【完結】100トンホシノ先輩の規格外な日常   作:ていん?が〜

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第29話:おじさんの夢舞台は、普通の少女としての願いを叶える

 アビドス高等学校、生徒会室。

 

 夏の猛暑がようやく和らぎ、砂漠の風に秋の気配が混じり始めたある日の午後。対策委員会の面々は、机の上に広げられた一枚のド派手なチラシを、穴が開くほど見つめていた。

 

 そのチラシは、虹色のグラデーションを背景に、どこか見覚えのあるピンク色の髪の少女をデフォルメしたキャラクターが満面の笑みを浮かべているデザインだった。

 

 

【アビドス新名所! ホシノーランド 9月25日 グランドオープン!】

 

 キヴォトス初! 「絶対的な安定感」をテーマにした超重量級テーマパークが誕生!

 

 

 【目玉アトラクション1:超高速ジェットコースター『ヘブンズ・ホシノ・エクスプレス』】

 

 ・どんな質量が乗っても時速200キロを維持する、特殊電磁誘導レールを採用!

 

 

【目玉アトラクション2:フリーフォール『スカイ・ダイブ・おじさん』】

 

・重力加速度を物理的に凌駕する、垂直落下の衝撃をその身に!

 

 

【目玉アトラクション3:『ホシノぬいの不思議な館』】

 

・無数のホシノぬいに囲まれて、究極の癒やしを体験。

 

 

『キヴォトスの物理法則を、おじさんと一緒に置き去りにしよう!』

 

 

 

「……ねえ、ユメ先輩。これ、一体なんですか?」

 

 書記の奥空アヤネが、こめかみを押さえながら、チラシを差し出してきた張本人——梔子ユメへと問いかけた。

 

「えへへ、見ての通りだよアヤネちゃん! アビドスには大きな娯楽施設がなかったでしょ? だから、遊びに来た人たちがみんなで楽しめる場所があればなーって思って、黒服さんと一緒に作っちゃった!」

 

 ユメはエプロンをなびかせ、ひまわりのような笑顔で胸を張る。

 

「黒服さんと共同創設って……あの人、またろくでもないことに資金と技術を注ぎ込んでるわね……」

 

 会計の黒見セリカが呆れ顔で呟くと、ユメは人差し指を立てて「チッチッチ」と振った。

 

「違うよセリカちゃん。これは立派な事業なんだから! それにね、黒服さんが今まで取ってきたホシノちゃんの膨大な身体データを元に設計したから、ホシノちゃんがどれだけ全力で遊んでも、地面が割れたりアトラクションが爆発したりしない計算になってるんだよ。100トンの衝撃を前提にした、キヴォトス最強の『びくともしない遊園地』なんだから!」

 

「うへぇ〜……」

 

 ソファーの隅で話を聞いていた小鳥遊ホシノが、感嘆の声を上げた。彼女の頭頂部にあるアホ毛が、心なしか嬉しそうにピコピコと規則正しく揺れている。

 

「ホシノ先輩、なんだかやる気満々? 珍しい」

 

 砂狼シロコが尋ねると、ホシノは少しだけ遠い目をして、恥ずかしそうに頬を掻いた。

 

「いやぁ……実を言うとおじさんさ、遊園地って人生で一度も入れたことがなかったんだよねぇ。お父さんとお母さんに連れられて行ってもさ、入り口のゲートに一歩踏み出した瞬間に『地響きが不穏すぎる』とか『アトラクションの安全基準を根底から破壊する危険物』とか言われて、敷地に入る前にことごとく出禁になっちゃってたから。この年になって遊園地で遊べるなんて、ちょっと楽しみだよ」

 

 その言葉を聞いて、セリカとアヤネは「(入り口で震度3とか出されたら、そりゃ止められるわよね……)」と、当時の係員の絶望を想像してあははと苦笑いを浮かべた。

 

 だが、ホシノの期待に満ちた表情に水を差すのは野暮だと思い、二人はそれ以上のツッコミを飲み込んだ。

 

 

 

 そして迎えた、9月25日。オープン当日。

 

 アビドス砂漠のど真ん中に建設された『ホシノーランド』の威容は、想像を絶するものだった。

 

 まず目を引くのは入場ゲートだ。それは巨大なホシノの顔を模した形をしており、来場者はホシノが「あーん」と口を開けた喉の奥へと吸い込まれるように入場するシステムになっている。

 

 園内には、至る所にホシノのシルエットを模したオブジェや噴水が立ち並び、最新の防振技術によって舗装された路面は、100トンの少女が歩いても微かな微動だにしない。

 

「いらっしゃーい! ホシノーランドへようこそ!」

 

 タキシードを華麗に着こなした支配人のユメが、元気よく一同を迎える。

 

 彼女の背中には、相変わらず「アツコゼミ」こと秤アツコがガッチリと張り付いており、支配人の風格と姉妹の甘い雰囲気が絶妙に混ざり合っている。

 

 そこにはアビドス本校の面々だけでなく、アリウス分校の生徒会メンバーや、副会長代理のスバル、さらにはホシノの両親である太陽とツキノも招待されていた。

 

「わあ……すごい熱気ですね。元アリウスの生徒たちも、こんなに楽しそうに笑って……」

 

 スバルが感慨深げに周囲を見渡す。園内では、ずんぐりむっくりした愛らしい姿の『ホシノぬい』の着ぐるみが、愉快なステップでダンスを踊りながら、子供たちにホシノの顔を模したカラフルな風船を配っていた。

 

「あ、ユメ先輩。共同創設者の黒服さんはどこにいるんですか? 姿が見えないみたいですけど」

 

 セリカが不思議そうに尋ねると、すぐそばで踊っていたホシノぬいの着ぐるみが、ピタリと動きを止めた。

 着ぐるみは短く太い手足でトコトコとセリカに近寄り、その大きな頭をセリカの肩に預けるようにして顔を寄せた。

 

「(……あ、ちょっと可愛いかも)」

 

 セリカが少し照れて顔を赤らめた、その瞬間。ホシノぬいの口元から、およそ着ぐるみに相応しくない、慇懃で低く、ねっとりとした声が囁きかけられた。

 

 

「……こんにちは、黒見セリカ様。本日のホシノーランドの居心地はいかがでしょうか?」

 

 

「ぎゃあああああああ!!!!!!」

 

 セリカは悲鳴を上げて3メートルほど後方へ飛び退いた。

 

「く、黒服さん!? なんであんたが着ぐるみなんて着て踊ってるのよ! 怖い、怖すぎるわよ!!」

 

 周囲の視線が集まる中、ホシノぬいの着ぐるみはシーッというジェスチャーを見せ、一同にしか聞こえない小声で答えた。

 

「おやおや、失礼。私はご存知の通り見た目が少々……浮世離れしておりますから。一般のお客様を怖がらせては営業に支障をきたします。それに、顧客の生の満足度や、小鳥遊ホシノ様の行動データを至近距離で収集するには、この現地で触れ合える着ぐるみが最も適しているのです」

 

 そう言いながら、黒服(中身)は再びホシノぬいらしい可愛らしいダンスを再開した。

 そのシュールな光景に、アヤネは「説得力が皆無です……」と溜息をつき、シロコは無言で着ぐるみの質感をメモしていた。

 

「さあ、みんな! 楽しんでおいで!」

 

 ユメの明るい号令と共に、一同は思い思いのアトラクションへと散っていった。

 

 

 

  まず動き出したのは、アリウス分校のサオリと、本校のシロコの二人組だ。

 

 

 彼女たちが向かったのは、『ホシノの重圧突破! 障害物競走』。

 

 

 ホシノが放つ「存在の圧力」を特殊な重力波で再現したエリアを、タクティカルな動きで突破していく競技型のアトラクションだ。

 黒服の技術により、どれだけ激しく動いても怪我一つしない絶対安全な緩衝フィールドが展開されている。

 

「ん。作戦開始。サオリ、右の重力波を回避。私は左から回り込む」

 

「了解した。……だがシロコ、これほど精巧にホシノのプレッシャーを再現するとは。アリウスの訓練施設よりよほど実戦的だな」

 

 二人は遊園地とは思えぬ鋭い身のこなしで、不可視の重圧を切り裂きながらゴールへと突き進んでいった。

 

 

 一方、ノノミとスバルの二人は、『巨大エビフライの油遊泳・ティーカップ』にいた。

 

 

 ホシノの好物であるエビフライを模した黄金色のカップが、最高級の油をイメージした黄金の液体の上を滑るように回転する。

 もちろん、服が汚れることも目が回ることもない「究極の滑らかさ」が保証されている。

 

「ほわぁ〜☆ スバルちゃん、見てください! 揚げたてのいい匂いが演出されていて、とっても幸せな気分ですねぇ」

 

「ええ、ノノミさん。……アリウスの再開発における物流動線とは対極にある、この非合理的な回転運動……。しかし、悪くありませんね。安全装置の精度も完璧だ」

 

 実務に疲れたスバルの心が、ノノミの笑顔と心地よい遠心力によって解きほぐされていく。

 

 

 その頃、セリカとミサキは、『ホシノのお昼寝・雲海ダイビング』の前に立っていた。

 

 

 ホシノの「寝返り」によって発生する空気の揺らぎを、柔らかい浮遊感として体験できるパラシュート型のアトラクションだ。

 

「ちょっと、なんで私がアンタと一緒なのよ……。ほら、行くわよミサキ! 怖くないんだからね!」

 

「……別に、どっちでもいい。……でも、このベルトの締め付け、会長に抱きつかれてるみたいで……少しだけ、落ち着くかも」

 

 素直になれない二人は、ホシノの寝息を模した穏やかな風に包まれ、空へと高く舞い上がっていった。

 

 

 そしてアヤネとヒヨリは、『ホシノの埋蔵金? 砂漠の宝探し』を楽しんでいた。

 

 

 ホシノの歩行によって地中から押し出された(という設定の)お宝を、センサー付きのシャベルで発掘する知的な遊びだ。

 

「アヤネさん、見てください! 特製の『ホシノ金貨』を見つけましたぁ……! 私みたいな不幸な子でも、ここではお宝が手に入るんですねぇ……!」

 

「よかったですね、ヒヨリさん。このエリアの砂、ホシノ先輩の質量を基準に洗浄されているから、全く埃が舞わないんですよ。書記としての資料整理も捗りそうです」

 

 

 そして、ホシノの両親である太陽とツキノは、『ホシノの足跡・巨大ウォーターライド』へと向かっていた。

 

 

 ホシノが一歩踏み出した際の「地面の沈み込み」を急流下りとして再現した、大迫力かつ絶対に転覆しないボートアトラクションだ。

 

「いやぁ母さん、見てごらん。ホシノの足跡がこんなに立派なコースになるなんて、親として鼻が高いねぇ」

 

「本当ですね、お父さん。あの着水の衝撃も、ホシノが生まれた時の産声に比べれば、そよ風のようなものだわ」

 

 二人は激しい水しぶきを浴びながらも、まるで縁側で茶を啜っているかのような余裕で、娘の足跡を辿る旅を楽しんでいた。

 

 

 

 平和な、そしてどこまでも絶対的な安全が約束された時間が流れる中、ただ一人、その場に立ち尽くしている少女がいた。

 

 

 

 

 小鳥遊ホシノは、園内最大の目玉アトラクション、『ヘブンズ・ホシノ・エクスプレス』の搭乗口の前にいた。

 

 

 見上げるほど巨大な鉄骨の骨組み。龍の如くうねるレール。そして、凄まじい風圧と共に駆け抜けていくジェットコースターの車体。

 

 普段なら「うへ〜、お昼寝してたいよぉ」と逃げ出すはずの彼女が、今は真剣な表情でその光景を凝視している。

 

 

 だが、その足は僅かに震えていた。

 

 絶対質量を誇る彼女が、恐怖で足がすくんでいる。

 

 

「(……怖いな。やっぱり、壊しちゃうんじゃないかな)」

 

 ホシノの脳裏に、古い記憶が蘇る。

 

 

 5才の時。お父さんとお母さんに連れられて、初めて本物の遊園地に行った日のこと。

 

 色とりどりの風船、甘い綿菓子の匂い。きらびやかなメリーゴーランド。ホシノは幼心に、そのキラキラした世界に胸を躍らせていた。

 自分もあの、空を飛ぶように走る青い列車に乗りたい。そう思って、列に並んだ。

 

 けれど、自分の番が来た時。

 

 ホシノがホームの床を一歩踏みしめた瞬間、設置されていた地震感知アラートが最大音量で鳴り響いた。

 

 

『緊急事態発生! 地盤崩壊の恐れあり! 直ちに避難してください!』

 

 

 係員たちは顔を真っ青にして駆け寄り、ホシノを「危険物」として遠ざけた。

 楽しそうに笑っていた他の子供たちが、怪訝な顔で、あるいは怯えた目で自分を見る。

 

 お父さんが「この子はただの女の子なんです!」と必死に弁明し、お母さんが自分を抱きしめてくれたけれど、遊園地のゲートは無慈悲に閉ざされた。

 

『君のような……その、特別な子は、ここの機械には耐えられないんだ。ごめんね』

 

 その時の係員の、困り果てたような、拒絶するような顔。

 

 以来、ホシノにとって遊園地は「自分のような怪物は決して入ってはいけない、遠い異界の場所」になっていた。

 

 自分の質量は、人を幸せにする場所を壊してしまう。そのトラウマが、100トンの少女の心を縛り付けていた。

 

「ホシノちゃん」

 

 不意に、背後から柔らかな声がした。

 

 

 振り返ると、そこにはアツコを抱っこしたままのユメが、すべてを見透かしたような優しい目で立っていた。

 

 

「……ユメ先輩」

 

「大丈夫だよ。ここはアビドス。ホシノちゃんがホシノちゃんのままで、心から笑えるように作った場所なんだから」

 

 ユメは空いている片手を伸ばし、ホシノのピンク色の髪を優しく撫でた。

 

「黒服さんも言ってたよ。このレールは、ホシノちゃんの100トンの重さを『最高の加速』に変えるために作ったって。ホシノちゃんが乗ることで、この列車は初めて完成するんだよ」

 

 ホシノは、ユメの暖かい掌の感触を噛み締めた。

 

 周囲を見れば、シロコたち生徒会メンバーとアリウス生徒会の仲間たちが、笑顔で自分に手を振っている。

 

「……うへへ。そうだね。おじさん、せっかくの招待を無下にするわけにはいかないしね」

 

 ホシノは震えを止め、力強く一歩を踏み出した。

 

 特注の防振アスファルトがドッシリと彼女を受け止める。

 

 搭乗口へと向かう彼女の背中は、もはや「怪物」のそれではなく、憧れの場所へと手を伸ばす一人の少女のものだった。

 

 

 

 ジェットコースターの最前列。

 

 ホシノが座席に深く腰を下ろした瞬間、普通のアトラクションなら車体が粉砕されているはずの荷重がかかった。

 

 だが、黒服が心血を注いだ超耐荷重フレームと、リニア電磁浮上式のクッションは、100トンの質量を「ズシィン!」と心地よい重みとして受け止めた。

 

「安全バー、ロック。……ん。ホシノ先輩、いってらっしゃい。地上から、全フレームを記録する」

 

 ホームの外で見守るシロコが、真剣な顔でカメラを構える。

 

「うへ〜、おじさん、1人だと心臓が口から出ちゃいそうだよぉ」

 

『――カウントダウン、開始。3、2、1……イグニッション!!』

 

 

 ドゴォォォォォォォォォン!!!!!!

 

 

 凄まじい爆発音と共に、列車が射出された。

 

 通常のコースターとは比較にならない初期加速。100トンの質量が巨大な慣性エネルギーとなり、列車を弾丸のごとき速度へと押し上げる。

 

「ひ、ひゃあああああああああああああああああ!!!!!!」

 

 ホシノの絶叫が、アビドスの空に響き渡った。

 

 視界が猛烈なスピードで後ろへ流れていく。風が頬を強く叩き、凄まじい重力加速度が全身を座席に押し付ける。

 けれど、車体はびくともしない。レールが彼女の重みでひしゃげることも、火花を吹いて脱線することもない。

 

 ただ、純粋な「速さ」と「スリル」だけが、彼女の全身を駆け抜けていく。

 

「すごい……! すごいよ! おじさん、本当に走ってる! 地面を壊さずに、本当にお空を飛んでるみたいだぁ!!」

 

 ホシノは目を輝かせ、子供のように笑い声を上げた。

 

 宙返りの遠心力で身体が浮き、急降下で胃がせり上がる感覚。

 

 あの日、入り口で諦めるしかなかった「キラキラした世界」の真ん中に、自分は今、確かにたった一人で、誇らしく存在していた。

 

 

 

 

  「うへへ〜! おじさん、もう一回! ジェットコースター、もう一回乗ってくるよぉ!」

 

 降車ホームに滑り込んできた車両から、ホシノが弾むような足取りで飛び出してきた。

 その顔には、普段の「だらけきったおじさん」の面影はなく、新しいおもちゃを与えられた子供のような純粋な歓喜が溢れている。

 

「ホシノ先輩……これで12回目。……ん。私も、もう我慢できない。……次は全フレームを重力加速度と共に体感する」

 

 シロコがカメラを置き、ストイックな顔つきで列に並び直す。その瞳には、かつて銀行強盗の作戦を練っていた時以上の情熱が灯っていた。

 

「……ああ。この『ヘブンズ・ホシノ・エクスプレス』の衝撃、アリウスの訓練を凌駕している。……だが、悪くない。私ももう一度、あの空へ向かう加速に身を投じたい」

 

 サオリが制服の襟を正し、静かな、しかし確かな興奮を込めてシロコに続いた。

 

「ほわぁ〜☆ 皆さん凄まじい気合ですね! おじさんの魅力は底なしです〜、私もご一緒しますねぇ!」

 

 ノノミが軽やかにスカートを翻して並べば、その横ではスバルが計算機をポケットにねじ込んでいた。

 

「……非論理的な連続搭乗ですが、今の私はアリウスの副会長代理ではなく、ただの一人の『乗客』です。この極限環境、徹底的に楽しませてもらいますよ!」

 

「ちょっと、置いてかないでよ! 私だってまだ乗り足りないんだから! アンタも行くわよ、ミサキ!」

 

 セリカがミサキの腕を強引に引く。

 

「……。……別に、どうでもいいけど。……でも、あのアトラクション、心拍数が上がる感覚だけは、嫌いじゃない。……また、付き合ってあげる」

 

 ミサキがボソリと呟きながらも、足取りは軽くセリカに従う。

 

「皆さん、本当に元気ですね……! わかりました、私も書記としての記録を一時中断して、全力で遊びます! 行きましょう、ヒヨリさん!」

 

「ふぇぇ、アヤネさん……! 私みたいな不幸な子を誘ってくれるなんて、アビドスは天国ですかぁ……! ぜひご一緒させてくださいぃぃ!」

 

 ヒヨリは感激のあまり涙を流しながら、アヤネの手をぎゅっと握りしめる。

 アヤネも眼鏡をぐいと押し上げ、慣れない足取りながらもヒヨリをリードするように力強く駆け出した。

 

 

 

 そんな賑やかな喧騒を少し離れた、ベンチの並ぶ広場。

 

 ベンチに腰掛けた小鳥遊太陽とツキノの二人は、夕日に照らされたアトラクションのシルエットと、そこから聞こえてくるホシノの突き抜けるような笑い声を、静かに見守っていた。

 

「……母さん。見てごらん、ホシノが……あんなに笑っているよ」

 

 太陽が丸眼鏡を外し、目尻に溜まった涙をそっと指先で拭った。

 

「そうですね、お父さん。……あんなに楽しそうに、仲間たちと一緒に走り回って……。普通の子と同じように、いえ、世界で一番幸せな女の子として、今を過ごしているわ」

 

 ツキノもまた、潤んだ瞳で頷き、夫の肩にそっと頭を預けた。

 

 娘が生まれたあの日。病院の床を突き抜け、周囲から怪物として恐れられ、遊園地の門前で拒絶されたあの日の記憶。

 親として、娘に「普通の幸せ」を味わせてやれないもどかしさと、孤独に耐えるホシノの背中を見てきた17年間。

 

 けれど、彼らは決して諦めなかった。娘の「質量」を呪うのではなく、それを受け止めるために自分たちの肉体を鍛え、愛を注ぎ続け、今日という日を信じてきた。

 

「……諦めないでよかった。本当に、諦めないでよかったね……」

 

 太陽が震える声でそう呟くと、ツキノは優しく微笑んで彼の大きな手を握りしめた。

 

「ええ。ホシノが自分の『重み』を、こんなに素敵な笑顔に変えられる日が来るなんて。……私たち、最高の親孝行をしてもらっちゃったわね」

 

 夕闇がアビドスを包み込み、ホシノーランドのネオンが輝き始める中、二人の目には、空を駆ける光の軌跡と、その中で最も眩しく輝く「娘の夢」が、何よりも美しく映っていた。

 

 

 

 その光景を、少し離れた街灯の影から見つめる影があった。

 

 ホシノぬいの頭部を脇に抱え、素顔を晒した黒服である。彼は手元の端末に記録される膨大な数値を眺めることも忘れ、ただ茜色の空を駆ける光の軌跡を、無機質な瞳で追っていた。

 

「……クク、不合理極まりない。当初、貴女は私にとって、解析すべき物理法則の特異点……ただの興味深い『研究対象』に過ぎませんでした、小鳥遊ホシノ様」

 

 黒服は独り言のように呟き、自嘲気味に口角を上げた。

 

 

 いつからだろうか。

 

 

 彼女の毛髪一本に1億クレジットを投じ、その細胞密度を崇拝していたはずの情熱が、もっと別の、名付けようのない「情」へと変質してしまったのは。

 

 今、彼の胸に去来するのは、観測者としての悦びではない。一人の少女が夢を叶えたことに対する、友人としての静かな祝福だった。

 

「どうやら、我々ゲマトリアが一生をかけて追い求めてきた『神秘』の正体とは……。案外、この目の前の光景、彼女たちが紡ぐ『青春の記録(ブルーアーカイブ)』そのものだったのかもしれませんね。……親愛なる友よ」

 

 黒服は再びホシノぬいの頭部を被り、沈みゆく太陽に向かって、ぎこちなく、しかし誇らしげなダンスを踊り始めた。

 

 

 

 地上で見上げるユメは、空を駆け抜ける虹色の光の尾を見つめながら、そっと目を細めた。

 

「よかったね、ホシノちゃん……」

 

 ユメの脳裏には、数年前の、アビドスに入学してきたばかりのホシノの姿が浮かんでいた。

 

 

 周囲に馴染めず、自分の体を「呪い」のように思って、いつも隅っこで丸まっていたあの頃。

 

 

 ユメは知っていた。ホシノが強がって「おじさん」と自称する裏側に、どれだけ深い孤独と、同世代の子たちと同じように遊びたいという切実な願いを隠していたかを。

 

 だからこそ、この場所を作りたかった。

 

 黒服に「彼女の質量を否定するのではなく、それを前提にした世界を作って」と無理難題を突きつけ、私財と情熱をすべて投げ打って完成させた、このホシノーランド。

 

 今、空の上で聞こえるホシノの心からの笑い声は、ユメにとってどんな宝石よりも価値のある報酬だった。

 

「……ふふ。お姉ちゃん、頑張ってよかった」

 

 ユメの背中で、アツコが小さく「お姉ちゃん、かっこいい」と囁き、ユメの首にぎゅっと抱きついた。

 

 

 

 

 

 夕暮れ時。

 茜色に染まるアビドス砂漠。

 

 出口ゲート(ホシノの開いた口)から出てきた一行は、心地よい疲労感に包まれていた。

 

「うへへ〜……楽しかったぁ。おじさん、もう一生分の遊びをした気分だよぉ」

 

 ホシノは満足げに、ユメから買ってもらった巨大なホシノぬいぐるみを小脇に抱え(その腕力でぬいぐるみが少し圧縮されているが)、夕日を見上げて微笑んだ。

 

 かつての彼女にとって、体重計の数字は孤独の証明だった。

 

 けれど今、この場所で、彼女はその重みを「楽しさ」というエネルギーに変えることができた。

 

 そこにあるのは、100トンの質量を持つと恐れられた怪物ではない。

 

 家族に愛され、仲間に囲まれ、そしてようやく自分自身の「重み」を肯定することができた、一人の少女の姿だった。

 

「ユメ先輩、ありがとう。おじさん、この日のこと、一生忘れないよ」

 

 ホシノがユメに向かって、とびきりの笑顔を見せる。

 

「どういたしまして、ホシノちゃん! 明日からも、また元気におじさんしようね!」

 

 賑やかな笑い声が、アビドスの静かな夜へと溶けていく。

 

 ホシノーランドのネオンが遠くで輝き、砂漠の地平線を優しく彩っていた。

 おじさんの遊園地。それは、世界で一番重くて、世界で一番暖かい、少女の夢を乗せた場所。

 

 アビドスの日常は、これからも一歩ごとに大地を震わせながら、けれど最高に軽やかな未来へと続いていくのである。

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