『異世界で屋台を始めたら魔王・皇帝・竜皇が常連になりました』   作:綾鷹大好きクラブ

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第2話「若様、ハイハイする」

隠里(かくりざと)の朝は静かだった。

山々に囲まれたこの村は、人間の世界から完全に隔絶されている。

外界と繋がる道はあるにはあるが、それを知る者はほとんどいない。

深い森、急峻な岩山、濃い霧。そして妖怪たちの結界。それらすべてが外界からこの場所を守っていた。

朝霧がゆっくりと村の上を流れていく。木々の葉から落ちた露が、ぽたりぽたりと地面を濡らす。

そんな静かな朝に、妙に賑やかな場所が一つだけあった。

産女の家である。

 

「まだ起きねぇのか?」

縁側に座りながら鬼の一人が言った。腕は丸太のように太く、赤い肌にはいくつもの古い傷が刻まれている。

鬼としてはまだ若い方だが、それでも人間の戦士なら十人がかりでも敵わないだろう。

その隣で胡坐をかいている河童が呆れたように言葉を返す。

「赤ん坊だぞ、寝てる時間の方が長いに決まってるだろ」

「ふん。なんでぃ、つまんねぇな」

「何しに来てるんだよお前は」

 

 

「そんなの決まってるだろうが」

河童に呆れられた鬼は縁側の奥を指差した。

そこには産女が座っている。

そしてその腕の中には、小さな赤ん坊がいた。

人間の子だ。

 

それがこの隠里に現れたのは、ほんの数日前のことだった。

山の外れに捨てられていたその子を、産女が見つけたのだ。

人間の子が妖怪の村に来るなど普通ならあり得ない。

 

しかしこの赤ん坊は普通ではなかった。

玉藻前の調査により、赤ん坊の体から神性の気配が感じられることが判明していたのだ。

神の血を引く者か。

あるいは神そのものの子か。

結論はまだ出ていない。

 

だが一つだけ確かなことがある。

この赤ん坊は――

 

普通ではない。

 

だからこそ、妖怪たちはこうして集まっていた。

興味半分。

警戒半分。

そして少しだけの敬意。

 

「しかしなぁ、呼びにくいんだよな」

鬼が頭を掻きながらボソッと呟く。

「何がだ?」

河童が首を傾げる。

鬼は赤ん坊を指差した。

「名前だよ。名無しじゃ不便だろ?」

河童は「おっ!確かに」と右手で拳を握り、それで左手を叩きながら頷いた。

「おい、とかそこの赤ん坊、とかそれじゃ締まらねぇじゃねえか」

「まあな、言わんとしてることは分からんでもない」

 

そんなやり取りをしていた時、静かな足音が近づいてきた。

妖怪たちの視線が一斉にそちらへ向く。

現れたのは一人の女だった。

長い金色の髪。

妖艶な美貌。

そして背後にゆらめく九本の尾。

 

玉藻前。

隠里に住む妖怪の中でも、特に格の高い存在である。

鬼たちは自然と背筋を伸ばした。

 

「全く、朝から騒がしいわね」

玉藻前は呆れた表情で妖怪たちを見遣る。

毛並みが若干荒れていた為、寝不足気味なのかと窺える。

 

そんな玉藻前に鬼が問いかけた。

「ちょうどいいところに来た玉藻の姐さん!こいつ名前、どうする?」

「それを考えていたんじゃないか。お陰で私は寝不足だよ」

「お、おう。お疲れさまと言った方がいいのか?」

「お前が気を遣える鬼なら毎回言ってほしいねぇ」

玉藻前は縁側に腰を下ろしながら皮肉を込めて返した。鬼もタジタジだ。

 

そして赤ん坊を見つめる。

赤ん坊はすやすや眠っている。

小さな手が時々ぴくりと動く。

玉藻前はその額に指を近づけた。

触れる。

その瞬間。

 

かすかな神気が揺れた。

「・・・」

 

やはり不思議な子だ。

玉藻前はしばらく考えた。

そして静かに言った。

 

「ダイチ」

鬼が聞き返す。

「ダイチ?」

玉藻前は頷いた。

「人の子には人の名が必要でしょう」

そして赤ん坊を見つめながら続ける。

「大地のように広く、強く、多くのものを受け入れる者」

 

「それが、ダイチってか」

河童がその名を口の中で転がす。

「ダイチか」

「悪くねぇ」

「確かに」

鬼達も頷く。

 

そのとき。

影が落ちた。

巨大な翼がゆっくりと広がる。

現れたのは――

 

大天狗。

隠里の長である。

 

村の妖怪たちが一斉に姿勢を正す。

大天狗は赤ん坊を見下ろした。

しばらく沈黙。

やがてゆっくり頷いた。

「よかろう」

低い声が響く。

「その子の名はダイチとする」

 

産女の顔がぱっと明るくなる。

「ダイチ・・・」

赤ん坊はその瞬間、小さくあくびをした。

それを見て妖怪たちが笑う。

こうして。

妖怪の村、隠里で。

一人の人間の赤ん坊は。

ダイチ

という名を得たのである。

 

名前が決まったことで、妖怪たちは少し安心した。

しかし今度は別の問題が生まれた。

 

鬼の一人がダイチを覗き込みながら言う。

「なあこいつ神の子なんだろ?」

 

河童が肩をすくめた。

「まだ分からねぇだろ」

「でも神の気配はあるんだろ?」

食い下がる鬼に河童が返す。

「まあな」

 

その時、別の鬼が笑った。

「ならよ、こいつは若様だな」

「は?若様?何故?」

河童が驚きながらも真意を伺う。

 

「何故も何も、神の子かもしれねぇんだろ?だったら偉い訳だ。若様じゃねえか」

真面目な表情で答えた鬼に対して別の鬼達が面白がる。

「若!」

「おーい若様!」

赤ん坊に向かって手を振る。

「ちょっと!赤ん坊だよ!」

これまでのやり取りをただの悪ノリだと流してた産女が急に真面目な流れになった事で慌てて止めに入る。

「分かってるって」

産女の慌てっぷりに鬼は笑う。

「若様か・・・若殿でもよいよな?」

天狗も腕を組みながら提案する。

「お前ら好き勝手言うな」

悪ノリが過ぎたと河童も止めに入る。が、その口元は笑っていた。

 

赤ん坊は小さく手を動かす。

それを見て座敷童子が駆け寄った。

「かわいい!」

「若様かわいい!」

 

産女がため息をつく。

「もう・・・」

玉藻前が静かに言った。

「まあ、悪い呼び方ではないわね」

鬼は言質取ったりと得意げだ。

雪女も頷く。

「神性があるのは事実ですし、敬意を込める意味では間違いではありませんからね」

 

そうして。

妖怪たちは自然と呼ぶようになった。

「若」

「若様」

「若殿」

もちろん全員ではない。

産女や玉藻前は普通に呼ぶ。

「ダイチ」

 

だが村のあちこちで聞こえる声は変わっていく。

「若様寝てるぞ」

「若が笑った」

「若様元気だな」

 

こうして隠里には。

奇妙な呼び名が生まれた。

 

冗談半分。

敬意半分。

それでも確かに、妖怪達はこの赤ん坊ダイチを特別な存在として受け入れ始めていた。

 

数日後

玉藻前はしばらく黙ってダイチを見つめていた。

普通の赤子ならば、ここまで神気を感じることはない。

ましてや人間の子だ。神の血を引く存在であればまだ理解できる。

しかしこの子の力はそれとは少し違う。

玉藻前はさらに深く霊視を行った。

 

神気の流れ。

魂の形。

精神の波。

 

それらを一つずつ丁寧に確認していく。

すると、奇妙なことに気付いた。

 

神気の流れが――

 

 

思考に反応している。

 

(なるほど)

玉藻前の口元に小さな笑みが浮かぶ。

普通、神の力とは生まれ持ったものだ。

血統、神格、あるいは契約。そういったものが源となる。

しかしダイチの力は違う。

この子は――

 

 

思考そのものが力になっている。

 

「・・・面白いわね」

玉藻前は小さく呟いた。

産女が首を傾げる。

「何が?」

玉藻前は赤子を見ながら返す。

「この子の力はね、神の血じゃない。けれど・・・」

そこで少し言葉を区切る。

 

「神の力に限りなく近い」

 

産女は不安そうな顔をした。

「それって・・・危なくない?」

玉藻前は肩をすくめる。

「危険かどうかはこの子次第ね」

 

そして小さく笑った。

「でも」

ダイチの頬を指でつつく。

「この子はまだ赤ん坊よ。世界を壊すほどのことは考えないでしょう」

だが玉藻前の瞳には、どこか楽しげな光が宿っていた。

(もし成長したら)

(どんな存在になるのかしらね)

 

玉藻前ほどの大妖怪ですら、少しだけ未来が楽しみになるほど――

 

ダイチの力は、未知だった。

 

それからさらに数か月。

ダイチは順調に成長していた。

首が座り。

寝返りを覚え。

そしてついに。

ハイハイが出来るようになった。

 

産女の家の昼下がり。

産女は縁側で洗濯物を干していた。

 

そんな時だった。

「・・・?」

小さな音がした。

振り向く。

 

布団の上にいたはずのダイチがいない。

代わりに。

 

畳の上を。

 

よいしょ。

よいしょ。

 

小さな赤ん坊が移動していた。

 

「ダイチ!?」

産女が慌てて近づく。

 

しかしダイチは楽しそうに進んでいく。

縁側へ。

庭へ。

 

そこへ河童がやってきた。

「お?」

「若が移動してる」

 

鬼も来る。

「おーほんとだ」

 

ダイチは鬼の足の間をくぐる。

鬼が笑う。

「おいおい速ぇな」

 

座敷童子が喜ぶ。

「若様すごい!」

 

しかしダイチは止まらない。

庭を進み。

村の端へ。

そこは少し高い崖になっていた。

鬼がダイチに話しかける。

「おいおい、若!そこは危ないぞ」

 

鬼の声と同時にダイチが崖の下を見た。

 

そして思った。

(高い)

 

その瞬間だった。

 

体が。

ふわっ

浮いた。

 

一同沈黙。

 

 

 

1番先に我に返った鬼が叫ぶ。

 

「若が飛んだーー!!」

 

村のあちこちから妖怪たちが飛び出してきた。

「どうした!?」

「何があった!?」

 

天狗が空から降りてくる。

「何事だ!」

鬼が指を指す。

「若!」

 

天狗が鬼の言う方向を見る。

空中。

そこには確かにダイチが浮いていた。

ふわふわと。

まるで羽でも生えているかのように。

 

河童が口を開けたまま固まる。

「浮いてる・・・」

 

座敷童子は目を輝かせる。

「すごーい!」

 

しかし産女は真っ青だった。

「だ、ダイチ!」

落ちたら大変だ。

崖はそれほど高くないが、赤ん坊には十分危険である。

 

その瞬間。

 

 

ふわり。

ダイチの体が少し揺れた。

どうやら本人も状況を理解していないらしい。

「ばぶ?」

鬼が慌てる。

「おい誰か捕まえろ!」

 

天狗が飛び上がる。

しかしその前に玉藻前が現れた。

妖術でダイチを包み込む。

ゆっくりと地面へ降ろす。

 

産女が駆け寄り、抱き上げた。

「もう・・・びっくりしたじゃない」

 

ダイチは何事もなかったかのように笑っている。

鬼が頭を抱える。

「若様やべぇ」

 

河童が頷く。

「これはやべぇ」

 

天狗が真顔で言った。

「将来が怖いな」

 

玉藻前はくすりと笑った。

「言霊よ。この子は思ったことを現実にしてしまう」

「じゃあ今飛びたいと思ったってことか?」

 

鬼の問いに玉藻前は肩をすくめた。

「多分ね」

 

妖怪達は顔を見合わせる。

そして同時に思った。

若様、将来とんでもないことになる。

 

しかし。

本当の事件は数日後に起きた。

その日もダイチはハイハイしていた。

縁側。

庭。

河童が見つける。

「若がまた出たぞー」

鬼が笑う。

「また散歩か」

 

しかし。

次の瞬間。

ダイチが加速した。

よいしょ。

ではない。

 

 

だだだだだっ!

 

河童が目を丸くする。

「速っ!?」

鬼が手を伸ばす。

しかし。

するりと躱して

逃げた。

 

「おい待て!」

鬼が追う。

ダイチは庭を横断。

村の通りを横断。

さらに加速。

 

河童が叫ぶ。

「若様が逃げたーー!!」

 

天狗が飛び上がる。

「追う!」

 

しかし。

その瞬間。

ダイチが角を曲がった。

 

鬼が追いつく。

だが。

「・・・いねぇ!?」

 

遅れて河童が鬼に追いつき鬼が見ている方向を見る。

「嘘だろ!消えただとっ!?」

 

村が静まり返る。

鬼が言う。

「・・・これやばくねえか?」

河童が青ざめる。

「若様行方不明!?」

 

その瞬間。

隠里は。

大騒動になった。

鬼たちが叫ぶ。

「若ーー!!」

 

天狗が空を飛ぶ。

「森を探せ!」

 

河童が川を見る。

雪女が森を探す。

大天狗まで出動した。

しかし見つからない。

森。

川。

山。

すべて探す。

それでもいない。

 

鬼が本格的に焦り始める。

「本当にやばいぞ」

 

その時、ふと思い出したかのように玉藻が産女に問いかけた。

「・・・産女、お前の家の中は?」

 

全員。

ピシッと岩石の如く止まる。

『も、もしかして・・・』

全員の思考が一致した。

 

そして。

産女の家を覗く。

縁側。

布団。

その上で。

ダイチが。

ぐっすり寝ていた。

 

全員沈黙。

 

 

鬼が肩を落とす。

「・・・疲れた」

 

河童も座り込む。

「若様自由すぎる・・・」

 

大天狗がため息をつく。

「見張りを付けろ。ヒヤヒヤしたぞ全く」

 

その日。

隠里に新しいルールが出来た。

【若様から目を離すな。】

 

その夜。

隠里の外れの森は静まり返っていた。

昼間は妖怪たちの気配で賑やかなこの山も、夜になると空気が変わる。

風が木々の葉を揺らし、月明かりが森の隙間から地面へ細く落ちている。

そんな闇の中を一匹の猫が歩いていた。

黒の毛並みで小柄な体。

しかしその歩き方は、普通の猫とは少し違っていた。

 

静かで。

迷いがなく。

そして何より――

 

その瞳には強い知性が宿っていた。

 

猫は森の奥から真っ直ぐ山を登っていく。

やがて足を止めた。

目の前には、何もない空間。

だが普通の生き物なら、ここで足が止まる。

この場所には妖怪の結界が張られているからだ。

人間はもちろん、普通の獣すら近づくことが出来ない。

 

だが。猫は迷わなかった。

一歩。

また一歩。

そのまま結界の中へ足を踏み入れる。

波紋のように空気が揺れたが、猫の体は何事もなかったようにそのまま通り抜けた。

 

隠里の中。

妖怪の村である。

夜の村は静かだった。

家々からは灯りが消え、妖怪たちもほとんど眠っている。

 

猫はゆっくりと村の中を歩いた。

左右を見ながら。

匂いを確かめながら。

しかし進む方向は最初から決まっているようだった。

まるで何かに導かれるように。

 

猫は一軒の家の前で立ち止まった。

産女の家。

昼間、多くの妖怪が出入りしていた家である。

 

猫は静かに縁側へ跳び乗った。

音はほとんどしない。

窓の向こうを覗く。

そこには小さな布団が敷かれていた。

 

そして。

 

その上で。

一人の赤子が眠っている。

ダイチである。

 

猫の瞳が細くなる。

しばらくの間、じっとその寝顔を見つめていた。

月明かりが赤子の顔を照らしている。

無防備な寝顔。

小さな手が、時々ぴくりと動く。

猫はゆっくりと腰を下ろした。

そして小さく呟く。

「・・・やっと見つけた」

 

その声は普通の猫のものではなかった。

若い女の声。

落ち着いた、どこか静かな声だった。

 

猫はじっとダイチを見つめる。

その瞳の奥に、かすかな記憶が揺れていた。

 

冷たい水。

激しい流れ。

小さな体が流されていく。

苦しい。

息が出来ない。

もうダメだと思ったその瞬間――

誰かが飛び込んできた。

腕に抱き上げられる。

必死に岸へ泳ぐ。

温かい手。

そして。

「・・・大丈夫か」

優しい声。

だが記憶はそこで途切れる。

 

猫はゆっくり目を閉じた。

思い出せるのは断片だけ。

それでも。

一つだけ確かなことがある。

この赤子は。

自分の命を救った人間だ。

猫は静かに尻尾を揺らした。

そして小さく笑う。

「まさかこんな形で再会するなんて」

 

赤子は相変わらず眠っている。

何も知らないまま。

猫は窓辺に体を丸めた。

月の光がその毛並みを照らす。

その姿はどこから見ても普通の猫だった。

 

だが。

その体の奥には長い年月を生きた妖怪の力が宿っている。

 

猫魈(びょうしょう)

猫が妖怪へと変じた存在。

知恵と霊力を持つ妖怪である。

 

猫魈は眠るダイチを見守りながら、小さく呟いた。

「今度は」

少しだけ声が柔らかくなる。

「私が守る番」

 

夜風が静かに吹いた。

村はまだ眠っている。

 

誰も気づかない。

この夜。

隠里に。

もう一人。

ダイチを守る存在が現れたことを。

 

猫魈は目を閉じない。

じっと赤子を見守り続ける。

その姿はまるで――

 

幼い主を守る、忠実な家臣のようだった。

 

やがて月が雲に隠れる。

森はさらに静かになる。

 

しかし猫魈の瞳だけは、ずっとダイチを見つめ続けていた。

それがこの物語における、最初の従者の誕生の瞬間だった。

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