海なんてめんどくさいよぉ……。砂浜は足が沈み込んで歩きにくいし、水に入っても涼しいと思ったことないんだよねぇ。泳いだこともないし」
「(泳いだことがない……? 海水に浸かれば誰だって涼しいでしょ……?)」
セリカの脳裏に、一つの推測が浮かんだ。
「ホシノ先輩……。もしかして、体重が重すぎて浮かないから、泳ぐのを避けてるんじゃ……」
「あはは、セリカちゃん、失礼だなぁ。おじさんだって乙女なんだよ? 水に浮くかどうか以前に、めんどくさいだけだよぉ。ほら、ここでお昼寝してれば……」
「ダメです!! 会長が行かないなら、誰が私たちの安全(物理的な地割れ回避)を確保するんですか!!」
結局、四人がかりで(ホシノの自重による引き留め抵抗に耐えながら)ホシノを説得……という名の強制連行により、一行はアビドス海岸へと向かうことになった。
アビドス海岸。
眩しい太陽と、白く輝く砂浜。
そこには、暑さを吹き飛ばすような、眩いばかりの少女たちの姿があった。
「ん。水着への換装完了。……シロコ、準備万端」
砂狼シロコは、黒と青のコントラストが美しい競泳用のワンピース水着に身を包んでいた。
鍛え上げられたしなやかな肢体は、太陽の光を浴びて健康的な輝きを放っている。
手にはスポーツバッグを提げ、今すぐにでも沖まで泳いでいきそうなストイックな姿だ。
「あはは……。水着に着替えると、少しは涼しく感じますね」
奥空アヤネは、青と白のストライプ柄のビキニを着用し、その上に薄手のラッシュガードを羽織っていた。
トレードマークの眼鏡を海用のものに替え、少し恥ずかしそうに頬を染めているが、その控えめな露出が逆に彼女の知的な魅力を引き立てている。
「ちょっと、二人とも早すぎ! 私は日焼け止めを塗るのに時間がかかったんだから!」
黒見セリカは、フリルがあしらわれた黒のホルターネックビキニを選んでいた。
普段の制服姿からは想像もつかないほど大胆なカットだが、本人は「暑いからこれくらいが丁度いいのよ!」と強がっている。
しかし、ツンと尖らせた口元とは裏腹に、猫耳が嬉しそうにパタパタと動いていた。
「わぁ〜☆ みんな、とっても似合ってますよ〜! 海、最高ですねぇ!」
十六夜ノノミは、彼女の豊満なプロポーションを強調するような、山吹色の鮮やかなビキニを纏っていた。
大きな麦わら帽子を被り、浮き輪を抱えて歩く姿は、まるで南国の女神のようだ。
彼女が歩くたびに、周囲の視線を釘付けにする圧倒的な華やかさがある。
「それで……ホシノ先輩は?」
アヤネが更衣室の入り口に視線を向ける。
そこに、ノロノロと、しかし「ドォン……ドォン……」と地響きを立てながら、主役が現れた。
「うへ〜、おじさん、やっぱりこれ恥ずかしいよぉ……」
小鳥遊ホシノの水着姿。
それは、白のシンプルなビキニに、鮮やかな水色のパーカーをゆるく羽織った姿だった。
頭にはサングラスを乗せ、手には大きなクジラの浮き輪(特製、超高強度)を抱えている。
小柄な体躯に似合わぬ、透き通るような白い肌。パーカーから覗く肩のラインは華奢に見えるが、その実体は100トンの絶対質量。
パーカーの裾から伸びる脚は驚くほど細く美しいが、一歩ごとに砂浜に30センチの深さのクレーターを刻んでいた。
「きゃあーーー!! ホシノ先輩、可愛すぎますっ!! まさにアビドスの妖精さんですよ〜☆ パシャパシャパシャ!!」
ノノミが防水カメラを取り出し、猛烈な勢いでシャッターを切り始めた。
「うへぇ、ノノミちゃん、やめてよぉ。おじさん、ただでさえ重いのに、視線まで重くなっちゃうよ」
「ん。ホシノ先輩、似合ってる。……捕獲、して持ち帰りたい」
「シロコ先輩、目がマジですよ!!」
セリカがツッコミを入れる中、一行はついに波打ち際へと到着した。
「さぁ、会長! 海ですよ! 涼みましょう!!」
セリカとシロコがホシノの腕を引き、無理やり波打ち際へと誘う。
ホシノは「えぇ〜、冷たいのは苦手なんだよぉ〜」と愚痴をこぼしながら、素足を海水に浸した。
その瞬間だった。
ゴゴゴゴゴゴゴ……ッ!!!!
海面に、異変が起きた。
ホシノが海に入った瞬間、彼女の足元を中心に、海流が物理的に「拒絶」されたのだ。
100トンの質量密度。それは単なる重さではない。彼女の存在そのものが放つ、周囲の空間に対する圧倒的な占有力だ。
ババババババッ!!!!
凄まじい轟音と共に、ホシノの前方の海面が、まるで巨大な透明な壁に押し退けられるように左右へと割れていった。
まさに旧約聖書の「モーセの十戒」そのもの。海底の砂地が露出し、そこにはホシノの足跡がドッシリと刻まれている。
「うへ? ……あーあ、やっぱりこうなっちゃうんだよねぇ」
ホシノは困ったように頭を掻いた。
彼女がどれだけ足を伸ばしても、海水は彼女の肌に触れることを拒むように、斥力によって退散していく。
水しぶき一滴すら、彼女の肌を濡らすことはできない。
「……な、何これ!? 海が、割れてる!? ホシノ先輩に海水が当たってないじゃない!!」
セリカが絶叫した。
「ん。海水による冷却、物理的に不可能。……ホシノ先輩の質量が作る局所的な重力場が、水分子の侵入を許さない」
「そ、そんな馬鹿なことが……!! これじゃ、泳ぐどころか水浴びすらできないじゃないですか!!」
アヤネが愕然とする中、ホシノは溜息をついた。
「だから言ったでしょ? おじさん、涼しいと思ったことないんだよ。海に入っても、いつも目の前の水が逃げていっちゃうからさぁ」
しかし、問題は「割れた」ことだけでは終わらなかった。
ホシノという100トンの楔によって、強引に左右へと押し退けられた莫大な量の海水。
それはエネルギー保存の法則に従い、急激なポテンシャルエネルギーとなって爆発した。
ドゴォォォォォォォン!!!!!
割れた海の両端が、高さ20メートルを超える巨大な壁――「津波」となって、沖合へと逆流を始めたのである。
一方その頃。
アビドス沖、深海数千メートルの暗黒の底。
数万年の眠りについていた旧支配者、クトゥルフがついに覚醒の時を迎えようとしていた。
その巨大な触手が一閃し、キヴォトスの理を書き換え、世界を恐怖と狂気で塗り潰すために、その禍々しい巨躯を浮上させようとしていたのだが。
『我ハ……目覚メタリ……。不浄ナル生者共ヨ……深淵ノ……恐怖ニ……』
ドガッシャァァァァァァン!!!!!
浮上しようとしたクトゥルフの頭上から、ホシノが引き起こした「理外の逆流津波」が、凄まじい圧力で直撃した。
『グベぇ!? ヌ、ヌオオオオ!? ナ、何事ダ!? 海流ガ……不自然極マリナイ……重力波ト共に……!!』
通常、旧神の力があれば、波など一蹴できるはずだった。
しかし、この津波は違う。100トンのホシノという「絶対質量」に弾き出された水流は、そのエネルギー密度が異常に高く、一滴一滴が砲弾のような破壊力を持っていた。
『マ、待テ!! 我ハまだ……カッコヨク……登場シテ……いない……ッ!!』
クトゥルフは、なす術なく荒れ狂う激流に飲み込まれた。
神としての威厳も、神秘の力も、100トン由来の物理エネルギーの前には無力。
旧神の巨躯は、洗濯機の中の靴下のようにグルグルと回転しながら、アビドス海岸の砂浜へと、無惨に「打ち上げ」られた。
「ギャアアアアア!! 化け物!! タコみたいなバケモノが飛んできたわよぉぉ!!」
セリカが悲鳴を上げ、アヤネは腰を抜かした。
砂浜に「ズシン!」と激突し、動かなくなった巨大なタコ状の何か。それを見て、ノノミは「あらあら〜、大きなお土産ですねぇ☆」とのんびり言っている。
一方のホシノは、依然として海が割れた中心に立ち、足元を這う一匹のカニを眺めていた。
「うへ〜、おじさんのせいでお魚さんたちが陸に上がっちゃったねぇ。ごめんねぇ」
ホシノが一歩歩くたびに、海はさらに「バリバリッ」と音を立てて広範囲に割れ、背後では割れた海水が衝突しては爆風のような飛沫を上げ、周囲の観光客たちが阿鼻叫喚の地獄絵図となって逃げ惑っている。
「ホ、ホシノ先輩!! 戻ってください!! 海が……アビドスの海が物理的に壊れます!!」
アヤネの必死の叫び。
「ん。……アビドス海洋生態系、および沿岸部の地形、壊滅的ダメージを確認。……即刻退去を要請」
シロコが冷静に「撤収」を提案する。
その日の夕方。
アビドス海岸の管理事務所から、アビドス高等学校生徒会宛てに、一枚の速達が届いた。
そこには、震える文字でこう記されていた。
『小鳥遊ホシノ様。およびアビドス高等学校生徒会一同。
本日の海水浴に伴う「海洋消滅未遂事件」および「邪神漂着騒動」を鑑み、貴殿らのアビドス海水浴場への立ち入りを、本日より「永久出禁」とさせていただきます。
どうか、今後はプールか、あるいは個人の所有するプライベートビーチ等、壊れても構わない場所でお楽しみください』
「……ああ……。私の、私の夏休みが……」
生徒会室に戻り、扇風機の風(まだ熱い)を浴びながら、セリカが灰のように白くなって呟いた。
「ん。……旧支配者の死体、黒服に売れば莫大な資金になる。……出禁の損失、補填可能」
「シロコ先輩、そういう問題じゃありません……!!」
アヤネのツッコミが響く中、ホシノはいつものように冷たい麦茶を啜っていた。
「うへ〜、やっぱり海は向いてないねぇ。次からは、おじさんのために地下に1000トン耐重仕様のプールでも作ってよ、ノノミちゃん」
「えへへ☆ 良いですね〜! 私、早速発注しておきますね〜☆」
「ノノミ先輩!! 調子に乗らせないでください!!」
おじさんの海水浴は、こうして一柱の邪神を亡きものにし、アビドスの夏を物理的な破壊と共に彩って幕を閉じたのである。
アビドスの日常は、今日も——そして明日も、あまりにも「重すぎる」のであった。
今回もお読みいただきありがとうございました!
次も来週の同じ時間に投稿予定ですので見ていただけると嬉しいです!