『異世界で屋台を始めたら魔王・皇帝・竜皇が常連になりました』   作:綾鷹大好きクラブ

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少し書き方を変えてみました。


第3話「若様、消えると増えます」

 妖怪の朝は早い。

 山深い谷の奥。

 人の世から隔絶された妖怪の村──隠里。

 まだ朝日が山の向こうから顔を出しきらないうちに、村はすでに動き始めていた。

 空では翼を広げた影がいくつも旋回している。

 見張りをしている天狗達だ。

 谷を囲む山々の稜線をなぞるように飛び回り、外界の気配を確かめている。

 その動きは慣れたもので、朝の巡回はもはや日課だった。

 一方、地上では鬼達が朝から騒がしい。

「おらぁ!」

 ドゴン、と地面を踏み鳴らす音が響く。

 酒呑童子に連れられた赤鬼と青鬼が、村外れの空き地で力比べをしているのだ。

 大木を引き抜き、丸太のように振り回す。

 普通の人間なら近づくだけで命の危険がある光景だが、この村ではいつもの朝の風景である。

 その少し離れた場所では河童達が川で漁をしていた。

 冷たい山の水をものともせず潜り、素早く魚を捕まえては岸へ放り投げていく。

 朝のうちに獲っておけば、その日の食事には困らない。

「今日は当たりだな!」

「若様に見せる魚を選ばないと!」

 そんな声が川辺に響く。

 さらに森の奥では、妖狐達が火を扱う練習をしていた。

 小さな狐火がふわりと浮かび、朝の霧の中で青白く揺れる。

 それを見守っているのは、白衣の女性だった。

 長い髪。

 背後に揺れる九本の尾。

 玉藻前である。

 もっとも、本人はそれを特別なこととは思っていない。

 隠里では妖術や魔術の修練もまた日常の一部なのだ。

 その頃。

 村の中心にある一軒の家の縁側では、別の意味で穏やかな時間が流れていた。

 産女の家である。

 縁側には柔らかな布団が敷かれており、その上にちょこんと座っている小さな影があった。

 ダイチ。

 人の村から捨てられ、妖怪達に拾われた子供。

 今では村の妖怪達から

 若。

 若様。

 そう呼ばれている存在だ。

 だが当の本人は、そんな呼び名など全く気にしていない。

 ただぼんやりと空を見上げているだけだった。

 ゆっくりと流れる雲。

 山の上を漂いながら、形を変えていく。

 それを見つめながら、ダイチは小さく声を出した。

「ぅも」

 その隣で、黒い猫が尻尾をゆらりと揺らす。

 猫の妖怪──猫魈。

 名前は、みゃー。

 これもまた、ダイチが最初に発した言葉がそのまま名前になったという、実にゆるい経緯の命名だった。

 みゃーは縁側に寝そべりながら、空を指差すダイチを見上げる。

「雲か」

 ダイチは嬉しそうに頷いた。

「あぃ」

 そして再び空を見る。

 雲がゆっくり形を変える。

「ぅー」

 どうやらそれだけで楽しいらしい。

 村では朝から鬼が大木を振り回し、天狗が空を巡回し、河童が魚を捕まえているというのに。

 その中心で。

 この赤ん坊だけは、ただ雲を眺めている。

 そんな超マイペースな時間が流れていた。

 まだ誰も知らない。

 このあと、村中を巻き込むとんでもない騒動が起こることを。

 

 縁側で雲を眺めるダイチの時間は、相変わらずのんびりと流れていた。

 空の雲はゆっくり形を変えていく。

 丸い雲が細長くなり、やがてちぎれ、また別の形になる。

 それを見ているだけでダイチは楽しそうだった。

「ぅも」

 隣で寝そべっていたみゃーが、尻尾をゆっくりと揺らす。

「毎日見てるのに飽きないな」

 ダイチは返事の代わりに空を指差した。

「あぃ」

 その時だった。

 川の方から水しぶきの音が聞こえた。

 次の瞬間、勢いよく縁側へ駆けてきた影がある。

 河童だった。

 両手に魚をぶら下げ、得意げな顔をしている。

「若様ぁー!」

 ダイチの前に魚を掲げる。

「見てください! 今日は大漁ですよ!」

 銀色の魚が朝日にきらりと光る。

 だがダイチの反応は薄かった。

 ちらりと魚を見る。

 しかしすぐに空へ視線を戻す。

「ぅも」

 河童が固まる。

「ぅも?」

 何を言っているのか分からず、ダイチの視線を追う。

 空。

 雲。

「あぁ、雲ですかい」

 河童は苦笑した。

「若様、魚より雲の方が好きなんですか?」

 みゃーが短く答える。

「いつものこと」

 河童は頭をかいた。

「若様、ほんとマイペースだなぁ」

 その時だった。

 ドスン。

 ドスン。

 重たい足音が近づいてくる。

 振り向くと、巨大な鬼が歩いてきていた。

 酒呑童子である。

 後ろには赤鬼と青鬼の姿もある。

「ダイチ!」

 豪快な声が響く。

 酒呑童子は腕を広げた。

「遊ぶか!」

 そして力強く宣言する。

「鬼ごっこだ!」

 しかし当のダイチは葉っぱを拾っていた。

 ひらりと落とす。

 落ちる様子を見る。

 また拾う。

 また落とす。

「ぅー」

 どうやら葉っぱの方が面白いらしい。

 酒呑童子は腕を組んだ。

「・・・無視された」

 河童が苦笑する。

「若様、そういうところあります」

 酒呑童子は空を見上げた。

「俺の声より葉っぱが面白いのか」

 その時。

 屋根の上から声が降ってきた。

「当たり前だろ」

 白衣の女性が屋根の上に立っていた。

 長い髪。

 背後に揺れる九本の尾。

 玉藻前だった。

 ふわりと屋根から降りてくる。

 縁側に着地し、ダイチの頭を軽く撫でた。

「この子は普通の人間じゃない」

 酒呑童子が鼻を鳴らす。

「分かってる」

 玉藻前はダイチを見ながら続けた。

「神の力を持ってる子だからな」

 河童が感心したように頷く。

「だから若様なんですね」

 玉藻前は肩をすくめる。

「まあな」

 それから少し空を見上げた。

「とはいえ」

 ダイチを見下ろす。

「本人はそんなこと全く気にしてないみたいだけどな」

 その通りだった。

 ダイチは今も空を見ている。

 雲。

 雲。

 雲。

 それを見ながら、再び指を伸ばした。

「あち」

 その瞬間だった。

 空気が歪んだ。

 ぐにゃり。

 まるで水面が揺れるように、空間が波打った。

 みゃーの耳がぴくりと動く。

「・・・?」

 次の瞬間。

 ダイチの姿が消えた。

 縁側に残るのは布団だけ。

 一瞬、誰も動かなかった。

 沈黙。

 そして。

 みゃーが呟く。

「・・・ダイチ?」

 返事はない。

 次の瞬間。

 猫魈の叫びが隠里に響いた。

「ダイチが消えた!!」

 

 みゃーの叫びは、静かな隠里を一瞬で引っくり返した。

「ダイチが消えた!!」

 その声は谷に反響し、村中へ広がっていく。

 最初に動いたのは天狗だった。

 空を巡回していた数人の天狗が、一斉に羽ばたく。

「若様が消えた!?」

「空から探すぞ!」

 翼を広げ、村の上空を旋回し始める。

 同時に地上でも騒ぎが広がっていった。

 酒呑童子が地面を蹴る。

「ダイチぃ!」

 巨体が一瞬で縁側から飛び出した。

 赤鬼と青鬼も続く。

「若様ぁ!」

「森を探すぞ!」

 巨体の鬼達が森へ駆け込んでいく。

 河童は迷わず川へ飛び込んだ。

 大きな水音が響く。

「川も調べます!」

 水中を高速で泳ぎ回り、川底まで探し始める。

 わずか数秒で、隠里は完全な捜索体制に入っていた。

 その時だった。

 屋根の上から声が上がる。

「若様だ!」

 全員が振り向く。

 産女の家の屋根。

 そこにダイチがいた。

「ぁぃ」

 小さく手を振っている。

 河童が叫ぶ。

「いたぁ!」

 しかし次の瞬間。

「こっちにも若様!」

 今度は畑の方から声が上がる。

 振り向く。

 そこにもダイチが立っていた。

「ぅー」

 さらに。

「森にもいる!」

 天狗の声。

 空から指差している。

 森の入り口。

 そこにもダイチがいた。

「ぁぃ」

 妖怪達は混乱した。

「どういうことだ?」

 酒呑童子が屋根を見る。

 ダイチ。

 畑を見る。

 ダイチ。

 森を見る。

 ダイチ。

 さらに。

 井戸の縁。

 塀の上。

 石の上。

 そこにもダイチ。

「ぁぃ」

「ぅー」

「みゃー」

 河童が絶叫した。

「増えてるぅぅ!!」

 赤鬼と青鬼も慌てふためく。

「どれが本物だ!?」

「全部若様に見える!」

 しかも。

 増えている。

 最初は三人だった。

 屋根。

 畑。

 森。

 しかし次の瞬間。

 五人。

 井戸。

 塀。

 石の上。

 さらに。

 八人。

 村のあちこちに現れる。

「ぁぃ」

「ぅー」

「ぅも」

 声も同じ。

 仕草も同じ。

 見分けがつかない。

 そして。

 さらに増える。

 十人。

 十五人。

 二十人。

 気が付けば村中にダイチがいた。

 屋根の上。

 木の枝。

 畑の真ん中。

 川岸。

 井戸の横。

 塀の上。

 石灯籠の上。

 ありとあらゆる場所にダイチが立っている。

「ぁぃ」

「ぅー」

「ぅも」

 河童は頭を抱えた。

「村が若様だらけだぁ!!」

 赤鬼が混乱する。

「どれが本物だ!?」

 青鬼も叫ぶ。

「全部本物に見える!」

 酒呑童子は額を押さえた。

「・・・頭が痛ぇ」

 さらに増える。

 三十人。

 四十人。

 ついには五十人近く。

 小さなダイチ達が村の至る所に現れていた。

 まるで村全体がダイチに侵略されたかのようだった。

 その光景を、みゃーは縁側から見ていた。

 尻尾をゆっくり揺らす。

 騒いでいるのは周りだけだ。

 ダイチ本人はどこかにいるはずだ。

 しかし。

 この数。

 河童が叫ぶ。

「若様が増え続けてる!!」

 天狗達も空から報告する。

「森にも増えた!」

「山側にもいる!」

 村中が完全にパニックになっていた。

 その時だった。

 遠くで狐火が揺れる。

 玉藻前が静かに呟いた。

「言霊だな」

 酒呑童子が振り向く。

「言霊?」

 玉藻前は村中を見渡した。

 増え続けるダイチ達。

「言葉に宿る力」

 そして肩をすくめる。

「それが無意識で暴走してる」

 河童が青ざめた。

「この数で!?」

 玉藻前は淡々と言う。

「神の力だからな」

 その言葉の通りだった。

 村の至る所にダイチがいた。

 そして。

 まだ増え続けていた。

 

 村中が混乱に包まれていた。

 至る所にダイチがいる。

 屋根。

 畑。

 木の枝。

 川岸。

 石の上。

 どこを見ても小さなダイチが立っている。

「ぁぃ」

「ぅー」

「ぅも」

 しかもまだ増えている。

 妖怪達は完全に混乱していた。

「若様が増え続けてる!」

「本物はどこだ!?」

 その時だった。

 上空から強い風が吹き下ろした。

 ドォン、と空気が震える。

 巨大な影が舞い降りた。

 大天狗だった。

 黒い翼を広げ、ゆっくりと地面へ降り立つ。

 その姿を見た瞬間、村の空気が変わった。

 ただ立っているだけなのに、周囲の妖怪達が一斉に静まる。

 小さな妖怪達の中には、震え始める者もいた。

「・・・騒がしいな」

 低く落ち着いた声だった。

 酒呑童子が腕を組む。

「ダイチが増えてる」

 大天狗は村を見渡した。

 あちこちにいるダイチ達。

 しばらく観察する。

 そして呟いた。

「言霊の暴走か」

 その隣に玉藻前が歩み寄る。

 九本の尾がゆらりと揺れる。

「しかも神性付きだな」

 玉藻前は肩を回した。

「少し本気を出すか」

 その瞬間。

 空気が変わった。

 ドン、と圧力が広がる。

 玉藻前の周囲に妖力が立ち上る。

 青白い妖気が炎のように揺らぐ。

 近くにいた小型の妖怪達が一斉に後ずさった。

「ひっ・・・」

 震える者。

 腰を抜かす者。

 中にはその場に座り込む者までいる。

 さらに。

 大天狗も静かに目を閉じた。

 次の瞬間。

 ブォン。

 空気が唸る。

 妖力。

 霊力。

 仙力。

 魔力。

 複数の力が同時に展開された。

 背後の翼が大きく広がる。

「仙術展開」

 地面に陣が浮かび上がる。

「霊術感知」

 周囲の空気が波紋のように広がる。

「妖術探査」

 さらに術式が重なる。

 玉藻前が笑った。

「相変わらず盛りすぎだな」

 大天狗は冷静だった。

「確実に見つけるためだ」

 その圧力は凄まじかった。

 近くにいた小妖怪が震える。

「ひぃ・・・」

 別の妖怪は顔が青ざめる。

 中には。

「ひっ!」

 ちびる者まで現れた。

 河童が小声で言う。

「こ、怖ぇ・・・」

 赤鬼と青鬼も思わず後ずさる。

「本気モードだ・・・」

 酒呑童子だけが腕を組んだままだった。

「派手にやってるな」

 玉藻前は軽く手を振る。

 九本の尾が一斉に広がった。

 狐火が何十も空中に浮かぶ。

「妖術展開」

 火が空へ散る。

「魔術探査」

 狐火が村中へ飛び散る。

 大天狗の術式と重なり、村全体を覆う巨大な探査網が出来上がった。

 妖怪達は息を飲む。

 隠里の二大賢者が、本気で捜索している。

 その圧力だけで空気が震えていた。

 そして。

 大天狗の目が細くなる。

「・・・妙だな」

 玉藻前も眉を上げた。

「見つからない?」

 村中に五十以上のダイチがいる。

 しかし。

 本体の気配がない。

 大天狗が呟いた。

「隠れているのか」

 玉藻前は腕を組む。

「いや・・・もっと単純だろうな」

 そして小さく笑った。

 

 その時、縁側で尻尾を揺らしていた猫魈が、ぽつりと呟いた。

「ダイチは」

 周囲の妖怪達が振り向く。

 みゃーはのんびりと続ける。

「面倒くさいこと嫌い」

 

 みゃーの声は、騒がしい村の中でも妙によく通った。

「ダイチは」

 妖怪達の視線が集まる。

 猫魈は尻尾をゆっくりと揺らした。

「ダイチはかなりのマイペースでのんびり屋で、他の子と違う着眼点があって好奇心も強いけど」

 一度言葉を切る。

 そして続けた。

「面倒くさいこと嫌い」

 河童が首を傾げる。

「え?」

 赤鬼と青鬼も顔を見合わせる。

「どういう意味だ?」

 みゃーは産女の家を見た。

 縁側。

 その奥。

 布団。

「だから」

 みゃーは淡々と言う。

「寝てる」

 その言葉を聞いた瞬間だった。

 大天狗と玉藻前の視線が同時に動いた。

 二人とも同じ場所を見ている。

 産女の家。

 縁側。

 布団。

 大天狗が静かに言った。

「・・・まさか」

 玉藻前は苦笑する。

「それだな」

 酒呑童子が首を傾げる。

「何だ?」

 答える代わりに、玉藻前は縁側へ歩いていく。

 その後ろを妖怪達がぞろぞろとついていった。

 そして。

 布団の前に立つ。

 めくる。

 そこに。

 ダイチがいた。

 すぅ・・・

 すぅ・・・

 ぐっすり眠っていた。

 河童が固まる。

「・・・寝てる」

 赤鬼が目を見開く。

「本物?」

 青鬼も覗き込む。

「本物だ」

 酒呑童子が頭を抱えた。

「おい」

 その瞬間だった。

 村のあちこちで起きていた異変が、同時に消え始めた。

 ぽん。

 屋根の上のダイチが消える。

 ぽん。

 畑のダイチが消える。

 ぽん。

 木の枝のダイチが消える。

 ぽん。

 井戸の縁のダイチが消える。

 ぽん。

 ぽん。

 ぽん。

 村中にいたダイチ達が、次々と消えていった。

 やがて。

 最後の一体が消える。

 静寂が戻る。

 妖怪達はしばらく黙っていた。

 最初に口を開いたのは酒呑童子だった。

「・・・なんだったんだ今日」

 河童がその場に座り込む。

「若様が増えたと思ったら消えた・・・」

 赤鬼が言う。

「全部夢だったんじゃないか?」

 青鬼が首を振る。

「夢で天狗様と玉藻前様が本気出すか?」

 その近くでは、小妖怪達がまだ震えていた。

「こ、怖かった・・・」

「さっきの妖力・・・」

 中にはまだ青い顔をしている者もいる。

 玉藻前はため息をついた。

「神性付きの言霊ってのは厄介だな」

 大天狗も頷く。

「無意識で発動するのが問題だ」

 二人の視線が布団へ向く。

 その中心で。

 当のダイチは──

 まだ寝ていた。

 すぅ・・・

 すぅ・・・

 みゃーが縁側に座る。

 尻尾をゆっくり揺らした。

 

「みゃー」

 ダイチの寝言にみゃーが短く返す。

「ここだ」

 山の風が縁側を通り抜ける。

 空では雲がゆっくり流れていた。

 その下で。

 ダイチは今日も。

 何事もなかったかのように、超マイペースに眠っていた。

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