【完結】100トンホシノ先輩の規格外な日常   作:ていん?が〜

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後書きにお知らせがありますので本編の後に見ていただけると幸いです。


第27話:おじさんの夏休みは、地獄の終末にページを捲る

 アビドス自治区、小鳥遊家のリビング。

 

 そこは、キヴォトスで最も平和で、かつ最も物理的な強度が求められる空間である。

 

 窓から差し込む8月末の柔らかな朝日は、香ばしいトーストの香りと、穏やかな朝のひとときを演出していた。

 ホシノは、自身の重みに耐えうる特注のチタン合金製強化椅子に「よっこいしょ」と腰を下ろし、朝食のコーンスープをスプーンで掬っていた。

 

 カチ、カチ、と秒針が時を刻む。

 その平穏を破ったのは、新聞を読んでいた父親、太陽の何気ない一言だった。

 

「そういえばホシノ。もうすぐ8月も終わりだけど、夏休みの宿題は順調に進んでいるかい?」

 

 

 ポロッ

 

 

 ホシノの手からスプーンが滑り落ちた。

 わずか十数センチの高さから自由落下した銀色のスプーンは、重力加速度と100トンの娘が保持していたという慣性によって、大理石のテーブルを「メキョッ」と深く凹ませた。

 

「うへ……?」

 

 ホシノの喉から、間の抜けた音が漏れる。

 太陽は、凹んだテーブルなど一瞥もせず、眼鏡の奥の目を優しく細めて続けた。

 

「あはは、よかった。その驚き方は、もう終わったっていう自信の表れかな? 去年の今頃なんて、最終日になっても手付かずで、ユメちゃんに正座で3時間説教されながら泣きながら終わらせていたもんねぇ」

 

「じ、じゅ……順調だよぉ、お父さん。おじさん、もう高校3年生だしね……。うへへ、計画的に……進めてる……はずだよぉ……」

 

 ホシノの声は、今にも消え入りそうなほど震えていた。

 

 太陽は「おー、頼もしいな! それなら安心だ。やっぱり成長してるんだね」と無邪気に笑い、再び新聞に目を戻した。

 

 太陽が視線を外した瞬間、ホシノの顔面から血の気が失せた。

 脳裏に去年の、そして一昨年の「地獄」がフラッシュバックする。

 

 

 最終日の深夜。般若の形相で背後に立ち、殺気とともに竹刀を床に叩きつけるユメ。

 

『ホシノちゃん……。ペンが止まってるよ? この計算問題、あと5秒以内に解かないと……お姉ちゃんの「愛の物理注入」が始まっちゃうぞ?』

 

 あの時のユメの笑顔は、ゲマトリアの黒服ですら命を惜しんで逃げ出すほどの「絶対的な死」を孕んでいた。

 説教の間、ホシノが恐怖で震えるたびに家全体が震度4の縦揺れに見舞われ、近所迷惑で通報されたのは苦い思い出である。

 

 

 ホシノはガタガタと震える手で、壁のカレンダーをチラリと見た。

 

 

 【8月30日】

 

 

「…………終わった……」

 

 絶望。

 

 ホシノは生粋の怠け者である。お昼寝とエビフライの誘惑に勝てるはずもなく、この一ヶ月、宿題という単語を脳のゴミ箱に捨て去って遊び呆けていた。

 海水浴で旧支配者を打ち上げ、肝試しで地獄の怨念を蒸発させていた間に、学習帳は白紙のまま深い眠りについていたのだ。

 

 後輩のシロコやセリカに聞くわけにはいかない。学年が違うし、何より「かっこいい先輩(自称)」のメンツが丸潰れだ。

 ユメにバレれば、今度は正座3時間では済まない。アビドスが物理的に消滅するほどの雷が落ちる。

 

「(ど、どうすれば……。おじさんの人生、ここでゲームオーバー……? いや、待てよ。頼れる同級生……口が堅くて、頭が良くて、おじさんのこの質量環境に対応できる猛者は……)」

 

 脳をフル回転させるホシノ。

 そして、一つの答えに辿り着いた。

 彼女は震える手でスマホを操作し、ある人物に「助けて。命がかかってる」という、遺言のようなメッセージを送信した。

 

 

 

 

 ――10分後。

 

 ホシノの自室。

 扉が開くと同時に、アビドス高等学校・アリウス分校副会長代理の梯スバルが、深い、深いため息をつきながら入ってきた。

 

「……会長。メッセージを見て、何事かと思えば。アリウスの再建事業を差し置いて呼び出した理由が、これですか」

 

 スバルは鋭い視線で、ホシノを、そして机の上に置かれた「真っ白な物体」を見据えた。

 

「うへへ、スバルちゃん。やっぱり頼りになるのは同級生だよねぇ。おじさん、知ってるんだよ。アビドス本校とアリウス分校、教育カリキュラムを統合したから宿題の内容は全く同じだってことを。そして、スバルちゃんが夏休み初日に宿題を全部終わらせるような、恐ろしいほどの真面目人間だってこともね……」

 

 ホシノは、まるで悪魔と契約する小市民のような顔ですり寄った。

 スバルはこめかみを押さえた。

 

「……一度きりですよ。ベアトリーチェとの話し合いの際、ご両親には大変な恩がありますからね。……ですが、これは教育上良くない。わかっていますか?」

 

「わかってる、わかってるよぉ。だから、手取り足取り……物理的に教えてほしいんだよぉ」

 

 スバルは「はぁ……」と呆れながら、現状を把握するために机の上の宿題に手を伸ばした。

 

「とりあえず、進捗を確認します。現代文のページを開いて――」

 

 スバルが学習帳の表紙を捲ろうとした。

 だが、ページが開かない。

 

「……? 会長、ノリでくっつけてるんですか? これ」

 

「あ、ごめんごめん。それ、普通の紙じゃないんだ。おじさんが指で捲ると、普通の紙だと摩擦と重力でページが分子レベルで粉砕されて飛散しちゃうからね」

 

 ホシノが提示したその宿題、通称『超高密度・対ホシノ用学習帳』は、厚さ0.5ミリの純タングステン合金のシートに、ミレニアムの特殊エッチング技術で文字を刻んだ代物である。

 

 一冊の重さはジャスト500キロ。

 

「……宿題に500キロ? 正気ですか、この学校は」

 

「うっへっへ、みんなおじさんのことよくわかってるからね。スバルちゃん、おじさんが捲るから、問題読んでよ」

 

 ホシノが「よっこいしょ」と、重戦車のハッチを開けるような音を立ててページを捲る。

 スバルは震える手で、そこに刻まれた「微分積分」の問題を見た。

 

「……はぁ…私が代わりに書きますから、シャーペンを――」

 

 スバルがペンを握り、タングステンのページに先端を当てた。

 

 

 パキン…。

 

 

 何の跡もつかない。どころか、最高硬度の芯が、金属の表面に触れた瞬間に虚しく粉砕された。

 

「……。……無理ですね。私の腕力では、この宿題に『傷』一つつけられない」

 

「うへへ、おじさん用のペンはこっちだよ。超硬質セラミック芯の特注品。筆圧が1トン以上ないとインクが出ない仕組みなんだ」

 

 スバルは言葉を失った。宿題をするだけで重労働である。

 

「……わかりました。私が口頭で解法を言います。会長は、私の指示通りに筆記してください。いいですね?」

 

「ん〜……。あー、それ、xをyに代入するんだっけ? おじさん、なんだか頭が重くなってきちゃった。ちょっと30分だけお昼寝してもいい?」

 

 開始5分。ホシノの怠け癖が顔を出した。彼女はそのまま、タングステンの宿題を枕にしようと顔を伏せようとした。

 

「サボるな!!」

 

 スバルが反射的に、ホシノの尻をひっぱたこうと右手を振り上げた。

 

 

 ガチィィィィン!!!!!

 

 

「ぐ、あああああああぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」

 

 ホシノの部屋に、絶叫が響いた。

 100トンの尻。それは金剛石をも凌駕する密度の結晶体である。

 全力で叩き込んだスバルの右手は、反作用の暴力によって指の骨が数本、不自然な方向へ曲がっていた。

 

「あちゃー……。ごめんねスバルちゃん。おじさんのお尻はは頑固者なんだよ。冷やす?」

 

「……い、いいから……進めますよ……。いいですか、次は……英語の長文読解です……」

 

 スバルは折れた指を自力で「バキッ」と戻すと(アリウス仕込みの応急処置である)、形相を変えてホシノを叱咤し始めた。

 

 

 

 

 それから、地獄の時間が過ぎた。

 

 スバルの論理的な指導と、ホシノの「寝たら死ぬ(ユメ的な意味で)」という恐怖心が噛み合い、宿題は猛烈な勢いで消化されていく。

 

「……ふぅ。これで半分。……時計は、もう深夜ですか。今日はここまでにしましょう。会長、明日もこのペースなら、31日の夜には全て終わります。……いいですね?」

 

 スバルは肩で息をしながら、達成感に浸っていた。目の前の100トンの少女を「勉強させる」という、ボスエネミーを倒すより困難なタスクを、彼女はやり遂げようとしていた。

 

 一方のホシノは、すっかり緊張感が抜けていた。

 

「うへ〜、スバルちゃん、本当にお疲れ様。おじさん、なんだか脳みそが軽くなった気がするよぉ。あ、お腹空いたねぇ。今日の晩御飯は何かな〜?」

 

 ホシノがのんびりと鼻歌を歌おうとした、その時。

 

 

「――今日はカレーだよ、ホシノちゃん。お肉たっぷりの、美味しいカレー」

 

 

 背後から、聞き覚えのある、鈴を転がすような、しかし底冷えのする声が聞こえた。

 

 ホシノの動きが止まった。

 彼女の全身の細胞が、最大級の危険信号を発信し、関節が「ギギギ……」と錆びついた機械のように音を立てて振り返る。

 

 そこには、扉の隙間から顔を出したユメが立っていた。

 

 満面の笑み。

 だが、その目は一切笑っていない。

 太陽のような輝きを放っていたはずの瞳は、暗黒物質(ダークマター)よりも深い虚無と、冷徹な観察眼でホシノとスバルを射抜いていた。

 

「ユ、ユメ先輩……。いつからそこに……?」

 

「おじさんの部屋に入ってくる時は……ノックを……してほしいな、なんて……」

 

 ホシノの声が裏返り、ガタガタと小刻みに震え出した。彼女が震えるだけで、床のタングステン学習帳が「ガタガタガタ」と不気味な共鳴音を立てる。

 

 スバルは本能で理解した。

 

「(死ぬ。ここにいたら、物理的な破壊に巻き込まれて消滅する)」

 

 スバルは無言で、音を立てずに椅子から立ち上がり、壁沿いに「そーっ」と出口へ向かおうとした。

 

 だが。

 

 

 ガシッ

 

 

 ユメの手が、音速を超えてスバルの首根っこを掴んだ。

 

「あれれ、スバルちゃん。どこへ行くのかな? お姉ちゃん、スバルちゃんがホシノちゃんの『手伝い』をしてくれていること、最初から全部見ていたよ?」

 

「……ッ。ユメ、先輩。私は……ただ……」

 

「ダメだよ。友達の宿題を代わりにやってあげるのは、ホシノちゃんのためにならないって、言わなかったかな?」

 

 ユメの口調は明るい。しかし、その声は氷点下の深海のように冷たい圧力を孕んでいた。

 

「……スバルちゃんも同罪だね。連帯責任。……さあ、二人とも。カレーを食べて元気が出たら、『明日の朝まで一秒も休まずに』、残りの半分を終わらせようか。……お姉ちゃん、ここでずっと見ててあげるからね」

 

 ユメの背後から、黒いオーラが噴き出した。

 

「ひ、ひゃあああああああ!!!!」

 

「(終わった……!!)」

 

 

 

 翌朝、午前7時。

 

 アビドスの朝日が、窓から差し込む。

 机の上には、一ミリの余白もなくびっしりと正解が書き込まれた、鈍く光るタングステンの宿題が鎮座していた。

 

 その前には、二つの「抜け殻」があった。

 

「…………うへ。……おじさん……もう……一文字も……見たくない……」

 

「…………。……アリウスの……地獄の方が……マシだった……」

 

 ホシノとスバル。

 二人は、完全に魂が口から抜け出し、真っ白に燃え尽きていた。

 寝返り一つ許されない、ユメの「鉄の監視」の下で過ごした十時間は、彼女たちの精神を物理的に粉砕していた。

 

 ホシノの夏休みは、こうして「宿題の完遂」という名の大敗北をもって、幕を閉じたのである。

 

 背後で、ユメが鼻歌を歌いながらカレーの皿を片付ける音が、アビドスの静かな朝に不気味なほど平和に響いていた。




皆様、いつもホシノ先輩の日常を見ていただきありがとうございます。

突然ですが、この物語は30話を持ちまして一度、完結とさせていただきます。

スケジュールとしては、

5/2…28話、18時5分に投稿
5/3…29話、18時5分に投稿
5/4…最終話、18時5分に投稿+大事なお知らせ

と、なります。

急な報告になり申し訳ありませんが、もう少しホシノ先輩の物語にお付き添いいただきますと幸いです。
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